乙女、振り回される 1
そんな非常に濃い休日を送った週明けの月曜日。
鞄の中にあるものを忍ばせてきた私は、朝からそわそわした様子を隠せないでいた。
うー思わず勢いで作って来ちゃったけど、どうしよう。どうやって渡そう。
「井上さん、どうかした?」
「う、ううん、なんでもない!」
挙動不審な私を見かねて、昼休み、鈴木さんがついに訊いてきた。
お弁当を食べる箸を止め、私の顔を覗き込んでくる。
「ほんとに?何だかいつもと様子が違うようだけど・・・」
「ほ、ほんとに何でもないない」
ぶんぶんと首を横に振った後で、私はそうだ、と思い出す。
「鈴木さん、ケーキ好き?」
お弁当を食べ終わる時間を見計らって、私は鞄の中からごそごそと例のものを取り出した。
カップケーキが4つ。土曜日高橋君のところへ持っていったキャラメルクリームを使った、キャラメルマフィン。昨日作ったんだ。
と、そのケーキを見て、
「・・・愛那、何かあった?」
「へ?」
「愛那がお菓子作ってくるときって、たいがい落ち込んだときとかじゃない?」
凜がちょっと心配そうにそう訊いてきたから、私はびっくりした。
一年の時からたまに、私はお菓子を作りすぎた時、学校に持ってきて友達と一緒に食べていた。特に自分では意識してなかったんだけど、どうもそれは自分的にテンションが落ちていた時だったみたい。凜にはばれてたんだな。
凜の言葉に、みんなの視線が私に突き刺さって、慌ててぶんぶんと首を振った。
「違う違う!違うから!」
「・・・ほんとに?」
一際気がかりそうなのは鈴木さんだった。体育祭のとき、ちょっと落ち込み気味な私を見ていたから余計だろう。
「いやいやえーっと、これはお詫びのしるしっていうか。た、体育祭の」
「・・・・・・・」
私の言葉に鈴木さんの、はっきりしたラインを描く眉が跳ね上がった。うぎゃっ。
「どうぞお納めください鈴木大明神様ー!」
私はずずいとカップケーキを鈴木さんの方へと差し出した。
「言っとくけど、これでチャラにはならないんだからね?!
とりあえずこれは受け取っておくけど!」
鈴木さんは眉を吊り上げてそんなことを言いながらも、カップケーキを受け取った。それを見て、他の皆も苦笑しながらそれぞれ手に取って、無事カップケーキは売り切れ、だったんだけど。
「ということなら俺にもあってしかるべきだよな」
突然乱入してきたのは氷室だった。
それも鈴木さんの背後から。驚いた鈴木さんは、振り返ることもできないで固まってしまった。ぽろりとカップケーキが手から落ちる。
「なんでよ。あんたの分なんてないわよっ」
私は氷室を追い出すべくしっしと手で払いながら、内心では驚いていた。
だって、氷室が他の女子、しかも鈴木さんが居るときに私に話しかけてくるなんて今までなかったと思うんだけど。体育祭の時だって、鈴木さんを追い払ってたし。
その鈴木さんはというと、腕組をしてえらそうにふんぞり返ってる氷室とは裏腹に、それまでの威勢が嘘のように縮こまってしまった。
「いや、おかしいだろ。どう考えたって俺が一番の被害者じゃねえの」
「どこがよ。ていうかないから。ほんとにないから。人数分しか作ってきてないから」
本当はもう一つ、鞄の中に入っているけれど、それは内緒だ。
不満げに整った顔をしかめた氷室は、仕方のなさそうに息を吐くと、何を思ったか鈴木さんの背後からにゅ、と手を伸ばした。その手のひらのさきには、鈴木さんが机の上に落としたカップケーキ。
突然伸びてきた手に驚いた鈴木さんは、とっさにそのカップケーキを胸に抱きこんだ。
「・・・えっとこれ、私のだから」
借りてきた猫みたいに大人しくなった鈴木さんが、おずおずといった感じで氷室を見上げてそう言う。
そんな鈴木さんを傲慢そうな表情で見下ろした氷室は、とてもえらそうに命令した。
「俺にくれ」
「え、嫌だ」
「・・・・・・」
秒殺だった。咄嗟にそう言い返した鈴木さんは、しまったというように口元にぱっと手をやる。言われた氷室の方は、不満そうに鈴木さんを見下ろした。
えっとあれ、なんだかいつもよりえらそう度が増してる気がするんですけど。
というか氷室が自分から鈴木さんに声を掛けてる・・・。
目が点になって二人を見守っていると、氷室がふん、と鼻を鳴らす。
「あんた、俺のこと好きなんじゃあなかったのかよ」
「・・・・・!」
うわ、ちょ、あんた最低なこと言ってるよ?! ていうか、え?なに?鈴木さん告白したの?!いつ!
ぎょっとする私達を他所に、その言葉を裏付けるように鈴木さんの顔が真っ赤になって氷室を涙目で睨みつけた。
そんな鈴木さんを、氷室の女の子みたいな可愛い顔が挑戦的に見返す。
「俺へのポイント、上げといた方がいいんじゃないの?」
にやりと片頬を引き上げて、氷室が言った。なんていうか、ものすごく意地の悪い表情で。
そして、気の強そうな鈴木さんがそうやって涙目で踏ん張っている姿は、なんだか妙にいたいけな、というか『がんばれ!』と思わず励ましたくなるような健気さがあった。
氷室はそんな鈴木さんの反応を試すかのように、目を細めて見やる。
「・・・さいていっ」
「もともと俺はこんな性格だ。それがわかってて好きになったんじゃねえの?
―――で、どうなんだ?俺にくれるの、くれないの?」
わざとらしい、犬っころスマイルが鈴木さんに向けられる。けど、可愛らしい、と言われる瞳の奥は笑ってなかった。
はらはらして二人を見守っていると、鈴木さんがはあっと何かを諦めたようなため息をついて、胸に抱いていたカップケーキを氷室の方へ差し出した。
氷室はそんな鈴木さんににんまりと性格悪そうな笑みを向けてから、カップケーキを受け取るため長い腕を伸ばす。
で。その手が届く寸前、ひょいっと鈴木さんがカップケーキを引っ込めた。
そして、呆気にとられる氷室を置いて、ラッピングを素早く取り去るとぱくりとカップケーキにかぶりつき、あっという間に食べつくしてしまった。
氷室は、そこでやっと我に返ったようだ。
「おま・・・っ」
「ごちそうさま。 おいしかった、井上さん。 お菓子作るの上手いんだね」
言葉を失う氷室を無視して、鈴木さんが私に向かって笑いかけてきた。
ぶっ。咄嗟に笑いを堪えて頬をぴくぴくさせながら、私は言った。
「おそまつさま、ありがとー!」
「あらら。 ほんとだ。 おいしーい!」
「これ、キャラメルの味もする。 今度レシピ教えてくれない?」
すかさず、鈴木さんの両脇に座るいつもの二人が会話に乗ってくる。
氷室は目の前で自分を無視されて続く会話に呆然としていた。
そんな氷室に向かって鈴木さんがにっこりと笑う。鈴木さんらしい、ちょっと強気な、生き生きとした笑顔だった。
「自分で食べるという選択肢もあったわね。残念でした」
なんだかすがすがしい表情を浮かべる鈴木さんを見て、氷室の顔が歪んだ。
ふっと顔を逸らし、負け犬の遠吠えのような言葉を吐き捨てるように言う。
「・・・お前、ほんとに俺のこと好きなのかよっ」
「腹が立つけど好きに決まってる」
「―――――」
まるでその言葉を言われることを予想していたかのようにあっさりとすぐに、鈴木さんが答えた。
多分氷室的には顔を真っ赤にする鈴木さんを想像していたんだと思う。
まさかそんなストレートに返されると思わなかったみたいで、ぎょっと目を丸くした。
釣り上がり気味の瞳がそんな、ぱくぱくと口を開閉する氷室をまっすぐ見上げて続ける。
「こんなことくらいで嫌いになるようなら、最初から好きになったりしないって言ったでしょ。
B型直情型女を舐めないでくれる?この捻くれ王子」
あ。もう駄目。
「あははははははっ」
私は大声で笑い声をあげてしまった。見ると、凜も他の二人も笑っている。
自分で話を振っておきながら、公然と告白を受けた氷室は、恥ずかしさでか顔が真っ赤だった。
そんな氷室に向かって私は言った。
「残念。氷室の負け、だね」
どういうつもりかわからないけど、鈴木さんに向かって仕掛けた氷室の喧嘩?は鈴木さんの一本勝ちだった、どう見ても。
ていうか氷室の子供っぽさ加減に笑えてくる。
「―――・・・!」
氷室がぷいと顔を背け、不機嫌そうな様子を隠そうともしないで去っていくのを私達は笑みの含む視線で見送った。
「で、と」
ぐりん、と私達の視線の矛先が今度は氷室から鈴木さんへと移った。ぎくり、と鈴木さんの方が揺れる。
「鈴木さん、私達に何か報告することはない?」
話しやすいように、まずは軽く水を向けてみる。うう、口元がうずうずする。すいと鈴木さんが視線を逸らした。
「別に何も?」
「体育祭のとき、もしくは後。何があったの?
「・・・・・・・っ」
分りやすく、鈴木さんの少し日に焼けた健康そうな頬に朱が走った。釣りあがり気味の目がちょっと潤む。
わーなにこの、かわいい反応!絶対何かあった。それまで鈴木さんを追い払おうとしていた氷室が、苛めてやろうと心境の変化を起こす何かが。
「―――トイレ行ってくる!」
私達から不穏な雰囲気を感じ取って、鈴木さんが突然立ち上がった。
「付いていこうか?」
「いい!一人でいける!」
と言ってさっきの氷室と同じでフェードアウト。逃げちゃった。
まあ追求が後になっただけなんだけどね?
でも、よかった。これで、あの二人のぎすぎずした雰囲気はなくなったんじゃない?
そんなことを考えて安心し、他の皆と昼休みのひと時の続きを満喫している私の目に、開け放った教室の扉から、見慣れた姿が教室の前を横切って行くのが見えた。
いつもながら姿勢のいい、がっしりとした背中にはっとなる。高橋君だった。
咄嗟に私は鞄の中に手をつっこむ。かさりと、他の皆の分と分けていたカップケーキの入った紙袋が音を立てた。
どうしよう、授業が終ったら高橋君部活があるだろうし、渡すなら今しかない気がする。
隣のクラスに行って高橋君を呼び出して渡す、というのは私にとってはハードルが高く、今日一日チャンスを伺っていた私はここぞとばかりに立ち上がった。
「愛那?」
「・・・トイレ行ってくる!」
不思議そうな皆に鈴木さんと同じ言い訳して。
私は、高橋君を追いかけて紙袋を手に教室を飛び出したのだった。