第1話 理不尽な宣告
薄暗い洞窟の奥底、湿った空気が肌にまとわりつくような不快感の中で、俺はただひたすらに手を動かしていた。目の前にあるのは、刃こぼれし、刀身がひしゃげた無残な姿の大剣だ。持ち主である戦士のボルグが、先ほどオークジェネラルの硬い皮膚に力任せに叩きつけた結果である。
普通なら、このまま打ち捨てて新しい武器を買うか、街の鍛冶屋に持ち込んで数週間かけて打ち直すしかないレベルの破損だ。だが、今の俺たちにそんな時間はない。ここはSランク指定されている『奈落の古城』ダンジョンの地下四十階層。地上に戻るだけでも三日はかかる深淵だ。
「……よし、イメージしろ。鉄の呼吸を、鋼の脈動を」
俺、アルドは深く息を吐き出し、意識を指先に集中させる。俺のユニークスキル【万象修復】が発動する瞬間だ。手のひらから淡い光が漏れ出し、それがボロボロの鉄塊へと染み込んでいく。
通常の修理スキルであれば、単に形状を元に戻すだけだろう。だが、俺の感覚はもっと深いところに潜っていく。鉄の分子一つひとつに語りかけ、それらが本来持っていた結合よりも強く、より強固に結びつくように再構築を促すのだ。歪みは矯正され、不純物は光となって弾き出され、鈍っていた刃先は分子レベルで研ぎ澄まされていく。
バヂヂ、と小さな火花のようなものが散り、手元の大剣が眩い輝きを放った。数秒前までスクラップ寸前だった鉄屑が、今は鏡のように周囲の岩肌を映し出す、至高の一振りに生まれ変わっていた。
「ふぅ……なんとかなったな。これでまた、ボルグも全力で戦えるはずだ」
額に浮かんだ汗をぬぐい、俺は満足げにその剣を見つめた。手入れをするたびに、武器たちが喜んでいるような気がする。俺の手を通して、彼らはただの道具から、何か別の領域へと足を踏み入れているような感覚。もちろん、俺は鑑定スキルを持っていないから詳しい数値はわからない。けれど、少なくとも店で売っている新品よりは、遥かに使いやすくなっている自信があった。
「おい、いつまで油売ってんだアルド! さっさと荷物まとめて進むぞ!」
怒声が響き、俺は現実に引き戻される。声の主は、このパーティのリーダーであり、『光の勇者』として名高いグレインだ。輝くような金髪に、整った顔立ち。王都の女性たちを虜にする甘いマスクだが、今はその端正な顔を苛立ちに歪めている。
「ごめん、今終わった! すぐに行く!」
俺は慌てて修理したばかりの大剣と、他のメンバーのメンテナンス済み防具を背中の巨大なリュックに括り付けた。総重量は百キロを超えるが、長年の荷物持ち生活で鍛えられた足腰と、不思議と重さを軽減してくれる俺の修理スキルのおかげで、なんとか運ぶことができている。
「チッ、のろまが。お前みたいな無能を連れてると、攻略のペースが落ちるんだよ」
グレインは吐き捨てるように言い放ち、俺の手からひったくるようにして自分の愛剣『聖剣エクスカリバー(自称)』を受け取った。ちなみにそれは本物の聖剣ではなく、彼が露店で買った模造品だ。だが、俺が毎日毎晩、魔力を注いで磨き上げた結果、今ではドラゴンすら一刀両断する業物になっている。
「ほらよボルグ、お前のなまくらも直ったみたいだぞ。どうせまたすぐに壊すんだろうがな」
「おう、サンキュー。ったく、アルドの野郎、直すのが遅ぇんだよ。待ちくたびれて体が冷えちまったぜ」
巨漢の戦士ボルグが、鼻を鳴らしながら大剣を受け取る。彼はその刃が放つ異常なまでの鋭利な輝きに気づくこともなく、無造作に鞘へと放り込んだ。ガチン、という乱暴な音が洞窟内に響き、俺の心臓が少しだけ痛んだ。もっと丁寧に扱ってくれれば長持ちするのに、という言葉は喉の奥に飲み込む。言ったところで、「道具に使われてどうする」と笑われるのがオチだからだ。
「ちょっと男子ぃ、無駄話してないで進みましょ? 湿気で髪が痛んじゃうじゃない」
魔導師のリーネが杖を弄びながら不満げに口を尖らせる。彼女の持っている杖もまた、元は枯れ木同然の安物だったが、俺が宝石の欠片を埋め込み直し、魔力伝導率を極限まで高めるよう『修理』したものだ。おかげで彼女は、詠唱時間をほとんど必要とせずに上級魔法を連発できている。
「悪い悪い。ほら、アルド。ぼさっとしてないで先頭の明かりを確保しろ。それくらいしか役に立たないんだからな」
「……わかった」
俺はランタンを掲げ、パーティの最後尾ではなく、危険な先頭へと歩み出た。本来、非戦闘員である荷物持ち(ポーター)を先頭に立たせるなど狂気の沙汰だ。罠があれば最初に踏むのは俺だし、モンスターの奇襲を受けるのも俺だ。だが、この『勇者パーティ』において、俺の扱いは消耗品と大差なかった。
俺たちは再びダンジョンの闇へと足を踏み入れた。足元は悪く、岩陰からはいつ魔物が飛び出してくるかわからない。神経をすり減らす行軍が続く。
「ギャオオオオオッ!」
突如、通路の奥から雄叫びが轟いた。大気を震わせる咆哮と共に姿を現したのは、全身が鋼鉄のような鱗に覆われたアースドラゴンだ。通常の冒険者であれば、遭遇した瞬間に死を覚悟するSランクモンスターである。
「げっ、ドラゴンかよ。めんどくせぇなぁ」
しかし、グレインの反応は軽かった。恐怖など微塵もなく、むしろ邪魔なハエでも見るような目つきだ。
「ボルグ、あいつの足止めしろ! リーネは目くらましだ! 俺が首を刎ねる!」
「おうよ! オラァッ!」
「えーい、燃えちゃえ!」
ボルグが地面を蹴り、アースドラゴンに肉薄する。ドラゴンの巨大な爪が振り下ろされるが、彼は俺が直した大盾を掲げて真正面から受け止めた。
ズドンッ!! という衝撃音が響くが、盾はヒビひとつ入らず、ボルグ自身も一歩も後退しない。本来なら衝撃だけで内臓破裂してもおかしくない一撃を、俺が盾に付与した【衝撃吸収・極】の効果が完全に無効化しているのだ。
「あっはは! 何だこのトカゲ、力弱ぇんじゃねえか!?」
ボルグが勘違いして高笑いする。違う、お前が強いんじゃない、盾が異常なんだ。
その隙にリーネが杖を振るう。放たれたのは初級魔法の『ファイアボール』だが、杖の増幅効果によってそれは巨大な火球となり、ドラゴンの視界を奪うほどの爆炎を巻き起こした。
「今だッ!」
グレインが疾風のごとく飛び出した。手にした剣が青白い燐光を放つ。俺が昨晩、徹夜で刃の角度をミクロン単位で調整し、風の魔力を馴染ませた剣だ。
彼はドラゴンの硬い鱗など存在しないかのように、その太い首をバターのように切り裂いた。
ズシャァァァッ!
鮮血が噴き出し、ドラゴンの巨体が地響きを立てて崩れ落ちる。一瞬の出来事だった。
「ふん、Sランクモンスターと言ってもこの程度か。やはり俺は天才だな」
グレインは血糊を払うように剣を振ると、勝ち誇ったように髪をかき上げた。
「さすがグレイン! カッコいい~!」
「へへっ、俺の盾捌きも凄かったろ? ドラゴンの攻撃なんて蚊に刺された程度だぜ」
三人はハイタッチを交わし、互いの強さを称え合う。その輪の中に、俺の居場所はない。俺は黙ってドラゴンの死体に近づき、素材の解体を始めようとした。ドラゴンは素材の宝庫だ。鱗も牙も、高く売れる。
「おいアルド、何やってんだ」
「え……素材を回収しようと思って。これなら街で高く……」
「馬鹿かお前は。そんなゴミ拾ってる暇があったら、俺たちのマントを拭けよ。返り血がついただろ」
グレインが冷ややかな目で見下ろしてくる。
「でも、この鱗一枚で、一般市民の生活費一年分には……」
「俺たちには必要ねぇんだよ! 俺たちは勇者パーティだぞ? 小銭稼ぎみたいな真似させるな。貧乏臭い」
彼は俺の手から剥ぎ取りナイフを蹴り飛ばした。カラン、と乾いた音が虚しく響く。
このパーティは、金遣いが異常に荒い。稼いだ報酬はすべて彼らの豪遊――高級宿、酒、異性――に消えていく。装備のメンテナンス費用や消耗品代として俺が請求しても、「俺たちが稼いだ金だ」と言って雀の涙ほどしか渡してくれない。だからこそ、俺はこうして素材を回収し、それを売って彼らの装備を維持するための材料費に充てていたのだ。だが、彼らはそれすらも「卑しい行為」だと嘲笑う。
「……わかった。手入れをするよ」
俺は反論を諦め、彼らの指示に従った。ここで言い争っても、力で敵うはずもない。それに、俺が我慢すれば、彼らは最高の状態で戦える。それが幼馴染であり、かつて同じ村で「世界を救おう」と誓い合ったグレインへの、俺なりの誠意だったからだ。
そう、俺とグレインは同郷の幼馴染だ。
昔の彼はもっと純粋だった。村一番の剣の腕を持ち、誰よりも正義感が強かった。だが、王都で勇者の称号を得て、周りからちやほやされるうちに、彼は変わってしまった。いや、あるいは俺が見ていた彼が幻想だったのかもしれない。
ダンジョン内での野営地に着いたのは、それから数時間後のことだった。
安全地帯と呼ばれる結界に守られた広場で、俺たちは休息を取ることになった。
「あー、疲れた。飯だ飯!」
「今日は高級ワイン開けちゃいましょ! この前の報酬、まだ残ってるし!」
ボルグとリーネが宴会の準備を始める中、俺は一人、黙々と彼らの武器を並べていた。ドラゴンの血脂がついた剣、衝撃でわずかに歪んだ盾、魔力負荷で熱を持った杖。それらを一つひとつ丁寧に点検し、修復していく。
皆が焚き火を囲んで談笑し、干し肉ではなく持ち込んだ高級食材で舌鼓を打っている間、俺の食事は硬い黒パンと水だけだ。「荷物持ちに食わせる上等な飯はない」というのが彼らの理屈だった。腹の虫が鳴くのを抑えながら、俺は【万象修復】を発動し続ける。この剣の重心バランスはもう少し手元に寄せたほうがグレインの癖に合うか。この盾は表面の硬度を上げつつ、内側を柔軟にして衝撃を逃がす構造に変えよう。
作業に没頭していた俺の視界に、不意に豪奢なブーツのつま先が入ってきた。
顔を上げると、ワイングラスを片手に持ったグレインが立っていた。顔は赤く、上機嫌のようだが、その瞳には冷たい光が宿っている。
「精が出るな、アルド」
「……ああ。明日の攻略に備えて、完璧に仕上げておくよ」
俺がそう答えると、グレインは鼻で笑い、ワインを一口含んだ。
「その『完璧』ってのも、いつまで持つかねぇ」
「え?」
「単刀直入に言うぞ、アルド。お前、今日でクビだ」
思考が停止した。
クビ? 俺が?
手が止まり、磨きかけの剣がずしりと重く感じる。
「……冗談だろ、グレイン。こんなダンジョンの深層で」
「冗談でこんなこと言うかよ。俺はずっと考えてたんだ。この最強パーティに、お前みたいな生産職の落ちこぼれ(レベル1)がいることが、どれだけ恥ずかしいか」
グレインの言葉に呼応するように、後ろで飲んでいたボルグとリーネもニヤニヤしながら近づいてきた。
「ま、そういうことだわ。あんた、戦えないし、魔法も使えないし、ただ荷物持ってるだけじゃない」
「俺たちが強すぎるからな。正直、お前の作った予備の武器なんざ使う機会もねぇし、修理なんて街に戻ってからプロのドワーフに頼めばいいんだよ」
ボルグが俺の肩をバンと叩く。その力は強く、痛みが走る。
「待ってくれ。俺がいなくなったら、誰が武器の手入れをするんだ? このダンジョンの魔物は酸や腐食毒を使う奴も多い。俺の【万象修復】がないと、装備が一日も持たないぞ」
俺は必死に食い下がった。これは俺の保身のためだけじゃない。本当に、俺のスキルによる補正がなくなれば、彼らの使っている安物の装備など、この階層のモンスター相手には紙切れ同然なのだ。あのドラゴンの一撃を防げたのも、首を斬れたのも、すべて俺が付与した限界突破バフがあってこそだ。
だが、俺の必死の訴えは、彼らの爆笑を買うだけだった。
「ギャハハハ! 聞いたかよ、こいつ! 自分の修理のおかげだと思ってやがる!」
「うっそー! 私たちの実力を自分の手柄みたいに言うなんて、みっともなーい!」
「哀れだな、アルド。お前は自分の無能さを認めるのが怖いから、そうやって自分を大きく見せようとしてるんだな」
グレインは憐れむような、それでいて底知れぬ侮蔑を含んだ目で俺を見下ろした。
「勘違いするなよ。俺たちが強いのは、俺たちが『選ばれた勇者』だからだ。武器なんてのは、ただの棒切れでも俺が使えば聖剣になる。お前がこねくり回した手垢まみれの修理なんて、気休めにもなりゃしねぇんだよ」
ガシャッ、と音を立てて、グレインは俺が今まで整備していた剣を蹴り飛ばした。俺が指先の皮が擦り切れるほど磨き、魂を込めて調整した剣が、土埃の中を転がっていく。
その瞬間、俺の中で何かがプツリと切れた音がした。
怒りではない。悲しみでもない。
ただ、ひたすらに冷たく、乾いた諦めだった。
幼馴染だから。仲間だから。いつか分かってくれると信じていた。
俺の仕事は地味で目立たないけれど、彼らの命を支えているという自負があった。
だが、それはすべて俺の独りよがりだったのだ。彼らにとって俺は、便利な道具どころか、寄生虫のような存在でしかなかった。
「……そうか。わかったよ」
俺はゆっくりと立ち上がった。埃を払い、彼らの顔を一人ひとり見渡す。
そこには、かつての友の面影など微塵もなかった。あるのは、弱者を踏みにじることに快感を覚える、醜悪な成功者たちの顔だけだ。
「あっさり認めるじゃねぇか。ま、それが賢明だ」
「で、路銀はくれるのか? ここから地上に戻るだけでも一苦労なんだが」
俺が淡々と尋ねると、グレインは呆れたように肩をすくめた。
「はぁ? なんで俺たちがお前に金を払わなきゃなんねぇんだ? むしろ、今まで寄生させてやった分の宿代と飯代、請求したいくらいだぜ」
「そーよそーよ。着の身着のままで放り出さないだけ、感謝しなさいよね」
リーネが冷たく言い放つ。
彼らは本気だ。俺をこの危険なダンジョンの深層に、武器も食料も金も持たせずに置き去りにしようとしている。それは実質的な死刑宣告に等しかった。
「……わかった。もう何も言わない」
俺は自分の荷物――最低限の水と、自分用の護身用ナイフが入った小さなポーチだけを手に取った。彼らのために運んでいた巨大なリュックは、その場に残す。
「おっと、そのリュックは置いていけよ。中には俺たちの予備装備が入ってるんだからな」
「ああ、置いていくさ。もう俺には関係ないものだ」
俺は背を向け、暗闇の広がる通路の方へと歩き出した。
「あ、そうだアルド。一つ教えてやるよ」
背後から、グレインの勝ち誇った声が投げかけられる。
「お前の代わりに、新しいメンバーが入るんだ。王都でも評判の『聖女』様だ。若くて、巨乳で、お前と違って愛想がいい美少女だ。お前のむさ苦しい顔を見なくて済むと思うと、清々するぜ!」
「きゃはは! それ最高! 早く会いたいわね!」
下卑た笑い声が背中に突き刺さる。
俺は振り返らなかった。振り返る価値もないと思ったからだ。
「忠告だけはしておくぞ、グレイン。その装備、大事に使えよ。俺の手を離れたら、ただのガラクタに戻るかもしれないからな」
最後に見せた情けでそう言い残したが、返ってきたのは「負け惜しみ乙!」という嘲笑だけだった。
俺はセーフティエリアの結界を出て、一人、闇の中へと踏み出した。
不思議と、心は軽かった。
今まで背負っていた百キロの荷物よりも、彼らへの期待や執着という見えない重荷の方が、ずっと俺の心を圧迫していたのだと気づいたからだ。
「さて……まずは生きて地上に戻らないとな」
手にした小さなナイフを見つめる。これは俺が暇つぶしに作った、何の変哲もない鉄のナイフだ。だが、俺の【万象修復】によって、その切れ味だけは神話級の短剣に匹敵するほど研ぎ澄まされている。
これがあれば、道中のモンスターくらいはどうにかなるだろう。
俺はもう、誰のためでもなく、自分のためにこの力を振るうのだ。
暗闇の向こうに、微かに光が見えた気がした。それは出口の明かりか、それとも俺の新しい人生の始まりを告げる光か。
俺は迷うことなく、その光へ向かって歩き始めた。
背後で、勇者たちが馬鹿騒ぎを続けている。
彼らはまだ知らない。
俺がその場を去った瞬間、彼らの足元に置いてあった『聖剣』の刀身から、美しい輝きが失われ、急速に赤錆が浮き始めていることを。
積み上げられた防具の革紐が、乾燥してひび割れ始めていることを。
彼らの栄光が、砂上の楼閣のように崩れ去るカウントダウンが、今まさに始まったことを。
それを知るのは、彼らが次にモンスターと対峙し、絶望の淵に叩き落とされる時だ。
だが、その時にはもう、俺はいない。




