精神安定剤? 後 2
ぱあん、と鉄砲の音がグラウンドに鳴り響いて、二人三脚が始まった。
晴天の中、それぞれ片足を縛った男女ペアがグラウンドをまっすぐ走り抜ける。
全校生徒参加のこの競技、今さっき二年生の部が始まって、私は今順番待ちしているところ。
「藤沢君、足の紐、結び方これでどうかな?」
「ええっと・・・・ていうかそれより井上さん、どうして僕の隣に・・・」
「あれっなんだかゆるっゆるみたい!藤沢君、これどうしたらいい?!」
「え?あ、うん、ちょっと待って・・・ってお団子結びになってるじゃないか!」
と慌てた様子で、優しげな雰囲気のクラスメイトの男の子が、私が縛った硬い団子結び、私の右足と自分の左足を結ぶゆるゆるの紐を見て解きにかかる。
結びなおすことに頭がいって、先ほど言いかけた言葉は忘れてしまったようだ、しめしめ。わざと時間かかる結び方した甲斐があるってものだ。
私は紐のことは藤沢君に任せ、ちらり、と前方に目をやった。とたん殺気立った目つきをしてる氷室と泣きそうな瞳の鈴木さんに出会う。うぎゃあ、と内心悲鳴を上げつつも気づかないふりをして後方に目を逸らした。
逸らした先には他のクラスメイトに混じってにこにこと天使の微笑を浮かべる凜の姿があった。口パクで何かを言っている。
声は聞こえないけど、だいたい何言ってるのか分る気がする。『やったね』と多分私を褒め称えているんだろう。
前面の虎、後門に天使。ただし小悪魔の尻尾つき。なんだか私の気持ちとしてはそんな感じだった。
―――二人三脚、鈴木さんと愛那、相手交換しちゃおう?
『氷室君には、反省してもらわないとね~』
にこにこしながら、競技が始まる前にそんなことを言い出した凜の言葉に私の目は丸くなった。
要するに、先ほど険悪なムードだった鈴木さんと氷室に一緒に二人三脚組ませようってことで。
う、うーんっと。
『・・・まずくない?』
『うーん、ちょっと強引かもしれないけど、あの二人には一度ちゃんとお話してもらうほうがいいかもって思う』
凜の穏やかな声が、のんびりとした口調ながらも譲れない強さを覗かせて、そんな風に言う。
こういうことって、周りがやいやい言うと余計にこじれるよね、特に氷室は、自分の容姿目当てに近づいてくる女の子のこと毛嫌いしてるふしがあるし。とか考えていた私は、自分と真逆の案を出してきた凜の言葉に驚きを隠せなかった。なんていうか、私はずっと凜のことおっとりとして内気、っていうイメージを持ってたんだけど、さっきの氷室に対しての態度といい、割と行動的な一面があるみたい。
けど、私ははじめ、反対した。だって、氷室はともかくさっきの後じゃあ、あまりにも鈴木さんがかわいそうすぎるよ。けど、その言葉に返ってきたのは、凜のふんわりした笑顔だった。
『氷室君、あんまり口は良くないけどそこまで性格は歪んでないと思う。多分、さっきのことで罪悪感、持ってると思うんだ。だからむしろ今が一番チャンスじゃないのかな』
あー・・・、なんだか説得力ある言葉に、ぐるぐると私が考えると、更に凜が綺麗に微笑んだ。
『大丈夫だよ。それにもし氷室君がまた、鈴木さんを傷つけたら、私は全力で鈴木さんに違う人をお勧めすることにするし』
綺麗な顔立ちの彼女がそんな風に笑うと、ある意味脅されたりするより逆らいがたい気分になるの、実は本人知ってたりするのかな。
多分大丈夫だと思うけどね、と何故だか疑う様子のない凜の言葉に、ちょっと考えてから私は首を縦に振った。
だってさー、確かに、これから先、こんなことたくさんあるんじゃないのかなあと思ったのよ。
氷室が近づくたび、鈴木さんが今日みたいに傷つくの見たくない。
凜の大丈夫っていう根拠は今ひとつ私にはわからなかったんだけど、私は凜の言葉を信じて乗ることにしたんだ。
だって凜が鈴木さんを傷つけるようなことすると思えないし。
というわけで、二人三脚の召集がかかってからぎりぎりまで氷室の隣にスタンバっていた私は、一年生の部が終ってスタート地点に移動になったと同時、行動を開始した。
鈴木さんの相手役だった藤沢君を凜と二人で捕まえ、目を白黒させる藤沢君の足と自分の足を紐で繋げて逃げられなくしてしまったんだ。
で、呆然とする鈴木さんと氷室をセットにして、二人三脚の順番待ちでクラスの群れの中に入った。
ええもう、そりゃ目立ちましたよ。
今もクラスメイトの視線が痛いよ。好奇心てんこもり。まあそりゃそうだ。
氷室はぴりぴりしてるし、その隣の鈴木さんは泣きそうだし。
ほ、ほんとに大丈夫かしら、これ。
けどもう後戻りはできない。そうこうしてる間にも、どんどん人の波は前に前に進んで行く。
私の隣に座っている藤沢君もここまで来たらあきらめたみたいでもう何も言わない。時折ため息ついてたりするのは聞こえないフリ。ご、ごめんね藤沢君。
せわしなく動く心臓の音を落ち着かせようと、私はなんとなく辺りを見渡して、割と近くに高橋君の姿があることに気づいた。
そっか、隣のクラスだもんね、考えてみたら。
けど、私より3組斜め後ろに、相変わらずむっつりした表情で体育座りをしてるその姿はどう贔屓目に見ても怖かった。
えっと、高橋君、だから眉間のしわだけでもどうにかしようよ、ほら、組んでる女の子怖がっちゃってるから・・・。思わずはらはらと様子を伺ってしまう。
ショートボブのその女の子は、高橋君と繋がった右足からできる限り距離を取ろうとしているのがわかる。
うーん、それはそれでどうかと思う態度だけど・・・多分高橋君もそれがわかってるからだろう、怒ってるというより困ってるんじゃないかと、なんとなく私はそう感じ取ったんだけど、周りからみたら不機嫌なようにしか見えないし近づけない・・・と、思ってたんだけど。あれ?
ぽん、と高橋君の後ろに座っていたクラスメイトの男の子が、苦笑しながら高橋君の肩に手をかけて何か話しかけた。一言、二言、話すとふ、と高橋君の表情が少し緩む。
それだけで、取り囲む雰囲気が和らいだのがここからでもわかった。
男の子と高橋君が、言葉を交わす。その隣の、強張った表情の女の子にも、話を振って・・・だんだん、高橋君とペアの女の子の表情が緩んでいく。
その様子をそっと伺っていた私は、知らない間にほうっと安堵のため息をついていた。
ていうかなんで私が緊張してるの。手に汗までかいちゃってるし。
それにしても、氷室の言ってたみたいに高橋君って男の子とは仲いいんだな。
苦笑を零しながら前を向いた私は、ちょっとだけ胸の中をよぎった寂しさを見ない振りをする。
「井上さん?前、進むよ」
藤沢君に促され、は、と我に返った私は、だいぶと前に進んだ列に気づいて慌てて進もうとしてずべっと前につんのめってしまった。右足を後ろに引っ張られたまま、地面に手をつく。隣で「うわっ」という藤沢くんの悲鳴も聴こえた。
「い、いのうえさん、足、縛ってるから・・・」
「ご、ごめんっ」
そうでした、足縛ってるの忘れてたよ、恥ずかしい。周りでくすくすという笑い声が聞こえて顔が赤くなった。心配そうに手を伸ばしてくれる藤沢君の手を借りて体勢を立て直す。
息を合わせてせいのっと藤沢君と前を詰めて―――その視線の先に、氷室と鈴木さんの姿を見つけて、今度は驚いて目を見開いた。