黒ネコさんの受難 5
え。なに、この組み合わせ。どういうつながり??
と現れた二人を目を丸くしていた見ていた私なんだけど。
少し息を切らした様子の高橋君が、怪我をした黒ネコさんを目にした表情をみて、反射的に、あ。やばいかも、とそう思った。
すぅ、と細められるその瞳。
顰められた眉、そして、その下の瞳は剣呑な光を宿して、私の脇に立ち尽くす男子生徒・・・確か、春日君だっと思う。に視線を移す。
「これは・・・おまえがやったのか?」
私がここに着いてまずそう思ったのと同じように、黒ネコさんの近くに立ち尽くす春日君に向かってそう問いかける。
さっき先生も言ってたけど、校舎裏ってあまり人が来ない場所だし、加えて春日くんってちょっと何を考えているかわからないような雰囲気を纏った男子生徒だった。どう見ても動物をかわいがる印象なんて、あんまりなくって。 だから、高橋君がそう思ったのは、割と自然な流れだったんじゃないかなと思うんだけど。
その呻るような低い声音に、びくりと春日君の肩がはねた。
こ、こわい。これは怖い。
唯でさえ高校生離れした体格や顔立ちをしている高橋君が凄むと、えらい迫力がある。怒りのオーラがびしばしと伝わってきて、応対していない私でさえ思わず後ずさってしまった。
その怒りの矛先である春日君といえば、顔色が真っ青になってしまっている。言葉も出ないくらい怯えてるみたいだ。
辺りに緊張感が走った。高橋君の隣に立っている凜も、固まってしまったかのように立ち尽くしてる。
同じように春日君の横で固まっていた私は、けれど、瞳を眇めたまま、す、と一歩こちらに向かって足を踏み出した高橋君を見て我に返った。
あ、駄目!駄目駄目っ!
その後の行動は自分でも褒めてあげたいくらい素早かったと思う。
凄みのある表情で春日君に近寄り、手を伸ばす―――多分、胸ぐらを引き寄せようとしたんだと思う、高橋君の腕にしがみ付いた瞬間、高橋君の顔に驚きの色が走った。
「ストップ、高橋君!」
「井上・・・」
困惑した高橋君の声が降ってくる。瞳には怒りの気配が漂ってて、腕にしがみつく私を理解できないように見つめてくるけど、振り払う様子はない。
怒りに支配されていても、基本的に優しい所は変わってない。そのことに勇気付けられて、私は必死に高橋君を見上げた。
「暴力は駄目だよ、高橋君!」
「―――」
高橋君の眉がいらだたしげに顰められる。納得できない、そんな気持ちが身体全体から伝わってきて、私は無我夢中で訴えた。
「駄目!高橋君柔道部でしょ!」
我を忘れて、こんなどう見ても文科系な男の子ぶん投げでもしたらどうなるか。
大怪我でもして問題にでもなったら、高橋君だけじゃない、下手したら柔道部としての活動にも支障がでるかもしれない。大会に出るの禁止、とか。
そんなことにでもなったら、きっと高橋君後悔する。
そんな想いを込めて高橋君を見つめていると、徐々に、高橋君の腕から力が抜けていったのがしがみ付いた腕から感じられてほっと胸を撫で下ろした。
だけど、終ったわけじゃなかった。
高橋君は目の前の春日君を睨み付けたままで、怒りを押し隠す様子がありありと伝わってくる。そして、目の前の春日君は左腕で自分の身体を抱きしめる形で固まってしまってて。
―――まだまだ緊張感を孕んだこの雰囲気を破ったのは、本日何回目かの能天気な声、だった。
「おーお前らなにしてんだー」
鈴木さんたちがいた方向から、先生が場にそぐわないゆっくりとした足取りでこちらに向かってやってくる。今日で何回この声を聞いただろう。条件反射的にぎくりと身体を強張らせてしまう。
うわあ、また嫌なタイミングでやってきた!
先生はのんびりとした様子で私たちを見渡し、その視線が私と高橋君を捕らえると、何故だかにやあ、と嫌な予感満載な笑顔を浮かべた。
な、なに。身構える私に向かって先生が言う。
「おー、暑苦しくてうらやましいなぁ、お前ら」
「・・・は?」
「・・・違います、先生」
意味がわからなくて問い返す私、そしていつもの穏やかな声が私のすぐ近くから否定の言葉を先生に返す。
その声の近さに自分がまだ高橋君の腕にしがみ付いたままだったことを思い出した。慌てて高橋君の腕をぱっと離す。
「ご、ごめん!」
「いや・・・」
このやり取りって何回目だっけ。最近こんなことばっかだ、恥ずかしい~!
「まったく、高橋は女に興味ないって顔してなかなかやるなぁ~、俺も彼女欲しい・・・井上ー紹介してくれよ」
いやいや私の知り合いだとどれだけ歳の差離れてるんですか!というかリアルに女子高生でしょう、下手すりゃ教師生活危ないですよ先生!
なんてつっこみは私の口からは出なかった。というか、出せなかった、というのが正しい。
なんでって、緊張してたから。もう、口の中からっからだった。
先生は私たちにそんな軽口を叩きつつも、しっかりと状況を把握するため辺りを見渡してて―――その目がまず、私たちから少し離れたところで立ち尽くす凜を通りすぎ、それから私と高橋君、その前に青ざめた顔色のひょろ長い春日君を捕らえ、訝しげに眉根が寄った。
それから私たちの近くにまだちょこんと座りこんでた黒ネコさんに視線が移り、その瞳に厳しさが宿った。
黒ネコさんは、厳しい視線を向けられたせいか、驚いて逃げようとした。でも後ろ足を怪我してるからびっこを引いちゃって・・・草むらの中に入り込もうとしているのに気づいて、慌てて私は黒ネコさんを抱き上げて捕まえる。
柔らかい毛並みに、そんな場合じゃないのにほっとした。
「その猫・・・、俺が探していた例の猫じゃないのか?
というか、怪我してるみたいだがどうした」
太い眉が跳ね上がり、先生が険しい表情でこちらに近寄ってくる。私は背を向けて黒ネコさんを隠した。
いつものほほんとしてる先生が怖い顔すると、それだけで威圧感を感じて怖い。
ぎゅ、と思わず黒ネコさんを抱きしめていると、す、と高橋君が背中を向いた私の前に立って防波堤になってくれた。
「高橋?」
「・・・なんでもありません」
不思議そうな先生の声と、硬い高橋の声が背後から聞こえる。顔は見えないけど、またあの凄みのある雰囲気になってるんじゃないかな。苦笑する先生の声が聞こえたから。
「なんでもないことないだろう、そんな顔して。というかまあ落ち着け。別に怒るわけじゃない。
・・・いったい何があったんだ?
えらい勢いで、工藤と一緒に校舎裏に走りこんで来たと思ったら、井上がいないとわかったとたん走り去っていくし。なにかもめごとか?
・・・どうもそのネコ怪我してるし、普通の雰囲気じゃななかったようだが」
先生の言葉に、後ろを向いていた私は軽く目を見開いた。思わず凜を振り返ると、顔の前に片手を「ごめんなさい」のポーズをした華奢な姿を見つけ、こっちこそ申し訳ない気分になった。
多分、鈴木さんに連行された私を見ていた凜は心配して、援護射撃として高橋君を連れて校舎裏にやってきてくれたんじゃあないのかな。
結果的に、平和的(?)な話し合いだったけど、状況だけみたら呼び出しされたようなものだし。
けど、そうやって高橋君と二人で校舎裏に着いたところで私は居ないし、そして先生の姿も見つけるし、状況を聞いて何かあったんじゃないかとこれまた心配してここまで駆けつけてきてくれたんだろう。
で、先生の目に留まってしまったわけだ。
何かあったんじゃないかと、先生は先生で様子を見るためにここに戻ってきて、今の状況に当たる、とそういうことだろう。
えっとえっと、どうしよう。これ、どうやって収拾つけたらいいんだろ。
焦った私は無意識に何かを探して視線を彷徨わせ・・・先ほど黒ネコさんが蹲ってた草むらの影に、あるものを見つけて目を見開いた。
え。あれって・・・!信じられなくって何度も見直すけど間違いない。
猫缶だ。しかも、食べ終わった後の。
なんでこんなところに・・・?
考えていると、背後から先生の声がまた聞こえた。
「春日。お前はさっきもここに居たな?その時はそのネコは居なかったようだが
・・・なにがあった。お前が、石を投げてそのネコに当てたのか?」
穏やかだけど、逃がさない鋭さをもった声音で先生が春日くんに訊いた。
状況的には、春日くんがしたように見える。なにしろ、先生自らが証人なんだもん、言い逃れなんてできないだろう。
私が首だけで春日君の方を向くと、眼鏡の奥の瞳が先生の方からす、と逸らされて、本当にたまたまだけれども、その視線の先にいた私と一瞬だけ目が合った。
その揺れる瞳に、何故だか縋り付かれるような心地を覚えて、心臓がざわりと騒がしくなる。
え。あれ。
なんだろう、何かが引っかかってる。
「春日?」
「そ・・・うです。俺が、石を、当てました」
すぐに視線は逸らされて、問い詰める先生に、認める言葉を吐き出す春日君。
何故だかざわめく胸をもてあましていた私は、無意識に抱きしめる力を強くしてしまったみたいで、うみゃあお、と黒ネコさんが非難の鳴き声をあげた。
あわわ、ごめんごめん。慌てて腕の力を弱めたんだけど・・・私はふと疑問に思った。
そういえば、私がここに来た時、黒ネコさんは横になっていた。
そして、その前に春日君がしゃがみ込んでて・・・黒ネコさんを、ちょうど覗き込む格好でいたワケで。
そう。
黒ネコさんは、逃げずに横になってたんだ。
でも、さっき先生が来たときは?びっこを引きながらも、逃げ出そうと動いていたよね?
そう思い至った時、色々なことが脳裏に蘇った。
草むらの中に隠すように置いてあった猫缶。
そして、先生が来たときには、黒ネコさんは居なかったという言葉。
そして―――昨日から感じてた、視線の正体。
「あ・・・・」
色々なことが繋がって、思わず私は声を洩らしてしまった。
―――私、何か勘違いしてない?
そう考えたとき、私は思わず動いていた。