不審者発見
昼時、小学校の生徒を遠目で見ている不審な中年男性がいるとの通報が入った。どうも、低学年の女子生徒を見ているようだ、との事。現場に到着し職務質問をかけると、あまりに挙動不審だったため、署までの同行を要請した。
圧迫感を感じる取調べ室で片山義之はその男と向き合っていた。男は落ち着きがなく、俯き気味に目線を泳がせている。おそらく二時間サスペンスなどでしか見ないような、自分とは縁がないと思っていた場所、しかもできれば一生のうちに一度も入りたくないであろうところに自分がいるのだから無理もないかもしれない。実のところ片山自身もこの部屋に入ることに未だに慣れない。あまりに無機質で閉塞感のあるこの空間が、人のいるべき場所とは到底思えない。
それにしても、彼は何をしていたのだろうと片山は考える。それを聞くためにこの不快な箱の中にいるのだが、その前にある程度想像をめぐらすのが彼の不謹慎なルーティーンである。
例えば、自分の子供が急に熱を出して迎えに来たところを近隣住民に勘違いされてしまった。いや、それならばそうと言えば良い話である。
あるいは、この男が専業主夫で、教師である愛する妻が昼の弁当を忘れてしまったがために、わざわざ届けに来たは良いものの、どうすれば良いかとうろうろしていたら変質者と間違われてしまった。いや、これも結局そう言えば良い話である。
仮に彼が人見知りで控え目な性格だったためにとっさに返答ができなかっただけだとしよう。それでもこの仮説には無理がある。なぜなら彼はスーツだからだ。主夫が弁当を届けるためにスーツを着るとは思えない。第一、弁当も持っていない。
大遅刻をかました教師。あまりにも豪快に寝坊してしまったために、門のところで躊躇していると外部の人間に通報されてしまった。
駄目だ。それだとあまりに内部の人間が冷たすぎる。もしくは彼が嫌われすぎている。
そもそも根本的に考えて、いくら性格的に大人しかったとして、まっとうな理由がありながらもそれに答えられないというのはいかがなものか。
やはり通報されるほどなのだからよほど怪しかったのだろう。”そういう趣味”があると判断されたのだ。いい大人になって、と思うが、あまり年齢は関係ないのかもしれない。要は一線を越さなければ良いだけなのだ。彼は一線を越えそうになったのだろう。
改めて片山は男を観察する。
見た目だけなら”普通”という形容詞が良く合う。中肉中背で顔立ちも悪くない。残念ながら”人は見た目が九割”のこの世の中においては、少なくとも”可”であろう。妻子がいてもおかしくはない。
さて、そろそろ仕事をしなくては。片山は咳払いをひとつして、気持ちを切り替えた。
「ええと、田中吉宏さん、三十六歳。間違いないですか?」片山は提示された免許証を見て尋ねた。
「ええ……」田中は俯きながら答えた。
「あなた、何してたんですか?」片山はため息をついた。「そうとう怪しかったらしいじゃないですか。特に理由もなく小学生を見てたなんて言ったら、そりゃ捕まりますよ。最近多いですからね、そういう不審者」
「何でこんなことになったのか、全然……」
「理由があるならそう言えばいいんですよ。あなたはまだ何もしていませんから、ちゃんとした理由さえあればすぐ帰れますよ。理由さえあればね」片山は最後の部分を強調して言った。田中はそれに反応して体をビクつかせた。
しばらくの沈黙。やはり、ただの変質者だったか、と片山が思い始めたとき、田中は口を開いた。
「実は……」彼は搾り出すように言葉を発する。「私、父子家庭なんです」
片山は面食らってしまった。いきなりそんな話になるとは思っていなかった。今回の件と何の関係があるのか検討がつかない。
「二年前に妻に先立たれまして。本当に急のことでした。小学生に上がったばかりの娘を一人で育てなければいけなくなったんです」
あまりに唐突で重い話のため、迂闊に喋ることができない。とにかく、黙って話を聞くことにした。一方で、二年前に小一なら二十七か八のときの子供か、などと計算していた。ちゃんと聞いてやれば良いのに、どうにもこの不謹慎な性格は直りそうにない。
「それはもう大変でした。今まで家事も子育てもろくにやっていませんでしたから。妻のありがたさが今頃わかった、って感じでしたよ」
田中は話を続ける。片山はこの先の展開を予想しようとして、止めた。大人しく聞いていたほうが良い。
「あるとき、娘が言い出したんです。『パパの買う服が可愛くない』って。そりゃそうですよ、小三の女の子の服なんてわからないんですから。娘もずっと我慢してたんですね」
「それで、ですか?」片山はやっと声を出した。一時間ぶりに口を利いた気分だった。
「ええ。さすがに娘の小学校は恥ずかしいですから。会社の昼休みに近くの小学校に来て、グラウンドで遊んでいる小学生の服装をチェックしようと思って……。もちろんすごく恥ずかしかったですけど」
何ともまあ、抜けたところもあるが、良い話なのであろう。捕まってしまうあたりが、間抜けな気もするが、総じて見れば娘思いの優しい父親である。確かに、『何をしていた?』と職質を掛けられれば、答えづらいのも無理はない。
「そうでしたか……。これはとんだ失礼を」片山は頭を下げた。
「いえ、怪しまれるようなことをした私も悪いですから」田中は苦笑しながらも、表情に落ち着きが出てきた。
「もう帰って結構ですよ。本当に失礼しました」片山は立ち上がってもう一度頭を下げた。田中も立ち上がった。
ふと、ある疑問が片山の頭をかすめた。どうにも悪い癖で、気になってしょうがない。
「あの、ひとついいですか?」結局片山は尋ねてみることにした。出口に向かっていた田中が振り返る。
「その……、別に娘さんと一緒に買いに行けば良かったのでは?」
田中の表情が固まった。全く頭になかった、ということだろうか。やはり、どこか抜けている。
田中はドアの方を向きなおし俯いた。
「ちっ、やっぱ無理だったか」
「ぅおい!!」片山はアカデミー賞ものの変質者にツッコミを入れずにはいられなかった。