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言葉は鉛になる ―声が凶器になった世界で、最も危険な声を持つ男―  作者: 景都 (けいと)
世界が叫ぶ日

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#26 侵蝕

 朝倉がサハラ飽和域の封印核に到達した——その報告がVMBに入ったのは、言と紬が夜桜の下から帰った翌朝だった。


 管制室。氷見局長が全員を集めた。


「IVMAのサハラ監視チームが異常な構文反応を検出しました。封印核に外部からの接触がある。朝倉透と原声会のメンバーと推定されます」


 言はメモ帳を握りしめた。


 詠が言った。


「封印核に直接触れた人間がいるのは、五千年ぶりだ。朝倉のS等級では封印核を破壊する力はないが——劣化を促進させることはできる。二年のタイムリミットが、さらに縮まる」


 律が端末を操作した。


「阻止に向かう必要があります。ただし封印核はサハラ飽和域の最深部にあり、通常の人間は近づくだけで全発話が物質化します。安全に行動できるのは——」


 律の視線が、言と紬に向いた。


 言——構文聴覚で自分の発話を精密に制御できる。


 紬——言質化に完全免疫を持つ。


「この二人だけです」


* * *


 突入準備が始まった。チャーター機の手配、サハラ飽和域の最新データ、携帯型沈黙区域装置の調達。律が法的手続きを整え、詠が封印核の構造に関する知識をチームに共有した。


 詠は分析室のホワイトボードに封印核の構造図を描いた。


「封印核は三層構造だ。外殻は楔との接続回路。中間層は抑制構文の生成装置。最深部は——大沈黙そのものの『核心構文』。五千年前、十三人の文法守の声が凝縮されている」


 律が訊いた。


「朝倉は今、どの層に干渉しているのですか」


「外殻だ。S等級の言質化では中間層まで届かない。だが外殻を削り続ければ、やがて中間層が露出する。そうなれば崩壊は加速する」


 言はメモ帳に書いた。


『朝倉の解除を阻止するには、外殻を補強すればいい?』


 詠は首を振った。


「補強するには——封印核と同じ『深層構文』を発動させる必要がある。それができるのは文法守か、その末裔だけだ」


 視線が、言に集まった。


 ブレスレットに触れた。


 その準備の最中——紬に異変が起きた。


 分析室でVMBの報告書を読んでいたとき。タブレットの画面に表示された文字——何百回も読んできた通常の報告書のテキストが、紬の指先を痺れさせた。


 紬はタブレットを落とした。


 指先を見つめた。痺れは一瞬で消えた。だが確かに——文字に込められた微弱な意志が、紬の皮膚を透過した。


 書かれた文字の言質化。音声の約百分の一しかない微弱な物質化率。通常なら紬の免疫で完全に遮断されるはずのもの。


 ——完全免疫が、揺らいでいる。


 大沈黙の劣化が進むにつれ、抑制構文が弱まり、言質化のベースラインが上昇している。紬の免疫は「通常の言質化レベル」に対して有効だが、レベルそのものが上がり始めているのだ。


 紬は深呼吸した。タブレットを拾い上げ、新しいメモを開いた。


 手が震えている。文字が乱れた。


『こわい。はじめて声が……聞こえそうになった。うれしいのか、こわいのか、わからない』


 それを言に見せるかどうか、紬は迷った。


 ——見せよう。


 隠し事は、もうしない。梶原のことで学んだ。


 律に先に相談した。律は検査データを確認し、眼鏡の奥の目を細めた。


「〇・三パーセント以下の変化です。臨床的には有意とは言えません。ですが、大沈黙の劣化速度を考えると、この変化が今後加速する可能性はあります」


 紬がタブレットに打った。


『正直に言って。サハラに入ったら、もっとひどくなる?』


「可能性はあります。しかし免疫が完全に失われるまでには段階がある。飽和域内でも、あなたは最も安全な人間であることに変わりありません」


 律の言葉は正確で、感情を排していた。だがその正確さが、逆に紬の不安を静めた。


 分析室で、言にタブレットを差し出した。


 言はメモを読んだ。三度読んだ。


 構文聴覚を紬に向けた。以前は「完全な沈黙」に包まれていた紬の周囲に——極めて微弱だが、かすかな構文の振動が漂っていた。百分の一以下。だが——ゼロではなかった。


 ブレスレットを握った。指先が冷たかった。紬の免疫の変化が、構文聴覚の奥でかすかに、だが確かに鳴っている。


 メモ帳に書いた。


『聴いた。……確かに、変化が始まっている。だが今は微弱だ。飽和域の中に入ったら——もっと強く感じるかもしれない』


 紬がタブレットに打った。


『……それでも行く。わたしが行かなきゃ、言さんを一人で飽和域に入れることになる。それは嫌』


 言は紬の目を見た。紬の目は潤んでいたが、視線はまっすぐだった。


 メモ帳に一行書いた。


『一緒に行く。何があっても』


 紬は頷いた。


 声のない約束。言質化しない誓約。だが——どんな金色の構文よりも、確かなものだった。


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