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第3話 崩壊の序曲

地下四十階層の空気は、相変わらず湿り気を帯びて重苦しい。だが、俺たち『光の勇者パーティ』の雰囲気は、かつてないほど晴れやかだった。あの陰気で、いつもブツブツと独り言を言いながら武器を磨いていた荷物持ち(アルド)を追放したからだ。


「あー、せいせいした! なんであんな陰気なのが今までパーティにいたのかしら。もっと早く追い出せばよかったのよ」


魔導師のリーネが、解放感たっぷりに伸びをした。彼女の纏う高級シルクのローブが、ランタンの灯りに揺れている。このローブは王都の専門店で特注したものだが、最近少し防御魔法の発動が遅い気がしていた。きっとアルドの整備が悪かったに違いない。これからはもっと腕の良い職人を雇えばいい。


「全くだ。あいつがいると、空気までカビ臭くなる気がしてたからな。俺たち選ばれた勇者の隣に立つには、あまりにも格が違いすぎたんだよ」


俺、グレインは腰に差した愛剣の柄を撫でながら同意した。この剣は、俺が王都の裏路地で見つけた掘り出し物だ。店主は「ただの模造品だ」なんて言っていたが、俺の『鑑定眼(自称)』にはわかった。こいつは眠れる聖剣だと。実際、俺が使い始めてからというもの、この剣はドラゴンすら両断する最強の武器として覚醒した。やはり使い手が優秀だと、道具もその真価を発揮するのだ。


「でもよぉ、あいつが置いてったリュック、あれどうする? 中には予備の武器とか入ってたんだろ?」


戦士のボルグが、少しだけ未練がましそうに後ろを振り返る。あの大容量のマジックバッグには、野営道具から予備のポーションまで、冒険に必要なあらゆる物資が詰め込まれていたはずだ。


「捨て置け。あんなゴミの持っていた道具なんて、どうせ大したものじゃない。俺たちが今装備しているこの一級品があれば、この階層のボスなんて赤子の手をひねるようなもんだ。それに、俺たちの実力なら、今日中には地上に戻れる」


俺は鼻で笑い飛ばした。

実際、俺たちの装備は完璧だ。俺の聖剣、ボルグの剛盾、リーネの魔杖。どれも俺たちの輝かしい戦歴を支えてきた相棒たちだ。アルドは「毎日手入れしないとダメになる」なんて口うるさく言っていたが、それは自分の仕事を正当化するためのハッタリに過ぎない。本物の名剣が、そう簡単に錆びたり刃こぼれしたりするはずがないのだ。


「さぁ、進むぞ。この先に中ボスがいるはずだ。そいつを倒して、地上に戻ったら盛大に祝勝会だ。新しいメンバーの聖女ちゃんを迎える準備もしないとな」

「賛成! 私、あの子とショッピング行くの楽しみにしてるの!」

「俺は美味い肉が食えりゃなんでもいいぜ!」


俺たちは意気揚々と歩き出した。

足取りは軽い。邪魔者がいなくなったことで、パーティの連携もスムーズになるはずだ。


……しかし、歩き始めて十分もしないうちに、俺は妙な違和感を覚え始めた。


「……なんか、ブーツの中敷き、ズレてないか?」


一歩踏み出すたびに、足の裏にゴツゴツとした衝撃が伝わってくる。以前はもっと雲の上を歩くような、ふわりとした感触だったはずだ。それに、鎧の肩紐が妙に肩に食い込んで痛い。歩くたびにガチャガチャと不快な金属音が鳴り、関節部分の動きが渋い。


「あら? グレインも? 実は私も、なんかローブが重いのよね。魔力の循環を助けるエンチャントが効いてない気がするっていうか……肩が凝るわ」

「俺もだ。盾のグリップが滑りやすくなってやがる。汗の吸収が悪くなったのか? さっきから持ち直してばかりだぜ」


ボルグも不快そうに掌を拭っている。


「チッ、あの無能め。最後の手入れを手抜きしやがったな。やっぱりクビにして正解だったぜ。こんな基本的なメンテナンスもできないなんて、職人失格だ」


俺は苛立ちを吐き捨てた。

アルドの顔を思い出すだけで虫唾が走る。あいつはいつも「素材の呼吸が」とか「分子の結合が」とか、わけのわからない御託を並べていた。結局のところ、俺たちの装備をいい加減に扱っていた証拠だ。自分の無能さを隠すために、もっともらしい専門用語を使っていたに過ぎない。


「ま、多少着心地が悪くても、性能には問題ないだろ。行くぞ!」


俺は強引に思考を切り替え、先へと進んだ。

しばらくすると、通路のあちこちから「ギギギ……」という不気味な音が聞こえ始めた。ガーゴイルの群れだ。石像に擬態した厄介な魔物だが、俺たちにとっては準備運動にもならない雑魚だ。


「へっ、ちょうどいい試し斬りの相手だぜ!」


俺は剣を抜き、先頭のガーゴイルに斬りかかった。

いつもなら、石の身体など豆腐のように切り裂ける。手首を返すだけで首が飛ぶはずだ。


ガキンッ!!


「……あ?」


鈍い音がして、剣が弾かれた。

手首に痺れるような衝撃が走り、俺は思わずたたらを踏んだ。

ガーゴイルの首には、浅い傷がついただけだ。


「な、なんだ!? 硬いぞ、こいつ!」

「おいおいグレイン、何遊んでんだよ! 俺がやる!」


ボルグがハンマーを振り下ろす。

ドゴォッ!!

ガーゴイルの頭部を粉砕することはできたが、ボルグの顔色が悪い。


「いってぇ……今の反動、すげぇぞ。手がジンジンしやがる」


ボルグがハンマーの柄を見ると、微かにヒビが入っていた。


「おい、冗談だろ? 俺のミスリルハンマーだぞ?」

「……個体差か? 突然変異種レアだったのかもしれん。運が悪いな」


俺はそう結論づけた。俺の剣技が鈍ったわけでも、ボルグの力が落ちたわけでもない。たまたま硬い個体だっただけだ。そう自分に言い聞かせないと、背筋を這い上がる冷たい不安に飲み込まれそうだったからだ。


「ええ、そうよ。きっとそう。さっさと進みましょ」


リーネも同意したが、その顔色は優れない。

俺たちは不安を押し殺すように足を速めた。


そして、ついに前方の広間に巨大な影が見えてきた。


「出やがったな……!」


そこにいたのは、全身が黒光りする金属で構成された巨人、『アダマンタイト・ゴーレム』だ。地下四十階層の門番ゲートキーパーであり、その防御力は物理攻撃をほぼ無効化すると言われている難敵だ。全身が希少金属の塊であり、その一撃は城壁すら粉砕する。

だが、俺たちにとってはただの通過点に過ぎない。これまでも、俺の剣技とリーネの魔法で、どんな硬い敵も粉砕してきたのだから。


「ボルグ、正面で注意を引け! 俺が足の関節を砕く! リーネは頭部に最大火力を叩き込め!」

「おうよ! 任せとけ!」

「了解! 黒焦げにしてあげるわ!」


俺たちは散開し、戦闘態勢に入った。

ここまでは、いつも通りの完璧な布陣だった。

そう、ここまでは。


「ウオォォォッ!」


ボルグが雄叫びを上げ、ゴーレムの正面に躍り出る。ゴーレムがゆっくりと腕を振り上げ、丸太のような剛腕を振り下ろしてきた。

単純だが、質量と速度が乗った破壊的な一撃だ。風圧だけで肌が切れそうなほどの威圧感。

だが、ボルグの持つ大盾『アイギス(自称)』は、これまでサイクロプスの棍棒だろうがドラゴンの尾撃だろうが、全てを無傷で弾き返してきた。今回もそうなるはずだった。


「防げ! 鉄壁の構え!」


ボルグがスキルを発動し、盾を掲げる。盾の表面に薄い光の膜が張られる――はずだったが、その光は明滅し、頼りなく消えかかっている。


「あれっ?」


ボルグが疑問の声を上げた瞬間、ゴーレムの拳が盾の表面に激突した。


バギィィィンッ!!!!


耳をつんざくような破砕音が響き渡った。

次の瞬間、俺の目に飛び込んできたのは、信じられない光景だった。

ボルグの大盾が、まるで薄いガラス細工のように、あるいは腐った板切れのように粉々に砕け散ったのだ。


「は……?」


ボルグの呆けたような声。

衝撃は盾を貫通し、そのままボルグの左腕を襲った。

グシャッ、という嫌な音がして、ボルグの腕が不自然な方向に折れ曲がる。


「ぎゃあああああああっ!?」


巨漢の戦士が、ボールのように吹き飛ばされ、背後の壁に激突した。

俺は思考が停止した。

何が起きた? あの盾は、伝説の金属オリハルコンが含まれているという売り文句(露店のおっさん談)の最強の盾だったはずだ。それが、たかがゴーレムのパンチ一発で?


「ボルグ!? 嘘、なんで!?」


リーネが悲鳴を上げる。

ゴーレムは追撃の手を緩めない。今度はリーネの方へ向き直り、目から破壊光線を放とうとエネルギーを溜め始めた。空気が震え、灼熱の魔力が収束していく。


「させないわよ! 『ライトニング・ブラスト』!!」


リーネが杖を構え、迎撃魔法を放つ。

彼女の杖は、魔力を百倍に増幅する機能を持っている(とアルドが言っていた気がするが、詳しいことは忘れた)。とにかく、この一撃でゴーレムの動きを止めるはずだ。


「いっけぇぇぇぇ!」


彼女が杖を振り下ろす。

しかし。


ボシュッ。


杖の先端から出たのは、雷撃ではなく、頼りない黒い煙だけだった。

まるで湿気った花火だ。プスン、という間抜けな音が静寂に響く。


「え……?」


リーネが杖を見る。

杖の先端に埋め込まれていたはずの魔石が、真っ黒に変色し、ひび割れてボロボロと崩れ落ちていく。

それだけではない。杖の本体である木材部分も、急速に枯れ木のようになり、カサカサと音を立てて朽ちていくではないか。塗装が剥がれ、ただの枯れ枝のような姿を晒している。


「いやぁぁっ! 私の杖が! なんで!? さっきまで使えてたのに!」


パニックに陥るリーネ。

ゴーレムの破壊光線が発射される寸前だ。


「くそっ、何やってんだお前ら!! 俺がやるしかねぇのかよ!」


俺は舌打ちし、地面を蹴った。

仲間が役に立たないなら、勇者である俺が決めるしかない。

俺の『聖剣』がある限り、負けることはありえないのだ。


「その薄汚い金属ボディ、俺のエクスカリバーで切り刻んでやる!」


俺はゴーレムの懐に飛び込み、必殺の剣技『閃光斬』を放った。

マナを刀身に纏わせ、光の速さで斬り抜ける奥義。これを受けた敵は、自分が斬られたことすら気づかずに絶命する。

……はずだった。


「死ねェッ!!」


渾身の力で、剣をゴーレムの膝関節に叩きつけた。


ガチンッ!!


重い衝撃が手首に走る。

斬れた手応えはない。弾かれた?

いや、違う。


視界の端で、銀色の欠片がキラキラと舞っているのが見えた。

何だ、あれは。綺麗な光だな。

……待て。俺の手元にある剣が、やけに軽い。


恐る恐る視線を落とすと、俺が握っていたのは『剣の柄』だけだった。

刀身は根元からポッキリと折れ、無残な姿を晒している。


「は……?」


折れた? 俺の聖剣が?

いや、よく見ると、折れた断面は真っ赤に錆びついている。

まるで何十年も雨ざらしにされた鉄屑のように、ボロボロに腐食しているのだ。刀身の表面にあった美しい紋様だと思っていたものは、ただの錆止め塗装が浮き上がっていただけだったのか?


「な、なんだこれは……!?」


俺は震える手で柄を見つめた。

今朝まで、鏡のように輝いていたはずだ。アルドが「微細なヒビが入っていたので修復しておきました」と言っていたが、俺は「余計なことすんな」と怒鳴りつけた。

まさか。

まさか、俺たちの装備が強かったのは、本当に……。


「アルドの、おかげだったのか……?」


脳裏に、あの陰気な男の顔が浮かぶ。

毎晩、俺たちが寝静まった後に、指から血を流しながら俺たちの装備を磨いていた姿。

「この剣は、本当はただの鉄剣なんです。だから、俺が毎日魔力を注いで強化しないと、すぐに使い物にならなくなる。素材の限界を超えて酷使しているので、加護が切れた瞬間に崩壊しますよ」

そう言っていた忠告を、俺は「自分を高く売り込むための嘘」だと決めつけていた。


だが、現実はこれだ。

あいつがいなくなった途端、俺たちの最強装備は、ただのガラクタの山に成り下がった。

いや、ガラクタ以下だ。砂のように崩れ去っていく。


「グオォォォン……」


ゴーレムが、邪魔な虫けらを見るように俺を見下ろしている。

武器はない。盾役は瀕死。魔法使いは武器を失って錯乱状態。

詰んだ。


「ひ、ひぃぃっ……!」


俺の喉から、情けない悲鳴が漏れた。

勇者の威厳も、プライドも、全てが恐怖に塗りつぶされていく。足が震えて力が入らない。


「逃げろ! 逃げるんだ!!」


俺は折れた柄をゴーレムに投げつけ、無様に背を向けた。

仲間の安否など確認している余裕はない。


「待って、グレイン! 私を置いていかないで!」

「おい、置いていくな……! 足が……!」


リーネとボルグの叫び声が聞こえるが、知ったことか。

ここで死んだら終わりだ。俺は勇者だ。こんなところで死ぬわけにはいかない。俺には世界を救う使命があるんだ(という建前の元、自分の命だけを守ろうとした)。


「くそっ、くそっ、くそぉぉぉっ!!」


俺は走った。

かつてないほど無様に、泥水を啜るようにして逃げた。

背後でゴーレムの重い足音が響く。

走るたびに、身につけている鎧のパーツが、バラバラと外れて落ちていく。

留め具が錆びて千切れ、革が腐って破れ、ただの鉄板と化した鎧が重力に従って剥がれ落ちる。錆びついた鉄粉が汗ばんだ肌に張り付き、痒みと痛みが走る。


「痛っ!」


ブーツの底が完全に剥がれ、尖った石を踏み抜いた。激痛が走るが、止まるわけにはいかない。

裸足同然の足で、血を流しながら岩場を駆ける。

以前は遭遇しても鼻で笑っていたスケルトンやスライムの姿が見えただけで、「ひいっ!」と声を上げて逃げ惑う。今の俺には、それら雑魚モンスターすら倒す術がないのだ。


「なんでだ……なんでこんなことに……!」


俺は半裸同然のボロボロの姿になりながら、通路を駆け抜けた。

涙と鼻水で顔はぐちゃぐちゃだ。

アルド。あの野郎。

あいつが呪いをかけたに違いない。

そうだ、そうに決まっている!

俺の実力が偽物だったわけじゃない。俺の剣が安物だったわけじゃない。

あいつが、俺を陥れるために罠を仕掛けたんだ!


「許さんぞアルド……! この屈辱、絶対に許さん……!」


俺は恐怖と、それを誤魔化すための逆恨みの怒りを胸に、地上への出口を目指した。

だが、俺はまだ知らなかった。

地上に戻った俺たちを待っているのは、暖かいベッドでも称賛の声でもなく、さらなる絶望だということを。


ギルドに依頼されていた「Sランク指定依頼」の失敗。

高額な違約金。

そして何より、俺たちが捨てた「無能な荷物持ち」が、国一番の姫と共に英雄として帰還し、俺たちの地位を根底から覆す存在になっているという事実を。


四十階層の暗闇の中、俺たちの栄光は、錆びついた剣と共に完全に崩れ去ったのだった。

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