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言葉は鉛になる ―声が凶器になった世界で、最も危険な声を持つ男―  作者: 景都 (けいと)
沈黙の解体者

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#04 解体

 四十七人の体に、呪いが刻まれていた。


 搬送先は都立新宿総合病院。建物の周囲にVMBの機動班が仮設の沈黙区域を展開していたが、通常の施設型に比べると抑制効果は不完全だった。構文聴覚を通すと、建物の内側から呪詛の残響が漏れ出している。


 四十七人分の呪詛が重なり合った、低い唸り。


 言は左手首のブレスレットに触れてから、病棟の入口をくぐった。


* * *


 三階の特設病棟。通常の入院フロアを丸ごと転用した空間に、四十七のベッドが並んでいた。


 黒い文様が、患者たちの肌に浮かんでいる。首筋、鎖骨、腕、手の甲——呪詛型言質化が体に刻み込まれた痕跡だ。文様は微かに脈動していて、構文聴覚を向けるまでもなく、呪詛がまだ「生きている」ことが分かった。


 フロアの奥に、紬がいた。


 白衣を着た看護師の横に立ち、手話で何かを伝えている。紬の足元を呪詛の残滓が黒い霧のように這っているが、紬はまるで気にしていない。言質化に完全免疫を持つ者だけが見せる、自然な無関心だった。


 通路の手前では、律が患者の傍に片膝をついていた。銀色の光が律の指先から淡く伸び、患者の胸元に薄い膜のような構文を展開している。保護契約——呪詛の進行を遅らせるための仮設の拘束だ。律の額にうっすらと汗が浮いていた。何時間も維持し続けているのだろう。


 律が言に気づき、立ち上がった。


「篠宮さん。患者の状態は安定していますが、保護契約の維持にも限界があります。……お願いします」


 言は頷いた。メモ帳に一行書いた。


『重傷者から順に、一人ずつやります』


* * *


 最初の患者は三十代の男性だった。新宿駅東口で呪詛の直撃を受けた重傷者十二名のうちの一人。首から胸にかけて黒い文様が広がり、呼吸が浅い。


 言はベッドの横に椅子を置き、座った。


 息を吸う。意識を切り替える。


 世界の音が、変わった。


 病棟の空調音、心電図のビープ音、遠くの廊下の足音——それらが一枚のガラスの向こうに退いていく。代わりに浮かび上がるのは、患者の体に刻まれた呪詛の構文。


 ——聴こえた。


 黒い構文が、低く唸っている。怒りの赤と悪意の黒が混濁した、濁った和音。構文が層をなし、患者の体を内側から締めつけていた。


 琥珀色の瞳の中に、微細な文字列のような光の粒子が浮かんだ。構文の骨格が「見える」ように聴こえる。音が色になり、形になり、構造として展開される。


 外殻——患者を物理的に拘束する命令型構文。内殻——痛覚を増幅する呪詛型構文。対象指定に不備がある。拡声器で不特定多数に向けて放射した呪詛だから、個人を特定する意志が弱い。


 そこが、ほどき口だ。


「——命令型の拘束構文。対象指定が不完全だ。個人を特定する意志の不在を以て、拘束を解除する」


 構文に向かって語りかける。精密に。弱点に言葉の刃を差し込むように。


 声が琥珀色の光を帯び、空気を震わせた。


 黒い文様の外殻に亀裂が入り、光の粒子が零れ落ちるように散る。続けて内殻の呪詛型構文をほどく。構造を聴き、弱点を見つけ、言葉で上書きする。手術に似た作業だった。繊細で、集中力を要し、一手間違えば呪詛が暴走する。


 最後の構文がほどけたとき、男性の体から黒い文様が消え、光の粒子に分解されて空中に漂い、溶けるように消えた。


 男性の呼吸が、深くなった。


 言の頭の奥に鈍痛が走った。解体のフィードバック。ほどいた構文のエネルギーが術者に逆流する。この程度なら、まだ耐えられる。


 次のベッドに目を向けた。残り四十六人。


* * *


 十人目を過ぎた頃から、頭痛が持続的になった。こめかみの奥で鉛が揺れているような鈍い圧迫感。


 十五人目。鼻腔に鉄の味が広がった。鼻血だ。手の甲で拭い、次の患者に向き直る。


 紬がタブレットの画面を差し出した。


『休んでください。顔が白い』


 言はメモ帳に書いた。


『大丈夫。止まると集中が切れる』


 紬は唇を引き結んだが、それ以上は何も言わなかった。代わりに言の隣に座り、次の患者の手を握った。呪詛の残滓が紬の腕に触れた瞬間、霧のように消える。完全免疫。


 紬の傍にいると、構文聴覚の負荷が僅かに軽くなる気がした。根拠のない感覚だ。だが確かに——呪詛のざわめきが、紬の周囲だけ薄くなっている。


 二十人目。律が傍に来た。


「解体のパターンが見えました。篠宮さんが外殻に触れる前に、私の保護契約で第一層を固定します。フィードバックが軽減されるはずです」


 律の銀色の構文が、次の患者の呪詛の外殻を薄く覆った。構文聴覚を向けると、律の契約が呪詛の第一層を予め固定しているのが聴こえる。


 ——この人は、俺の作業を見て自分の契約構文を最適化した。


 言は小さく頷いた。声には出さなかった。


* * *


 四十七人目の呪詛がほどけたとき、窓の外は暗くなっていた。


 言は椅子の背にもたれ、天井を見上げた。全身が重い。右手が微かに震えている。鼻血は途中で止まったが、こめかみの鈍痛はまだ残っていた。


 ブレスレットの革紐を、親指でゆっくりとなぞった。


 紬が近づいてきた。


 〈おつかれさま〉


 その手の動きが、声よりも温かく見えた。


 律が報告書の端末を閉じながら言った。


「全員の解体完了。重傷者十二名含め、経過観察に移行します。……ありがとうございました、篠宮さん」


 言はメモ帳にペンを走らせた。


『ひとつ、気になることがある』


 律と紬が、言のメモ帳に目を落とした。


『呪詛の構文が——現代のどの言語の文法にも属していない』


 律の眉が動いた。紬の手が止まった。


 言はペンを置いた。自分でも、まだ何を聴いたのか整理できていなかった。ただ構文聴覚が拾った「音」が、頭の奥で鳴り続けている。精緻で、古くて、深い——聴いたことのない文法の残響。


『調べる必要がある』


 病棟の窓の外で、救急車のサイレンが遠ざかっていった。


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