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第5話:教師の慟哭――神殿の光と影

神殿の広間。 冷たい石の床。硬質な感触。それは、彼の心を凍らせる、異世界の現実。 私、藤原聡美は、その場に立ち尽くしていた。 全身を襲う倦怠感。それは、異世界への召喚という、途方もない現実に脳が追いつかない証。意識の霧。まるで、頭の中に厚い雲が垂れ込めているかのよう。 しかし、それよりも、私の心を深く深く蝕むのは、数分前の光景。 佐久間 修。 私の教え子。彼の、うつむいた背中。それは、あまりにも小さく、頼りない背中。まるで、嵐に揺れる、細い木の葉。 「追放せよ!」 国王の言葉。それは、鋭い氷の刃。彼の心を貫く。私の心を抉る。 兵士たちに連行される、彼の姿。無慈悲な牽引。まるで、罪人を引きずるかのように。 そして、それを見送る、クラスメイトたちの冷たい視線。それは、心の暴力。無数の針。 嘲笑。安堵。無関心。 様々な感情が入り混じる、残酷な瞳。それは、見慣れた顔に宿る、醜い光。私の生徒たちの、見たくなかった一面。 まるで、それは、私たちがいた「あの教室」の再現。あの時と同じ、吐き気のする光景。 いじめ。 私には、止められなかった。 教師という立場。その無力さ。**社会人になってわずか二年。**まだ、理想と現実の狭間で揺れ動く、23歳の私には、あまりにも重すぎる責任。それは、肩にのしかかる、千斤の重さ。 胸の奥から湧き上がる、激しい後悔の波。それは、溺れるほどの感情。まるで、津波に飲み込まれるかのよう。 「どうして……」 声にならない呻き。喉の奥で詰まる。唇の震え。止まらない。制御不能。


召喚の光。 あの瞬間、教壇に立っていた私の目の前で、教室は真っ白な光に包まれた。それは、突然の別れ。日常との断絶。 次の瞬間、見慣れない神殿の広間。古めかしい空気。それは、歴史の重み。 そして、クラスの生徒たち。全員。彼らの戸惑い。彼らの顔。 皆、混乱と、しかしどこか高揚した表情。それは、非日常への期待。まるで、遊園地に来た子供のように。 そして、私自身。 神官の鑑定。 私の番が来た時、神官の宝珠から放たれた光は、他の生徒たちとは異なる、微かな、しかし確かな輝きだった。 そして、神官の口から告げられた言葉。 「藤原聡美殿!貴殿に与えられしは――【無限のオンラインストア(インフィニット・ストア)】!」 その言葉に、神官たちは困惑の表情を浮かべた。 「オンラインストア?これは一体……?」 彼らの理解を超えた概念。 私の脳裏に、突如として、見慣れたインターフェースが浮かび上がった。 スマートフォンの画面。オンラインショッピングサイト。 商品カテゴリ。検索窓。カート。購入ボタン。 それは、あまりにも現実離れした、しかし私にとってあまりにも馴染み深い光景。 しかし、同時に、その画面の下には、「残高:0G」という表示。 この世界の通貨が必要。 国王の顔。戸惑い。 「オンラインストア?それは、商人のような能力か?我が国に、そのような勇者は必要ない!」 他の生徒たちの華々しい能力とは異なり、私の能力もまた、国王にとっては理解しがたい、そして軽んじられるものだった。 しかし、神官の一人が、眉間に皺を寄せながら進言した。 「陛下、しかしこの能力、使い方によっては、この国に未知の物資をもたらす可能性もございます。しばらくは、様子を見るべきかと」 その進言により、私は追放を免れた。 無能と断じられた修とは、異なる扱い。 それは、私自身の能力が、彼らから見て「理解不能な異物」であると同時に、「もしかしたら役に立つかもしれない異物」という認識だったからだろう。 助かった。その安堵感。 しかし、その安堵の裏には、修を救えなかった深い後悔が、影のようにまとわりついていた。


神殿の謁見の間。 国王は、満足げな表情で、召喚された生徒たちを見つめていた。それは、獲物を吟味する目。彼らを使いこなす絶対者。 「剣聖の加護を持つ佐藤健殿!魔導の賢者たる田中優殿!治癒の聖女、鈴木美咲殿!そして、剛腕の勇者、吉田直人殿!」 一人一人の名前が、国王の口から、賛辞と共に発せられる。それは、彼らを英雄と祀り上げる言葉。 生徒たち。 彼らの顔には、誇り。それは、虚飾の輝き。彼らの瞳は、欲望に輝く。 彼らは、すでにこの世界の「勇者」としての自覚を持ち始めていた。 その高揚感は、まるで夢。しかし、その夢は、修という犠牲の上に成り立っていた。その事実に、誰も気づかない。 吉田の胸には、金色の勲章。まばゆい輝き。それは、彼の権力の象徴。 「これで、俺も最強ってわけだ!」 彼は、得意げに笑う。その笑みは、まるで、いじめを成功させた時の、あの嫌な笑み。私の心を逆撫でする。 私には、それが、異世界での権力に酔いしれる、幼い少年の姿にしか見えなかった。 彼らは、チート能力を手に入れた。 しかし、それは、彼らの人間性まで変えてしまったのか。彼らの心を蝕む毒。 かつての生徒。 あの時の純粋な輝きは、どこへ行ったのだろうか。それは、もう二度と戻らない輝き。


「藤原聡美殿、【無限のオンラインストア】の能力、誠に感謝する。貴殿には、暫くの間、この城に滞在してもらう。その能力が、この国に何をもたらすか、我が身で確かめさせてもらう」 国王の声。それは、私への命令。 私は、頷いた。 それが、私の役割。私の価値。 **23歳の私が、この異世界で、唯一できること。**それは、生き残るための道。 しかし、私の心は、この城の豪華さよりも、森の奥へと消えていった修の安否を案じていた。それは、消えない懸念。私の心を支配する影。 与えられた部屋へと案内された。 豪華な装飾。柔らかなベッド。温かい食事。 全てが、修が放り出されたであろう過酷な環境とは真逆。天と地の差。 そのギャップが、私の心を締め付ける。それは、罪悪感の重み。 罪悪感。 教師として、私は、彼の生徒を守るべきだった。 しかし、私は、ただ見ていることしかできなかった。 無力。 この言葉が、私の頭の中で、こだまのように響き渡る。私の存在を否定する声。


夜。 与えられた部屋の窓から、外を眺める。 遠くに見える、森のシルエット。それは、不穏な影。彼のいる場所。 闇に溶け込む、木々の影。その中に、修はいるのだろうか。 たった一人で。 パン一つ。水筒一つ。 あの非力な身体で。 いじめられていた頃の彼は、体育の授業でさえ、すぐに息が上がっていた。 喧嘩など、一度もしたことがない。 そんな彼が、魔物が跋扈する異世界の森で、どうやって生き延びるというのか。 不安。それは、私を苛む、猛毒。私の心を蝕む。 心臓の鼓動。ドクン、ドクン。異常な速さ。それは、不安の叫び。 まるで、この鼓動が、修の生存を願う、私の悲鳴のよう。


私は、与えられた食事に手をつけなかった。 喉を通らない。胃が締め付けられるような感覚。 代わりに、私は、ベッドに座り込み、目を閉じた。 そして、意識を集中する。 脳裏に、再びあのインターフェースが現れる。 【無限のオンラインストア(インフィニット・ストア)】 検索窓。 「水」と入力してみる。 瞬間、無数の商品画像が並ぶ。 ミネラルウォーター。ペットボトル。ウォーターサーバー。 価格。表示されるのは、この世界の通貨。 「500mlペットボトル、銅貨10枚」 銅貨10枚。城から支給された僅かな金貨。それを換金すれば、買えるかもしれない。 「試しに……」 私は、さらに検索する。 「食料」 米。パン。レトルト食品。缶詰。 全てが、地球の日本で売られていたもの。 「カップラーメン、銀貨1枚」 高価い。この世界で銀貨一枚がどれほどの価値を持つのか、まだ分からない。 しかし、地球の食料が、この世界で手に入る。 それは、この能力の、驚くべき真実。 「すごい……」 私は、さらに検索してみた。 「懐中電灯」 「ナイフ」 「毛布」 「医薬品」 「スマートフォン」 あらゆる商品が、瞬時に表示される。 しかし、「購入」ボタンを押すことはできない。 残高。0G。 この世界で、お金を稼がなければならない。 この能力は、万能ではない。 金貨。私に支給された、数枚の金貨。 それを使い切ってしまえば、もう何も買えない。 この能力の真価を発揮するためには、この世界の経済システムを理解し、金銭を稼ぐ必要がある。 それが、私のこの異世界での「サバイバル」の始まり。


一晩中、私は目を閉じたまま、オンラインストアのインターフェースを操作し続けた。 様々な商品を検索し、価格を調べる。 それは、まるで、地球にいた頃の私の日常。 しかし、今は、命がかかっている。 この能力が、本当に使えるのか。 使えたとして、修を助けることができるのか。 不安と、わずかな希望。 その狭間で、私の心は揺れ動く。


朝。 窓の外。 清々しい空気。新たな一日の始まり。 しかし、私の心は、重い鉛。解放されない重圧。 他の生徒たち。 彼らは、朝食の席で、笑顔で談笑していた。それは、無邪気な声。 「おい、佐藤!お前の剣、試し斬り、すごかったな!」 「田中も、あんなにでかい火球出すなんてさ!」 彼らは、自分たちのチート能力に酔いしれている。まるで、子供がおもちゃを与えられたかのように。 異世界での生活を、ゲームのように楽しんでいる。彼らの楽園。 修のことは、誰も話題にしない。 まるで、最初からいなかったかのように。彼の存在は、彼らの記憶から消え去った。 私は、彼らの成長を願っていた教師だ。 しかし、彼らの今の姿は、私を失望させた。 力を持つことの危険性。それに気づかない、幼い心。 彼らは、この世界で、本当に「勇者」になれるのだろうか。それは、私にとっての、大きな疑問符。 私が、彼らを導かなければならない。 教師として。まだ23歳の未熟な私でも。


私は、城に支給された金貨を握りしめた。 この金貨で、何ができる? この能力を、どう使えばいい? 「まずは……」 私は、行動することを決意した。 この能力を、徹底的に使いこなす。 そして、この世界の情報を集める。 国王に言われた通り、この能力が何をもたらすかを「示す」。 それは、修を救うための、遠回りの道かもしれない。 しかし、今の私にできる、唯一の道。


日中。 私は、城の中庭を散歩した。 生徒たちが、兵士たちに訓練を受けている姿。彼らの成長。 佐藤健は、剣の訓練に熱中している。彼の剣は、すでに一流の騎士に匹敵するほどの切れ味。 田中優は、魔法の訓練。彼の放つ火球は、岩を砕くほどの威力。 吉田直人。 彼は、騎士団長直々に、その剛腕の力を訓練されていた。 素手で岩を砕く。その破壊力。 その姿。 いじめをしていた頃の、暴力的な輝き。それは、彼の本質。 彼らは、日に日に力をつけていく。 しかし、その成長は、私を不安にさせる。それは、危ういバランス。 彼らが、その力を、本当に正しく使えるのか。 彼らが、この世界の理不尽に、きちんと向き合えるのか。 彼らの心は、まだ、高校生のまま。危うい子供たち。


夕方。 私は、再び自分の部屋に戻った。 窓の外は、すでに闇に包まれている。夜の帳。 遠くから、生徒たちの楽しそうな笑い声が聞こえてくる。 彼らは、この異世界での生活を、謳歌している。彼らの楽園。 しかし、私は、彼らとは違う。 私は、教師。そして、私は、佐久間修の教師だ。 私は、あの時、彼を守れなかった。 しかし、諦めるわけにはいかない。 彼が、無事に生きていることを願う。 そして、もし彼が、この世界で、その能力の真価を発揮しているとしたら。 私は、彼を見つけ出す。彼の居場所。 あるいは、彼が、この世界を生き抜くための、何か助けとなるものを、見つけ出す。情報。物資。 私の【無限のオンラインストア】の能力。 それは、直接的な戦闘力ではない。 しかし、情報。知識。そして、物資。 それは、この世界を攻略するための、強力な武器となる。 私は、目を閉じた。 脳裏に、再びあのインターフェース。 商品一覧。 「まずは、情報だ……」 私は、この世界の地図や、魔物図鑑などを検索した。 幸い、この世界の通貨で、古びた地図や、魔物の簡単な解説書は購入できるようだった。 それらを「カート」に入れる。 「購入」 手元の金貨。それが、オンラインストアの「残高」に変換され、瞬時に消費される。 そして、目の前の空間に、注文した品物が、まるで空中に現れるかのように、ポツンと現れた。 古びた地図。分厚い魔物解説書。 それは、この能力の、確かな証拠。 私が、この異世界で、できること。 それは、誰にも理解されない、しかし、確かに存在する「力」。 私は、地図を広げた。 その瞳には、決意の光。それは、暗闇を照らす灯火。 佐久間修。 彼は、今、どこにいるのだろうか。 彼の旅が、無事であることを祈る。 そして、いつか、彼と再会した時。 私は、教師として、彼に胸を張れるよう。 この異世界で、私は、私の戦いを始める。23歳の教師の、新たな戦いが。 これは、彼のため。そして、私自身の、教師としての誇りのため。 その夜、藤原聡美は、オンラインストアの光に包まれながら、異世界の情報を貪るように吸収し始めた。 それは、彼女の、孤独な戦いの始まりだった。


(第5話終わり)

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