38. 両方に決まっている
隙間から湯気が零れる鍋の蓋を持ち上げると、ぼわりと勢いよく湿った熱い空気が顔を包む。火傷しないように避けながら中を覗けば、ふっくらとして艶やかな米粒。
「ほう、これは……。パンを焼いたときの小麦の香りとはまた違った、なんとも言えない良い匂いだな」
ジャックが隣からぬっと顔を出し、鍋の中を覗き込む。熱くないのだろうか、とハルカは少し心配するも、大丈夫そうな様子に口にはしなかった。
「味見してみますか? あまり味がしないと思うかもしれませんが、よく噛んでると甘く感じてきます」
そう言って、ハルカは鍋の中を大きく混ぜてから一口分をジャックの手に乗せた。熱いはずだが、やはり熱がる素振りは見せない。料理人は手で温度を測ることが多いので熱さを感じにくい、とか聞いたことがある。ジャックの手は小さな傷痕が多く、皮が分厚そうな男らしい手だ。その類だろうか、と思いつつ、慎重に米飯を口に運ぶジャックを見上げた。
どうですか、と首を傾げると、目を閉じて言われた通りによく噛んでいたらしいジャックがゆっくりと瞼を持ち上げた。
「これは……、新しいな! 柔らかくて、粘り気もあって……。うん、食べ応えもありそうだ。確かに味は薄いが、噛めば噛むほどじんわりと甘さが広がる。味の濃いおかずなんかとは、よく合いそうだ」
さすが、料理人の感想だ。 分析するようなジャックにハルカはよかったと微笑んだ。慣れない味だが拒否感はないようで何よりである。白米が本領を発揮するのは単体で食べた時よりも何かおかずと食べた時だと、ハルカは思っている。肉じゃがなんかと一緒に食べたときにはきっとまた違った反応が見られるだろう。
米を炊いている間に肉じゃがもポトフも具材に火が通った。味見をして、醤油や砂糖、塩で味を調えたら完成である。他の料理人たちが用意してくれていたサラダとパンを盛り付けたら、今日の昼食が出来上がった。
「では、これを王族の皆さんにお出ししてきますね」
「ああ、頼んだ。こっちは任せとけ!」
いつものシルバーの台に肉じゃがとポトフが入った鍋、白米が入った鍋、サラダとパンを乗せて、ハルカは王族専用の食堂へと向かう。ガラガラと音を立てながら台を押していると、ふっと横に影ができた。
「あーるじ」
「サイ、戻ってたんですか」
「はい、さっき。訓練すげぇ疲れたあ」
音もなく現れたサイアスが、ハルカに代わって台を押す。疲れたとは言いつつも、護衛としてハルカの手伝いはする姿勢は流石だな、とハルカは礼を言って微笑む。
今朝、ハルカが厨房に篭ることを伝えるとサイアスは嫌そうに騎士寮で行われている訓練へと参加しにいったのだった。王宮内で危険があることはまずない(あれば王侯貴族も同様に危険に晒されることになる)ため、とくに厨房から出ない日はサイアスは自由に行動ができる。とくに用事がなくともハルカについている日もあれば、今日のように騎士団として訓練に参加したりもしている。
「今日のメニューは?」
「メインは、肉じゃがとポトフです。サイはどっちがいいですか?」
「え」
「え?」
ガラガラと台車のタイヤを鳴らしながら、二人は廊下を歩いていく。きょとんとした顔を見合わせて、お互いに首を傾げた。
「今日は二種類用意したんです。新しい料理なので」
「この大きい鍋二つっすね」
「はい。だから、どちらがいいかと」
「どっちもはダメなんすか?」
「え?」
「どっちも。主のメシ食えないなんて俺イヤっすけど。すげぇ腹減ってるし」
ごくごく真面目に、サイは言う。ハルカは目を瞠ってなるほどと頷いた。メインとなるおかずは一種類という決まりはない。肉じゃがとポトフは食べ合わせが良くない、というかほとんど同じものだからどちらかで良いとハルカは思うのだが、それも個人の自由ではある。加えて騎士であるサイアスがよく食べることは知っているし、訓練後であればなおさらだろう。
「ふふ、ではサイは両方ですね」
「俺はっつーか……」
ほのほのと微笑むハルカに、サイアスはええ、と胡乱な顔をして見せる。しかし「まあいいや」と呟き、くるりとハルカの顔を覗き込んでにっこりと笑う。
「どっちも食べたいんで、よろしくっす」
「はい」
(あ~、やっぱ思ったとおりだな)
サイアスが呆れたように笑う。食堂に食事を運んだハルカが、王族たちにサイアスに投げかけたのと同じ質問をした結果、サイアスと同じ答えを貰って困惑している様子を見ながら。
(主の料理で、どちらかだけを選ぶなんてありえねぇのになあ。この人、そこんとこ自覚薄いんだよな)
パタパタと慌てて全員に二皿ずつ用意するハルカを手伝いつつ、サイアスはテーブルを覗く。
サラダとパンはいつも通りだが、いつもと違う点が三つ。ハルカが肉じゃがと言っていた、少し濃いめの色で味付けられたもの。ハルカの料理はどれも新鮮ではあるが、それらとは一風変わった匂いを漂わせている。しかしそれが嫌かと問われればそんなわけはない。
ポトフと言っていたのは具材が大きいスープのようだ。いつも通りに旨そうだ、とサイアスは心の中で頷く。
テーブルの上で一際異彩を放っているのは、白い物体。お椀に盛られたそれはふっくらとしているが、今まで見たことがないものだ。食べ物かも分からない。しかしハルカが出すもので不味いものはない、とサイアスはハルカに全幅の信頼を寄せているため、ただ自分も早く食べたいと思いつつ静々と王族たちへの給仕を手伝った。
「お前の料理を、試しもせずに食わないなんてありえねーだろ」
第三王子であるトウリが鼻で笑う。馬鹿にしてる風だが、ただハルカの料理を褒めているだけだ。ハルカは恐縮するように微笑んで、トウリの前に肉じゃがとポトフの両方の皿を置いた。
末っ子であり唯一の王女であるエミーレも当然のごとく両方を欲しがったので、ハルカ控えめな量を皿によそった。
「……少ないです」
エミーレは女子であるというだけでなく、まだ身体も小さい。年齢を考えれば当然だが、兄たちがたっぷりな量を食べることができるのが羨ましくなったのだろう。ぽそりと、小さく呟かれた不満は、ハルカとサイアスにしか届かないほどのものだった。
ハルカは音を立てずに笑みを湛え、膝を付きそっとエミーレの顔を覗き込む。
「お腹に余裕があったら、あとでおかわりしてくださいね」
「はい……!」
ぱあっと花が咲くように顔を綻ばせたエミーレに、ハルカはふわりと微笑み返した。
全員に料理が行き渡ったところで、改めてハルカは今日の料理の説明をする。これは恒例のことであるが、今日はいつもよりは少し長めだ。
肉じゃがと白米の説明をしている間にも、王族たちは次々と料理に手を伸ばす。
「ん、このニクジャガという料理、確かにいつもと味が違いますがとても美味しいですよ。なんだか初めて食べる味なのに懐かしいような感覚になります」
イエディがうんうんと頷きながら肉じゃがを頬張る。明らかに洋風な金髪美男子が肉じゃがを食べている姿はややちぐはぐだ。しかし気に入ってもらえたなら良かったと、ハルカは胸を撫で下ろした。
その隣で黙々と白米を口にしているのは国王であるアスカだ。とくに何を言う訳でもなく、淡々とだが、料理を口に運ぶ手は止まらない。
「陛下、コメというものはどうですか?」
アスカの感想が気になったのか、イエディが尋ねる。アスカはイエディをちらりと見て、無言のまま一つ頷いた。
イエディはそれで充分だったらしく、そうですか、とほのほのと微笑んでいる。アスカが何を言いたいのか、言葉はなくとも分かるらしい。兄弟だからこそだろうか、とハルカは二人を見つめた。
フッと顔を上げたアスカの瞳がハルカを捕らえる。
「……」
ハルカがにこりと微笑むと、アスカは無言のままほんの少しだけ頷いて再び自分の手元へと視線を戻した。皿の中はもう残り少ない。いつも通り、おかわりが必要だろうとハルカは用意をする。
(陛下はこの前食べてるからな。気に入ってくれていたし、今日のも大丈夫そうだ)
無愛想に見える(というより本当に無愛想なのだが)アスカは口数も少なく、表情もあまり変わらないので料理に対してどう思っているかは分かりにくい。しかし、今までのアスカを思い出せば、ちゃんと美味しいと思ってくれていることは分かる。
予想通りにおかわりを申し出たアスカに肉じゃがとポトフ、さらに白米をよそいながら、夜中に握ったおにぎりを思い出してハルカはくすりと笑みを溢した。
「はあ~すっげぇ腹減った!」
「そうですね、食べましょう」
厨房に戻り、まかないを食べるように厨房の端に用意されているテーブルについたハルカとサイアスは、それぞれ料理を盛りつつ椅子に腰かけた。
ハルカやその周囲の人間用の料理は、厨房の料理人たちのまかないとは別に分けてある。以前、分けずに給仕に出たら帰ってきたときには綺麗になくなっていたことがあったからだ。ハルカは残念には思うものの大して怒ることもなかったのだが、料理人たちは反省しきりだった。それ以来、数人分は綺麗によけられている。
サイアスは宣言通りに肉じゃがとポトフ、そして白米とパンとサラダを自身の前に並べている。ハルカも、せっかくなのでと同じように全部の料理を盛り付けた。ただし、量はサイアスよりも控えめだ。サイアスはすべてを一人前ずつ用意しており、つまりは二人前を食べようとしているので、とてもハルカには真似できない。
「ん、肉じゃがうめぇ!」
「よかったです」
ハルカはぱくりと白米を頬張った。じんわりと広がる甘さに嬉しくなる。やはり和食の味は懐かしく、美味しい。肉じゃがのじゃがいもはホクホクとしており、豚肉の脂の甘味と醤油と出汁を吸って味わい深い。白米と一緒に食べることで互いの良さを発揮できる。肉じゃがとパンは、ハルカとしてはあまりやらない食べ合わせなので、パンはポトフと一緒に頂く。
「このコメもいいっすね、俺好きっす」
「あ、なら今度はサンドイッチじゃなくてお米を使ったお弁当を持って外に行くのもいいかもしれませんね」
「え、なんすかそれ、気になる」
「米を使った携帯食があるんですよ」
どんなのどんなの、と騒ぐサイアスに微笑みながら、ハルカは久しぶりの和食を堪能した。




