隣のクラスの高橋君 2
うう~ん、ないなぁ。
それから週が明けた月曜日。
授業の終わった放課後、私は整然と本の立ち並ぶ棚を回りながら、目当ての辞典がある場所を探していた。
「愛那―、あったぁ?」
同じクラスの親友、工藤 凛が向こう側からやってくる。
すっと伸びた手足、清楚な雰囲気の彼女のその細腕には似合わない分厚い本が抱えられてる。
おっと、凛のほうは見つかったみたいね。
世界史の授業で出た宿題で、教科書だけでは太刀打ちできないプリントの内容に、私たちは手分けしてそれを埋めることにしたんだけど、普段図書室なんて来ないものだからその資料を探すのにも一苦労だった。
「ごめん、まだ見つからない。先、戻っといてくれる?もうちょい探すわ」
「手伝おうか?」
「ん~ん、だいじょうぶ―。」
ありがたい申し出を断わり、こちらを気にしつつも席に戻っていく凜に軽く手を振って。
ふうとため息をひとつ。
やれやれ、棚ごとに分類されてるはずなんだけどな。なんで見つからないんだろ。
不思議なんだけど、図書室ですぐに目当ての物を見つけられた試しがないんだよね。
いっつも右往左往してさまよってしまうんだ。
さてさて、どこかな―、辞典辞典っと。
あ。ていうか、世界史で探してるんだから、そっちの分類で探したらあるのかな??
じいっと棚を見上げていた私はそう思い当たり、別の所を探すため棚を移動することにした。
いったん探してた棚を出て、緑色の分類名に従ってその方向に向かったとき。
あ。
図書室の一番奥の棚、本棚のすぐ傍に立つその大きな姿を見つけて私はちょっとだけ足を止めた。
思いがけず丁寧な手つきで、手に持った本を棚に戻している、明らかに何かスポーツをしていると分かるがっしりとした体育会系の体つき。
相も変わらず目つきが悪い。というかまた眉間に皺が寄ってるよ・・・
最近ケーキ屋に訪れたその人は、一瞬だけこちらに視線を走らせてきたけど、私があのケーキ屋の店員だとは気づかなかったみたいですぐさま視線は逸らされた。
そのことにほっとしつつ、ただ立っているだけで存在感のあるその姿にまたまた違和感を感じてしまった私だ。
いや、余計なお世話なんだけど、こう、図書館とか本とかのイメージもないよね、高橋くん。
あの大きな手でちまちまとページを捲る姿を想像するとなんだか微笑ましい。
なんだか頬が緩むのを感じつつ、私は目当ての本を探すために奥の棚へと歩き出した。。
高橋くんの後ろを通る時、ほんの少し興味を引かれて彼の手にある本をチェックしようとしたけど、その大きな体が邪魔をして見えなかった。
ざんねん~と肩をすくめつつ、さてさてそんなことより辞典探さなくっちゃ。凜も待ってるんだし。
と棚を見上げて探すことしばし。
―――あった!
ようやくそれらしい名前の辞典が見つかって思わず心の中でガッツポーズ。
でも。
う・・・ん。
見つかったことにほっとしたんだけど、その辞典があるその場所に、私はちょっと眉を寄せてしまった。
だって。
辞典の位置が、ものすごく微妙な位置にあったのよ。
爪先立ちになって指先が届く、そんな位置。
どうしよ。でも、はしご持ってくるの面倒くさいしなぁ。
ものぐさな私の悩みは一瞬で終わった。
うんしょっと爪先立ちになり、目当ての辞典に手を伸ばす。指先が、分厚い辞典の数センチに引っかかった。親指と人差し指を使って引っ張り出そうとして・・・ううん、結構重いな。
なかなか、出てこない。
―――うん、わかってる。ここで、止めとけばよかったってことは。
ちゃんとはしご持ってきたら良かったってことは。
いつも、兄ちゃんにもよく怒られる、お前はものぐさだって、もっとよく考えて動けって。
けどそんなこと思っても後の祭り。
元来短気な私は、なかなか引っ張り出せない辞書に業を煮やして、荒業にでてしまったんだ。
ほら、よくやるでしょ?ぎゅうぎゅうに詰まってる本とか取るとき、人差し指で取りたい本のてっぺんをくいっと引っ張り出すやつ。それを、私は無謀にも下からやろうとしたわけ。爪先だってる状態でね。
―――さっき引っ張ったからほんの少し他の本よりも棚から飛び出てる、その辞典を人差し指でくいっと、下から引っ張り出す。
一応背が届くし、ちゃんと本は受け取められる、そう思って。
けど。ひとつ誤算があったのよ。
辞典が思ったより重かった・・・!
一度ではなかなか出てこなかったから、二回目、三回目と何度か続けると、40センチくらいの大きさの、太さは5センチくらいある辞典がぐらりと重力に従って傾いでくるのが見えた。
よっしゃ、取れる!と爪先立ちのまま両手をばんざいの格好で落ちてくるのを待ち構えていたんだけれども。
ずしり。
思ったより両手のひらに重力がかかった。
え。え。え・・・!
体を持ってかれそうになるのを必死に踏ん張り、手のひらの上の本が危うい均衡を保った。
ととと・・・っ。
ちょっとでも体がよたつくと、辞典もぐらぐらと動いてそのまま体ごとひっくり返りそうなので足に力をこめる。
え、うそ。動けない??
顔が青ざめるのがわかった。
動くと頭上の辞典が降ってくる・・・!
この重さからして落ちて当たったら相当痛い・・・!
けど支えてる腕もぷるぷる震えて、限界が近いことを知る。
もう駄目だ・・・!
腕の震動でぐらりとまた本がバランスを崩し、辞典の重みに体も持って行かれるのがわかり、覚悟してぎゅ、と目を閉じた時だった。
とん、と背中に温かい手のひらの感触と、
「――――危ない」
耳に残る静かな声がすぐ頭上から。
それは一瞬のことだった。
背中に感じたぬくもりと、あたたかな吐息が私の前髪をくすぐって。
大きな手のひらがよろけた私の背中を軽くささえ、す、と現れた太い腕が私の耳の横を通って辞典を掴んで、バランスを崩した私を助けてくれた。
―――どきんっ。
手のひら越しとはいえ、背後から突然大きなものに身体を一瞬覆われて、心臓が大きな音を立てる。
すぐさま頭上の辞典ごとその大きな身体は離れていったんだけれども。
「た、たかはしくん」
振り仰ぐと、私を助けてくれた高橋君が、眉間に皺が寄った顔で私を見下ろしていた。
「・・・無理をする」
呆れたような声音にうわあと私は肩をすくめる。
恥ずかしいとこ見られてしまった。
「ご、ごめんね、ありがとう」
「別にいい。ただ、無理をするな。怪我をするぞ」
まるで小さい子に言いきかせるような口調でそう私に告げると、右腕に抱えた本のうち辞典を私に差し出してくれたので、私は両腕でそれを受け取った。
その時、ちらりと高橋くんが脇に抱えたもう一冊の本も目に入って、軽く目を見張る。
けど、すぐに両腕にかかる辞典の重さに気を取られてしまった。
う、無茶をしたものだ、私。
と、そこで無言で去っていく大きな後姿に気づき、慌てて私はその背中に向かって叫ぶ。
「ありがとう!」
返事は、ちらりとだけ向けられた無愛想な顔だった。
「―――どうしたの?」
席に戻ると機嫌のいい私に気づいたのか、凜が訊いてくるのに「なんでもない」と返しながら。
私はにやにやと顔が緩むのを止められなかった。
うふふ、だって。
ちらっと目に入った、高橋くんの抱えてた本のタイトル。
それは、かの有名なファンタジー小説。
べリー・ボッターだった。
似合わなすぎるよ、高橋くん!