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乙女、振り回される 3

 季節は梅雨の時期に入った。

「はあーあ・・・」

 放課後の図書館。

 窓際の席に座って雨の降るグラウンドを眺めながら、私は物思いにひたっていた。凜と鈴木さんたちは、今日はもう帰ってしまったから私一人。天気も良くないし、図書館に人の姿はまばらだ。

 私の前には、申し訳程度に本が開かれているけど、実のところ全く目には入ってない。

  

 ここまで来て、私には気づいたことがひとつある。

 高橋君って、女の子とあんまり係わり合いがないように見えるのに、触れることにためらわない人なんだな、と。

 初めは、あの高橋君がこんなことするなんて・・・!とか頭撫でられる度にどきどきしていたものの、体育祭での女の子をお姫様だっこをしていた件といい、お姉さんとのやり取りを思いだすに、なんていうか女の子とあまり話したりしない割りに全然照れとか恥じらいがない。お姉さんの影響もあるのかもしれないけれど。あわあわするこちらが馬鹿みたい。

 ・・・ずるいよねえ・・・私ははあ、とため息をつく。私は、触れられるだけでどきどきして、頭の中真っ白になるっていうのに。

 それまでなんとか誤魔化そうとがんばっていたけど、一度好きだと気持ちを認めるとダメだった。


 それに、近づけば近づくほど期待してしまう自分がいて、困る。

 高橋君も自分のこと好きなんじゃないか、って。


 好意を持たれてるのはわかる。他の女の子よりも、気を許してもらっている、とも思う。

 けどそれが特別な好きかどうかなんてわからない。

 だってあんな、頻繁にスキンシップされたら期待もしてしまうよ。

 でもでも、相手は『肩貸すのもおんぶするのも首を振ったから』ってお姫様抱っこをする高橋君だ。予想の斜め上、余計恥ずかしい選択肢を照れもせずできる高橋君だもの。

 女の子を抱き上げたときの凜とした背中を思い出すと、胸の中がきゅうっとするけど、同時にかっこよかったなあってどきどきもする。すっごい複雑な気分だ。

 とにかく、気軽に話せるようになってきた私に対して、他の女の子より少々スキンシップが多いのはもしかしたら高橋君にとっては普通のことなのかもしれない。嬉しいけど。恥ずかしいけど。なんだか悔しいけど!

 こんなことで一喜一憂する私は、見事に振り回されてるなあ、って思う。


 はあダメだ。最近すごく浮き足だってるから、本でも読んでちょっと高橋君のことを頭から放そうと思ってたんだけど、ぜんっぜん文字が入ってこない。

 あきらめて、私は本を戻しに立ち上がった。

 で、そろそろ時間も遅くなってきたし帰ろうと、図書館を出ると靴箱までやってくる。

 しとしとと、屋根を叩く雨音が校舎の中でも聞こえる。私は靴を履き替えると、校舎の入り口に立って空から落ちてくる雨を眺めた。

 昼から降り始めた雨は、まだ止む気配を見せない。

 大粒の雫が、屋根を滴って地面に大きな水溜りを作っていくのを眺めながら、私は傘を開いて歩き出した。

 校門まで歩いてきたところで、ふいに声を掛けられる。

「―――井上?」

 振り返ると、校舎から校門までの道を、私と同じく傘を差してこちらに向かって歩いてくる高橋君がいた。

 姿を見るだけでどきりと胸が弾むのを感じる。

「今帰りか」

「えっと、うん」

 追いついてくるのを待っていてんだけど、高橋君の他にも傘を差した制服姿の男の子達がいて、じろじろと不躾な視線を向けられてちょっと居心地が悪かった。多分、おんなじクラブの人達。

「先輩?」

「ああ、先に行ってくれるか?」

 その中の一人、背が低い、快活そうな男の子が高橋君に話しかけてくる。生き生きとした瞳が印象的な、なんというか生命力が有り余ってそうな男の子だった。

「んじゃあ、高橋先輩おつかれさまっす!先輩もさようなら!」

「「おつかれーっす」」

「―――さようなら」

 その男の子が気持ちのいい笑顔で私にも挨拶をくれて、ちょっと戸惑いつつも私も笑顔で返した。その後に続いて制服姿の男の子達が軽く頭を下げながら高橋君の前を去って行く。高橋君は軽く頷いて彼らを見送った。

 えっと。これってもしかしなくても、一緒に帰るってこと・・・だよね?口元がにんまりと緩みそうになって、慌てて私は口を開いた。

「いつもこの時間なの?」

「いや。 今日はもともと外でトレーニングの日で、この雨で校舎の中でしか練習できなかった。 いつもより早く終ったんだ。 井上こそ、どうしたんだ?」

「私はちょっと図書館に行ってて・・・」

 そんな会話を交わしながら、私達も駅に向かった。


 もともとそんな、会話がぽんぽんと弾む私達じゃない。ぽつりぽつりと何気ないことを話しながら、傘を差して二人、道路脇の街路樹の傍をゆっくり歩いていく。

 雨に濡れるのは好きじゃないけれど、こうやって傘を柔らかく叩く雨音を訊いたり、雨の雫が地面に落ちて行くのをぼんやり眺めるのは嫌いじゃなかった。 耳に優しく届く雨の音は、気持ちをさらさらにしてくれる。

 おまけに隣には、高橋君がいる。私はさっきまでぐるぐる悩んでいたことは現金にもきれいさっぱり脳裏の彼方に飛ばして、たまに話しかけてくる、耳心地のいい高橋君の低い声に聞惚れていた。ああ、幸せ。 

 時折ちらりと高橋君の方に目を向けると、気づいた高橋君が少しだけ目元を緩めてくれたりして。

 ああどうしよう、なんだかすごい照れるんだけど、すごい嬉しい。こんな何気ないことが、とても大切なことみたいに胸がきゅんきゅんする。自分で言うのもなんだけど、頭の中お花畑状態で、見事に色ボケしてるなって思う。

 いつもは遠く感じていた駅までの道のりが、今日はあっという間だった。

 


 

 

「お姉さん、元気?」

「・・・無駄にエネルギー有り余ってる」 

 高橋君の言葉に私は笑った。

 私と高橋君は帰る方向も同じだったので、そのまま自然に連れ立って電車に乗り込んでく。高橋君の方が降りる駅は早くて、一緒なのは5駅くらい。車内はそこそこ混んでいて、会社の退社時間と重なっているのもあって、スーツ姿の人たちが目立っていた。

 電車の中は冷房が効いていて涼しかったんだけど、雨の日独特の湿気が肌に纏わり着く感触がする。

 運よく空いていたドアの前を陣取って、私はつり革に捕まり、高橋君は扉近くのポールにもたれかかって立った。

 高橋君がはあっとため息を吐く。

「あれから、姉貴達がうるさい。 井上のこと見てみたいって騒がしい」

「あー・・・ははは、光栄です?」

 苦笑すると、なんだか疲れたような視線が降ってくる。

「他人事じゃないぞ、もし会ったら絶対離してもらえない」

 えっと、それってでも次が合ったらの前提だよね・・・

 なんて思いつつも顔には出さないで、「楽しみにしてるねー」と笑ってみる。

 そうこうしているうちに駅に近づいて、電車の速度がゆっくりになる。アナウンスの声と共に、私の後ろ側の扉が開くのがわかった。

 何気なく後ろを振り返って人の多さを確認すると、割とたくさんの人がなだれ込んでくるのが見えた。

 私達が乗っていたのは各駅停車なんだけど、この駅では急行や準急から乗り換えてくる人が多い。会社帰りのスーツ姿や私達と同じ制服を着た人たちが、少しでも居心地のいい場所を求めて容赦なく乗り込んでくる。

「わわわ・・・っ」

 それまでつり革につかまっていた私は、人の波に押されて、目の前の高橋君へと堪えきれずに倒れ掛かった。

 そのはずみで、とん、と額を目の前の白いシャツに押し付けてしまう。

 シャツ越しに感じる体温にどきっとした。

「ご・・・っごめん」

「ああ。―――大丈夫か?」

「う、うんっ」

 慌てて顔を上げれば、扉を背に押し付けて立つ高橋君が、咄嗟に私の肩を支えてくれて私を見下ろしていた。

「・・・・!」

 高橋君の瞳がちょっと見開かれるのがわかる。左目の目尻の、ホクロが見える距離に心臓が跳ね上がった。 

 自分が思うよりも、高橋君の男らしい顔が近くにあって慌てて俯く。

 距離を取ろうと後ずさるも、混んできた車内ではそんなに上手くいかない。じたばたと身動きしたせいで迷惑そうな視線が突き刺さって、仕方なくあきらめてほんの少しの距離を取って俯いたままでいることにする。

 ちらりと高橋君の様子を伺うと、眉間に皺を寄せて斜め先を睨みつけている高橋君の姿が見えた。

 視線が合わないことにほっとして、目の前の白いシャツを眺める。

 どきどきと、心臓の音が煩い。

 微かに目の前から漂う、雨のにおいと汗のにおいに、訳もなく落ち着かない気分になった。

 うわあ、どうしよう。居た堪れない・・・っ。

 話をするには近い距離に、言葉を掛けることが出来ない。

 どきどきしながら下を向いていると、電車が駅に着いて、今度は高橋君側の扉が開いて人が入ってきた。

 ドア近くにいた高橋君もさすがに人の波には逆らえず、二人してどんどん混雑した車内の真ん中に追いやられていったんだけど。

 うわーん、さっきより近い近いちかいっ。

 人の波が動いたとき、体勢を変えようともがいたんだけど無駄だった。いったん、身体を横向きに変えられてほっとしたのもつかの間、奥へ奥へと追い込まれるうちにさっきと逆戻りで同じ体勢になってしまっていた。

 むしろ人の多さで密着して、高橋君のシャツに額を押し付ける形になっている私は、顔を上げることがもはや出来なかった。

 ぎゃー、なにこれ、すっごいどきどきする。

 触れる額に、かちりとシャツのボタンが当たる。要するに、それほど近くに高橋君がいるということで。

 だらりと垂れ下がった高橋君の腕が、拳を握っているのに気づく。なんだか力が入っているみたいで、シャツから覗く程よくついた綺麗な筋肉のラインの、その力強さにどきりと胸が高鳴った。  

 どうしよう、すっごい幸せなんだけどむっちゃ恥ずかしいよー!

 居た堪れないむず痒さと好きな人の傍に近づける幸福に胸がきゅんきゅんして、でもここから逃げ出したい気分もいっぱいで、心の中はもうしっちゃかめっちゃかだった。

 どうしよう、死にそう。私、高橋君のこと、すっごい好きみたい・・・!


 高橋君が私を好きかどうかなんてもう、どうでもいい気がした。

 だって私、高橋君のことが好き。

 高橋君が私のこと特別な意味で好きじゃなくたって、私が好きだからいいや。

 どきどきしたり、落ち込んだり、泣いたり笑ったり、そんな感情を全部受け止めて、好きっていう気持ちを今は抱きしめていけたら幸せ。

 そんな風に感じたら、今高橋君の目の前に居て、偶然とはいえ触れ合っていることがとても愛おしいことに思えてきた。

 なんだかそんな気持ちを高橋君に伝えたくなって、そっと額を、電車の揺れじゃなく自分の意思で、高橋君の胸に押し付けてみる。

 ぴく、と高橋君の身体が揺れた気がした。

 ―――たかはしくん、すきです。

 まだ言葉に出す勇気はないけれど、私の気持ち、通じたらいい。

 そんな気持ちが溢れて、私は目を瞑った。


「―――駅、―――駅」

 車内に響いたアナウンスに、私ははっと顔を上げた。高橋君が、降りる駅の名前だった。

 斜め上に向けていた視線を、顔を上げたまま高橋君は私に向けてくる。

「・・・じゃあな」

「うん」

 なんとなく視線を合わせるのが恥ずかしく、私は目を逸らしながら頷いた。

 電車がゆっくりと止まり、扉が開く音がした。

 また、人の波が動く。高橋君は流れに従って扉の外へ、私はなんとかその場に留まろうと踏ん張った。

 その、すれ違い様。

「・・・ケーキ、上手かった」

 ぽん、と頭に手が乗せられて、頭上からそんな囁きが落とされた。

「・・・・!」

 思わず頭に手をやって、振り返ろうとしたんだけど、電車の中に入ってくる人の波に揉まれて上手くいかなかった。ちらりと、扉から出て行く頭だけが見える。

 どきどきと胸の奥が温かく弾んで、心の中が甘い気持ちでいっぱいになった。

 

 電車が動き出してもしばらく、私の顔は嬉しさで緩みっぱなしだった。 

  


 

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