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第2話 覚醒と出会い

ダンジョンの闇は深く、そして冷たい。

松明の明かりだけが頼りの世界で、俺は一人、岩肌を踏みしめて歩いていた。


勇者パーティを追放されてから数時間が経過しただろうか。普通なら絶望に打ちひしがれ、恐怖に足がすくむ状況かもしれない。Sランクダンジョン『奈落の古城』の深層。出現するモンスターはどれも一騎当千の強さを誇り、単独での生存率は限りなくゼロに近いと言われている場所だ。


だが不思議なことに、俺の足取りは驚くほど軽かった。

今まで俺の背中には、パーティ全員分の予備武器、防具、食料、テント、魔道具といった、総重量百キロを超える荷物が常にのしかかっていた。物理的な重さだけではない。「失敗したら罵倒される」「俺の整備不足で誰かが怪我をしたらどうしよう」という精神的な重圧が、常に俺の呼吸を浅くしていたのだ。


それらが全てなくなった今、俺はかつてないほどの解放感を味わっていた。

もちろん、命の危険はある。だが、それは「自分の責任」だ。他人の理不尽な命令で死ぬのではなく、自分の判断で生き、自分のミスで死ぬ。そのシンプルさが、今の俺には心地よかった。


「グルルゥ……」


暗闇から低い唸り声が聞こえた。

俺は立ち止まり、腰のポーチから愛用のナイフを抜く。

闇に光る二つの赤い目。現れたのは『シャドウ・ヴァイパー』だ。闇に溶け込む漆黒の鱗を持ち、その毒牙にかかれば象ですら数秒で息絶えるという猛毒の蛇である。

本来なら、前衛職が盾で受け止め、魔法職が遠距離から焼くのが定石の相手だ。生産職である俺が単独で挑むなど自殺行為に等しい。


「……悪いな。今の俺は、ちょっとばかり機嫌がいいんだ」


蛇がバネのように身体を収縮させ、次の瞬間、矢のような速度で飛びかかってきた。

速い。だが、見える。

俺は半歩だけ身体をずらし、毒牙を紙一重で回避する。同時に、手にしたナイフを逆手に持ち替え、すれ違いざまに蛇の胴体を撫でるように一閃した。


ザンッ!!


硬質な音と共に、シャドウ・ヴァイパーの身体が真っ二つに切断され、地面に転がった。

まるで豆腐でも切ったかのような手応えのなさだった。

俺は手にしたナイフを見つめる。見た目はどこにでもある、鉄製の安っぽいナイフだ。だが、このナイフには俺が暇つぶしに重ね掛けした【万象修復】の効果が宿っている。


『切れ味補正+500%』

『耐久度無限』

『自動防錆』

『対生物特攻・極』


これだけの付与エンチャントが乗っていれば、ただの鉄屑でも神話級の短剣ダガーをも凌駕する凶器と化す。勇者グレインたちは、俺のこの力を「ただの手入れ」だと笑った。彼らが振るっていた剣や槍も、実はこのナイフと同じように、本来の性能を遥かに超えるバケモノじみた性能になっていたことに、彼らは気づいていなかったのだ。


「……ま、過ぎたことだ」


俺はナイフを軽く振り、付着した体液を払ってポーチに戻した。

この調子なら、地上に戻ることも不可能ではないだろう。地図はないが、空気の流れや微かな魔力の淀みを感じ取ることで、上層へのルートはなんとなく予想がつく。これも、長年ダンジョンに潜り続け、素材の気配を探知し続けてきた経験の賜物だ。


そうしてしばらく歩き続けた時だった。

遠くの通路から、金属が激しくぶつかり合う音と、爆発音が響いてきた。


「誰か戦ってるのか……?」


この階層まで潜ってくる冒険者は、俺たち勇者パーティ以外には数えるほどしかいないはずだ。国内でも指折りのトップランカーか、あるいは命知らずの愚か者か。

関わり合いになるのは避けた方がいいかもしれない。今の俺はただの無職で、厄介ごとは御免だ。

そう思い、足音を忍ばせて通り過ぎようとした瞬間。


「くっ……まだ、まだ折れるわけにはいきません……!」


凛とした、しかし焦燥に満ちた女性の声が聞こえた。

続いて、ドォォォン! という重い衝撃音が響き、誰かが壁に叩きつけられる気配がする。

放っておくべきだ。理性はそう告げていた。だが、俺の身体は勝手に向きを変えていた。見捨てられた悔しさを知っているからこそ、目の前で誰かが見捨てられるのを見過ごせなかったのかもしれない。


俺は音のした方へと駆け出した。

角を曲がり、開けた空洞に出る。そこはかつての古城の大広間だったのだろう。崩れかけた柱が並ぶ広大なスペースで、一人の少女が絶望的な戦いを繰り広げていた。


相手は『ミノタウロス・ロード』。

通常のミノタウロスよりも二周り以上巨大で、全身が黒い剛毛に覆われている。手には身の丈ほどの巨大な戦斧を持ち、鼻息と共に灼熱の蒸気を噴き出している、四十階層のフロアボス級モンスターだ。


対する少女は、ボロボロだった。

煌びやかな白銀の軽鎧はあちこちがひしゃげ、美しい銀色の長髪は埃と血で汚れている。だが、その瞳だけは決して折れていなかった。宝石のアクアマリンを溶かしたような、透き通る蒼い瞳。彼女は血を流しながらも、震える手で剣を構え直している。


「はぁ、はぁ……この剣技で、決める……!」


彼女が構えている剣は、見事な装飾が施された細身の長剣だった。刀身からは微かな魔力が漂っており、一目で業物だとわかる。おそらく、名のある名工が打った魔剣だろう。

少女は残った魔力を振り絞り、流星のような速度でミノタウロス・ロードの懐へと飛び込んだ。


「流麗剣・螺旋突き!」


回転を加えた刺突が、ミノタウロスの分厚い胸板へと突き刺さる――はずだった。

ガギィィィン!!

甲高い金属音が響き渡り、火花が散る。

ミノタウロスの筋肉は鋼鉄のように硬く、少女の剣は皮膚を貫くことができなかったのだ。それどころか、無理な負荷に耐えきれず、悲鳴のような音を立てる。


「嘘……父様から受け継いだ魔剣が……!」


パキィッ。

乾いた音がして、美しい魔剣の刀身が半ばから砕け散った。

折れた刃が回転しながら宙を舞い、地面に突き刺さる。

少女の手には、折れた柄だけが残された。


「ヴオォォォォォッ!!」


好機と見たミノタウロス・ロードが、勝ち誇った咆哮を上げて戦斧を振り上げる。

武器を失った少女に、回避する術はない。彼女は死を悟ったように目を閉じ――いや、閉じなかった。最後まで敵を睨みつけ、誇り高く散ろうとしていた。


「くそっ!」


俺は飛び出していた。

間に合うか? いや、距離がある。ナイフを投擲しても、あの分厚い筋肉には弾かれるだけだ。

俺にできることは一つ。彼女の武器を、戦える状態に戻すことだけだ。


「そこのあんた! その折れた剣をこっちに投げろ!!」


俺の叫び声に、少女が驚いたようにこちらを見た。


「えっ……!?」

「いいから早く! 死にたくなければ寄越せ!」


俺の鬼気迫る形相に気圧されたのか、あるいは藁にもすがる思いだったのか。少女は一瞬の迷いの後、折れた柄を俺の方へと放り投げた。同時に、俺も走り込みながらスライディングし、地面に落ちていた折れた刀身を拾い上げる。


空中で、柄と刀身、二つのパーツを受け取る。

ミノタウロスの戦斧が振り下ろされるまで、あと数秒。

時間はない。だが、俺にとっては十分すぎる時間だ。


「【万象修復オーバーホール】――起動!」


俺の両手に、青白い光が炸裂した。

それは単なる修復魔法ではない。物質の時間を巻き戻し、構造を理解し、最適化し、進化させる創造の光だ。

俺の意識が、剣の内部へとダイブする。


(いい鉄だ。ミスリルとオリハルコンの合金。鍛え方も悪くない。だが、魔力伝導率にムラがある。重心もわずかにズレている。金属疲労が蓄積している……)


俺のスキルが、剣の悲鳴を聞き届ける。

直すだけじゃない。もっと強く、もっと鋭く、もっと美しく。

素材のポテンシャルを100%、いや、1000%引き出す。

分子結合を再構築。不純物を排出。魔力回路を拡張し、大気中のマナを自動的に吸い上げて刃に変える術式を刻み込む。


「応えてくれ……お前の主を守りたいなら、本気を出せ!!」


カッッッ!!!!

まばゆい黄金の光が洞窟内を塗りつぶした。

俺の手の中で、折れていた剣が一つに繋がり、さらに変貌を遂げる。

欠けた刃は修復されるどころか、光そのものを刃としたような、透き通る輝きを帯びた『聖剣』へと生まれ変わっていた。


「受け取れェェッ!!」


俺は完成した剣を、少女に向かって全力で投げ返した。

剣は光の尾を引きながら、吸い込まれるように少女の手元へと収まる。


「っ……!?」


剣を握った瞬間、少女の表情が一変した。

重さを感じない。まるで自分の腕が伸びたかのような一体感。

そして、柄から流れ込んでくる莫大な力。

全身の細胞が活性化し、魔力が溢れ出して止まらない。


「これ、は……何なの……?」


困惑する間もなく、ミノタウロスの巨大な戦斧が彼女の頭上数センチまで迫っていた。

だが、今の彼女にとって、その動きはあまりにも遅く見えた。

止まって見える。

死の恐怖は消え去り、代わりに「斬れる」という確信だけがあった。


少女は無意識に、剣を一閃させた。

技名などない。ただの横薙ぎ。

しかし、その一撃から放たれたのは、空間ごと切り裂くような黄金の斬撃波だった。


ズンッ……!!


音が遅れて聞こえた。

ミノタウロス・ロードの巨大な戦斧が、飴細工のように真っ二つに断たれる。

そして、その巨体もまた、腰のあたりから上下にズレて――。


ドサァァァァッ!!


大量の光の粒子と共に、ダンジョンの主が霧散した。

一撃。

Sランク冒険者パーティですら苦戦するボスモンスターが、たった一振りで消滅したのだ。

余波で後方の壁が五十メートルにわたって切り裂かれ、轟音と共に崩落していく。


静寂が訪れた。

舞い上がる砂煙の中、少女は呆然と自分の手にある剣を見つめていた。

かつては銀色だった刀身が、今は神々しい黄金色に輝き、脈打つように光の粒子を撒き散らしている。


「……私の剣が、進化した……?」


彼女は震える声で呟き、ゆっくりと振り返った。

その視線の先には、肩で息をする俺がいる。

全身煤だらけで、装備も貧弱な男。だが、彼女の目には、俺がまるで神の使いか何かのように映っているのかもしれなかった。


彼女は剣を鞘に収めるのも忘れ、ふらふらと俺の方へ歩み寄ってきた。

そして、俺の目の前まで来ると、その場に膝をつき、まるで騎士が主君に謁見するかのように頭を垂れたのである。


「あ、危ないところでした。怪我はありませんか?」


俺が恐る恐る声をかけると、彼女はバッと顔を上げた。その美しい顔は、興奮と感動で紅潮している。


「怪我など、ありえません! あなた様のおかげで、私は命を拾ったどころか、剣士としての新たな境地を見ました!」


彼女の勢いに、俺は思わず一歩後ずさる。

グレインたちからは「のろま」「無能」と言われ続けてきた俺にとって、このような純粋な感謝と尊敬の眼差しを向けられるのは、あまりにも不慣れだった。


「いや、俺はただ、壊れたものを直しただけで……」

「ただ直した、ですって!?」


彼女は立ち上がり、俺の手を両手で強く握りしめた。柔らかく、しかし剣ダコのある温かい手だ。


「謙遜なさらないでください! 私にはわかります。私は幼い頃から数多の名剣に触れてきました。国宝級の魔剣も、伝説の鍛冶師が打った業物も見てきました。ですが……」


彼女は熱っぽい瞳で、黄金に輝く自分の剣を見つめた。


「これほどの『奇跡』を見たのは初めてです。折れた魔剣を一瞬で修復するだけでなく、その潜在能力を極限まで……いいえ、限界を超えて引き出すなんて。これはもう、鍛冶という概念を超えています。神の御業です!」

「か、神の御業って、そんな大げさな」

「大げさではありません! 先ほどの斬撃、自分でも信じられませんでした。魔力の通りが百倍、いや千倍は良くなっています。まるで剣自身が意思を持って、私を導いてくれるような……」


彼女は再び俺に向き直り、真剣な眼差しで言った。


「あなた様は、一体何者なのですか? このようなダンジョンの深層に、たったお一人で。しかも、これほどの腕を持ちながら……」


俺はなんと答えるべきか迷った。

「勇者パーティをクビになった荷物持ちです」なんて言ったら、幻滅されるだろうか。

だが、嘘をつくのも性分ではない。


「俺はアルド。……ついさっきまで勇者パーティにいたんだが、無能だって言われて追放されたんだ。今はただの無職だよ」

「無能!? 追放!?」


彼女は信じられないものを見るような目で目を見開いた。

そして次の瞬間、その美しい顔が怒りに染まった。俺に対してではない。俺を追放した誰かに対しての、烈火のごとき怒りだ。


「なんと……なんと愚かな!! このような至高の力を持つ方を無能呼ばわりするとは、その勇者とやらは目が腐っているのですか!? いえ、脳みそがスライム以下なのでしょう!」


彼女のあまりの剣幕に、俺は目を白黒させる。

「スライム以下」なんて罵倒、貴族令嬢のような見た目の彼女から飛び出すとは思わなかった。


「あ、あの……?」

「申し遅れました。私の名はシルヴィア・ヴァーミリオン。この国の第二王女であり、しがない剣士です」

「……え?」


王女? ヴァーミリオン?

俺の思考が数秒フリーズする。

ヴァーミリオン王家の『剣聖姫』シルヴィア!?

国内最強のSランク冒険者にして、その美貌と強さで国民的英雄と謳われる、あのシルヴィア様か!?


「お、王女様!? し、失礼しました!」


俺は慌てて膝をつこうとしたが、シルヴィアはそれを強い力で止めた。


「おやめください、マエストロ(巨匠)。頭を下げるべきは私の方です。命を救われ、家宝の剣まで、これほどの神剣へと昇華させていただいたのですから」

「マ、マエストロ……?」

「はい。あなた様こそ、私が長年探し求めていた、真の職人マエストロです。どうか、このシルヴィアの剣を……いえ、私自身を、あなた様に預けさせてはいただけないでしょうか?」

「は、はいぃ!?」


予想外すぎる展開に、俺の声が裏返る。

薄暗いダンジョンの底で、国一番の美姫が、熱っぽい瞳で俺を見つめている。

数時間前まで「ゴミ」扱いされて捨てられた俺が、今は「マエストロ」と呼ばれ、Sランク美少女に手を握られている。


この落差は一体何なんだ。

だが、悪い気はしなかった。

俺の技術が、俺のやってきたことが、初めて正当に評価された。その事実が、凍りついていた俺の心をじんわりと溶かしていくのを感じた。


「……預かるって、どういう意味ですか?」

「言葉通りの意味です。あなた様には、相応しい場所が必要です。あのような節穴の勇者たちではなく、あなた様の価値を真に理解し、敬愛する者の傍にいていただきたいのです。……つまり、私と一緒に来てほしい、と」


シルヴィアは少し頬を赤らめながら、上目遣いで俺を見た。

その表情に、俺の心臓が大きく跳ねた。


「……俺でよければ、喜んで」


俺が答えると、シルヴィアは花が咲くような満面の笑みを浮かべた。


「ありがとうございます、アルド様! これから先、私の剣はあなた様のために振るいます! さあ、行きましょう。地上へ戻ったら、最高のおもてなしをさせていただきますわ!」


こうして俺は、最強の剣士シルヴィアと共に、ダンジョンを脱出することになった。

隣を歩く彼女は、嬉しそうに何度も剣を撫で、時折チラチラと俺を見ては微笑んでいる。


その一方で、俺は知る由もなかった。

俺を追放したグレインたちが、今頃どんな悲惨な目に遭っているのかを。

そして、この出会いが、やがて国中を巻き込む大騒動へと発展し、俺を追放した勇者パーティを完膚なきまでに叩き潰す「ざまぁ」の幕開けになることを。

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