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黒ネコさんの受難 6


 ―――春日くんが認める言葉を口にしたとたん、またまたこの場が剣呑な空気になってしまった。

 発生源は言うまでもない、高橋君とそしてもう一人。

 先生、だった。

 

「どういう理由があって、そんなことをしたんだ」

 押し殺した、低い声だった。

 怒りの滲んだその声に、自分に向けられたわけでもないのに思わず身を竦ませてしまう。

「まさかとは思うが、動物を虐待して楽しんでたとかじゃないだろうな」

 そんな私の目の前で、先生はいつもは陽気な光を浮かべている瞳に険しさを宿して、春日君の方に近づいていく。

 あ、あっ・・・!

 さっきの高橋くんといい、がたいのいい体育会系の男の人が怒って迫ると結構な迫力がある。青ざめて後ずさる春日君をみて、私は焦って叫んでしまった。


「ち、違うんですっ、わた、わたしが頼んだんです、先生!」

「・・・は?」

 目を丸くする先生。私は、それには応えないで、するりと高橋君の背中をすりぬけ、庇うように春日君の前に立った。

 

 目を大きく見開く高橋くんの姿を横目に捕らえつつ、驚いた表情の先生と対峙する。

「黒ネコさんが先生に捕まるのが嫌で、先生が来たら逃がしてもらうように、春日くんに頼んでたんです!

 それで石を投げたら、間違って黒ネコさんに石が当たっちゃったみたいなんです・・・!」

「・・・なんだと?」

 先生が眉をしかめて私を見下ろす。その疑うような視線にたじろぎそうになったけど、なんとか踏ん張った。

 私が先生にそう言ったとたん、背後からはひゅっと息を呑む音がした。驚愕した気配を感じる。

 ぼろを出しちゃあまずい・・・!と、焦った私はくるりと春日くんを振り返った。

 そして、両手で抱えたままの黒ネコさんを、そっと春日君の顔の前に差し出す。

「そうだよね?春日君」

 内心どきどきしながら、そうやって、黒ネコさんの反応を確かめようとした私の目論見は成功した。

 黒ネコさんがみゃあお、と春日君に向かって甘えるように鳴いたんだ。


 ああ、やっぱり。

 戸惑った春日くんの様子が伝わってくるけど、私は黒ネコさんを胸にもう一度抱え込み、ずずいと春日くんの目の前に迫った。

「そうだよね!ね!」

「う、うう、うん?」

 その迫力に押されたように、春日君が頷いた。よっしゃ。私は満足げに笑顔を浮かべ、くるりともう一度呆然としてる面々を振り返る。

「というわけだよ、先生!」

 自信満々に言い放つと、我に返った様子の先生はぱちぱちと大きく瞬きを繰り返し―――疲れたように、はあとため息をついて、片手を頭にやった。


「・・・そうか、ならこの騒ぎはなんだんったんだ?ただの内輪揉めか?

 井上と工藤以外、えらくクラスがばらばらみたいだがお前らどういうつながりなんだ?」

「そ、それは・・・っ」

 う、そこまでは考えていなかった・・・!

 私は一瞬言葉に詰まったけど、急に閃いて勢い込んで叫んだ。

「わ、私たち、黒ネコさんを取り囲む会のメンバーなんです!」

 うう、何も言わないで。無理があるのは百も承知。

 しかも何『黒ネコさんを取り囲む会』って、ネーミングセンスもあったもんじゃない。

 でも私はとにかく必死だったんだ。  

「・・・はあ?」

 当然だけど先生は面食らった。思いもかけない言葉を訊いたという表情の先生に向かって、私は春日君の腕を黒ネコさんを抱いたまま掴んで叫ぶ。


「で、黒ネコさんが怪我しちゃったから、どっちが病院まで連れて行くかで揉めてたんです!

 た、高橋君と春日君が超のつく猫好きで!もう、二人とも自分が抱っこするって、喧嘩になっちゃって!」

 ねっ、と春日君を見つめると、勢いに呑まれたように彼は頷いた。ほっとした私は高橋君に視線を移して―――とたん、う、と息を詰めてしまう。

 ものすごく鋭い目つきをしていらっしゃる。

 いつも以上に眉をしかめ、迫力のある表情をした高橋君と私の目が合った。

 なんというか、ものっすごい機嫌が悪い。

 そりゃそうか、猫好きって高橋君のキャラに合わないし―――という理由じゃないよね、もちろん。

 どうして私が春日君を庇ってるのか意味がわからないのだろう。下手をすると、私が裏切ったと思われてるかもしれない。

 そう思いついたとたん、ずきりと胸が痛んだ。

 いつも怖い顔だけれども、こんなに怖いと思ったのは初めてだった。私はごくりと唾を呑み込んだ。

 そして、じっと瞼に力を込めて、高橋君の顔を見つめ返す。

 ―――お願い高橋君、後でちゃんと説明するから、話を合わせて。

 そんな願いを込めて必死に高橋君を見つめていると、ふ、と高橋君の目が眇められた。

 それから、ふう、と何かをあきらめたようなため息を一つ。


「・・・その通り、です。」

 非常に不本意そうに、高橋君が肯定の言葉を吐き出した。

 へえ、と先生が面白そうに片眉を上げた。

「高橋、本当に猫の取り合いで喧嘩になりそうだったのか?

 お前がそんなに猫好きだとは知らなかったな」

 うわ、先生、人が悪い!絶対違うとわかってるのに、にやにや笑いながらそんなことをいうものだから、高橋君の眉と眉がひっつきそうなくらい眉間に皺が寄り、むちゃくちゃ人相の悪い顔になってる。

 その瞳が、挑戦的な光を宿して先生を見た。


「そうです、俺、猫が好きなんです。

 何か問題ありますか」

 またあの芯のある声が、そんな潔いことを言い放つ。うわ、高橋くんらしい、うじうじするより男らしく認めるほうを選んだらしい。

 ぶ、武士だ・・・!

 私が言わせたようなものなんだけど、思わず笑いがこみ上げてきてしまって慌てて私は堪えた。

 でも、先生は遠慮がなかった。

 くっくっく、とその肩がゆれて、大きく笑いだす。


「そ、そうか。なら、俺の出番はないな?生徒同士の揉め事は、生徒で解決してくれ」

 と言いながらも苦しそうに身体を折り曲げて笑ってる。高橋君はその前で憮然とした表情を浮かべていた。うう、先生いい加減やめて~高橋君がむっちゃ機嫌悪いよ~!


 それからたっぶり数分間大笑いした後で、先生はふう、と人心地ついたように息を吐いた後で言った。

「と、いう理由なら俺はもう行くぞ。早くその猫、病院に連れていってやれ。

 それから、・・・わかってると思うが、ここにはもう戻してくるなよ?でないと、俺はその猫を追い出さないとならんからな。というわけで、『黒ネコさんを取り囲む会』は解散だ。いいな?」 

 最後は、からかうような声音ながらも真面目にそう締めくくって、先生は軽く片手を挙げて去っていった。

 よ、良かった・・・!胸を撫で下ろす私の耳に、ものすごく機嫌の悪い声が入ってきた。


「おい・・・いったいどういうことなんだ」

「愛那ー?」

 先生の姿が見えなくなったとたん、ぱたぱたと凜はこちらに走り寄ってきて、高橋君はというとむっつりとまだ眉を顰めてそう問いかけてくる。


「あははは~・・・ええっと」

 私はどう答えようか考えながら、ちらりと背後に立つ春日くんに視線を向けた。 

 とたん、ばっちりと視線が合ってびっくりする。すぐにふいって目を逸らされちゃったけど。

 春日くんはなんだか、複雑そうな表情をしていた。


「・・・どうして」

 掠れた、小さな声が春日君から漏れた。

「・・・どうして、僕を、庇ったんだ?」

 ひび割れた唇が、言葉を紡ぐ。視線は斜め前に伏せられたままで。

「僕が、その猫に怪我をさせたって、わかってるんだろう?」

「――――」

 自嘲の笑みが、春日君の頬にに浮かんだ。片方の唇の端を引き上げて。

 その言葉を訊いたとたん、すう、と高橋君が目を細め、今日何回目かわからない怒りの気配が立ち上るがわかった。

 私は、その鋭く釣りあがった瞳と視線を合わせて―――とどまってもらえるように眼差しで訴える。

 怒りを含んだ瞳が、それでも不承不承ながらも、最後にはまたこの場を私に譲ってくれる。

 

「うん、そうなんだろうね。・・・でも」

 一度言葉を切り、私は春日くんを見上げた。

「さっきも言ったけど、それって、わざとじゃないよね?」

「―――・・・」

 断言すると、細い瞳が一瞬だけはっとしたように見開かれたのがわかった。傍目にはわからない程度になんだけれども。


「愛那?どういうこと?」

 凜が不思議そうに私の傍に近寄ってくる。黒目勝ちの綺麗な眼差しを向けられて、私は軽く肩をすくめてみせた。

「・・・言葉通り、だよ。

 凜も知ってるでしょ?先生が黒ネコさんを追い出そうとしていたこと。

 さっき、私が先生に言ってたことは、多分ほんとのことだと思うんだ。 

 ―――春日君は、黒ネコさんを逃がそうとしてくれて・・・投げた石がたまたま、黒ネコさんの後ろ足に、当たったんじゃないのかな?」

 そこまで話して春日君を見上げたけど、春日君は視線を逸らしたまま、だった。思わず苦笑が零れてしまう。

 それとは別に私は高橋君からの視線も、横から感じていた。

 きっといつもみたく、きゅっと眉が寄って私を見ているんだろうなぁ。

 そんなことを考えたら、ふっとなんだか和んでしまった。

 私は先ほど見つけた猫缶が置いてある草むらまで歩いて行く。

 しゃがみこむと、黒ネコさんがじたばたと暴れたので、ついでにそっと地面に下ろしてあげる。

 ごろごろと喉を鳴らしながら黒ネコさんが猫缶の残りに鼻先を突っ込むのに、思わず笑みが浮かんだ。

「それ・・・」

 凜が背後で呟く声が聞こえる。 

 私は、その声には答えずに、もう一つ傍に転がった、空の猫缶をひょいと手にとって春日君の方に向けた。

「―――これ黒ネコさんにあげたの、春日君、だよね?」

 目元を和らげて春日君に訊くけど、春日君はちらりと一度こちらに視線を向けただけでまたすぐに逸らしてしまった。

 けど、その眼鏡の奥の細い瞳が一瞬揺らめいたのに私は気づいていた。


 ・・・うーん、話してくれる気は、ない、か。

 私は肩を竦めて、戸惑ったようにこちらを見ている高橋くんと凜を見上げ、続けた。

 先ほど見つけた、校舎と土の部分の境目、コンクリート部分周辺に集まってる小石を指差して話し出す。


「多分、春日君は黒ネコさんに猫缶をあげている間、あそこに座ってそれを見ていたんだと思う。

 草むらの中に置いていたのは、先生が来ても、黒ネコさんが居るってわからないようにしてくれてたんだと思うんだけど・・・」

 小首を傾げて春日くんを見つめるけど、春日くんは何も反応しない。

 私は頬を緩めた。

「木の奥の方まで行かなかったのは、黒ネコさんが最初、警戒して近づいて来なかったからだよね?」

 視界の端で、高橋君が何かに思い当たったように、罰の悪い表情になったのがわかった。

 うふふ、初めて黒ネコさんと対峙した時のこと思い出すね、高橋君?

 

「―――で。

 運の悪いことに、黒ネコさんにごはんあげていた途中で、先生がこっちに来るの気づいたんじゃないのかな。

 近寄っていっても見つかったら怪しいし、それで仕方なく小石を投げて逃がそうとした石が、たまたま黒ネコさんに当たってしまった・・・そんなところかなあと思うんだけど―――違う、春日くん?」

「―――・・・」

 春日くんはまだ、俯いている。

 でも、私はほとんど確信していた。

 だって。私がここに着いたとき、春日君は、黒ネコさんの傍にしゃがみ込んでいたんだ。

 最初私はそれが、黒ネコさんに危害を加えるためだったと思ったけど。そうじゃなかった。

 きっと、思いがけず怪我をさせてしまった黒ネコさんを心配して、様子を見るためだった。


 私は高橋くんに近づいて、伏せられたその顔を、あえて下から覗き込んでみた。

「ね、春日君・・・猫、好きでしょ?」 

 思い出すのは、黒ネコさんと一緒に居たときたびたび感じていた視線。

 お世辞にも感じのいい視線とは言いがたかったんだけど。その視線は、きっとこの、背の高くて眼鏡を掛けた男の子からだ。

  

 眼鏡の奥の瞳が、目が合ったとたんびっくりしたように見開かれるのを見て、私はくすり、と笑った。

 意外と目が小さいな。こうやって見ると、愛嬌があるような。そんなことを考えていたら、今まで神経質そうだと思っていた印象が、ちょっと変わったような気がした。えっと、うん。なんだか、とっつきにくそうな感じではあるんだけれども、実は春日くんって感情を表に出すのが苦手な、普通の男の子なんじゃなかろうか。猫好きの。

 そして、それを裏付けてくれたのが、愛らしい我らが子猫ちゃんだった。

 

「・・・何を」

 ふ、と私から視線を引き剥がし、馬鹿にするような口調で春日くんは否定の言葉を放ったんだけど。

 するり、とその春日くんの足に頭を摺り寄せる小さな黒い塊が、それを台無しにしてしまったんだ。

 怪我した後ろ足は庇うように立ちながら、甘えるように、みゃあお、と黒ネコさんが春日君に向かって鳴く。

 どうみても、それが答えのように見えるよね?

  

「・・・・!」

 黒ネコさんに足元に絡みつかれた春日君の身体が強張った。

 おそるおそる黒ネコさんを見下ろして、その表情ががちょっとだけ歪んだ。

 唇が、微かに言葉を紡いだのがわかった。小さすぎて聞こえなかったけれど、それは「ごめんな・・・」だったように思う。

 でも、それはほんとに一瞬のことで。

 すぐに我に返ったように、いつもの無表情に戻ると。

 ふいに身を翻して、この場を立ち去って行った。

 誰も、止めたりしなかった。

 小さな沈黙が落ちて、柔らかな風がふうわりと立ち尽くす私たちの間を通りすぎていった。


「―――井上」

 低い耳心地のいい声に名前を呼ばれて、私は高橋君を見上げた。

「・・・そろそろ、そいつを病院に連れていってやろう」




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