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言葉は鉛になる ―声が凶器になった世界で、最も危険な声を持つ男―  作者: 景都 (けいと)
歌う怪物

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#09 共鳴

詠はVMBに保護された。事実上の確保だった。


 VMB本部の聴取室。沈黙区域の中で、詠は椅子に座り、出されたお茶を飲んでいた。飄々とした態度は崩れない。対処部の職員が質問を重ねるが、詠はのらりくらりと答えをかわし続けた。


「年齢は?」


「さて。数えたことがないな」


「住所は?」


「風が吹くほうに住んでいる」


「歌手免許を取得していないのはなぜですか」


「免許の存在を、さっき初めて知った」


 対処部の課長補佐が苛立ちを隠せずにいる。律は聴取室の外でモニターを見ながら、冷静に分析していた。


「嘘は言っていません。声に虚偽の構文が乗っていない。……つまり、本当に免許の存在を知らなかった可能性があります」


 紬がタブレットに打ち込んだ。


『去年から歌手免許法が施行されているのに、知らないってことは……社会と接点がなかった?』


 言は聴取室のモニターではなく、別のモニターに向かっていた。代々木公園で詠が歌っていた際の録画映像——音声を消去した状態で、残留する構文の残響を分析していた。


 構文聴覚を全開にする。


 詠の歌の残響。虹色の構文。原始文法で編まれた歌唱型言質化。


 テロの呪詛の最深層と、同じ系統の文法。


 だが質が違った。テロの呪詛には怒りがあった。詠の歌には——祈りがある。同じ文法体系が、まったく異なる感情を載せている。呪詛が破壊なら、詠の歌は修復。


 言はメモ帳に書いた。


『詠の歌の文法=テロの呪詛の文法。同一系統。ただし用途が正反対。破壊と修復。呪いと祈り』


* * *


 分析結果を氷見局長に報告した。


 局長室で、氷見は長い沈黙のあと言った。


「テロの呪詛と同じ文法を操る人間が、今度は公園で花を咲かせていた。……どう解釈しますか」


 言はメモ帳に書いた。


『分からない。ただ、詠はテロの実行犯とは違う。あの歌に悪意はなかった。構文聴覚で確認済みです』


「確認は取れていません。現時点では保護を継続し、調査を進めます。篠宮さんのチームで詠の分析を担当してください」


 言は頷いた。


* * *


 聴取室の前を通りかかったとき、ドアが開いていた。


 詠が椅子に座ったまま、窓の外を見ている。聴取は一段落したらしい。職員の姿はない。


 詠が言に気づいた。


 薄い瞳が、言の琥珀色の瞳を捉えた。


「——ああ。お前か」


 詠が微笑んだ。初めて会ったはずなのに、まるで再会したかのような表情だった。


「構文を聴ける人間がいるとは思わなかった。この時代にも、まだ残っていたのか」


 言は喉の奥が締まるのを感じた。ブレスレットに指先が触れる。


 詠の声には構文が乗っていない。だが構文聴覚は、声の奥に——途方もなく深い時間の重みを聴き取っていた。


 この人物は、数十年どころではない何かを背負っている。


「お前の名前は?」


 言はメモ帳に書いた。


『篠宮言』


「篠宮、言。……言、か」


 詠はその名を噛みしめるように繰り返した。


「いい名だ。言葉の、言」


* * *


 翌日。VMB本部の地下実験室。


 防音壁に囲まれた部屋の中央に、言と詠が向かい合って座っていた。紬と律はモニター室で待機している。


「歌ってほしい」


 言がそう言ったのは、メモ帳ではなく声だった。喉が締まる。ブレスレットに触れる。だがこの依頼は、声で伝えなければならないと思った。


 詠は言を見つめた。


「お前は、声を出すのが怖いんだな」


 言は答えなかった。


「いいだろう。聴け」


 詠が目を閉じた。


 そして——歌い始めた。


* * *


 世界が変わった。


 実験室の無機質な壁が消え、構文聴覚の中に広大な空間が広がった。


 詠の声が虹色の光を放ちながら展開していく。原始文法の構文が空中に浮かび、層をなし、重なり、回転する。現代のどの言語にも存在しない文法構造——だが人間の言語能力の根底にある何かと直結している。


 まるで全ての言語の「ソースコード」に触れているような感覚だった。


 言の構文聴覚が震えた。共鳴。自分の能力が、詠の歌の文法と同じ周波数で振動している。三重呪詛の最深層に触れたときと同じ——いや、あのときよりも遥かに強い共鳴。


 琥珀色の瞳の中で、文字列が爆発的に増殖した。今まで見えなかった構文の層が次々と「見える」ようになっていく。原始文法に触れたことで、構文聴覚そのものの精度が飛躍的に跳ね上がっていた。


 頭の奥で鈍痛が走った。鼻血の予兆。だが止められなかった。


 詠の歌の中に、世界の秘密の断片が見えている。


* * *


 歌が止んだ。


 言は椅子の上で前のめりになっていた。鼻から一筋、血が垂れている。手の甲で拭った。


 詠が言の顔を覗き込んだ。


「……聴こえたか」


「——聴こえた」


 声が掠れていた。


 詠が微笑んだ。穏やかで、どこか寂しげな笑み。


「ようやく来た。構文を聴ける人間が」


 言はメモ帳を取り出した。手が震えている。


『今まで聴こえなかったものが聴こえるようになった。構文聴覚の精度が——上がった』


「そうだろう。お前の耳は、本来これを聴くためにある」


 詠は立ち上がり、窓のない壁を見つめた。


「一つだけ教えてやる。お前が聴いているものの半分は——"本来の音"だ。人間の言葉が持つ本来の力。言質化と呼ばれているものの、本当の姿」


 言はペンを止めた。


「もう半分は——"封じられた音"だ。誰かが、人間の言葉に被せた蓋。全ての発話の裏に、それが付加されている」


 言の構文聴覚が震えた。あの夜、街の構文の底に聴こえた「もう一つの層」——あれは。


「その違いを聴き分けろ。話はそれからだ」


 詠はそれ以上何も言わず、出されたお茶に手を伸ばした。


 言は実験室の椅子に座ったまま、メモ帳にペンを走らせた。


『構文聴覚の跳躍。原始文法への接触で第二段階→第三段階に移行した可能性。"本来の音"と"封じられた音"——詠はこの世界の言質化の仕組みを知っている』


 ブレスレットの革紐を親指でなぞった。


 この人物は、何者なのか。

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