第4話 あまりにも遅すぎる後悔
王都への帰還路。石畳の道を歩く足取りは、鉛のように重かった。
日が傾き、街全体がオレンジ色に染まる時刻。本来なら、ダンジョン攻略を終えた冒険者たちが酒場へと繰り出し、その日の戦果を肴に祝杯をあげる華やかな時間帯だ。
だが、今の俺たち――勇者パーティ『光の剣』の三人は、まるで敗残兵、いや、それ以下の浮浪者のような有様だった。
「くそっ、見ろよあの視線……。どいつもこいつも、俺たちを嘲笑ってやがる」
俺、勇者グレインは、道ゆく人々の視線に耐えかねて悪態をついた。
無理もない。今の俺の格好ときたら、目も当てられない。
自慢の『聖剣』は柄だけのゴミになり、白銀の鎧は赤錆の塊となって崩れ落ち、今はかろうじて残った革の下着と、ボロボロのマントを身体に巻き付けているだけだ。金髪は泥と油にまみれ、顔には擦り傷が無数にある。
「やだ……見ないでよ! 私は王都一の美女魔導師なのよ!?」
後ろを歩くリーネも悲惨だった。
高級シルクのローブはカビたように変色して破れ、あちこち肌が露出している。杖はただの枯れ木になり、魔力切れの反動で髪はバサバサに逆立っていた。彼女は破れた布で必死に身体を隠しながら、涙目でうつむいている。
「腹減った……いてぇ……腕が……」
一番酷いのは戦士のボルグだ。左腕は折れたまま、簡易的な添え木(道端で拾った木の枝)で固定しているが、顔色は土気色で、巨体がふらふらと揺れている。かつてドラゴンを受け止めた強靭な肉体も、今は見る影もない。
「おい、そこの汚い連中! 往来の邪魔だ、端を歩け!」
馬車を引く御者に鞭で威嚇され、俺たちは慌てて道端の溝へと避けた。
以前なら、「勇者様だぞ!」と一喝すれば、誰もが道を譲り、ひれ伏したはずだ。だが、今の俺たちに気づく者は誰もいない。薄汚い乞食集団だとしか思われていないのだ。
「これも全部、あのアルドのせいだ……!」
俺は奥歯が砕けるほど噛み締めた。
あいつが変な呪いをかけたせいで、俺たちの最強装備はガラクタになった。あいつが俺たちを見捨てて逃げたせいで、俺たちはこんな屈辱を味わっている。
自分の実力不足など微塵も考えず、俺は全ての責任をあの元・荷物持ちへと転嫁することで、かろうじて精神の均衡を保っていた。
「ギルドに行けば……なんとかなるはずだ。俺たちはSランクパーティだぞ? ギルドマスターに言えば、最高の治療と新しい装備を用意してくれるはずだ」
そう、俺たちには実績がある。今まで数々の魔物を倒してきた栄光があるのだ。
俺たちは足を引きずりながら、街の中心部にある冒険者ギルドの本部へと向かった。
ギルドの扉を押し開けると、そこはいつもの喧騒に包まれていた。
酒の匂い、肉の焼ける匂い、冒険者たちの笑い声。
だが、俺たちが足を踏み入れた瞬間、入り口付近の空気が凍りついた。
「うわ、なんだあの臭い……」
「下水道から上がってきたのか?」
「おい、あれ……まさか『光の剣』のグレインか?」
ざわめきが波紋のように広がっていく。
俺は虚勢を張り、胸を反らせてカウンターへと歩み寄った。
「おい、受付! 至急、上級ポーションと回復術師を手配しろ! それと、ギルドマスターを呼べ。緊急事態だ!」
ドンッ、とカウンターを叩くが、手元には折れた剣の柄しかなく、その音は間の抜けたものになった。
受付嬢は顔をしかめ、扇子で鼻を仰ぐような仕草をした。
「……グレイン様ですか? 一体どうされたのですか、そのお姿は」
「ダンジョンでイレギュラーが発生したんだ! 武器に不具合が生じてな。これはメーカーの責任問題だぞ! まぁいい、今回の依頼は失敗だ。だが、情報料として金は貰うぞ。四十階層の深部データの価値は高いはずだ」
俺がまくし立てると、受付嬢の瞳から感情が消え、業務的な冷たさが宿った。
「依頼失敗、ですね。承知いたしました」
彼女は書類を取り出し、淡々と告げた。
「Sランク依頼『アダマンタイト・ゴーレムの討伐』の失敗に伴い、契約規定に基づき違約金が発生します。前金としてお渡ししていた五百万ゴルドの返還と、違約金として同額の五百万ゴルド、計一千万ゴルドを即時お支払いください」
「は……?」
俺の声が裏返った。
「い、一千万だと!? ふざけるな! 俺たちは被害者だぞ!?」
「契約書にサインされています。失敗時のペナルティは明記されていますよ。それと、以前からツケにされていた武器のメンテナンス費用や、高級宿の滞在費、飲み代などの請求書も各店舗から届いています。それらを含めると、総額で三千万ゴルドほどの負債になりますね」
「さ、三千万……!?」
後ろで聞いていたリーネが白目を剥いて倒れそうになる。
俺たちの金銭管理はザルだった。「どうせまた稼げる」と思って湯水のように使っていたし、足りない分は「勇者割引」や「ツケ」で誤魔化していたのだ。
だが、そのツケを払うための報酬が入らないとなると、話は別だ。
「ま、待て! 払えるわけないだろ! 俺たちの装備は全部壊れたんだぞ! 新しい装備を買う金も必要なんだ!」
「それはこちらの関知することではありません。お支払いができない場合は、冒険者ライセンスの剥奪と、強制労働施設への収容となります」
受付嬢の無慈悲な言葉に、俺は膝から崩れ落ちそうになった。
ライセンス剥奪? 強制労働?
この俺が? 選ばれた勇者が、薄暗い鉱山で死ぬまでツルハシを振るうことになるのか?
「……頼む、待ってくれ。あいつだ、アルドだ! あいつが俺たちの金を管理していたんだ! あいつが持ち逃げしたに違いない!」
俺はなりふり構わず嘘をついた。アルドに全ての罪をなすりつければ、あるいは情状酌量の余地があるかもしれない。
「アルド? あの荷物持ちの方ですか?」
「そうだ! あいつが全部悪いんだ! 俺たちはあいつに騙されて……!」
その時だった。
ギルドの入り口から、ファンファーレのような歓声と、割れんばかりの拍手が巻き起こった。
「おい見ろ! 『剣聖姫』様のお帰りだぞ!」
「すげぇ……あのデカいのは何だ!?」
「ミノタウロス・ロードの首!? 四十階層のボスをソロで狩ったのか!?」
ギルド中の視線が一斉に入り口へと注がれる。
重厚な扉が開かれ、西日を背負って二つの人影が入ってきた。
一人は、見紛うことなき美少女。亜麻色の髪をなびかせ、白銀の軽鎧に身を包んだ『剣聖姫』シルヴィア・ヴァーミリオンだ。彼女の右手には、巨大なミノタウロスの生首がぶら下げられており、その体躯からは圧倒的な強者のオーラが立ち昇っている。
そして、その隣に並んで歩いている男。
俺は我が目を疑った。
「……アルド?」
そこにいたのは、俺たちが数時間前にダンジョンへ置き去りにしたはずの、あの陰気な荷物持ちだった。
だが、その姿は以前とはまるで違っていた。
薄汚れた作業着ではなく、シルヴィアが用意したと思われる上質な冒険者服を身にまとい、背筋をすっと伸ばして歩いている。以前は常に重い荷物に押しつぶされて猫背だったが、今は自信に満ちた表情で前を見据えていた。
「ギルドマスター! 報告があります!」
シルヴィアの凛とした声がホールに響き渡る。
二階の執務室から、強面のギルドマスターが顔を出した。
「おお、シルヴィア王女! 無事に戻られたか。して、その首は?」
「はい。四十階層にて遭遇したフロアボス、『ミノタウロス・ロード』を討伐いたしました。ですが、これは私一人の手柄ではありません」
シルヴィアは隣に立つアルドの肩を抱き寄せ、高らかに宣言した。
「この偉業は、ここにいる稀代の鍛冶師、アルド様の助力がなければ成し得ませんでした! 彼が戦闘中に私の折れた剣を修復し、さらには『神話級』へと進化させてくれたおかげで、あのような化け物を一撃で葬ることができたのです!」
ざわっ、とギルド内がどよめいた。
「神話級だと?」「戦闘中に修復?」「あいつ、ただの荷物持ちじゃなかったのか?」
驚きと称賛の声がアルドに向けられる。
「さらに!」
シルヴィアは続ける。
「アルド様は、ダンジョン内で私を守るために勇敢に戦ってくださいました。その技術、その精神、まさに冒険者の鑑! 私は彼を、我がヴァーミリオン家の専属鍛冶師として、そして私のパートナーとして正式に迎え入れることをここに宣言します!」
ドッと沸くギルド。
「すげぇ! 逆玉じゃねぇか!」「あの剣聖姫のお気に入りとか、将来安泰だな!」
アルドは少し照れくさそうに頭をかいているが、その顔には確かな充実感が浮かんでいた。
俺はその光景を、口を開けたまま呆然と見ていた。
何が起きている?
アルドが英雄? パートナー?
あいつは俺の奴隷だったはずだ。俺の下で、泥にまみれて働くのがお似合いの底辺職だったはずだ。
それがなんで、俺より上の立場になって、あんな美女にちやほやされているんだ?
許せない。
納得できない。
俺の場所だ。そこは、勇者である俺が立つべき場所なんだ!
「おいアルドォォォォッ!!」
俺は叫び声を上げ、人混みをかき分けて二人の前へと飛び出した。
ボロボロの布切れをまとった悪臭漂う男の登場に、周囲の冒険者たちが顔をしかめて道を空ける。
「……グレイン?」
アルドが俺を見て、わずかに眉をひそめた。
俺はその態度にさらに腹を立てた。
「お前、生きてたのか! よかったぜ! おい、今すぐ俺の剣を直せ! それと、俺たちの装備を全部新調しろ! さっきの話を聞いたぞ、神話級の武器が作れるんだろ? なら、俺にこそ相応しい! 俺にその剣を献上しろ!」
俺はアルドの胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。
だが、その手はアルドに届く前に、横から伸びてきた白銀の鞘によって弾かれた。
バシィッ!!
「痛っ!?」
「気安く私のマエストロに触れないでください、汚らわしい」
シルヴィアが、氷点下の眼差しで俺を見下ろしていた。その瞳には、侮蔑以外の感情がない。
「な、なんだお前は! 俺は勇者グレインだぞ! アルドは俺の仲間だ! 俺たちが使ってやって初めて、あいつの価値が出るんだよ!」
「仲間? ……呆れましたわ。アルド様から聞きましたよ。あなた方が彼にした仕打ちを」
シルヴィアの声色がさらに低くなる。殺気すら混じっていた。
「彼の才能に寄生し、搾取し、あまつさえダンジョンの深層に置き去りにした卑劣な輩。それが『勇者』を名乗るとは、片腹痛いにもほどがあります」
「な、なんだと……!?」
「それに、見なさいその無様な姿を。アルド様がいなくなった途端、まともに戦うことすらできずに逃げ帰ってきたのでしょう? それが答えです。あなた方は強かったのではありません。アルド様の加護によって『強く見せてもらっていた』だけの、張り子の虎だったのです」
シルヴィアの言葉は、鋭利な刃物のように俺の心臓をえぐった。
周囲の冒険者たちも、ひそひそと囁き始める。
「あぁ、なるほど。そういうことか」
「『光の剣』が急に弱くなった理由がわかったな」
「自分たちの実力じゃなかったのかよ。ダセェ……」
「恩人を捨てるなんて、クズだな」
嘲笑の視線。軽蔑の眼差し。
それが四方八方から突き刺さる。
顔が熱い。恥ずかしい。悔しい。
俺は助けを求めるように、アルドを見た。
「ア、アルド……。お前ならわかるよな? 冗談だよ、追放なんて。ちょっとしたドッキリだ。なぁ? 俺たちは幼馴染だろ? 昔みたいに、また一緒にやろうぜ。な?」
俺は必死に媚び笑いを浮かべた。
プライドなどかなぐり捨てた。今、この状況を打開できるのはアルドしかいない。あいつが戻ってきてくれれば、装備も直るし、借金もなんとかなるかもしれない。あいつは昔から人がいいから、きっと許してくれるはずだ。
アルドは静かに俺を見つめていた。
その瞳には、怒りも、憎しみもなかった。
あるのは、道端の石ころを見るような、完全な無関心だけだった。
「……悪いけど、あんた誰だっけ?」
アルドは短くそう言った。
「は……?」
「俺の知ってる幼馴染のグレインは、もっと気高くて、仲間思いの奴だったよ。お前みたいな、自分の失敗を他人のせいにして、嘘と保身にまみれた醜い男じゃない」
アルドの言葉は、淡々としていたが、どんな罵倒よりも重く響いた。
それは完全な決別の言葉だった。
彼の中で、俺という存在はもう「過去の遺物」として処理され、記憶の彼方へと葬り去られたのだ。
「それに、俺にはもう新しい居場所がある」
アルドは隣のシルヴィアを見て、優しく微笑んだ。
シルヴィアも頬を染めて微笑み返す。
「行きましょう、アルド様。公爵邸で父が待っています。あなた様の歓迎会の準備をして」
「ああ、行こうシルヴィア」
二人は踵を返し、俺たちに背を向けて歩き出した。
光の中へと進んでいく二人。
その背中はあまりにも遠く、眩しかった。
「ま、待てよ! アルド! 俺を見捨てるのか!? 俺たちはどうなるんだよ!!」
俺は這いつくばって叫んだ。
だが、アルドは二度と振り返らなかった。
「……連行しろ」
ギルドマスターの低い声が響いた。
次の瞬間、屈強なギルド職員たちが俺たちを取り押さえる。
「離せ! 俺は勇者だぞ! 離せぇぇぇっ!!」
俺の絶叫は、誰の耳にも届かない。
リーネは泣き崩れ、ボルグは痛みに失神している。
俺たちはズルズルと引きずられ、ギルドの裏口――借金返済のための強制労働施設への馬車が待つ場所へと連れて行かれた。
扉が閉まる直前、隙間から見えたのは、ギルド中の冒険者たちに祝福されながら退場していくアルドの姿だった。
かつて俺が夢見ていた「英雄」の姿そのものだった。
俺は悟った。
俺が捨てたのは、ただの荷物持ちではなかった。
俺たちの栄光そのものだったのだ。
そして、それを自らの手で砕いてしまった今、残されたのは永遠に続く後悔と、冷たい泥の味だけだった。
「あぁ……ああぁぁぁぁっ……!」
俺の慟哭が、夕闇に吸い込まれて消えていった。
◇ ◇ ◇
数日後。
王都の王宮の一室で、俺――アルドは、最高級の紅茶を味わいながら窓の外を眺めていた。
庭園では、新品の剣を手にしたシルヴィアが、楽しそうに型稽古をしている。その剣は、俺が昨日調整したばかりのものだ。彼女が振るうたびに、美しい光の軌跡が描かれる。
「アルド様、お茶のおかわりはいかがですか?」
メイドが恭しく声をかけてくる。
ふかふかのソファ。清潔な服。美味しい食事。そして、俺の技術を心から必要としてくれる人々。
ここには、俺が求めていた全ての「当たり前」があった。
勇者パーティの噂は、風の便りに聞いた。
膨大な借金を返すために、危険な鉱山で魔力鉱石を掘る労働に従事しているらしい。装備も支給されず、素手同然での作業は過酷を極め、いつ死んでもおかしくない環境だとか。
だが、今の俺にはもう関係のない話だ。彼らがどうなろうと、俺の心が揺れることはもうない。
「マエストロ! 見てください、この剣の切れ味! 噴水を切っても水がしばらく形を保っていました!」
庭からシルヴィアが嬉しそうに手を振ってくる。
俺はカップを置き、窓を開けて彼女に声をかけた。
「ああ、すごいなシルヴィア! 次は風の魔力を付与してみようか。もっと軽くなるはずだ」
「はい! 楽しみです!」
彼女の笑顔が、太陽のように輝いている。
俺は思う。
どん底まで落ちたあの日、あのダンジョンで彼女に出会えたことは、俺の人生で最高の幸運だったと。
「さて、仕事をするか」
俺は工房へと向かう。
俺の『万象修復』は、まだまだ進化の余地がある。
この国中の、いや、世界中の「壊れかけ」を直し、輝かせるために。
俺の第二の人生は、まだ始まったばかりだ。




