声の雨の降る庭で
※ざまぁ系ではございませんので予めご了承をお願い致します
「藤田綺子医官三等海佐」
戦勝祝賀の華やかな夜会の場で、不意に投げられた堅苦しい呼び掛けに、なにごとかと振り向く。一度クセで明後日の方向を向いた視線を、そっと水平に戻して。
声の主は祝賀会の主役のひとり。こたびの戦で勝利に多大なる貢献をし、二階級特進の誉を得た、わたくしの婚約者どのだ。
「岩佐鷹行二等陸佐、どうかなさいましたか」
そう言えば、彼の二階級特進により階級を逆転されたのだなと思いつつ問い掛ければ、婚約者どのはうろりと視線を泳がせた。
彼はあまり、ハキハキと話せる人間ではない。
急かすことなく黙って言葉を待てば、意を決したように視線をこちらへ向け、口を開く。
「その、こんな場で、言うことでない、のだが」
意を決しても言い淀む。よほど、言いにくいこと、なのだろうか。
「必要であれば、別に場を用意いたしますが」
腐っても三等海佐の地位をいただく医官。決して暇ではないが、婚約者のために少しも割けないわけではない。善意での申し出だったが、婚約者どのは首を振った。
「いや、ここで、伝えたい」
「わかりました」
それならば、と頷いて耳を傾ける。
あまり、ハキハキと話せる人間ではない。けれど、わたくしは彼の、雨垂れのような朴訥とした声が、いっとうのお気に入りだった。
「ありがとう。その、藤田綺子医官三等海佐、あなたとの婚約を、破棄させて貰いたい」
「…………それはまた」
唐突な。
「なにか、わたくしに不手際でもございましたか?」
「いや。そんなことは、断じてない」
渋い顔で、婚約者どのは言う。否、破棄を申し出られたからには、婚約者どのと呼ぶのも誤りだろうか。まあ、こちらは受け入れていないので良いか。
「では、なぜ?」
「相応しく、ないから」
相応しくない、なるほど?
「それは、わたくしが、婚約者どのに、でしょうか」
二階級特進の英雄。その相手として、医官三等海佐では不足する、と言うことかと思ったが。
「そんなわけがあるか!」
「おっ、と」
とんでもない剣幕で言い返されて面喰らった。
「逆だ、逆。おれが、あなたに、相応しくないと言っている」
それこそ、そんなわけがあるか、だと思うが。
「戦勝の立役者で不足するなど、そんなたいそうな人間であるつもりはありませんが」
「戦勝の、立役者であろうと」
苦渋の表情で、婚約者どのが足許を見る。
「この身体では」
藤田綺子は小柄だ。ただでさえ、女子は男子よりも小作りな肉体であることが常だが、藤田綺子と言う女は、女子のなかでもとりわけの小柄。ともすれば子供と間違えられるような身長をしている。
対する岩佐鷹行は、身の丈七尺にも届くかと言う大男。わたくしと並べば、もはや同じ生き物かと問いたくなる体格差。近くに立って向き合えば視線を交えるには、お互いにそれなりの努力をしなければならない。
だが、いま、わたくしは同じ目線の高さで、婚約者どのと向き合っている。
なぜか。
婚約者どのが、車椅子に乗っているからだ。
岩佐鷹行二等陸佐、当時一等陸尉は、崩壊しかけた戦線をほぼ単独で維持し、海軍による援護により陸軍の戦線が立て直されるまで敵軍を抑え込んだ英雄。立て直したのちに自軍が巻き返したお陰で今回の戦役を勝利に持ち込めたゆえに、戦勝の立役者と讃えられている。
しかし、戦線維持のために限界を超えて魔法を酷使した岩佐鷹行一等陸尉は、その代償で両脚に重い障害を負った。自力での歩行は現在不可能。回復の見込みなし。そして、今後もし魔法を使えば症状が悪化し、命を脅かす可能性すらある、と言われている。
当然、兵として戦場に立つことなど出来ない。二階級特進も、退役後の年金支給額を少しでも上げてやろうと言う上層部の気遣いだろう。魔法を使えずとも軍に貢献出来る仕事として、陸軍士官学校教官の地位を用意されたと聞いた。
確かに、兵としては役立たないが、決して恥じるものではない。
「名誉の負傷でしょう」
「魔法の代償を負ったことを、恥じるつもりはない。この脚二本で勝利の役に立てたのだ、悔いなどあるものか。だが」
婚約者どのの、もう動かない脚の、上に置かれた手は、震えるほどに強く拳を固められていた。
「歩けもしない、魔法も使えない。こんな身体では、あなたを守れない。あなたの夫には、相応しくない」
「まあ……」
両手を口に寄せて、言葉を失う。
その反応をどう受け取ったか、婚約者どのは続けた。
「あなたを妻にしたいと望む男はいくらでもいる。そんななかで、おれのような脱落者が、婚約者の地位にしがみ付くわけには行くまい」
「その」
会場のそこかしこで、然りと頷く男共。その誰かがしたり顔で近付いて来る前に、婚約者どのへと訊ねる。
「馬鹿げたお話、あなたがご自身でお考えになってのご意見でしょうか?」
そんなはずはない。確信のもと、問い掛ける。
「それは」
「国のために、我が身を賭して戦い、負傷した者が、脱落者だと?本気で、そうお考えですか?」
あり得ない。婚約者どのは、そんなおかしな考え方はしない。
「戦死者は犬死に、退役軍人は無駄飯喰らいと、そうお思いでいらっしゃる?」
「そんなことはあり得ない!祖国のために尊い命を散らした諸兄は、護国の軍神。退役するまで戦い抜いた先達は、次代にその経験を伝える生きた教科書だ。愚弄するなど、許せるものではない」
「ならばあなたも、脱落者などではないでしょう」
期待通りの答えを返した婚約者どのへ告げる。
「わたくし自慢の婚約者どのを、貶めるのはおやめ下さいまし」
「綺子さん、だが、」
「あなたの脚を治せぬ医療本部が無能過ぎるから、医官であるわたくしを妻になどしたくはない、とおっしゃるのであれば、もっともなことですので、わたくしの瑕疵にて婚約破棄とするよう、父に申し伝えますが」
家同士の婚約だ。そもそも当人の一存ではどうにもならない。
「あなたの後遺症が問題と言うことであれば、わたくしはもちろん、父もそれを問題と思っておりませんので、婚約破棄を受け入れることはないかと思います」
家にはすでに、婚約者どのが障害を負ったことが、仔細まで伝わっている。その上で、綺子が構わないならば婚約続行で良いとの通達が、わたくしに届いていた。通達には、英雄の妻なんて名誉なことだから、喜んで結婚したいと答えてあるので、すでに岩佐の家にも藤田家は婚約続行の意向である旨が伝わっているはずだ。
「それと」
婚約者どのが反論する前に、言葉を継ぐ。
「わたくし、誰かに守られなければならないほど、弱いつもりはございませんが?婚約者どのは、わたくしの実力をお忘れでしょうか?」
「いや、わかっている。あなたは強い。脚が無事だったとしても、おれではあなたに敵わない」
「ではなぜ、わたくしを守れないあなたでは、わたくしの夫に相応しくないなんて、世迷いごとをおっしゃったのでしょうか?」
婚約者どのに世迷いごとを言わせた主を、見透かせないかと視線を強める。
「ご存知ないかもしれませんが、わたくし、不当に実力を疑われることが、いっとう嫌いでして」
「知っている。すまない、あなたを見下したわけでは、」
「見下していない?夫に守られなければ生きて行けない女とでも、言いたげなことを言っておいて?どの口で?」
車椅子の肘掛けに両手を置き、婚約者どのへ顔を寄せる。
「あ、綺子さん、顔、顔が、近過ぎる、」
「婚約者どのを立てるべきとの父からの指示で医官に甘んじておりますが、それで実力を過小評価されるのであれば家の恥。医官などに収まるのはやめて、最前線で存分に実力を発揮して見せま、」
「綺子」
言葉の途中で、はし、と後ろから口を塞がれる。
「頼むからそれだけはやめてくれ」
「殿下」
婚約者どのがびしりと、姿勢を正す。本当は頭を下げたいところだが、わたくしの顔が邪魔で出来ないのだろう。そんな婚約者どのの肩を、わたくしの後ろから伸びた手が叩く。
「岩佐二等陸佐、楽にしていて構わない。まだ、本調子ではないだろう。直答を許す」
「恐れ入ります」
「うん。それでだな、さすがに看過出来ずに口を挟んでしまったわけだが」
「お話の前に、よろしいでしょうか、殿下」
上下に厳しい軍人のなかでも、とりわけ生真面目な婚約者どのが、珍しくも上の人間、名誉海将の地位を持つ皇子殿下に差し出口をする。
「なにか?」
「軍属とは言え婦女子にみだりに触れるのは、いかがなものかと」
「ああ、すまない。綺子とは幼馴染なものだから、つい気安く触れてしまった。大事な婚約者にほかの男が触れては、不快だっただろう。配慮が足らず、悪かった」
そんな、婚約者どのが嫉妬したみたいな言い方をしなくても。
揶揄われた婚約者どのが頬を染める姿は眼福だが、婚約者どのを揶揄われるのは嬉しくない。
そんな複雑な心境で、ようやく離れた手の主を睨めば、皇子殿下は両手を上げて見せた。
「怖や怖や。睨まないでくれないか、まほろ海軍学校の狂犬」
「婚約者どのとの逢瀬を邪魔したりしなければ、睨まれることもありませんよ」
「お前が戦線に出るなんて恐ろしいことを言い出すからだろう」
まほろ海軍学校は国内唯一の小中高大一貫の海兵養成機関だ。一般の軍学校が高校や大学に当たる教育機関であるのに対し、まほろ海軍学校は六歳から十八歳までを一貫して教育する。途中脱落は事情次第で認められるが、編入は一切受け入れていない、生粋の海兵生産場だ。
わたくしと皇子殿下は共に、まほろ海軍学校第三十二期生。つまり、六歳から十八歳までを共に過ごした幼馴染だ。余談だが、三十二期生は全部で二十人。開校以来で初めて入学から卒業まで人数が変わらなかった代として、伝説になっているそうだ。
そんな間柄なので、相手は皇族だが気安い仲である。まほろ海軍学校は全寮制かつ、原則盆暮正月以外の帰省を許さないなので、下手すると家族よりも共に過ごした時間が長い相手だ。
「あら、戦力増強は望ましいことではなくて?」
「確かに戦力は増強されるだろうな。だが、まほろでお前と在学期間が被っていた者ならさておき、それ以外が全員自信喪失する。大幅な兵数の減少に繋がりかねん。却下だ、却下」
「根性のない兵なら、減っても構わないのでは?」
「馬鹿言うなお前。お前がいるあいだは問題なくても、いなくなったらどう埋め合わせるんだ。結婚したらいつ産休になるかわからないだろう」
「まあ、女性差別ですか?」
「差別じゃない。配慮だ配慮。産休の取りやすい職場作り。大事だろう」
気安いだけにポンポンと交わされる会話の途中、ふと、袖を引かれる。
「はい?」
「あ、すまない、会話の邪魔をする気は、」
無意識だったらしい婚約者どのが、ぎょっとして離した手を、こちらから掴む。
「申し訳ありません、婚約者どのを蚊帳の外に。お話の途中でしたね。ええと、わたくしが後方支援から前線に配属替えを願い出る話でしたか」
「おい、僕の反論を水に流すな。お前が海軍医療部を抜けることは許さん」
「ですがそれでは、わたくしの実力を示せないではありませんか」
「そんなもの捨て置け」
皇子としてあるまじき表情で吐き捨てる皇子殿下。
「まほろ海軍学校主席卒業の価値も理解出来ん奴に、いちいち構うな。馬鹿馬鹿しい」
「たとえ相手が愚かなだけだとしても、その愚か者すら認めさせて見せねば、藤田家としてもまほろ海軍学校卒業生としても、名折れです。看過するわけには」
「ならば」
皇子殿下が告げる。
「医療部として実力を示せ」
すい、と動いた皇子殿下の視線が、婚約者どのの脚へと向かう。
「お前、治せないで済ます気か?まほろの狂犬が?諦めるのか?」
「まさか」
なにを馬鹿なと反論する。
「わたくしの威信にかけて、婚約者どのは必ず、十全の身体に戻して見せます。脚も魔法も、わたくしがこの手で取り戻す」
わたくしへ視線を戻した皇子殿下が、尊大な口調で告げた。
「ならば余所見などするな馬鹿。国は、藤田綺子医官三等海佐に、英雄を早急に復帰させることを求めている。迅速かつ手落ちなく、成し遂げろ」
姿勢を正し、海軍式の敬礼を見せる。
「藤田綺子医官三等海佐、承服致しました」
「よろしい」
皇子殿下は満足げに頷き、婚約者どのへ視線を移した。
「と言うわけだ、岩佐二等陸佐。きみの脚は治るし、魔法も戻る。安心すると良い。ただしそのためには綺子から徹底的な治療を受ける必要がある。未婚の若い男女が長時間共に過ごすことは望ましくないから、早急に綺子と祝言を挙げるように。これは、皇族としての命令だ、いいね」
婚約者どのは、弱りきった顔をしたが、軍属として、その頂点に立つ存在である皇族には逆らえない。
「岩佐鷹行二等陸佐、承服致しました」
「よろしい」
車椅子に座したまま、それでも凛々しく陸軍式の敬礼をした婚約者どのにも頷きを返し、皇子殿下はわたくしたちふたりを見比べる。
「岩佐二等陸佐、まだ怪我も快癒していないなかの祝賀会で疲れただろう。今日はもう下がると良いよ。綺子、岩佐二等陸佐を家まで送迎しなさい」
「承服致しました」
「うん。おいで、皇族用の車を貸そう。綺子、岩佐二等陸佐の車椅子を押してついて来な」
「いえ、わたくしは自分で、」
婚約者どのが反論しかけるのを、皇子殿下は笑顔で封じる。
「病み上がりが無理をするものではないよ。それに、この絨毯は毛足が長い。車輪を取られて動きにくいだろう。綺子は医官だからな、車椅子の扱いも巧いものだ。大人しく委ねなさい」
そうして先導を始める皇子殿下に、婚約者どのの乗った車椅子を押しながら追従する。
「そうそう、式の日取りが決まったら、早めに教えておくれよ。幼馴染の婚儀なんだ、万難を廃して参加せねば。友人代表として祝辞を述べたいものだな。いや、綺子の上官なんだ、仲人をするのも良いな」
「でしゃばりますね」
「狂犬も結婚すれば多少落ち着くだろう?はやくそうなって欲しいものでね」
前を歩く皇子殿下が、流し目でわたくしを見下ろす。
「お前が暴れると洒落にならん。だからな、綺子。お前の婚約者どのに馬鹿げた思想を押し付けた馬鹿の対処は、僕に任せておけ。二度とこんな馬鹿なことをしないよう僕直々にしっかり躾けるから、お前は婚約者どのの治療に専念しろ。なんなら、半年ほどは専任でも構わん。上に話を通しておく」
専任か。
「岩佐二等陸佐専任にはなりません」
「ほう?その心は?」
「ほかにも、魔法酷使による後遺症で退役した軍人はいるでしょう。もし、そのなかに復帰を希望する方がいるなら、その方々も含めて治療の研究を行いたく思います。どうせならば、それで許可を通して下さい」
唇に、笑みが乗るのを感じた。
「魔法酷使による後遺症の治療方法が確立出来れば、有能な兵の退役を防げるようになります。また、後遺症を恐れずに魔法行使出来るようになり、生存率の向上にも繋がるでしょう。研究する価値は、十二分にあるかと」
「ふむ、ほかの者が言ったならば、荒唐無稽と切り棄てるところだが。綺子、名に誓うか?」
笑みが深まる。立ち止まり、敬礼を取る。
「藤田綺子の名にかけて、三年以内に成果を上げて見せます」
足を止め、振り向いた皇子殿下が端的に告げる。
「長いな、二年以内だ」
「承服の上、先の発言を訂正致します。藤田綺子の名にかけて、二年以内に、魔法酷使による後遺症に打ち勝ってご覧に入れましょう」
「良いだろう。今月中に許可を取ってやるから、明後日までに研究計画をまとめて持って来い。それで予算通すぞ」
獲物を前にした野犬のように、皇子殿下が嗤う。きっとわたくしも、そっくりの笑みを浮かべていることだろう。
『まほろ海軍学校の狂犬』と並び立つ、『まほろ海軍学校の魔犬』が、久方振りに顔を見せていた。
この顔をした皇子殿下と、いくたび悪名を轟かせたことか。
「承服、致しました」
「よろしい。だが、今日は帰って休め。十分な休息なくして、良い仕事は出来ん。婚約者どのにぞんぶんに甘やかされて、英気を養って来い」
言ってふたたび歩き出す皇子殿下。皇族専用の扉をくぐって、婚約者どのを振り向く。
「鷹行どのと、呼んでも良いだろうか」
「そ、れは」
「大事な幼馴染の、最愛の婚約者だからな。出来ることなら、仲良くしたい」
「身に余る光栄、です」
「ありがとう」
前へと顔を戻し、歩きながら語る。
「綺子を除いた、まほろ海軍学校第三十二期生十九人の総意として聞いて欲しいことがある」
「なんですかそれは」
「綺子はしばし黙って聞いておけ」
むう。
「お前のための言葉だから、とりあえず聞け」
「……どうぞ」
「うむ。まほろ海軍学校第三十二期生は、藤田綺子と岩佐鷹行どのの縁談を、全力で応援している」
おや。
「応援、ですか?」
「ああ。綺子と鷹行どのの縁談は、綺子が十四のときに決まっただろう?だから、僕ら同級生は、縁談に対する綺子の反応を、家族以上に把握していてね」
こちらを向くことはないまま、出来の悪い妹の話でもするような顔で、皇子殿下は語った。
「この狂犬が縁談など、大丈夫なのかと危ぶんでいたが、蓋を開ければどうだ。雨のように降る声が、とても心地良いひとだったと、嘘のように穏やかな顔で語るじゃないか。綺子はあなたを気に入ったのだと、一同すぐに気付いたよ」
「雨。ああ、綺子さんから、そう、褒められたことが、あります」
「そうだろう?だから、綺子は婚約者どのを気に入って受け入れたのだとわかったが、婚約と言うのは相手がいるものだろう?綺子がいくら気に入ったとしても、相手方が狂犬など娶れるかと言い出せば破綻だ。同級生一同冷や冷やしていたが、婚約者どのも岩佐家も心が広いようで、何年経っても婚約破棄の声は聞こえなかった。今日、この日までな」
気心知れているとは言え、わたくしに失礼過ぎやしないだろうか。
「綺子さんは、おれ、失礼、わたくしなどには、もったいないくらいの方です」
「いや、度量がないとそうは言えないぞ。顔が良いのも才に秀でるのも認めるし、性格だって決して悪くはないが、なにしろ短気で凶暴だ。入学直後に最上級生ともめて、五人病院送りにしてヒエラルキーの頂点に立った女だからな」
「女だからと言うだけで、ひとを見下し馬鹿にするのが悪いのです」
反論すれば、皇子殿下が肩をすくめる。
「ほら、これだ。反省の欠片もない。常識の異なる強者なんて、脅威以外のなにものでもないだろう?」
「いや、その、」
言葉に迷ったあとで、婚約者どのが言う。
「女だからと言う理由だけで、藤田家の人間を見下し馬鹿にしたならば、自業自得、では?」
皇子殿下が、歩みを止める。
振り向いた顔は、驚きと呆れがない混ぜになっていた。
「…………道理で、藤田家が虎の子の婚約者に選ぶわけだ」
ふーっと長く息を吐いて、皇子殿下が前へと顔を戻す。歩き出しながら、告げた。
「お互いに不満がないのであれば、ぴったりの相手なのではないか?少なくとも、僕ら綺子の同級生はきみたちの結婚を祝福するが」
「まほろ海軍学校『悪魔の世代』が」
「うん?なにか言ったかな?」
「婚約者どのを脅さないで貰えますか?」
「はいはい」
今度は呆れだけが含まれたため息を吐き、皇子殿下は笑ったようだった。
「そうだよ。化け物の産地と呼ばれる、まほろ海軍学校でも、取り分けの化け物揃いと評される、我ら第三十二期生全員が、鷹行どの、あなたの味方だ。なにを恐れることがある?」
車寄せに着き、振り向いた皇子殿下が首を傾げて微笑む。皇子殿下に見据えられ、婚約者どのが視線を落とした。
「それは」
「なにか、懸念が?」
それはわたくしも気になる。
婚約者どのの声に耳を傾ければ、逡巡ののち落とされたのは。
「綺子さんは、上から降る声が好きだと。だが、自力では立てなくなったこの身体では、綺子さんの耳の方がわたくしの口より、高くなるので」
……はい?
思わず、皇子殿下と顔を見合わせた。
同時に婚約者どのへ視線を向け、同時に口を開く。
「婚約者どのが立てないのなら」「鷹行どのが立てないのなら」
「わたくしが座れば済む話ですよね?」「綺子が座れば済む話だろう」
綺麗とは言えないまでに被った台詞は、言葉端は違えど同じ内容で。
やはりそうだよなと頷き合う。
「まあ、実行した方が早いな。綺子」
皇子殿下が手ずから開けた車に、車椅子ごと乗り込む。皇族と言えど、足が衰えたり足を痛めたりすることはあり、皇族だからこそそれでも外出しなければならないことはある。当然そのための車も備えており、屋根の高いワゴン車は車椅子を降りぬまま乗り込めて、背の高い婚約者どのでも頭が窮屈にならない。
「相変わらず、息をするように魔法を使うよなお前は」
当然、車椅子昇降用の機能も付いているが、時間がかかるので使わなかった。
「速やかで振動の少ない搬送は、生存率向上と後遺症低減に寄与しますから」
「医官の鑑だな」
車椅子昇降のためにずらしていた座席を戻しながら、皇子殿下が笑う。海軍学校育ちだけあって、自分から動くのを厭わない皇子だ。
用意された座席に腰掛け、ふたたび頷き合う。
「「ほら」」
声を被らせて、婚約者どのへ視線を向ける。
「わたくしの頭の方が低くなりましたよ」
なにせ体格の良い婚約者どので、子供のように背の低いわたくしなので。お互い立ったときほどではないにしろ、座った状態でも座高に大きく差がある。
身を寄せたわたくしを、婚約者どのが戸惑った顔で見返す。
「婚約者どの、わたくしは、確かにあなたの雨垂れのような声がいっとう好きです。ですが、ねぇ、婚約者どの?」
手を伸ばしてそっと触れれば、膝の上に置かれた手は、ひどく強張っていた。
「わたくしは、声だけでなく、あなたが、好きなのですよ。どうぞそれを、よくよく覚えていて下さい」
「いちゃつくなら、扉を閉めてからにしてくれないか」
婚約者どのより先に、皇子殿下が言葉を返す。
「まあ、と言うわけだ。化け物揃いのまほろ海軍学校第三十二期生のなかでも、いちばんの化け物が、あなたのいちばんの味方なのだよ。さて、いまいちど訊こうか、鷹行どの、なにを恐れることがある?」
婚約者どのの目が泳ぐ。まだ、足りないのだろうか。
「ふむ」
腕を組んで唸った皇子殿下が、頷いてわたくしへ視線を移した。
「愛の伝え方が足りないようだな、綺子。もうちょっと頑張れ」
なるほど。足りなかったのはソレだと。
「そうですね。婚約者どのとの時間も、しばらくは長く取れるようになりますから」
海軍と陸軍。医官と指揮官。立場が異なりそれぞれ忙しいために、会う時間は限られていた。
だが、前線に立つことの出来ない今の婚約者どのであれば、軍に取られることもない。わたくしも、従軍医官でなく、本部で研究を行う身になる予定だ。
会える時間は、増えるだろう。
「そうだな。とりあえず」
皇子殿下が車の扉に手を掛けながら言う。
「このところ、先の戦の傷病者対応に駆け回っていただろう。今日は存分に、鷹行どのに甘えて癒されて来れば良い」
「お言葉に甘えて」
わたくしの言葉に頷いた皇子殿下が車の扉を閉め、手を振る皇子殿下に見送られた車は滑るように走り出す。
「綺子さん」
婚約者どのの声に振り向いた。
「少し」
おそらく拗ねたような顔になっていることを自覚しながら呟く。
「傷付きました。ねぇ、婚約者どの?わたくしにも、傷付くこころはあるのですよ?」
「済まなかった。周囲の言葉に惑わされ、あなたのことが見えなくなっていた」
「二度と、婚約を破棄するなどと、言わないで下さいまし」
伸ばした手は、握られた拳に触れる前に、動いた拳により捕まえられた。大きな手が、小さな手を包み込む。
「ああ。二度はない」
「約束ですよ」
「約束する」
なら、良いか。
手を握る婚約者どのの腕に頭を寄せ、目を閉じる。
「久し振りに、ゆっくり家に落ち着けそうですね」
「あなたは働き過ぎだから、丁度良いのではないか」
「婚約者どのには言われたくありませんね」
藤田家の庭には立派な藤棚に囲われた東屋がある。雨の日には東屋で、雨垂れを眺めるのが好きだ。とくに藤の時期は良い。
だが、雨垂れの庭より好きなのは。
「傷付けたお詫びにわたくしへ、時間を差し出して下さいね。我が家の庭は今頃、藤が綺麗に咲いているでしょうから」
婚約者どのと東屋で並んで座り、ぽつぽつと降る、声の雨を受け止めることだ。
「そうか。綺子さんの家の藤棚は、いっとう綺麗だから好きだ」
「好きなのは、藤だけですか?」
こんなことを言えば、また困らせるだろうか。
「藤は好きだ。だが、」
閉じた視界のなか、降り落ちる声の雨。
「あなたのことは、愛している」
まあ。
「傷が癒えるまで、何度でも聴かせて下さいまし」
「傷が癒えても、何度でも言おう」
なら、許そうか。
「約束ですよ」
「ああ、約束だ」
閉じた瞳の裏に声の雨の降る庭を思い浮かべて、わたくしはひっそりと微笑んだ。
拙いお話をお読み頂きありがとうございました
書き始めた当初はタイトルの『声』の字を『聲』にしていたのですが
書いていてなんか違うなと思って『声』にしました
変に飾り立てる必要のないふたりです




