#12 告白
詠をVMBに連れ帰った後、言は報告書を書かずに紬を探した。
屋上にいた。
タブレットを差し出した。
『詠のことで、話がある。三人で』
* * *
会議室。言、紬、律。三人だけの場。詠はいない。
言はメモ帳に書いた。
『詠が歌い終わった直後、一瞬だけ老人の顔になった。すぐに元に戻ったが、構文聴覚で確認した——詠は歌の構文で自分の肉体を維持している』
紬のタブレットを打つ手が止まった。
律が眼鏡を外し、拭き、かけ直した。
「……それは、歌い続けなければ老化が進む、ということですか」
『正確には分からない。だが、詠の体の中で歌唱型の構文が常時稼働している。それが肉体の修復——あるいは維持に使われている可能性が高い』
紬が打ち込んだ。
『詠さんは、本当は何歳なの?』
言はペンを止めた。
『分からない。ただ——詠の声の奥に、数十年では説明できない時間の重みがある。さっき屋上で、詠は「五千年前の私たち」と言った』
三人の間に沈黙が落ちた。
律が口を開いた。
「仮に詠が……数千年の時間を生きてきた存在だとして。なぜ今、東京にいるのですか」
言はメモ帳に書いた。
『分からない。だが、詠は原始文法を完全に操れる唯一の存在だ。テロの呪詛と同系統の文法を使う。抑制構文の正体を知っている。——詠から情報を引き出すことが、全ての鍵になる』
紬がタブレットに打ち込んだ。
『でも、尋問じゃだめだと思う。詠さんは自分から話すタイプだから。信頼関係を築かないと』
言は頷いた。
* * *
夕方。紬はVMBの氷見局長と面談していた。
タブレットに文字を打ち込みながら、身振りを交えて訴えている。言は廊下から見ていた。
紬の主張——詠を「保護対象」ではなく「協力者」として正式にチームに迎え入れること。監視は緩和し、行動の自由を一定程度認めること。
氷見は長い沈黙の後、言った。
「音無さん。その人物が安全だという保証は?」
紬はタブレットに打ち込んだ。
『保証はありません。でも、閉じ込めても何も分からない。詠さんは檻の中では歌わない人です』
氷見の表情が微かに動いた。
「……篠宮さんと氷室さんの同意は?」
律がドアの外から一歩入った。
「同意します。詠の構文聴覚的な分析は、協力関係の中でしか進められないと判断しました」
言はメモ帳を掲げた。
『同意する』
氷見は頷いた。
「協力者として受け入れます。ただし、チームの三名が共同で監督責任を負うこと。問題が起きた場合は、三名の連帯責任とします」
紬が小さく微笑んだ。
〈ありがとうございます〉
* * *
その夜。自宅のアパート。
言はベッドに横たわり、天井を見上げていた。
ブレスレットの革紐を親指でなぞる。
四人のチーム。言語学者、聾者、契約師、そして——数千年を生きた歌い手。
言質化が加速している。飽和域が増え続けている。抑制構文が劣化している。
詠はその全てを知っている。知っていて、まだ語らない。
——待とう。紬の言う通り、信頼を築くしかない。
構文聴覚の奥で、東京の夜のざわめきが低く鳴っている。その底に、以前よりもはっきりと聴こえるようになった「封じられた音」——抑制構文の脈動。
劣化は、確かに進んでいた。
* * *
藤堂教授から連絡が来たのは、深夜だった。
スマートフォンの画面にテキストメッセージ。VMBの職員と同じように、藤堂もこの一年で電話を避けるようになっていた。
『篠宮くん。至急来られるか。決定的なものが見つかった』
言は自転車を漕いで東京大学に向かった。深夜の街を構文聴覚で聴きながら。抑制構文の脈動が、一ヶ月前よりも弱くなっている気がした。
* * *
藤堂教授の研究室は資料で埋まっていた。デスクの上だけでなく、床にも古代文字のコピーが散乱している。
「これを見てくれ」
藤堂がスクリーンに画像を映した。
石碑だった。黄褐色の表面に、細密な文字が刻まれている。紀元前の中東——メソポタミア地域で近年発掘された石碑の高解像度画像。
「この石碑は考古学者の間では『雑音文書』と呼ばれている。既知のどの文字体系にも属さない記号で埋め尽くされていて、解読不能とされていた」
藤堂が石碑の文字を拡大した。
「だが——君が送ってくれた原始文法のパターンと照合したところ、一致した。この石碑の文字は、原始文法で書かれている」
言は構文聴覚を画像に向けた。画像からは直接構文は聴こえないが、文字のパターンを読み取ることはできる。
——確かに。
石碑の文字配列は、詠の歌の構文パターンと同一の論理構造を持っていた。
「私が翻訳できたのは全体の約二割だが」
藤堂が翻訳メモを広げた。
「最も明瞭に読み取れた一節が、これだ」
スクリーンに、藤堂の訳文が表示された。
「『我らは声を封じた。人類が自らの言葉で滅びぬために』」
* * *
言はその一文を、三度読んだ。
我らは声を封じた。
——抑制構文。全人類の発話に付加されている、あの「封じられた音」。それを付加した者たちが、自分たちの行為を石碑に刻んだ。
人類が自らの言葉で滅びぬために。
——かつて、言葉の力で文明が滅びたことがある。だから封じた。
藤堂が言を見た。
「篠宮くん。この石碑が本物なら——言質化は十年前に『始まった』のではない。数千年前に『封印された』力が、再び目覚めつつあるんだ」
言はメモ帳にペンを走らせた。手が震えていた。
『仮説の更新。言質化は復活している。十年前に始まったのではない。数千年前に一度封印された力が、抑制構文の劣化によって再び表面化している』
そしてもう一行。
『石碑を刻んだ「我ら」は——詠と同じ存在の可能性がある』
ブレスレットを握った。
詠に、見せなければならない。




