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言葉は鉛になる ―声が凶器になった世界で、最も危険な声を持つ男―  作者: 景都 (けいと)
大沈黙の記録

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17/30

#17 交差

 夜。VMB本部の分析室。第零班の四人が、テーブルを囲んでいた。


 任務開始から三日。大沈黙の調査方針を固めるための会議だったが、議論は一つの問いを中心に回り続けていた。


 ——大沈黙は、修復すべきなのか。


 律がホワイトボードに二つの選択肢を書いた。


「A:大沈黙を修復し、封印を維持する。全人類の言語能力は制限されたまま。大解沈は防げる」


「B:大沈黙を修復せず、封印の解除を受け入れる。全人類の言語が物質化する世界。大解沈が到来する」


 四人の視線がホワイトボードに集まった。


 詠が最初に口を開いた。


「五千年前、私たちはAを選んだ。結果、人類は声の力を失った代わりに、声で滅びることもなくなった。だが——代償はあった。人間の言葉から『力』が消えたことで、言葉は軽くなった。嘘が容易になった。約束が破られやすくなった。言葉の重みを、人間は忘れた」


 律が答えた。


「しかしBを選べば、嘘をついた者の体が崩壊し、怒りの一言が人を殺す世界になる。現代社会は維持できない」


 紬がタブレットに打った。


『どちらも極端じゃない? AもBも、人間が選べる中間はないの?』


 言はメモ帳に書いた。


『分からない。だが——AもBも、俺たちが決めることじゃない。人類全体に関わる問いだ』


 律が頷いた。


「その通りです。問題は、五年後に大解沈が来たとき、選択肢がBしかなくなること。Aを選ぶためには——大沈黙を修復する技術が必要です。そしてそれは現時点で存在しない」


 言はメモ帳にもう一行書いた。


『だから、まず理解する。大沈黙の構造を完全に解明する。修復するにせよ、しないにせよ——構造を知らなければ、何も選べない』


 四人が顔を見合わせた。


 詠が言った。


「……いい仲間だ。五千年前の文法守にも、こういう議論ができる相手がいれば——違う結末もあったかもしれないね」


 紬が手話で言った。


 〈わたしたちは、文法守とは違う答えを出す。出せるはずだよ〉


 律がホワイトボードに、三つ目の選択肢を書き加えた。


「C:???」


「まだ見えていない第三の道がある可能性を、排除しません」


 言はブレスレットに触れた。


 第三の道。それが何かはまだ分からない。だが四人でいれば——少なくとも、問いを共有できる。


 窓の外で、東京の夜景が静かに輝いていた。


* * *


 新宿駅東口。テロの跡地に、慰霊碑が建てられていた。


 白い石の碑。四十七の名前が刻まれている——テロの被害者全員の。碑の周囲には恒久的な沈黙区域が設定され、「声の交差点」と呼ばれるようになっていた。言質化社会の傷跡を忘れないための場所。


 テロから半年。追悼式が行われた日、言は一人で碑の前に立っていた。


* * *


 四十七の名前を、一つずつ読んだ。


 最初に解体した三十代の男性。十五人目に紬が『休んでください』と示した直後の女性。三重呪詛の最後の一人。


 全員の呪詛をほどいた。全員が回復した。だが——呪詛の痕跡は体に残る。微かな後遺症。冬になると痛む傷のように、構文の残滓が時折疼く。完全な「解体」は、まだ不可能だった。


 言の構文聴覚は、沈黙区域の中で静まっている。碑に刻まれた名前から構文は聴こえない。ただの石。ただの名前。だが——その名前の一つひとつに、あの日の呪詛の記憶がある。


 自分が聴いた声。教師の声。怒りに満ちた、確信に満ちた声。原始文法で編まれた呪詛。あの声の主は、まだ見つかっていない。


 ——言質化は、人を傷つける。


 大沈黙が解ければ、全ての言葉がこの力を持つ。


 大沈黙が維持されれば、人類は言葉の本来の力を永遠に失う。


 どちらが正しいのか。


 ブレスレットに触れた。


 碑の前に、紬が来た。花束を持っている。白い花。碑の前に静かに置いた。


 〈来てたんだ〉


 メモ帳に書いた。


『少し、考えたくて』


 紬は碑を見つめた。


『結論は出た?』


『まだ。でも——一つだけ分かった』


『何?』


 言はペンを止めた。息を吸った。飽和域ではない。沈黙区域だ。声を出しても安全な場所。


 だが言は声を出さなかった。メモ帳に書いた。


『俺は、聴く。この世界の構文を全部聴いて、理解する。それが俺にできることだ』


 紬はメモを読み、微笑んだ。


 〈それ、声に出して言ったらもっとかっこいいのに〉


 言の口元が、ほとんど分からないほどに緩んだ。


* * *


 追悼式の後。チームの四人が「声の交差点」の沈黙区域内に集まった。


 紬と律と詠が、言を見ている。


 言は立ち上がった。喉の奥が締まる。ブレスレットに指先が触れた。


 ——声を出す。今、ここで。


「——俺は、聴く」


 声が出た。低く、掠れて、短い。だが確かに空気を震わせた。


「全部聴いて、理解する。大沈黙の構造を。言質化の意味を。それが——文法守の末裔にできることだ」


 言の声が、微かに金色に光った。


 誠実な誓約の言質化。沈黙区域の中でさえ、意志と共鳴と構文が完全に揃った言葉は——物質化する。


 金色の光が言の胸元から四人の間に伸び、すぐに薄れて消えた。


 紬が目を丸くした。律が息を呑んだ。詠が——五千年ぶりに、心からの笑みを浮かべた。


「いい誓約だ。五千年前の文法守も、同じ色の誓約を結んだ」


 言の右手が微かに震えていた。声を出した後の恐怖。だが——今回は、ブレスレットに触れなかった。


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