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第1話:『凡庸』の先へ――森の夜、覚醒の炎

森の奥。 吐き出される、熱い息。それは、獣の咆哮。 肺が燃える。心臓の鼓動。それは、嵐の前の雷鳴。 修は、巨大な木の幹に、ずるりと背を預けた。全身。疲労の塊。筋肉一つ一つが、悲鳴を上げている。それは、過酷な現実の重み。 ゴブリン。 あの醜悪な魔物たち。緑色の肌。ぎらつく瞳。振り上げられた棍棒。 今も脳裏に焼き付く、悪夢のような残像。 数で囲まれ。絶体絶体。死の淵。 しかし、修は逃げ切った。己の足。縺れる膝。それでも、前に進んだ。 己の知恵。震える頭脳。それでも、閃きを掴んだ。 そして―― 「インベントリ……」 掌。見つめる。 何もない。ただの薄い、頼りない手。まるで、かつての自分自身。 だが、その手に、信じられない力が宿っていた。 石。砂。枯れた木の枝。足元の土。 全て。一瞬で呼び出し。放った。 それは、まるでゲームで鍛え上げたキャラクターが、スキルを連発するかのよう。目にも止まらぬ速さ。


脳裏を過ぎる、任侠映画のワンシーン。多勢に無勢。絶望的な状況。しかし、主人公は怯まない。手元にあるもの全てを武器に変える。壊れた椅子。空き瓶。砂利。それらをまるで命あるもののように操り、敵を攪乱する。その姿。不屈の精神。 そして、彼自身が空想の中で磨いた、我流の剣術と格闘術。 枝をまるで鋭利な短剣のように突き立てたあの動き。砂を投げて視界を奪う発想。 全てが、この能力によって、現実に顕現した。 この手が。この身体が。初めて、自分の意志に呼応した。


震え。止まらない。 恐怖の残滓。それは、深い根を張った悪夢。 しかし、その震えの中には、微かな高揚感が混じっていた。 それは、細胞の一つ一つが、覚醒を告げる興奮。 「俺……俺は、やった……!」 声に出した言葉。それは、喉を震わせる、かすれた叫び。 誰に聞かせるでもない。彼自身の魂への、問いかけ。そして、返答。 いじめられていた日々。あの教室。あの廊下。 あの時、修はいつも逃げ回っていた。反撃すらできない。反論の言葉一つ出てこない。ただ耐える。呼吸を殺す。存在を消す。それが、彼の精一杯の抵抗だった。 「雑魚」「無能」「いらない人間」。 そう罵られても、反論の言葉一つ出てこなかった。唇は縫い合わされたかのように、ただ固く閉ざされていた。 あの屈辱。あの無力感。 だが、今は違う。 この異世界で、魔物に襲われ、死の淵に立たされた時、彼は確かに戦った。 自分の手で。自分の頭で。 泥にまみれ、汗に塗れて。それでも、彼は立ち向かった。 それは、かつての自分への、静かな反抗。


「無限のインベントリ」 国王も神官も。そして、クラスメイトたちも。 無能と吐き捨てたこの能力。価値なしと断罪されたこの力。 しかし、それは違った。 真珠を泥の中に隠すように、その真価は隠されていた。 使い方次第で、無限の可能性を秘めていた。 これは、彼にとっての、チートスキル。 誰にも気づかれていない。彼だけの、切り札。 心の中に、小さな炎が灯る。それは、絶望の闇を焼き払う、希望の炎。


空を見上げる。西の空には、もう夕焼けの残滓。 茜色から、深い藍色へと変わっていくグラデーション。それは、一日の終わり。 時間の流れ。それは、地球と同じ。しかし、環境はあまりにも違う。 肌寒さ。それは、徐々に体温を奪う、無慈悲な現実の厳しさ。 飢え。それは、胃の奥底から湧き上がる、抑えきれない欲求。身体が発する、原始的な命令。 追放された身。与えられたのはパン一つと水筒一つ。 「地球へ帰る」 その目的が、修の心を貫く。それは、彼を異世界へと繋ぎ止める、唯一の鎖。 そのためには、まず生き残ること。 そして、この世界を理解すること。 いじめられていた頃の彼なら、きっとすぐに諦めていただろう。 全てを投げ出し、ただ死を待つ。それが、かつての彼の選択だった。 しかし、今は違う。 「俺は、もう逃げない」 固く結ばれた唇。そこに宿る、微かな決意の光。それは、暗闇で瞬く星のように、小さくても確かな輝き。 身体を奮い立たせる。


森の奥へ。さらに深く進む。 夜の帳が降り始める。木々のシルエットが、闇に溶けていく。それは、怪物の影。 修の視界。足元に転がる小石。枯れた木の枝。落ち葉。泥。 「これも……あれも……」 次々と、掌に収まるものをインベントリへと収納していく。 土。砂。石ころ。草の葉。木の皮。 まるで、ゲームでアイテムを収集するかのよう。それは、彼の長年の習慣。 この枯れた枝は、火の材料になるか?この石は、何かの道具になるか? それが、どんな役に立つのか、まだ分からない。 しかし、「いつか」という漠然とした期待が、彼の行動を突き動かす。 その行動こそが、彼が現実で失っていたもの。 能動性。自発性。 いじめられていた頃の彼は、いつも受け身だった。ただ耐える。ただ流される。 しかし、この世界では、全てを自分で決めなければならない。 自分の命は、自分の手にかかっている。それは、重い責任。しかし、同時に、解放感でもあった。


やがて、遠くから小川のせせらぎが聞こえてきた。 水の音。それは、生命の呼び声。 修は小川に近づき、水筒の水を補充する。 冷たい水。喉を潤す。それは、乾いた大地に染み込む恵み。 その時、足元に目をやった。 「ん……?」 小川の底。小石の間に、白い石英のようなものが混じっている。透明度。光を反射する微かな輝き。 掌に収まる大きさ。取り出してインベントリに収納してみる。 ――収納可能。 不思議な感触。まるで何も持っていないかのよう。しかし、確かにそこにある。 石英。それが何かの役に立つのか? 修の脳裏に、理科の授業で習った知識が蘇る。 石英は、圧電効果。水晶発振器。電子部品。 だが、そんな高度な技術が、この原始的な異世界で役に立つはずがない。文明のギャップ。 しかし、彼の趣味が、ここで閃きを生む。 ゲームの知識。クリスタル。光を放つ。魔法の触媒。 アニメの知識。魔力を蓄える石。あるいは、光の源。 任侠映画の知識。暗闇で光る何か。目くらまし。あるいは、仲間への合図。


「火……」 修の口から、無意識に言葉が漏れた。 夜の森。気温は、刻一刻と下がる。冷たい刃。 焚き火。それは、暖。そして、魔物除けの結界。 しかし、火を起こす道具など、持っていない。ライターもない。マッチもない。 彼が持っているのは、インベントリの中の「普通の物」だけ。 枯れ葉。小枝。乾いた木片。 それらは収納済み。 足りないのは、火種。 石と石を打ち付けて火花を出す。 昔、ボーイスカウトか何かで聞いた話。原始の知恵。 インベントリから、適当な硬い石を二つ取り出す。まるで、生命を宿す聖なる石。 ガン、ガン。 打ち付ける。石と石がぶつかる鈍い音。 火花。 「おおっ!」 小さな火花が散る。それは、希望の灯火。 しかし、それだけでは火はつかない。炎は気まぐれ。 乾いた木片をさらに細かく砕く。枯れ葉をくしゃくしゃにする。 それは、まるで、命のベッドを整える作業。 そして、また石を打ち付ける。 何度も。何度も。諦めない、執念の打撃。 指先が痺れる。感覚の麻痺。筋肉が悲鳴を上げる。鉛のような重み。 「くそっ……!」 いじめられていた時、彼はすぐに諦めた。 「どうせ、俺には無理だ」 その言葉。諦めの呪文。 しかし、今は諦められない。 地球へ帰るために。 強くなるために。 ふと、彼は思い出す。任侠映画で見た、雨の中でライターの火を消させないための執念。アニメで見た、どんなに傷ついても立ち上がり、諦めないヒーローの姿。 そして、ゲームで、何度失敗してもダンジョンを攻略しようと試みた、あの時の自分。 膨大なセーブ&ロード。失敗の先に、必ず正解があった。 「まだだ……まだ、いける!」 そう呟き、彼は石を打ち続ける。それは、彼の意志の表れ。 汗。頬を伝う。それは、努力の結晶。 集中力。研ぎ澄まされる。周囲の音は遠ざかり、石を打ち付ける音だけが響く。


パチッ。 小さな、しかし確かな火花。それは、夜空に瞬く小さな星。 それが、枯れ葉の山に落ちる。 煙。細く立ち上る、命の息吹。 そして、ゆらめく小さな炎。それは、修の心に灯った希望の具現化。 「つ、ついた……!」 その瞬間、修の目に、熱いものが込み上げる。 それは、いじめられていた頃の、情けない自分への決別。 過去との訣別。 そして、この異世界で、自分の力で「0から1」を生み出した、小さな勝利の証。 炎。温かい。暖かさ。安堵。 それを囲むように、枯れ枝をくべていく。 火は育ち、赤々と燃え上がる。 周囲を明るく照らす。それは、闇を払う光。 ゴブリンの恐怖。夜の森の不気味さ。 それらが、炎の光によって、少しだけ和らいだ。 火を見つめながら、修は静かに呟いた。 「俺は、もう、無能じゃない」 その言葉は、誰に聞かせるでもない。彼自身の心に刻み込まれた、新たな誓い。


翌朝。 朝露に濡れた森。木々の葉に宿る、銀色の輝き。 鳥のさえずり。それは、新たな一日の始まりを告げる歌。 身体の痛み。それは、昨夜の奮闘の証。しかし、心は満たされていた。 修は、インベントリの中身を確認する。 土、砂、石。大量にある。無限。 そして、昨日採取した野草や木の実。 食べられるかどうかの判断は、まだ難しい。知識の不足。 しかし、彼の目には、もう「無価値な物」は映らなかった。 全てが、使い方次第で、何かに変わる可能性を秘めていた。 それは、まるで、ゲームの素材アイテム。組み合わせ次第で、伝説の武器にもなる。


森を歩く。 足跡のない場所。それは、新たな道の始まり。 修は、歩きながら、能力の実験を続ける。 インベントリから、取り出す速さ。 掌から、どれくらいの質量まで取り出せるのか? 石。一度にどれくらい? 手のひらいっぱい。掌から、まるで滝のように石が溢れ出す。 その速さ。まさしく「瞬時」。時間差なし。 では、形状は? 収納したままの状態。 例えば、潰した草は、潰したままだし、砕いた石は、砕いたままだ。 「これで、何ができる……?」 修の脳内で、ゲームのスキルツリーが構築されていく。 格闘術の型。剣術の応用。 例えば、砂を連続で投げつける。それは、目くらましだけでなく、相手の動きを鈍らせる砂嵐になる。 小石を高速で射出する。それは、銃弾のようにも使える。 木の枝を瞬時に形成し、まるで短剣のように突き出す。


彼は、歩きながら、周囲の観察を続けた。 獣の足跡。それは、危険の兆候。 小さな泉。それは、生命のオアシス。 そして、地面に落ちている、動物の骨。 掌に収まる大きさ。収納してみる。 ――収納可能。 骨。何に使う? 我流剣術の知識。骨を加工して、ナイフのようなものを作る。 しかし、加工する道具がない。鋭利な刃物。それは、この時点の彼には望むべくもない。 「……いや、待てよ」 修の脳裏に、新たな閃きが走る。 それは、任侠映画で見た、素手で物を破壊する男の姿。アニメで見た、原始の技術で道具を生み出すシーン。 石。硬い石。 インベントリから、硬い石をいくつか取り出す。それは、彼の掌の中の、無限の鉱脈。 それを別の石で打ち付け、刃のような形に加工しようと試みる。 パリン、と石が割れる音。失敗。それは、試行錯誤の音。 指先が震える。思い通りにならないもどかしさ。 しかし、諦めない。何度も繰り返す。 カチカチと、石を削る音が森に響く。それは、文明の始まりを告げる、静かな音。 集中。意識は、ただ石と石の間にのみ存在する。 どうすれば、効率的に削れるか? どの角度で打ち付ければ、狙った通りに割れるか? 彼の頭の中で、幾通りものシミュレーションが繰り返される。 ゲームのクラフト画面。何度もレシピを試し、最適な組み合わせを探すように。 数十分後。 修の手には、粗雑ながらも、片側が鋭利に加工された石の破片があった。 石器。 原始的な道具。それは、彼の最初の創造物。しかし、彼にとっては、文明への第一歩。 その石器で、手近な木の枝の皮を剥いてみる。 するりと、簡単に剥がれた。滑らかな感触。 「すげぇ……」 再び、高揚感。心の奥から湧き上がる、達成感の波。 「これで、ナイフも作れるし、槍の先端も研げる……」 彼は、道具を生み出す「道具」を手に入れたのだ。 「0から1を生み出す」彼の能力。それは、無限の可能性を秘めた、新たな世界への扉だった。


森を進む。 木漏れ日。それは、希望の光。 修の足取りは、もはやおぼつかないものではなかった。それは、確かな一歩。 彼は、この世界で生き抜く術を見つけ始めていた。 無能と蔑まれ、追放された場所。 しかし、ここには、彼の知恵と工夫を試す、無限のフィールドが広がっている。 それは、彼にとっての、新たなゲーム。難易度。極めて困難。 「地球へ帰る」 その目的は、彼を突き動かす原動力。それは、彼の羅針盤。 そのために、彼はこの世界の全てを「武器」に変える。 知恵を。知識を。そして、無限のインベントリを。 孤独な森の中で、佐久間 修は、新たな自分への一歩を踏み出した。 それは、かつてのいじめられっ子ではない。 「0から1」を生み出す、最強の戦略家としての、確かな第一歩だった。 彼の背中には、もう迷いの影はない。ただ、前へ進む、強い意志の光が宿っていた。


(第1話終わり)

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