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第6話:進化の螺旋――森の奥、拓かれる道

朝焼け。 森の空は、まだ、薄闇の残滓を宿している。 木々の間を縫うように差し込む、淡い光。それは、世界の目覚め。 修は、焚き火の傍らで、ゆっくりと目を覚ました。 身体。筋肉の軋み。疲労の塊。まるで、全身が石のように固まっているかのよう。 しかし、心は満たされていた。それは、熱い、確かな充実感。 昨夜の出来事。 森林狼。 あの凶暴な獣との死闘。 そして、勝利。 彼の掌は、もう震えていない。 その中に、確かに宿る、無限のインベントリ。 それは、彼の生命線。彼の盾。彼の剣。 「俺は……生き残った」 その確信。 肉。焦げた匂い。香ばしい煙。 昨日、苦労して解体した狼の肉を、彼は串に刺し、焚き火で焼いていた。 原始の調理法。しかし、その匂いは、彼の食欲を刺激する。 口に含む。 味。野生の味。肉の繊維。 それは、彼が自力で勝ち取った、命の糧。 いじめられていた頃。 誰かに与えられるものを、ただ受け取るだけだった。 食事も、金も。全てが、他者の意志によって与えられたもの。 しかし、今は違う。 この肉は、彼自身が狩り、彼自身が調理したもの。 彼の力で勝ち取った、確かな命の重み。 その一口が、彼の身体に、新たな活力を与える。 そして、心に、揺るぎない自信を植え付ける。


毛皮。 森林狼の毛皮。厚く、丈夫。 修は、それを広げ、日の当たる場所で乾かしていた。 夜の寒さ。それは、命を奪う冷気。 しかし、この毛皮があれば、防寒具になる。 「これで……」 彼は、簡易的な防寒着をイメージする。 我流の裁縫技術。そんなものは持っていない。 しかし、ゲームのクラフト。 布と糸。それらを組み合わせれば、服になる。 この世界では、糸も針もない。 だが、彼には、石器がある。 粗雑だが、刃の役割を果たす。 そして、森には、蔦や蔓。それは、彼の「糸」。 修は、毛皮を石器で裁断し、蔦で縫い合わせていく。 ぎこちない手つき。しかし、集中力は研ぎ澄まされている。 それは、まるで、ゲームで初めてアイテムをクラフトする時のように、試行錯誤の連続。 何度も失敗する。糸が切れる。毛皮が破れる。 しかし、諦めない。 「俺は、もう逃げない」 その誓い。 やがて、彼は、なんとか身体を覆えるほどの、粗雑な毛皮のポンチョを作り上げた。 暖かさ。それは、身体を包む安堵感。 それは、彼の「0から1を生み出す」力の、新たな具現化。


森の奥へ。 さらに深く。 修は、昨日の拠点を発ち、新たな目的地を目指した。 それは、地図なき旅。羅針盤なき航海。 しかし、彼の心には、確かな目的意識。 地球へ帰る。そのための情報。 そして、この世界で生き抜くための、さらなる力。 「この森を抜ければ、何があるんだ?」 彼の脳裏に、第1話の地図の記憶が蘇る。 エレアリス王国の東に広がる森。 その先に、別の町があるかもしれない。 あるいは、危険な魔物の巣窟。 しかし、立ち止まる選択肢はない。


森の情景。 木々の密度が増していく。 太陽の光は、さらに届かなくなり、森は常に薄暗い。 足元には、朽ちた倒木。苔むした岩。 湿気。それは、空気の重み。 聞こえるのは、鳥のさえずり。虫の羽音。 そして、時折、遠くから聞こえる、獣の咆哮。 それは、彼を警戒させる、森の鼓動。


彼は、歩きながら、インベントリの応用を続ける。 手のひらから、石ころを、様々な速度で取り出す。 パチン!と弾けるように。高速射出。 フワリ、と舞い落ちるように。それは、重力すら操るかのよう。 その全ての速度が、彼の意のまま。 まるで、時間軸を操るかのような、超常の力。 向き。 前へ。後ろへ。左右へ。上下へ。 彼の掌から、石ころは、まるで精密機械のように、正確な軌道を描いて飛んでいく。 それは、彼の意思の具現化。 コントロール。 いじめられていた頃の彼は、自分の身体すらコントロールできなかった。 声は震え、足は縺れ、思考は停止した。 しかし、今は違う。 彼の意志は、この能力を通して、物質を操る。


修は、新たな「道具」の可能性を探っていた。 石器。昨日作った、粗雑なナイフ。 しかし、それは、すぐに刃こぼれする。 もっと良い素材。 森の中で見つけた、硬い木。それは、鉄のような強度。 しかし、それを加工する術がない。 そこで、彼は閃いた。 インベントリの応用。 「石を、高速でぶつける……?」 硬い石を、インベントリから高速で取り出し、別の石に叩きつける。 ガン!ガン! 衝撃音。それは、衝突の爆音。 小さな破片が飛び散る。 何度も繰り返す。 それは、まるで、原始の鍛冶。 彼は、その衝撃で、硬い木を削り始めた。 少しずつ、少しずつ。 時間のかかる作業。 しかし、彼は、諦めない。 ゲームで、レアアイテムのために、何時間も同じ作業を繰り返した。 任侠映画で、復讐のために、何年も力を蓄えた。 その執念が、彼を突き動かす。 やがて、彼は、硬い木の棒の先端を鋭く尖らせることに成功した。 槍。 それは、彼にとっての、初の「本格的な」武器。 全長。彼の身長と同じくらい。 先端。鋭く、滑らか。 柄。握りやすいように、蔦を巻きつける。 その槍を手に取る。 重さ。しかし、確かな重み。 彼は、その槍を振り回してみる。 風を切る音。それは、威力の証。 「これで……!」 彼の心に、新たな自信が芽生える。


森の奥。 奇妙な場所。 木々が、不自然なほどに枯れている。 地面は、ひび割れ、乾いている。 空気。重い。 そして、異様な匂い。腐敗と、硫黄のような匂い。 それは、死の気配。 修は、警戒心を強めた。 インベントリから、石器のナイフを取り出し、毛皮のポンチョの襟元をしっかりと握りしめる。 五感を研ぎ澄ませる。 視線。周囲の全てを捉える。 耳。微かな音すら聞き逃さない。 足音。慎重に。地面を踏みしめる音すら立てないように。 この場所は、危険だ。 彼の直感が、そう告げていた。 任侠映画で見た、危険なアジトに潜入する主人公の姿。 ゲームで、罠だらけのダンジョンを攻略する時の集中力。 全てが、今の彼に活かされている。


地面に、奇妙な足跡。 それは、獣の足跡ではない。 もっと、重く、引きずるような。 そして、その先には、巨大な穴。 まるで、何かが地面にめり込んだかのような、不自然な窪み。 それは、自然の産物ではない。 修は、穴の縁に近づいた。 中を覗き込む。 暗い。底が見えない。 そして、そこから立ち上る、さらに濃い腐敗臭。 異質なもの。 「なんだ……これ」 彼の心に、一抹の恐怖。 その時。 穴の奥から、音がした。 ヌルリ。 まるで、粘液が地面を這うような音。 修の全身。硬直。 それは、直感的な危険信号。 後退する。しかし、もう遅い。 穴の縁から、何かが這い上がってくる。 巨大な塊。 ドロリ、と蠢く。 それは、スライム。 しかし、修の知る、緑色でプルプルした、可愛らしいスライムではない。 黒い。ドス黒い。 そして、その表面には、無数の気泡が弾け、悪臭を放つ液体が滴り落ちている。 大きさ。彼の背丈の倍はあろうかという巨体。 「グジュルルル……」 奇妙な音。まるで、内臓が煮え滾るような音。 黒い粘液の塊が、修に向かって、ゆっくりと、しかし確実に迫ってくる。 「まさか……」 修の脳裏に、ゲームの知識が蘇る。 スライム。物理攻撃が効きにくい。 魔法属性。酸。毒。 この黒いスライムは、毒属性。 触れたら、きっと、ただでは済まない。 逃げる。 それが、彼の脳裏に浮かんだ、唯一の選択肢。 しかし、その足は、鉛のように重い。


スライムの動き。 ゆっくりと、しかし、確実に距離を詰めてくる。 修は、槍を構えた。 木の槍。しかし、相手は粘液。 突き刺しても、すぐに飲み込まれるだろう。 「どうする……?」 彼の脳内。高速でシミュレーション。 石ころ連射。物理攻撃。効かない。 土の目くらまし。効くか?いや、目がどこにあるか分からない。 任侠映画。 相手は、人間ではない。 アニメ。 スライム。弱点。 火。 だが、火を起こす時間は、ない。 水。 スライムは、水に弱い種類もいる。 しかし、このスライムは、湿った場所から現れた。水は効かないだろう。 「物理攻撃が効かないなら……」 ゲームの攻略法。属性攻撃。 だが、修には魔法はない。 「何か、別の……」 彼の視線は、周囲を駆け巡る。 枯れた木々。乾いた土。 そして、スライムが這い上がってきた穴。 その穴の奥から、微かに、硫黄の匂い。


「硫黄……!」 修の脳裏に、ひらめきが走る。 理科の知識。硫黄。可燃性。 そして、任侠映画で見た、化学物質を武器にする場面。 このスライムは、硫黄の匂い。 もしかして、その体内に、硫黄の成分を含んでいる? あるいは、その発生源が、硫黄に関係している? 「火を……ぶつける?」 しかし、火は出せない。 では、どうする? インベントリ。 彼が持っているもの。 石。土。木。水。 そして、昨日、小川で拾った、あの白い石。 石英。 電気。圧電効果。 雷。 しかし、そんな魔法のような真似はできない。


スライムが、さらに近づく。 粘液の塊。 触手が、地面を這うように伸びてくる。 修は、後退する。 「何か……何かあるはずだ!」 脳内を駆け巡る、無数の知識。 ゲームのアイテム。素材。組み合わせ。 アニメの必殺技。原理。 任侠映画の裏技。隙を突く。 彼の視線が、再び、石英に集中する。 石英。水晶。 光。 そして、熱。 摩擦熱。 彼は、インベントリから、石英を二つ取り出した。 それを、両手で強く擦り合わせる。 キュッ、キュッ、キュッ…… 摩擦音。 指先が熱くなる。 煙。 微かな煙。


スライムの触手が、修の足元に伸びてきた。 その瞬間。 修は、インベントリから、大量の乾いた小枝を、スライムの体めがけて高速で放った。 パパパパパッ! 小枝が、スライムの体表に突き刺さる。 しかし、スライムは動じない。 粘液が、小枝を飲み込むように包み込む。 その隙に、修は、手に持った石英を、全力で擦り合わせた。 キュキュキュキュキュ……! 煙が、濃くなる。 熱が、指先から掌全体へと広がる。


「これだ……!」 修は、擦り合わせた石英を、スライムの体めがけて、全力で放り投げた。 狙いは、スライムの最も膨らんでいる部分。 ヒューン! 石英が、高速で飛んでいく。 そして、スライムの体表に、激突。 バチッ! 小さな火花が散る。それは、肉眼で辛うじて見えるほどの、微かな光。 しかし、その火花が、スライムの体に突き刺さった、乾いた小枝に引火した。 メラメラ…… 小さな炎。 スライムは、動揺したように身を震わせる。 「グジュルルルルルルルルルルル!」 奇妙な悲鳴。 そして、炎は、粘液に包まれた小枝から、スライムの体全体へと燃え広がっていく。 硫黄。 その成分が、スライムの体内に含まれていたのだ。 炎が、スライムの体を焦がす。 黒い粘液が、グツグツと音を立てながら、蒸発していく。 悪臭。さらに強くなる。 スライムは、もがき苦しむ。 炎に包まれ、その巨体が、ゆっくりと、しかし確実に、縮んでいく。 最後は、小さな、黒い塊となって、地面に崩れ落ちた。 完全に燃え尽き、何も残らない。


修は、その場に崩れ落ちた。 全身の震え。それは、安堵。 「やった……」 声にならない呟き。 硫黄。石英。摩擦熱。 全ての知識が、この場で、彼の命を救った。 「0から1を生み出す」 その言葉。 それは、彼の能力の本質。 誰にも頼らない。誰にも見向きもされない。 しかし、彼は、自分の頭と、自分の能力で、最強の敵を打ち破った。


森の奥。 修は、再び歩き始めた。 彼の足取りは、もう迷いを含んでいない。 彼の心には、確かな自信。 しかし、同時に、この世界の厳しさ。 スライム。 それは、始まりに過ぎない。 この先、どんな魔物が現れるか分からない。 どんな困難が待ち受けているか分からない。 だが、彼は、もう怯えない。 彼は、立ち向かう。 そして、その全てを、地球へ帰るための糧とする。


彼は、歩きながら、周囲の環境をさらに深く観察した。 植物。動物。鉱物。 全てが、インベントリの素材。 全てが、彼の武器。 彼は、さらに奥へと進む。 森の深淵。 それは、彼の新たな舞台。 そして、彼の物語は、始まったばかりだ。 進化の螺旋。それは、彼の人生そのもの。 彼は、この異世界で、どこまで強くなれるのか。 そして、いつか、故郷の地球へ帰ることができるのか。 夜空を見上げる。 満天の星。 「必ず……」 彼の決意が、静かに夜空に響き渡る。


(第6話終わり)

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