7. お口に合ったようです
ピカピカに磨かれた銀色の台車が、湯気を立てる料理を乗せて進んでいく。
ジャックとフィルの力を借りて、綺麗に盛り付けられた皿。余った分は鍋に入れたまま、こちらに持ってきてみた。おかわりとかいるかもしれないし、というハルカの庶民的感覚からの配慮である。王族たちが配膳された量以上の料理を食すものなのかは知らないが、余ればまかないにでも回せばいいだろう。
静かな王宮内の廊下に、カラカラというタイヤの音とハルカの足音が響いている。カチャン、カタン、と食器が揺れるが、上品ながら豪華な壁紙がその音を吸収する。ハルカの後ろを着いてきているアッシュの足音は鳴っていない。
「は~……」
「どうしましたか」
「いや、本当にこんなものを王族に食べさせるのかと思って」
アッシュはハルカの後ろから台車へと目線をやり、じっと見つめてから答えた。
「……立派な料理に見えますが」
「俺の国だとものすごく一般的な家庭料理なんだよなぁ」
もちろん、王族に供されるものだからいつもよりも数段は丁寧に作業をしたつもりだ。自分のためだけならば、もっと雑にも作ることはできるのだ。じゃがいもは丁寧に裏ごししたし、鶏肉も丁寧に開いた。トマトの皮だって剥いてみた。それでも、日本人の食卓にはごく普通に並ぶメニューであることには変わりない。
「すごく、美味しそうです」
ぼそりとアッシュが呟いた。
「え?」
「……」
ハルカが厨房で料理をしている間、静かに壁際に立っていたアッシュが、そろりと視線を外しながらもう一度「美味しそうだと思います」と小さく言った。
厨房では唇を引き結んでじっと黙っていた。淡々としていて、表情があまり変わらない少年であるが。
(興味がないんだとばかり思っていたけれど)
「ありがとう」
「いえ」
「たくさん作ってあるから、きっと余るよ。あとで食べてほしいな」
「!」
ハルカが笑いかけると、アッシュの瞳がぱっと輝いた。
(年相応の顔もするんだ)
執事見習いという仕事柄か、ずいぶんと大人びた表情を見せるが、学年で言えば中学生くらいだろう。食べ盛りの男の子なら、きっと気に入ってくれる。
そうこうしているうちに、王族たちが集まる食堂に辿り着いた。改めて見ても荘厳な扉は、さすが王宮である。金銀で華美に彩られてはいないが、繊細なモチーフが散りばめられたシックなデザインはその扉の重量以上の重さを感じさせる。
ハルカはひとつ深呼吸をしてから、アッシュが押し開いた扉を潜った。
「ハルカ」
入ると、王族四人は当然のように席についていた。イエディがにこやかにハルカを呼ぶ。トウリとエミーレも、わくわくとした表情を隠さずにハルカを――ハルカの手元の台車の上を見ている。
一番上座に座っているアスカはといえば、魔王が下々の者を虐めるときにはこんな顔なのだろう、と思わせるような笑みを浮かべていた。
「腹減った!」
「廊下まで良い香りが漂っていて、とっても楽しみにしておりました!」
「お待たせしました」
トウリとエミーレに順番に会釈をしながら、ハルカはアスカの元へと辿り着く。
「陛下、お待たせいたしました」
「……ほう」
ハルカは自分の手で、できるだけ丁寧に、音を立てないように、食器をぶつけないように、アスカの前に皿を並べた。
サラダ、スープ、メイン、パン。特別に豪華でもない、一般的な食事だ。一国の王の御前に出すのはやはり忍ばれるが、ここまで来てはもう後戻りできない。
「じゃがいもととうもろこしのポタージュスープと、照り焼きチキンです」
「わあ、美味しそうですねえ」
アスカの次は、イエディの前に。続いてトウリ、エミーレの前にも皿を並べていく。
「このサラダの横の小皿はなんだ」
トウリが渋い顔をしながらサラダとその横に置いたドレッシングの入った注ぎ口の小皿をしげしげと観察している。
トウリはサラダが苦手である。そのことにハルカは気付いていた。昼食時に、物凄く嫌そうな顔をしながらサラダを食べていたからだ。ハルカ自身はとくに好き嫌いはないが、トウリにはやや同情していた。確かにひたすら生野菜だけを食べるのは辛いものがあるだろう。
「それはドレッシングです。今日は、フレンチドレッシングをご用意しました。お好みでサラダにかけてお召し上がりください」
「変わった香りですね……」
エミーレも興味深そうに見つめている。アスカもじっと眺めているだけだ。
訝しげな三人に先んじて、すでに味を知っているイエディが意気揚々とサラダにドレッシングをかけた。青々としたレタスとベビーリーフの上を、薄く色づいた透明な液体がキラキラと滑り落ちていく。
「これ、すごいんですよ。サラダがすごく美味しくなります。ハルカ、いただきますね」
「あ、どうぞ」
「え~本当かよ……。野菜は野菜だろ……」
イエディに釣られて他の三人もドレッシングをサラダにかけ、こわごわと口に運んだ。
「んん!? 酸っぱいけど、いつもより食べやすいぞ!?」
「まぁ! すごく美味しいですわ。私、生の玉ねぎは辛くて少し苦手だったんですけど、今日のものは美味しいです!」
「よかったです。玉ねぎは、水にさらして辛みを抜いてあります。トマトも皮を剥いて、食べやすくしてみました」
(よかった、ドレッシングは受け入れられそうだ。他の味も試してもらいたいな)
今回は急だったため、ごくシンプルなフレンチドレッシングにしたが、材料さえあればもっといろいろな種類を用意できる。何種類か作って、常備しておくのが良いかもしれない。冷蔵庫はない代わりに、魔法を使った保冷庫があることは先ほど確認済みだ。
トウリとエミーレの子供組がいつもより美味しいサラダに喜んでいる隣で、イエディは品良くスープを啜って「ほう」と感嘆の声を漏らした。
「こちらのスープも絶品ですね」
「ありがとうございます、イエディ様」
「ん~! この濃厚とした、まったりとした口当たり……! とっても気に入りました!」
「エミーレ様のお口に合ったようで、嬉しいです」
サラダもスープも好評のようだ。ハルカはほっと胸を撫で下ろした。
しかし。三人がにこやかに食事を進める中、アスカは一人黙々とフォークとナイフを動かしている。サラダもスープも口を付けたようだが、一言も言葉を発していない。文句はないということは良いということか。
(陛下が無言なの怖いな……。こちらから話しかけるのは不敬だろうから感想なんて聞けないし)
淡々と照り焼きチキンを食していたアスカが、ふと手を置いた。チキンが乗っていた皿の上は綺麗になっている。
空になった、照り焼きソースだけが残る皿を睨みつけたアスカは、静かに顔を上げた。
「ハルカ」
「はい」
「……」
呼ばれたハルカはおずおずとアスカの隣に立った。しかしアスカの口から続きの言葉が出ることはなく、ただただキッと鋭い眼差しを皿に向け、それからハルカの後ろにある台車をちらりと見た。
「あ、あの」
沈黙に居た堪れなくなったハルカは、おそるおそる口を開く。
「お口に合いませんでしたか」
「違う」
「では、なにか……」
「まだあるか」
「え?」
「この肉だ」
くい、と顎で台車を指したアスカに、ハルカは慌てて頷いた。
「はい、ありますよ。召し上がられますか?」
「二枚くれ」
「かしこまりました」
「あ! アスカ兄上だけずるい!! 俺も食いたい!」
「お前はまだ残っているだろう。食べ終わってから言うんだな」
兄上だけずるいと駄々を捏ねるトウリを、アスカはハンと鼻で笑った。恐怖で人を支配しているのではないかと思うほどに冷酷な印象を抱かせる国王だが、弟とは軽口を叩け合えるくらいには仲は良いようだ。家族仲が良い王族が治めている国は、早々治世が悪くなることはないだろう。まだこの国、ウィラウール王国のことはほとんど知らないが、アスカやイエディたちの様子や厨房の料理人たちの顔を見るに穏やかに統治された国のようである。
ハルカが予備として作っていた照り焼きチキンを二枚、アスカの皿に乗せると、アスカは満足げに頷いた。
「どれも美味いが、これが一番だ」
「恐れ多いお言葉です」
ハルカが恭しく礼をすると、アスカは眉間の皺を深くしてハルカを軽く睨みつけた。何か気に入らないと言うのだろうか。目上の、しかも最上級の立場にいる者に対する敬意としては間違っていないと思うが。
アスカはむっとした表情のままフォークとナイフを手に取り、品良く動かしながら言った。
「……そんなに畏まらなくてもいい」
「いえ、そういうわけには」
この男の一言で、自分の首はどうとでもなる。殺されなくとも、ここから出て行けと彼が一言零すだけで、ハルカはこの国にいられなくなるのだ。そういう力を持った相手に、最大限の敬意を持って接することは当然だ。
「俺が良いと言っているんだ。楽にしろ」
むっすりとした顔のままのアスカは、人間一人くらいは殺せそうだ。
「ええ……」
普通の人間であれば、ここで泡を吹いて倒れてもおかしくないのだが。ハルカは困ったという顔を隠さずに、困惑の声を漏らした。元来、特別に肝が据わっているほうでもないのだが、感情の起伏が大きくない性質が幸いしている。さらに言えば、異世界に召喚されたということがハルカの感覚を鈍らせている。この世界に召喚されたという現象以上に驚くことはあまりない。
「兄上はハルカの料理が気に入ったんですよ。もちろん私もですが」
「イエディ様」
ほのほのと微笑みながら二人のやり取りを眺めていたイエディが、助け船を出す。ハルカは縋るようにイエディを見遣るが、イエディに軽く首を振られた。
「ああ。こんなに美味い肉はこの世界にはないな」
アスカが上機嫌であることが救いではある。内容がどうあれ、王族に反発していることには変わりがないからだ。
こんな簡単な照り焼きチキンなんかを、この世界で最も美味いなんて言われるのは、謙遜抜きであまりにも恐れ多いのだが。日本には、元の世界には、もっと手の込んだ料理が湯水のように存在する。一般人が作る照り焼きチキンは、庶民の味だ。
「私も、どれもとっても美味しかったです! ハルカ様はお料理がお得意なのですね」
エミーレが花咲く笑顔で言う。ハルカは純粋に「ありがとうございます」とお礼の言葉を述べるも、やはり過大評価だと縮こまった。
「悪くはなかったなっ」
「トウリは素直じゃないですね~」
「イエディ兄上!!」
つっけんどんな態度を取るトウリも、気に入ったようだ。いわばツンデレなのであろうが、イエディのからかいにプンプンと怒る姿は普通の少年と同じ。
ははは、と乾いた笑いをハルカが零していると、アスカが改めてと言わんばかりに真っ直ぐにハルカに向き直った。
「ハルカ、これからの食事も楽しみにしているぞ」