第9話:『空間』を繋ぐ指先
朝焼け。 巨大な樹木の根元。 修は、ゆっくりと目を開けた。 疲労。まだ全身にまとわりつく重み。しかし、それは、心地よい。 昨夜の発見。 「視認できる範囲での出し入れ」 その記憶が、彼の脳裏で、鮮やかな光を放っていた。 まるで、昨日の悪夢を払い、新たな世界を開く、希望の輝き。 掌。見つめる。 何もない。しかし、その掌は、もはや単なる皮膚の塊ではない。 それは、世界と繋がる、無限の扉。 彼の意志のままに、空間すらも操る、神の指先。 「夢じゃない……」 声にならない呟き。 心臓の鼓動。ドクン、ドクン。それは、高鳴る、興奮の調べ。 いじめられていた頃の、あの無力感。それは、遠い過去の残像。 彼の心には、確かな自信。それは、燃え盛る炎。
まず、今日の焚き火の準備。 彼は、立ち上がることなく、洞窟の入り口付近に散らばる枯れ枝に視線を向けた。 意識を集中する。 彼の目の前。数メートル離れた場所。 「収納……」 念じる。 枯れ枝は、まるで影絵のように、その場からフッと消えた。 そして、修のインベントリの中へと吸い込まれていく。 「やっぱりできる……!」 彼は、確かな手応えを感じた。 次。 インベントリから、枯れ枝を一本取り出す。 彼の掌ではなく、焚き火の場所へ、直接出現させるイメージ。 「出ろ……!」 薪の山の中に、ポコッと、枯れ枝が現れた。 煙。微かに立ち上る。 それは、彼の意志が、空間をねじ曲げた証。 物理法則の崩壊。 常識の破壊。 それは、彼にとっての、無限の自由。
彼は、森の中へと歩を進めた。 今日の目的。 この新たな能力の、限界と可能性を探ること。 そして、この森を、安全に踏破するための、新たな戦略を構築すること。 木漏れ日。地面に揺れる光の粒。 彼の足音。落ち葉を踏む、乾いた音。 それは、彼の決意の響き。
実験を開始する。 まず、距離。 彼は、目の前に転がる小石を、徐々に遠ざかりながら、インベントリに収納する。 5メートル。成功。 10メートル。成功。 20メートル。成功。 50メートル。成功。 そして、100メートル。 木々の間から、かろうじて視認できる、小さな小石。 それを、彼は、インベントリに収納する。 ――成功。 「すごい……」 彼の視認できる範囲。 それが、そのまま、彼の能力の作用範囲となる。 まるで、彼の視線が、そのまま能力の照準になるかのよう。 それは、狙撃手の目。
次に、精度。 彼は、遠く離れた木の幹の、特定の場所に、小石を出現させることを試みる。 木の幹。小さな節。その節の、さらに中央。 意識を集中する。 「出ろ……!」 ポン! 小石は、正確に、その節の中心に現れた。 そして、木の幹に、わずかな窪みを作る。 「完璧だ……!」 修の心に、熱い喜び。 これは、ただの遠隔操作ではない。 それは、まるで、彼の意志が、物質を「テレポート」させているかのよう。 いや、もっと根本的な、空間そのものへの干渉。 彼の脳内では、ゲームのシューティングゲームの照準が、明確に描かれていた。 ターゲット。命中。
そして、応用。 彼は、インベントリから、大量の土を取り出した。 それを、地面に広げる。 そして、その土の山を、少し離れた場所に「移動」させるイメージで、インベントリから「出し入れ」を繰り返す。 土の山は、一瞬で消え、そして、指定した場所に、再び現れた。 それは、まるで、土を瞬間移動させる魔法。 「これで、道を作れる……穴を埋められる……」 彼の脳内で、土木工事の設計図が描かれる。 そして、戦闘。 敵の足元に、突然、巨大な落とし穴を出現させる。 あるいは、敵の目の前に、瞬時に土壁を築き、進路を阻む。 それは、地形操作。 任侠映画で見た、地形を利用して敵を翻弄する策略。 アニメで見た、環境を味方につける戦略家。 全てが、この能力で現実になる。
彼は、さらに、攻撃的な応用を試みた。 インベントリから、鋭く加工した石のナイフを一本取り出す。 それを、森の中にそびえる、頑丈な木に視認。 そして、その木の幹に、ナイフを「射出」するイメージ。 「射出!」 ヒュン! 石のナイフは、空気の裂ける音と共に、一直線に飛び出した。 木の幹に、深く突き刺さる。 「すごい威力だ……」 それは、まるで、見えない弓矢。 無限の矢。 彼は、インベントリから、石のナイフを連続で射出した。 ヒュン、ヒュン、ヒュン! 木々の幹に、次々とナイフが突き刺さる。 それは、彼が空想で磨いた「我流剣術」の突き。 一本のナイフを、無限に連射する。 それは、ゲームの無限弾薬チート。
そして、さらに、彼は想像を飛躍させた。 もし、敵の身体を視認できるとしたら? 敵の急所に、直接、物を「射出」できるとしたら? あるいは、敵の身体から、水分や血液を「収納」できるとしたら? その思考は、彼の心を、深い闇へと引きずり込んだ。 それは、あまりにも、倫理を逸脱した、危険な領域。 「いや……」 彼は、頭を振った。 「それは、やりすぎだ」 彼の能力は、無限の可能性を秘めている。 しかし、その無限は、彼の倫理によって制限されるべきだ。 それは、彼自身の「縛り」。 だが、その可能性を知ることは、重要だ。 もし、彼が極限状態に追い込まれた時。 その「最終手段」を、彼は知っておくべきだ。
昼下がり。 森の奥。 木々の密度は、一層増し、光はほとんど届かない。 常に薄暗い。それは、永遠の夜。 地面は、湿っている。土の匂い。 そして、奇妙な静寂。 鳥のさえずりも、虫の羽音も聞こえない。それは、不気味なほどの静けさ。死の気配。 修の身体。警戒態勢。全身の細胞が臨戦態勢。 五感を研ぎ澄ませる。 空気の匂い。微かに、甘い。 それは、昨日遭遇した、輝く苔の匂い。幻想的な香り。 「そろそろ、あの樹の近くか……」 彼は、ゆっくりと足を進めた。 視線の先。 そこには、巨大な、樹木。 幹は、まるで黒曜石のように、真っ黒。重厚な存在感。 そして、その幹から伸びる枝には、無数の「輝く苔」がびっしりと生えている。青白い光。 森全体を覆うほどの、巨大な樹。それは、生命の象徴。世界の中心。 それは、ゲームで見た、ボスモンスターの住処。あるいは、世界樹。 修は、その樹木の根元に、昨日作った簡易的な隠れ家を見つけた。 その周辺。 地面には、奇妙な足跡。 それは、獣の足跡ではない。 粘液の跡。 スライム。 「まさか……またか?」 修の心に、わずかな緊張。 しかし、今回は違う。 彼は、すでにスライムの弱点を知っている。 そして、彼の能力は、昨日よりも、遥かに進化している。
彼は、窪地へと身を隠した。 周囲を警戒する。 その時。 地中から、音がした。 ゴゴゴゴゴ…… それは、地面が揺れる音。 そして、地面が盛り上がる。 「来る……!」 修は、インベントリから、鋭く尖らせた木槍を一本、手に出した。 その槍の先端を、インベントリから取り出した石英で、瞬時に擦り合わせる。 キュッ、キュッ。 摩擦熱。 槍の先端が、赤く熱を帯びる。 そして、その熱を、インベントリに収納する。 「よし……」 準備完了。
地面が、大きく盛り上がる。 そして、そこから現れたのは、昨日よりも遥かに巨大なスライム。 体長。5メートルはあろうかという巨体。 黒い粘液。グツグツと煮えたぎるような、不気味な泡。 悪臭。さらに強烈な腐敗臭。 「グジュルルルルルルルル!」 奇妙な咆哮。それは、地獄の業火。 巨大なスライムは、修めがけて、ゆっくりと、しかし確実に迫ってくる。 修は、後退する。 しかし、逃げる気はない。 この巨大な敵は、彼の新たな能力を試す、絶好の機会。
スライムが、触手を伸ばしてくる。 その触手は、修の全身を覆い尽くすほどの大きさ。 修は、インベントリから、大量の土を、スライムの足元に「射出」する。 ドババババ! 土が、まるで爆弾のように炸裂する。 スライムの巨体が、一瞬、ぐらつく。 その隙に、修は、木槍を構える。 彼の狙いは、スライムの最も膨らんだ「核」の部分。 「行け……!」 修は、熱を帯びた木槍を、スライムの体めがけて、「射出」する。 ヒューン! 槍は、空気の裂ける音と共に、一直線に飛んでいく。 そして、スライムの体表に、吸い込まれるように突き刺さる。 ジュッ……! 熱い槍が、粘液を焼く音。 そして、突き刺さった槍の先端から、炎が燃え上がる。 硫黄。 スライムの体内に含まれる硫黄成分が、炎に引火する。 メラメラ…… 炎は、スライムの体全体へと燃え広がる。 「グジュルルルルルルルルルルルルルルルルルル!」 さらに大きな悲鳴。 スライムは、もがき苦しむ。 その巨体が、炎に包まれながら、ゆっくりと、しかし確実に、縮んでいく。 それは、地獄絵図。
修は、さらに畳みかける。 インベントリから、加熱した石ころを、大量に「射出」する。 バララララララ! それは、まるで、火炎弾の嵐。 石ころが、スライムの体を貫通し、内部から炎を燃え上がらせる。 スライムは、黒い煙を上げながら、爆ぜるように崩れ落ちた。 完全に燃え尽き、何も残らない。 残ったのは、焦げ付いた地面と、硫黄の悪臭だけ。
修は、その場に膝をついた。 息。切れる。 全身。汗だく。 しかし、彼の心には、確かな勝利の喜び。 そして、彼の能力への、深い理解。 「視認できる範囲での出し入れ」 「射出」 「状態維持(物性強化)」 これら全ての能力が、連携することで、彼は、この異世界で、どんな困難にも立ち向かえる。 彼は、もう、かつての佐久間 修ではない。 彼は、この異世界で、「0から1」を生み出す、最強の戦略家。 そして、彼の能力は、彼の知る物理法則を、根底から覆すものだった。 彼は、この世界の「法則」を解き明かし、それを己の力に変える。
夜が更ける。 巨大な樹木の根元。 修は、焚き火の炎を見つめていた。 今日の勝利。 それは、彼に、大きな自信を与えた。 しかし、同時に、この世界の広大さ。 この森の奥には、まだまだ、未知の脅威が潜んでいる。 彼は、明日からの旅に備え、新たな「作戦」を練り始めた。 「食料の効率的な確保……」 森の奥深くには、より強力な魔物が生息しているはずだ。 それらを狩るための、新たな武器。 「さらに硬い石……金属の代わりになるもの……」 そして、防具。 毛皮のポンチョだけでは、心許ない。 彼は、インベントリから、焼いた土を取り出した。 硬化している。 「これで、簡易的な鎧とか……」 彼の脳内では、無限の創造が始まっていた。 彼は、もはや、ただ生き残るだけのサバイバーではない。 彼は、この世界で、自らの手で、新たな文明を築き始めている。 それは、彼の、地球へ帰るための、遠大な計画の一部。 夜空を見上げる。 満天の星。 「必ず……」 彼の決意が、静かに夜空に響き渡る。 彼は、この世界で、どこまで強くなれるのか。 そして、いつか、故郷の地球へ帰ることができるのか。 その答えを求めて、佐久間 修の旅は、続く。 それは、知の探求。そして、力の進化。 無限の可能性を秘めた、新たな世界への、限りない冒険。 彼の瞳は、暗闇の中で、希望の光を宿していた。
(第9話終わり)




