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9. 美形は何してもサマになる

「は~、疲れた……」


 自室として与えられた似合わない豪勢な部屋へと戻ったハルカは、大人が3人は余裕で寝られるサイズのベッドにダイブした。 風呂や寝間着の着替えなども手伝おうとするアッシュをなんとか宥めすかして最低限の世話だけをしてもらい、アッシュの退室を見計らってベッドに飛び込んだのだった。

 飛び込んでも、身体全体を包み込んでくれるしっかりとしたマットレスのおかげで怪我をする気配はない。シーツはサラサラと肌心地が良く、置かれたクッションの柔らかさは目を見張るほどだ。日本では星が五つ付いているような高級ホテルの最上階でしか味わえないのではと思うほどの贅沢。もちろん、ハルカはそんなスイートホテルに泊まったことはないのですべて想像だ。

 今日の朝は日本の自室で目覚めたのに、今日の夜は異世界の高級ベッドで眠る。そのちぐはぐ感が、ようやく実感として伴ってきた。疲労として一気に襲いかかり、ハルカの大きな溜息を引き出す。

 まだ一日しか経っていないのに、いろいろとありすぎて何日も経ったかのようだ。しかしこの世界についてまだ何も知らない。今日はただ召喚についての説明を受けて、簡単な料理を作っただけ。明日から、この世界で生きていくのである。


「夢みたいだな」


 ぼそりと呟かれた独り言。

 明日、目が覚めるのは日本のベッドの上なのではないだろうか。また満員電車に揺られて、面白みのない毎日を過ごすのではないだろうか。

 それを望んでいるのか問われれば即答はできない。かといって異世界での生活を続けることに自信もない。ただ、ハルカには選択肢は与えられていない。日本に帰る方法は現状、ない。

 召喚されたのがこの国で良かった。この国の、今の王族たちが治める時代で良かった。他の時代の王族を知らないが、時代によってはろくでもない為政者もいただろう。アスカたちがまともな貴族だったから、今のハルカはここに存在できている。不要な召喚者は森にポイ、なんてことはラノベでよく見た。しかしそうはならず、こんなに豪華な部屋を用意され、自由に過ごすことも許可された。戻る方法も探してくれるということだし。


(ま、なんとかなるか)


 ふー、と長い息を吐いて、ふかふかのベッドの上で大の字になる。部屋着として用意されていたのは、現代では富豪が風呂上がりにワイン片手に夜景を眺めるときの正装だった。ハルカは「これはさすがに」とアッシュに頼んで、平民が着るようなものを用意し直してもらった。これも上等な布で作られてはいるが、作りが普通の服だから気後れしないで済む。


(疲れているのに、頭が冴えていて眠れない)


 ぼんやりと天井を眺めていると、寝室のドアを叩く音が響いた。ハルカが飛び起きても、ベッドはその振動をすべて吸い取ってくれる。はい、と声を上げると音を立てずに扉を開けたのはアッシュだった。


「ハルカ様。お疲れのところ申し訳ございません」


 丁寧にお辞儀をしながら入ってきたアッシュが、少し困ったような顔をしていた。おや、と思いながらハルカは返事をする。

すでにアッシュの仕事、ハルカの世話ですることはないはずだが、この時間にわざわざ訪れたということは相応に大事な用なのだろう。嫌な顔をするわけもなく、ハルカはベッドの端に座り直した。

 

「大丈夫だよ、どうかした?」

「陛下が、いらっしゃっております」

「えっ?」


 アッシュの困った表情の原因を知るとともに、ハルカの口から思ったよりも大きな声が出た。慌てて手のひらで口を塞ぐも時すでに遅し。

 まさかアスカが訪ねてくるとは。しかも、もうすでに就寝していてもおかしくないような時間に。日本で言えばまだまだドラマやバラエティ番組がテレビを賑やかしている時間のため、ハルカにとっては就寝時間にはまだ早いのだが、この世界ではそういう時間である。


「応接室にお通ししてよろしいでしょうか」


 断るわけにもいかないのだが、アッシュがこうして尋ねたということはアスカからそう聞くように言われているのだろう。命令であれば、有無を言わさず応接室に陣取りハルカを呼ぶだけだ。

 アッシュの言葉に頷きながら、ハルカは身支度を整えるためにベッドを降りた。

 



「夜更けに悪いな」


 なるほど、自分には不要だと思っていた応接室だが、こういったときに使用するらしい。ハルカは自室のうちの一部屋、応接用に用意されていた部屋の椅子に座りながら納得した。

 目の前にはこの国の国王であるアスカが座っている。アッシュが入れた紅茶を綺麗に飲む姿は大変麗しい。その涼し気な瞳に射抜かれれば自然と背筋が伸びる。

 

「いえ、何かございましたか陛下」


 ハルカの前にも湯気が立つティーカップが置かれているが、手をつける余裕はない。わざわざ訪ねてきた国王に無礼があっては困るし、そもそも何用で自分の元に訪れたのかが謎すぎて気が気でない。

 何か用事があるのならば明日でもいいはず。今日、こんな時間にわざわざ来たということは緊急か。それにしても、王族、それもそのトップに立つ者なのだから、ハルカを呼び出す権利があるのだ。それなのに、自ら足を運ぶ理由は。

 

「固い、崩して良いと言っただろ」


 ハルカの頭の中がぐるぐると思考を回していると、アスカの呆れたような声が部屋に響いた。

 はっと意識を取り戻したハルカは、ゆっくりと首を左右に振る。

 

「そう言われましても」

「俺が良いと言っているんだ」


 むっすりとした表情で、だが本気で苛立っているのではないというように穏やかな空気を纏って、アスカは言う。困惑するハルカに、アスカのもの言いたげな眼差しが突き刺さる。

 圧を掛けて、強制的に人を従わせる力があるアスカが、今、ハルカの前ではその力を潜めている。表情は淡々としているが、雰囲気はどこか柔らかい。ハルカに向けられる視線も、咎めるようなものではない。

 それはきっと、アスカなりの友好の示し方なのであろうとハルカはなんとか汲み取った。

 

「……陛下はそればかり仰いますね」


 夕食の席でも同じように言われた。ハルカが観念したようにふわりと笑みを湛えると、アスカは満足そうに口角に弧を描いて頷いた。

 

「ふん、それでいい」

「それで、何か御用でしたか」

 

 改めて尋ねると、アスカは「いや」と軽く首を振って紅茶を啜った。


「どうだった」

「え?」

「料理は」


 アスカは、どうも簡潔に話す癖、端的に言うと言葉足らずなところがあるらしい。ハルカはああ、と得心が行って今日の厨房での様子をアスカへ伝えた。こんな道具が目新しかった、この食材は元の世界でも見た。声を弾ませ話すハルカに、アスカは機嫌よく頷きながら耳を傾けていた。

 

「皆さん良くしてくださいました。イエディ様やトウリ様、エミーレ様にも気に入っていただけたようですし、ジャックさんを始め、料理人の方々に美味しいと言ってもらえて嬉しかったです」

「……そうか」


 ハルカの最後の言葉に、アスカの片眉がぴくりと動く。元々愛想の良い表情ではないが、なんとなく、少しだけ不機嫌になったように見えた。さっきまでは、無表情ながら満足気に聞いてくれていたのに。


(あれ、何か不味いことを言ったかな)


 ハルカはおそるおそる、アスカの顔を覗き込んだ。


「陛下?」


 小首を傾げて、その黒に近い紺色の瞳を見つめると、深い青がほんの少しだけ揺れた。

 

「……俺も、美味かったと言ったはずだが」


 じっと見つめ返されながらの答えを、ハルカは咄嗟には意味が理解ができなかった。

 

「え? あ、はい。仰っていただきました」

「俺からの賛辞はいらないのか」


 拗ねた子供のように、アスカはぷいとそっぽを向いた。その仕草が妙に幼く見えて、見た目とのギャップにハルカは口元がにやけそうになるのを必死に耐えた。

 この威厳と力のある国王は、ハルカよりも年下である。とっくに成人はしている年齢ではあるが、自分よりも年下が分かりやすく拗ねている姿にどこか庇護欲を掻き立てられる。

 つまりは、イエディ、トウリ、エミーレ、料理人たちと並べた名前の中に、自分の名がなかったことが気に入らないのだ。ハルカとしては目の前にいる相手なので省略しただけで深い意味はないのだが。

 

「そんなわけないじゃないですか。陛下からのお言葉も嬉しいに決まっています」


 ふふ、と笑うハルカに、アスカは流石にバツが悪くなったのか照れ隠しのように紅茶を煽った。

 

「陛下に照り焼きチキンを気に入っていただけたので、安心しましたよ」

「……あれは格別に美味かった」


 フン、と鼻を鳴らしながらも正直な賞賛を送るアスカにハルカも笑みを深めた。

 

「恐れ多いです。ありがとうございます」


 ティーカップの中が空になったアスカは、静かに立ち上がった。その様子にハルカは「え」と口から困惑を落とす。ただ少し雑談をしたのみで立ち去ろうとするアスカの背中に届いた声は、アスカを振り返させる。その口元には、穏やかな笑みを浮かべていた。

 

「様子を見に来ただけだ」


 アスカの用事とは、たったこれだけのことだったらしい。一国の王が自ら夜更けに自らの足で出向いて、文字通り様子窺いのみ。誰にでもすることではないことであり、異世界からの召喚者であるゆえの待遇ではあると思うが、それにしても破格ではないか。

 ハルカは慌てて立ち上がり、アスカの元に歩み寄る。

 

「わざわざ、すみません」

「俺が、許した存在だからな」


 ふ、と目元を細めたアスカの手がハルカの頬に伸びた。ひんやりとした手のひらがハルカの頬を包み、指先が目尻を撫でる。驚いて固まるハルカに、アスカは緩やかに微笑んだ。


「疲れた顔をしている。さっさと寝ろ」


 そう言い残して、アスカはハルカの部屋を出て行った。

 俺が許した存在、というのは、王としてこの国と王宮内での滞在を許可した存在だからということだろうか。おそらく見張りがついているだろうし、周りの侍従などから報告も入っているだろうが、自分の目でも確認しておきたかったということだろう。なるほど、わざわざ国王がただの一般人の部屋を訪れた理由は、そう解釈すれば合点がいく。


(……それにしても、美形は何してもサマになるな)


 頬に添えられた手の感触と向けられた笑みを思い出して、ハルカはそんな感想を抱いた。

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