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言葉は鉛になる ―声が凶器になった世界で、最も危険な声を持つ男―  作者: 景都 (けいと)
歌う怪物

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#08 花歌

 テロから一ヶ月。三人チームの調査は続いていた。


 深夜。自宅のアパート。


 言はデスクに向かい、三週間分の調査データを広げていた。


 呪詛から抽出した構文パターン。拡声器の残留言質から聴いた教師の声。三重呪詛の最深層に触れたときの、あの共鳴。


 構文聴覚を開放し、全てのデータを統合するように意識を集中した。


 断片が——繋がった。


 四十七人の呪詛に使われた未知の文法は、すべて同一の体系に属していた。そしてその体系は、現代のあらゆる言語の深層構造と同じ「根」を持っている。


 現代の言語が木の枝だとすれば、この文法は幹そのものだった。


 ——間違いない。


 言はメモ帳に書いた。


『確定。未知の文法=現代の全言語に先行する"原型"文法。人類の言語の、最も古い姿。問題は——なぜそれが今、テロに使われたのか。誰がこの文法を保持していたのか。そして——なぜ構文聴覚が、この文法に共鳴するのか』


 最後の一行を書いたとき、ペンが止まった。


 構文聴覚の奥で、あの音が聴こえていた。三週間前の夜にも聴こえた、遠い歌声。


 今夜は——前よりも近い。


 言は窓に歩み寄り、防音材の隙間から外を覗いた。東京の夜景。ビルの灯りが地上の星のように散らばっている。


 歌声の出所は分からなかった。しかし構文聴覚は確かに拾っている。遠くで、聴いたことのない言語で、誰かが歌っている。その歌の文法は——テロに使われた未知の文法と、同じ系統だった。


 左手首のブレスレットに触れた。


 呪詛の中にあった怒りと、歌の中にある何か。同じ文法が、まったく異なる感情を載せている。呪詛が怒りなら、この歌は——


 ——祈りだ。


 言は窓辺に立ったまま、夜の東京に耳を澄ませた。


 歌は、まだ続いていた。


* * *


 代々木公園で、花が咲いていた。季節外れの花が。


 VMBの監視端末にその映像が流れたのは、テロから一ヶ月後の午後だった。言は分析室のモニターでそれを見た。


 公園の一角。枯れた花壇の土が割れ、色とりどりの花が一斉に芽吹いている。チューリップ、パンジー、マリーゴールド——春の花も秋の花も区別なく、不自然な速さで開花していく。壊れたベンチの木材が軋みながら元の形に戻り、ひび割れたコンクリートの歩道が滑らかに修復されていた。


 映像は音声が消去されている。だがモニター越しでも、構文聴覚が微かな残響を拾った。


 ——歌だ。


 言質化の中で最も映像的な種別。歌唱型。広範囲に環境を変容させる力を持つ。しかしこの映像の歌唱型は、言が今まで聴いたどの歌唱型とも質が違った。


 残響の中に、あの文法がある。テロの呪詛と同じ系統の——原始文法。


 律がモニターの横に立った。


「監視チームが確保に向かっています。ですが歌の言質化干渉で通信機器が不安定になり、接近できない状態です」


 紬がタブレットを差し出した。


『わたしが行く。言質化は効かないから』


 言はメモ帳に書いた。


『俺も行く。聴かなければならない』


* * *


 代々木公園。現場に着いたとき、花はまだ咲き続けていた。


 公園の芝生の上に、一人の人物が座っている。


 性別が、すぐには分からなかった。長い銀髪が風になびき、白い麻のシャツに裸足。年齢も不詳——二十代にも見えるし、四十代にも見える。透き通るような肌と、どこか遠くを見ているような薄い瞳。


 歌っていた。


 声は聴こえなかった——言はノイズキャンセリングイヤホンを装着していた。VMBの機動班も全員がイヤホンをつけている。歌唱型言質化への標準的な防護措置。


 だが構文聴覚は、イヤホン越しに歌の構文を拾っていた。


 ——虹色。


 声の色が虹色だった。赤でも青でも金でも銀でもない。スペクトルの全てを含んだ、現代のどの言質化にも見られない色彩。原始文法の歌唱型。


 紬が、ためらいなく歩いていった。


 歌の影響範囲に入る。花が紬の足元にも咲く。だが紬自身には何の変化もない。免疫。紬は花に囲まれながら、歌い手の正面に立った。


 歌が——止まった。


 歌い手が紬を見上げた。薄い瞳が紬の顔を映す。


 紬が手話を始めた。


 〈こんにちは。言質管理局の音無紬です。あなたのお名前を教えてください〉


 歌い手は紬の手の動きを見つめ、ゆっくりと微笑んだ。


「手で話すのか。……美しいな」


 声は穏やかで、どこか古風だった。


「私の名は、えい。……免許? そんなものが必要な時代になったのか。面白いね」


 言は遠くからその声を構文聴覚で聴いていた。


 詠の声には、言質化の気配がなかった。歌っているときは虹色の構文を放出するのに、話し言葉には構文が乗らない。まるで歌と会話を完全に切り分けているかのように。


 ブレスレットに指先が触れた。


 ——この人物は、原始文法を完全に制御している。


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