ヨーロッパ風の国とアメリカ風の国が戦う話
――しくじった。
ダイダスがそう思う間もなく、オークの次なる刺突が繰り出された。
――生物としての「格」が違う。
一介の学者に過ぎないとはいえ、ダイダスも基本的な武術は心得ている。だが直感が告げた。どれだけ修行を積もうとも、こいつは武術の手に負える相手ではない。
激しい運動と緊張で混乱する脳味噌。「死にたいのか」と、ダイダスはその脳を脅して無理やり冷静になる。逃げることは不可能。今から数秒の間にこの場の全てを利用して術式を構築せねばなるまい。時刻は午後五時、年と季節を一六九に分けたところの一五つ目。昨日の天気は雨。樫と蜜柑、シダ、ヒイラギ、イバラの仲間。蛇の目の岩がぬかるんで、イカルの群れが空に鳴く。ダイダスは呪文を導き出し、唱える。
「緋に露ありて 明けに星無し ……」
しかし詠唱が終わるより先に、穂先がダイダスを切り裂く。動物的な、しかし流れるような攻撃。すんでのところで無詠唱の魔術を展開し、致命傷は免れるも、体は大きく突き飛ばされて、背中から木に激突する。葉が落ちる音。呪文を唱えようとするが、横隔膜に衝撃がいったためか、上手く声が出ない。敵の影は間髪入れずに突っ込んできて、大きく腕を引き絞り――。
「ふん」
そのまま、捩じれて、吹き飛んだ。
「AAAAAAAAAAAGHHHHHHH」
オークの悲鳴。オークを背後から投げ飛ばした何者かは、その首を鮮やかな手つきで断ち切る。ほかならぬ「武術」で、あっさりと。
ダイダスのように見知った山だからと油断することも、魔物のように力と本能に任せて槍を振るうこともない。あくまで理性的で、かつ野蛮な動き。
「クロム」
ダイダスは言った。間違いない。夏に似合わぬローブとフードでよく見えなかったが、人外と武術で渡り合える人間など、そう居ない。ましてこんな人気のない山奥では。
「久しいな、ダイダス」
男が振り返った。尋常ならざる膂力。ツァルダーム王国随一の魔術師にして戦士。炎の槍のクロム。
――――
さほど遠くない開けた土地に、クロムのテントがあった。
焚火跡の周りにはゴブリンの足跡がある。跡に溜まっている水を、一羽の黒い蝶が吸っていた。蝶はゆっくりとクロムの方へ飛んできた。クロムは振り払おうともせず、眺める。
「お前の所の魔女のか?」
聞かれてダイダスは首を振る。魔女が自らの「目」として蝶を使う場合、気配が漏れるか、さもなければもっと分かりやすい姿になる。そういう縛りがあるのだ。
「監視は付いてないよ。少なくとも私は聞いてない」
「お前の上司の悪口で盛り上がってもいいわけだ」
「腹を割って話すには、こちらは一人の方がいいと思ってね」
ダイダス達は少しの間、世間話で盛り上がった。
「ギルドの奴等がまた会いたいと言ってたぞ」
「帝国ご公認の『冒険者ギルド』か……。ガキ共のお守をやらされるんでなきゃ、またそっちへ行ってもいいんだがな」
「お前は子供に好かれるからな。いつだったか、酒屋の娘が……」
「はは、よせよせ。からかってやるなよ」
少し話しただけで、先ほどの緊張がダイダスから引いていく。オークに襲われたことなど、まるで何日も前のことのように感じられた。クロムと話すときはいつもそうだった。
夕食に珍しいパンを分け、錬金釜で作った煮物と共に食べる。バリバリとした食感が楽しい。ダイダスがビグダ帝国の城でいつも食べているのは芋で作ったモチモチとしたパンか、さもなくばトウモロコシから作る柔らかい生地のもので、ツァルダームの小麦から作った硬いパンを食べるのは久しぶりだった。
そんな時である。
「美味しそうですね、その煮物」
不意に茂みから声がして、一人の少女が出てきた。細身で、どこか掴みどころのない声。
「セイラ」
「ダイダスさん、探しましたよ。伝言はもう伝えました?」
「いや、これからだ。クロム、こいつは……」
「クロムさん、ですね。初めまして。セイラと言います。あなたのお話はかねがね伺っております」
ダイダスが説明するより先に、セイラはクロムの方へ歩み寄る。
「ダイダス、お前の部下か?」
「ああ」
「駄目じゃないですかダイダスさん。ちゃんと『賄賂をあげるから手加減して戦って欲しい』って言わないと」
ダイダスはこの部下が何となく苦手だった。押し黙るダイダスをよそに、クロムはまだ明るい調子で
「まあいい。お前も食べるか?」
「遠慮しておきます。僕達敵なので」
セイラのもとに先ほどの蝶が飛んできた。セイラが素早く手刀を振ると、蝶は胴で切り裂かれ、宙を舞って落ちた。その手で、少女はクロムに握手を求める。
「夏に黒なんて、暑苦しくて風流じゃない。……クロムさん、ここは武人同士、戦って親交を深めませんか?」
「セイラ、やめろ」
ダイダスが注意するが、セイラはそれを無視する。
「申し訳ないが。こっちもペースってもんがある。お前のような奴とはそうそう戦えないよ」クロムは笑って目を逸らした。
「本当にそう思ってます?」
セイラはようやく手を引っ込めると、もと来た道の方へ歩いていった。
「まあ、いいです。またそのうち会えると思うので。……ダイダスさん。さっき私たちが分かれた川で待ってます。オークに襲われたくなかったら、もう単独行動はやめて下さいね」
そう言うと、先ほど通ってきた葦の群れをまた分けて、戻っていってしまった。
「すまんクロム。あいつ空気が読めないんだ。魔物の死体を見て、お前に闘争心でも湧いたんだろう」
すっかり冷めてしまったシチューをパンで掬ってまた食べながら、ダイダスは言った。
「……で? 帝から何を仰せつかって来たんだ、ダイダス」
「ああ。実は……」
――――
ツァルダーム王国がかつてない呪いと疫病に苛まれた年、ビグダの帝はこの国に戦争を挑んだ。馬鹿馬鹿しい言い掛かりがかけられ、そのために双方何千人もの兵士が動員されたが、ツァルダームの兵士たちは先の天災によってほとんど機能していなかった。「炎の槍のクロム」は文字通りの意味で千人力の英雄であり、ツァルダームに残された数少ない切り札なのである。
クロムは勝つためならどんな手でも使った。世間に出回っている一般的な射撃呪文でさえもが、クロムのユニークスキルによって強化された。かすっただけで即死する毒の光弾は今までに何百人ものビグダ兵を葬ってきていた。それを制止するため、帝はクロムと旧知の間柄であるダイダスを遣いに出したのだった。
「要するに俺にユニークスキルを使うのをやめろと、そう言いたいわけか」
「ああ」
「ツァルダームを裏切って手加減しろと」
「そうだ。手加減してくれるだけでいい。その後こちらが負けようが君に責任はないし、こちらも君の家族を襲うようなことはしない」
陽が傾き始めていた。夜になるとクロムの能力は大幅に強化される。今日のうちにこの契約を結んでおきたかった。報酬を提示されるとクロムは少しの間思案していたが、やがて口を開いた。
「金は半分でいい。代わりにこの紙に書いてある倍の牛をくれ。その方が俺の家族は喜ぶ」
「分かった。それで手を打とう」
ダイダスは頷くと、契約書を書き換えた。そしてクロムと共に各々指に傷をつけると、血で判を押した。二人は慣れた手つきで魔法円を描いていき、数十秒と経たないうちに魔法契約の陣ができあがった。
「聖河流闇 火砂覆月 蜜にかけて誓わん 契り契ること 乳にかけて誓わん 真言を誠とすること」
手続きが終わるとダイダスは胸をなで下ろした。友情を利用して敵に根回しをするこの計画に思うところはあったのだが、任務の遂行を喜ぶ気持ちもまた、あった。
「もう行くのか、ダイダス」
「ああ。少し仕事があってね。また何かあったら連絡するよ」
「そうか。またな」
「ああ、また」
ダイダスは呪文を唱えた。
「明けに星無く 緋に露あり この身は土くれ 虚ろなれ あるべきところへ 魂戻れ」
ダイダスの身体が緑の炎に包まれる。「身体」としての役割を終えた擬体が正しい方法で処理されると、魂もまた正しい道を辿って、ダイダスの本体へと戻っていった。自らの分身に魂を移す魔法。それが今解除され、安全な帰り道を彼は辿ったのである。
――――
河原の結界の中で目覚めたダイダスは、トランス状態から戻った眩暈で軽く吐きそうになりながら、術が正常に働いていることを確認する。河原で従者が釣りをしていたので、セイラが来ていないかと訊ねた。
「セイラさんなら先ほど来られましたよ。ただ忘れ物をしたとかで、すぐ戻って行かれましたが」
その言葉を聞いて、ダイダスは何か悪い予感がした。
――――
背後から飛んできた射撃魔法を、クロムは軽くかわす。クロムもよく使うタイプの光弾だった。クロムは自力で術式を構築できはするが、結局周囲と同じものに落ち着くことが多かった。
「魔法で跳ね返してもいいんですよ」
多数の弾丸が声の方向から飛んでくる。クロムはそれらを最小限のステップでかわす。
「つまんないなー」
闇の向こうから聞き覚えのある声が響く。クロムは終始、声とは逆の方向を向いていた。そして実際、クロムの視線の先に一人の少女が姿を現す。
「全部お見通しって訳ですか」
夕闇でよく見えないが、そう言うセイラの声はどこか嬉しそうだった。
「これがお前のユニークスキルか。凄ぇな」
「驚くのはこれからですよ」
少女が剣を構える。クロムも溜息をつくと、腰に提げていた片手剣を抜いた。瞬間、クロムにぞわりとした感覚がよぎった。気配の赴くままに身体をよじれば、魚のように宙を泳いできた二つの弾丸がその横をかすめる。それはそのまま空を切って、一方がセイラの肉体を貫通した。……が、セイラは瞬きすることもない。
「背中の槍、使わないんですね」
(こちらの位置を参照して弾丸を生成し、発射する能力……にしてはアイツの反応が薄い。俺にしか見えないし当たらない弾丸なのかもな。まだタネはありそうだが……)
夜目の呪文を唱えつつ、クロムは敵の方へ駆けた。四方八方から迫りくる弾丸。ユニークスキルの仕様は考察しても仕方がないと捨て、弾丸自体の魔術的弾道プログラムを解析し、一つ一つ着実に対応していく。命中したとき何が起こるかは分からないが、ともかく弾速は目で追えるレベルだ。
「フフフ……ははははははははは!」
クロムと切り結びながら、セイラは狂気的な金切り声を上げた。クロムはピクリともせずに相手の癖を見る。
洗練された形だった。そして細身に似合わぬ腕力。刃はセラミック――黒曜石を魔法で強化したものらしい。彼女の肉体もまた同じものだとするならば、その意識の何割かは魔法による肉体強化に割かれている筈である。ユニークスキルを発動しながらとなると、それくらいの代償は必要だ。
背後からの攻撃と目の前の剣技にクロムの意識が向く。その隙を逃さず、セイラの肉体の影から不意打ちの弾丸。勝負は決まったかに見え、
「足りないな」
しかしクロムはこれを読んでいた。意識でなく計算で動かされた肉体は奇襲を回避し、その流れのままセイラの首を落とす。
「勝った」
セイラは言った。消滅するセイラの擬体。その奥から現れる本物の少女の剣が、クロムの喉へ向かう。
「魂を分けて各『身体』に分配してました。僕はその後ろに隠れてたんです。……本体の気配を気付かれても、目の前の『身体』のものだと思ってくれますからね!」
だが、剣の狙いは外れた。クロムがとっさに、剣を持つ手と反対の手を背中の槍にかけたのである。瞬間、少女の視界からクロムの身体が消えた。否、少女の身体が宙を舞ったのである。
「俺には無理な戦略だ。隠れるのも、並外れた身のこなしが必要な筈だしな──。俺の負けでいい」
気絶する瞬間、セイラはそんな言葉を聞いたような気がした。
――――
「セイラ! 大丈夫か!?」
「ダイダスさん」
ゆっくりと目を開けると、泥だらけになった上司の姿が見えた。川の音。水辺に棲む鳥の声。黒い蝶。よく見えなかったが、模様から、河原に棲む種だろうと予想する。
「ダイダスさん、ひっかき傷がありますよ……ゴブリンのでしょ、これ。ちゃんと処置しないと病気の素が……」
ダイダスはそんな声には耳も貸さず、ひしと少女を抱きしめる。
「……釈迦に説法でしたか」
体中が痛いが、なんとか動かせそうである。ダイダスに押しつぶされながら、空を見た。
――怒るかなと思ってやったけど、今思えばひどいことしたなぁ。
自分が殺した蝶を思い、少女は指で祈りの印を結ぶ。せめて魂が安らかであるように。




