4. 王宮暮らしがはじまります
「バカ、そんなわけないだろう」
「ウィラウールはそこまで余裕がない国ではありません。迷い人の一人や二人、養うことくらい容易いです」
「んなことしたら王族の評判が落ちるだろうが」
「私たちに原因があるのですから、追い出すなんて許されません」
美男美女から口々に否定され、ハルカは咄嗟に「すみません」と頭を下げた。イケメンに諫められると怖いと知る。だが、正直ほっとした。追い出されて、何も分からないこの世界でこの先一人で生きていく自信はあまりない。
ハルカは心からの安堵を含めて柔らかく微笑んだ。
「なら、よかったです」
ハルカの安心した表情に、アスカがふっと目元を細めた。張りつめた空気が緩む。同時にハルカの緊張も少し緩み、肩の力を抜くように小さく息を吐いた。
異世界に来てから張り続けていた緊張の糸が解けると、周りの様子が見えるようになってくる。アスカは微笑みこそしないものの、ハルカを受け入れるように切れ長の瞳ながら柔らかな視線を向けてくれている。イエディはずっとにこやかに微笑んでいて、分かりやすく友好的に見せてくれている。トウリは先ほどまでの訝しむような視線は鳴りを潜め、面白がってはいそうだが敵対心はないと口角を上げている。エミーレは同情を多分に含んだ憂いの表情を浮かべ、慈愛に満ちた笑みを湛えていた。
王族の四人がこうして受け入れると言ってくれているのだから、そう簡単に違うことはないのだろう。
「しばらく落ち着かないかもしれないですが、気ままに過ごしてください」
「知らない世界でそんなこと言われても難しいとは思いますけれど……、困ったことがあれば仰ってくださいね」
ブロンドの美男美女、イエディとエミーレに労りの眼差しを向けられると、少し戸惑ったようにハルカは笑った。日本では絶対にありえない光景だ。もちろん、飯田悠の知り合いにこんな金髪西洋風イケメンと美少女はいない。テレビでもこんな美人たちは見たことがない。
ハルカはへらりと笑みを浮かべながら、空を掴むようにして手のひらをにぎにぎと動かした。勇者ではないし、魔法も使えない。せっかく異世界に来たというのに、旨味はないのだろうか。何も起きることがない手をぐ、ぱ、と弄ぶ。
そんなハルカをじっと観察していたイエディは、ふむと顎に手を当てた。
「元の世界には魔法がなかったのですよね。鍛錬すれば使えるようになるかもしれません。魔力は多いですよ」
イケメンは、どんな仕草をしてもサマになる。そんな感想をのんびりと抱いていたから、反応がワンテンポ遅れてしまった。
「えっ、俺、魔力あるんですか」
驚きの事実にハルカは目を瞬く。もちろん、日本で魔法なんて使えたことはない。今も、手のひらは空気を乗せているだけで小さな火が生まれることもない。そもそも、魔力があるかどうかも、自分じゃ一切知覚できない。多いと言われても、まったく身に覚えがない。
「ええ。そうですね、たとえば……。私の目を見てください」
そう言って、イエディはじっとハルカの瞳を見つめた。宝石のように美しい青が、ハルカを捕まえる。
「は、はい」
「集中して、私のことを“知ろう”としてみてください」
「し、知る……」
美麗な顔から目線を逸らしたくなる気持ちをぐっと耐えて、ハルカは言われたとおりにイエディを見つめ返した。薄いブルーの、空のように澄んだ瞳。その奥の深い青は、アスカの青色に似ている。美しいサファイアのような瞳を集中して観察していると、ブンとなにやらゲームの画面のようなものがイエディの横に現れた。
「ん?」
「見えました?」
「なにか、画面のようなものが……」
「そこに、私の名前が書かれてありませんか」
「あ、はい。あります。イエディ・ウィラウールって……、俺の知ってる文字じゃないですけど、読めます」
「これが“鑑定”です。スキルの一つですよ。ついでに、こちらの文字が読めることも分かりましたね」
「鑑定、ですか」
「はい。私も使えます。魔力の多い者は使えることが多いです」
ハルカはふうと息を吐いて、集中を散らした。途端に浮かんでいた画面のようなものは消え失せる。よほど集中していたらしく、少し目の奥が痛む。
鑑定というスキルも、存在は知っている。ラノベで読んだことがあるだけだが。それが自分にも備わっていると知ると、勝手に心が浮足立ってしまう。今、魔法を使った、らしい。そわそわとする心を、こほんと空咳をすることで落ち着かせた。
「鑑定は、名前が分かるんですか」
「そうですねぇ、もっといろいろ分かります。基本情報のほかにも、自分の得意な分野が詳しく見えたりします。魔力量や扱いの得手不得手にも左右されますがね。私がハルカを鑑定したところ、魔力量は一般よりも多いということが分かりました」
「へえ」と初めて使った魔法の力にハルカはただただ感心する。そして、魔力量についてイエディのお墨付きを貰えたことに胸を撫で下した。きっと魔力は多いに越したことはない。イエディの説明を咀嚼していると「ん」と引っかかり、ハルカはおずおずとイエディに尋ねた。
「となると……、鑑定でイエディ様の名前しか見えなかったということは、俺は魔法を使うのが下手なんでしょうか」
「いえ、私の場合は見られる情報を制限しています。王族ですし、私は魔法が得意なので」
にっこりと笑うイエディに、ハルカは引き攣った笑顔を返した。そうか、と納得もする。王族がおいそれと鑑定されて、弱みを握られるわけにはいかない。勝手に人のあれそれを鑑定するのもマナー違反な気がするし。
自分の得意分野を見ることができる、ということだが、一体自分は鑑定を行うことでどんな情報を得られるのだろうか。たとえば魔法が得意であれば、イエディのように他者の魔力や魔法適正などを知ることができるのだろう。しかしハルカは自分の得意なことがぱっとは思い浮かばなかった。
「なあ、そろそろ食おうぜ」
三男であるトウリが退屈そうに欠伸をしながら伸びをし、怠そうに声を上げた。その声に、ハルカの意識は現実へと引っ張り戻される。
「そうだな」
アスカの許可が下りると、トウリは嬉々としてフォークを掴んだ。食堂に集まり、すぐに食事が乗ったプレートが用意されていたが、今の今まで話に夢中で誰も手をつけていなかったのだ。時刻は昼時なので、確かに腹も減ってくる。
「ハルカも、ぜひ食べてください」
イエディに促されて、ハルカも自分の前にある皿に視線を落とした。シンプルながらも美しく盛り付けられたプレートだ。
「いただきます」
いつも通りの言葉を落としてから、シルバーに光るフォークで一口。
(……! こ、これは……)
ハルカはもぐ、もぐ、と数回咀嚼をして、ぴたりと動きを止めた。
「お口に合いませんでしたか?」
(しまった)
エミーレが心配そうにハルカを覗き込んだ。ハルカは慌てて口の中のものを飲み込んで、薄っぺらい笑みを浮かべる。
「あ、いえ、そんなことは……」
取り繕ってもすでに遅く、王族たちの視線が一斉にハルカへと集まる。
「世界が違うのですから、文化も違って当然です。ハルカが食べていたものは、これとは違いますか? 食べられそうですか?」
「あ、食べられます。大丈夫です。えっと……、見た目は、結構似ています。食材も、同じみたいです」
そう、見た目は。おそらく元の食材も同じだろう。
探るように言葉を落とすハルカに、アスカが言った。
「はっきりと言っていいぞ」
そう言われても、とハルカはもごもごと口を閉じる。
出てきた料理はサラダとスープ。ステーキ。パン。王族にしては簡単な食事に見える。コースみたいにバラバラと出てきてはおらず、ワンプレートに盛られているそれらは、見た目だけは日本のものと比べても遜色はない。とくに凝った盛り付けがされているわけではないが、品よく丁寧に作られていることが分かる。特段おかしなところもない。しかし。
ちらりと顔を上げてアスカを見遣ると、アスカはじっとハルカを見つめていた。深海のように濃いブルーの瞳は、影になると漆黒のように見え、有無を言わさない強さを持っている。
「味が……」
「味がどうした」
「えっと、あまりしません……?」
「へえ」
アスカは面白そうに笑った。
あ、この人はこんなふうに笑うんだ。綺麗に歪められた口元を見て、ハルカはそんな感想を抱く。ここまで見せていなかったアスカの笑顔は妖艶な美しさを持っていた。
しかしそれどころではないとすぐに頭をブンブンと振った。国王の機嫌を損ねたら、自分の居場所はなくなるのだ。
「いや、味はするんですけど、その、素材の味と言いますか……」
「お前の国でも見た目は同じなんだろう? ではどんな味がするんだ」
「そうですね、こう、サラダにはドレッシングをかけたり、スープももっとこう……、いろいろなものの味がします」
どれっしんぐ、とたどたどしく復唱しているのはエミーレ。なんだそれ、と初めて聞いたという顔をしているのはトウリだ。
これは?と続いてアスカが視線で指すのはメインの肉料理。ハルカは一瞬口籠ってから正直に口を開いた。
「肉、も、味つけしますね……」
「これは焼いただけ、か?」
「まあ、はい……」
「へえ」
「すみません、文句があるわけでは」
「構わない」
アスカは口調こそ変わらないが、口元を緩めたまま自分の皿をフォークで突いた。なるほど、と言わんばかりに小さく頷いている。どこか楽しそうな雰囲気なのが、ハルカには理解ができなかった。こちとら、自身の生命の危機を感じている。
文句がないということを証明するように、ハルカは何も味付けのされていないただの新鮮な野菜の盛り合わせを口にする。王族に出されているだけあって、質は良い。シャキシャキとした歯触りは悪くない。口いっぱいに自然の味がする。不味いというわけではないのだ、ただ味付けがされていないというだけで。
「おもしろいですねえ。調理方法が違うのでしょうか」
二人の会話を聞いていたイエディはにこにこと優美な笑みを浮かべている。ひとまず王族の不興は買ってはいなさそうなことに、ハルカはほっと胸を撫で下ろした。
「これも食えないわけではないのだろう? しかしそのままでは食わないと。お前の世界は随分と食に対してこだわりがあるんだな」
アスカは面白いといった雰囲気を隠さないままに、よく焼かれたステーキをナイフで切り口へと運んだ。別に食える、と思っているのか、小さく頷いている。
ハルカは味のしない(正確にはうっすらとした塩味がする)ただ野菜をすり潰しただけのザラザラとしたスープを口に含んでからゆっくりと口を開いた。
「そうですね。俺の世界というか、俺がいた国が食にうるさいんです」
「ウィラウールは、というかこの世界はあまりそういう文化はないかもしれませんね。他国の料理も、使う食材は違えどあまり変わりはありません」
「王族の食事がこれだからな。俺たちもこれを当然だと思っているし、とくに不満を抱いたことはない」
アスカの言葉に、この食事が彼らにとっても通常なのだと知る。簡易版では、と思っていたがそうではないらしい。三食このレベルのものが出るようだ。イメージしていた王侯貴族の食事とは少し違う。王族でこれなのだから、一般市民が口にするものは推し量られる。
「そうなんですね……」
「ハルカ。もしこちらが嫌であれば、他のものを用意させてみましょうか」
イエディが気遣うようにハルカの顔を覗き込みながら問いかける。遠慮しなくてもいいぞ、とアスカが続けた。
「いえ、大丈夫です。 美味しくないというわけではないんです」
「そうか」
はい、とアスカに対してしっかりと返事をしながら、ハルカはフォークとナイフを動かしていく。
何もかかっていないサラダは、新鮮だが青っぽい味の葉物や茹でられただけの根菜類の味がダイレクトに口の中に広がる。スープはじゃがいものみで作られているごくごくシンプルな作りだ。言い換えるとすり潰して塩を少し加えただけ。ステーキは牛肉のようだが、しっかりと火が通されて塩が振られたのみ。ウェルダン、という次元ですらない。添えられた丸いパンの固さは言わずもがなである。
調味方法が乏しいだけでなく、調理方法も少ない。それがこのウィラウール王国の食文化。否、この世界の食文化。
(うーん。食べられないことはないけれど……)
ハルカは黙々と咀嚼をし、焼きすぎてゴムのように固くなった肉を無理やりにごっくんと大きく飲み込んだ。
(これがずっと続くのは、キツイかもしれない)
「さて、ハルカの今後だが」
食事が済んだところで、国王であるアスカが口を開いた。
ハルカはびしりと姿勢を正して重々しく頷く。次に続く言葉で、ハルカの今後の生活が決まる。無碍な扱いはしないと言ってくれてはいるが、どうなるか。召喚者とは言っても平民だ。いつまでも王宮に置くわけにもいかないだろう。あんな豪華な部屋は、客人だから許されるもの。すぐに使用人が使う部屋か、物置みたいな場所に移動させられるかもしれない。そのうち、金銭を渡すから町で生活するよう言われるかもしれない。
この人たちは良い人たちかもしれないが、他の貴族連中はどうだろうか。ぽっと出の人間がいつまでも王宮に居座っていれば、良い顔はしないだろう。貴族というものは、体裁を重視する。王族とて、それは同じだ。むしろ王族はそういうものを大事にしなければならない立場である。
ハルカとしては、それを理解しているし何を言われても受け入れるつもりはある。ただ、少しの間は、この世界に慣れるまでは面倒を見てもらえたらありがたい。生きる術を身に着けるまでは。
「ハルカはどうしたい」
「え」
「この世界のことを知らないと不便だろうから、しばらくは勉強に時間を充ててもらうが」
――学んだあとは、町で一人逞しく生き延びるんだぞ。
そんな言葉が続くことを覚悟して、ハルカは肩を強張らせた。
「それだけでは退屈だろう。何かしたいことがあれば手配する。趣味などはないのか」
「……え?」
「趣味だ」
「しゅみ」
「なんだ、お前の世界には趣味という言葉はないのか……?」
「あ、いや、趣味の意味は分かります。そうではなく……、いいのですか?」
「何がだ」
「いや、俺はただの平民です。いくら召喚者だからといって、いつまでも王宮内にいるのは……」
ハルカの言葉に、アスカの肩眉がぴくりと上がった。瞬間、サッと部屋の空気が冷える。国王が、不機嫌を呈したことの表れだ。
「……お前は町で暮らしたいのか?」
低い声は、決して怒鳴っているわけではない。しかし何かがアスカの気に障ったのだと、ハルカが察するには十分だった。部屋の空気はひんやりと感じるはずなのに、ハルカの額には汗が垂れる。
一国の王の覇気というものが、こんなにも畏れを抱くものだとは。味わったことのない、単なる恐怖とは異なる感覚がハルカの腹の底をぐらぐらと揺らす。
「い、いえ」
「では、俺が……俺たちが、お前を町に放り出すと?」
「決してあなたたちがそんな人間だと言っているわけでは……。ただ、俺がここに居続けるのは申し訳ないというか、立場がないというか……。陛下方が良くても、他の貴族様方が」
「俺が、良いと言っているんだ。それ以上、何が必要だ」
イライラとした様子のアスカに、イエディが宥めるようにまあまあと声をかける。それから柔らかい笑みを浮かべてハルカを振り返り、ゆっくりと頷いた。
「そうですよ、ハルカ。陛下がこう仰っているのです。誰が何と言おうと、関係ありません。もちろん、私もハルカを捨てるつもりは毛頭ありません」
「そうは言っても……」
それでも。そう遠慮するハルカに、今度はトウリが苛ついた声を上げた。
「ごちゃごちゃうるせぇなあ。アスカ兄上が良いって言ってんだから良いんだよ」
「そうですよ、ハルカ様。ここで好きなだけお過ごしください」
エミーレが、トウリとは正反対の空気を纏ったまま口を揃える。アスカだけでなく、イエディ、トウリ、エミーレにも言われてしまえば。
ハルカが躊躇いながらアスカを見ると、視線が交わる。不安はあるものの、逃げることなくその青い瞳を見つめるとふっと空気が和らいだ。先程までの国王としての威厳を潜め、ただ真っ直ぐにハルカを見据える瞳には色が灯り、ゆるりと口角が持ち上がった。
「そう、言っていただけるなら」
ハルカが受け入れる姿勢を見せれば、アスカをはじめとした王族たちは皆満足気に微笑んだ。
美男美女に、王族たちにこうも強く言われて、反発し続けることもできないのが平民の血だ。もしここに居られなくなるときが来れば、そのときはそのときだ。ハルカは腹を括る。ここに置いてもらえるならば、その方が良いに決まっている。この世界の何もかもが分からないし、勉強したとて手に職もない、魔法も大して使えない平民が、町で生きていけるとも思えない。
「で、何かしたいことはないのか」
「え、そうですね……」
改めてアスカに問われ、ハルカは頭を抱えた。
趣味と言える趣味らしいものは持っていなかった。それが悩みでもあったのだ。本を読むことは嫌いではないが、趣味と言えるかと問われると微妙である。この世界の文字も読めるようだから本を借りてみるのも良いが、それだけでは味気ないような。
「あ」
ハルカはぱっと顔を上げた。
「料理してもいいですか?」