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言葉は鉛になる ―声が凶器になった世界で、最も危険な声を持つ男―  作者: 景都 (けいと)
大沈黙の記録

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18/29

#18 碧声

 誓約の金色の光は、数秒で消えた。


 だが構文聴覚は、自分の声が空間に残した微かな余韻を聴いていた。金色。誠実な誓約の色。嘘のない言葉だけが帯びる光。


 沈黙区域の中で言質化が発動した——それ自体が、言のSS等級の証だった。通常、沈黙区域内では言質化は抑制される。それでも発動するほどの意志と共鳴と構文が揃っていた。


 律が口を開いた。


「篠宮さん。今の誓約は、法的に有効な拘束力を持ちます。契約師として申し上げますが——撤回はできません」


 言はメモ帳に書いた。


『撤回する気はない』


 律は小さく頷いた。眼鏡の奥の目が、いつもより柔らかかった。


「では、私も誓約します」


 律が立った。


「氷室律。契約師として、篠宮言の調査を法的・論理的に支援する。大沈黙の真実が明らかになるまで、このチームを離れない」


 律の声が銀色に光った。契約型の言質化。いつもの正確で隙のない声——だがその奥に、微かな熱があった。


 紬が手話で言った。


 〈わたしは声が出ないから、言質化の誓約はできない。でも——〉


 タブレットに打ち込んだ。


『わたしは、ここにいる。それがわたしの誓約です』


 言は紬のタブレットを見た。声なき誓約。言質化しない言葉。だが——構文聴覚には、その文字から微かな金色が見えた気がした。


 詠は何も言わなかった。ただ四人を見渡し、静かに笑った。


「五千年待った甲斐があった」


 それだけだった。だがその一言に、構文聴覚は途方もない重みを聴き取った。


* * *


 追悼式の帰り道。四人でVMB本部に向かう車の中。


 律が運転し、紬が助手席。後部座席で言と詠が並んでいる。


 詠が窓の外を見ながら呟いた。


「言。一つだけ覚えておけ」


「……何を」


「大沈黙の修復は、技術的に不可能ではない。だが代償がある。五千年前、十三人の文法守のうち十二人が死んだ。封印を作るのも、修復するのも——声を代償にする」


 言の喉が締まった。


「お前の構文聴覚は、大沈黙の構造を理解できる。修復もできるかもしれない。だがそれは——お前の声を賭けることを意味する」


 ブレスレットに指先が触れた。


 詠は窓の外を見たまま、続けた。


「そのとき、恐れるなとは言わない。恐れていい。恐れた上で、聴け」


 言は答えなかった。車の窓の外で、東京の街が流れていく。構文聴覚が、街のざわめきを拾っている。抑制構文の脈動が、先月よりも弱くなっていた。


 五年。


 タイムリミットが、静かに刻まれ始めていた。


* * *


 第零班が正式に始動した翌週。世界は、別の場所で動き始めていた。


* * *


 VMB本部の管制室。世界地図が壁面のスクリーンに投影されている。赤い点が飽和域を示していた。八十八箇所。先月より三箇所増えている。


 氷見局長が管制室に入った。


「原声会の動きは」


 部下が端末を操作した。


「活発化しています。SNS上での発信が先月比で三倍。『大沈黙は人類に嵌められた口枷だ』というスローガンが拡散中です」


「中心人物は」


「朝倉透。元検事。三十二歳。三年前に検察を辞職し、原声会を設立。言質等級はS等級です」


 氷見は腕を組んだ。


「大沈黙の情報を、独自ルートで入手している可能性は」


「高いと判断しています。原声会の声明には、学術的に正確な言質化の歴史記述が含まれています。内部に研究者がいるか、あるいは——」


「石碑の情報が漏れたか」


 沈黙。


「篠宮さんのチームと、接触させないように」


「了解しました」


 氷見は管制室を出た。廊下で足を止め、窓の外の東京を見下ろした。


 ——始まったか。


 呟きは、構文を帯びなかった。


* * *


 函館。


 海沿いのアパートの一室で、男がテレビを見ていた。


 三十二歳。濃い茶色の髪を短く整えたオールバック。細身だが、背筋がまっすぐに伸びている。元検事特有の——法廷に立ち続けた人間の姿勢。


 朝倉透。


 テレビは飽和域の拡大を報じていた。ニュースキャスターの声は抑制的で、感情を排した発声——VMBのガイドラインに従った報道様式。言質化社会では、ニュースキャスターでさえ声に感情を乗せないよう訓練されている。


 朝倉はテレビの音を消した。


 テーブルの上に、古い文献のコピーが広がっている。中東の石碑の解読資料。出所は不明だが——原始文法に関する学術データが、朝倉の手元にあった。


 朝倉はコピーの束を閉じ、壁に掛けた額縁に目をやった。家族写真。幼い自分と、両親。父の笑顔。正直で、不器用で、まっすぐな人だった。


「父は正直だった。それだけで殺された」


 誰もいない部屋で、朝倉は呟いた。


「嘘をついた者は今も笑って生きている」


 声に構文が乗った。碧い光が、微かに部屋の空気を震わせた。S等級の言質化感受性。透明な信念の色。


 朝倉は立ち上がり、窓を開けた。函館の海風が部屋に入り込む。


「大沈黙は——人類に嵌められた口枷だ。声の力を取り戻せば、嘘のない世界が来る」


 碧い瞳が、北の空を見据えていた。


「ようやく——嘘が消える世界が来る」


* * *


 東京。VMB本部。


 言はデスクで出雲の石室のデータを整理していた。


 構文聴覚が——ふと、揺らいだ。


 遠くから、構文の波動が届いた気がした。碧い色の、透明な信念を含んだ声。


 言は顔を上げた。窓の外に目をやった。何もない。東京の空は曇っていた。


 ——気のせいか。


 ブレスレットに指先が触れた。


 メモ帳に向き直った。だが構文聴覚の奥で、碧い声の残響が——まるで予兆のように——微かに鳴り続けていた。


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