36. 異世界にも馴染んだようです
後日。
「ハルカはいるか?」
唐突にハルカの部屋を訪れたのは、この国最高位の魔導士であり魔導長のルナだった。
「ルナさん」
先日、魔導宮に見学をして以来とくに会うことはなかったルナが王宮に突然現れたことにハルカは驚く。何か用事だろうか、とルナを部屋に招いてソファに促す。
「いやな、大した用ではないのだが。先日貰ったサンドイッチ、非常に美味だった」
にっこりと可憐な笑みを浮かべるルナは、その容姿だけで言えば絶世の美少年だ。魔導宮では軽く挨拶をした程度であったが、こうして面と向かってみるとその美しさに息を呑む。
白を印象付ける髪と肌。発光するかのように美しい姿は、天界の存在のよう。魔導士を示す深緑のローブに、金色のブローチが輝く。同じものをイエディも付けていた気がするから、高位の魔導士を示すものだろうか。たしか研究室を見学させてくれた魔導士たちには、ブロンズのものが光っていた。
「お口に合ったようで良かったです」
「お主がクィンに作り方を教えただろう。あれから配達の食事が美味くなったので皆喜んでおるのだ」
「お役に立てたようで」
光栄です、と微笑むハルカに、ルナも美しい微笑を浮かべたまま瞳を細める。
「それでな。お主には礼をせねばと思って今日は参ったのだ」
「そんな……、大したことはしていません」
「いや、食事の改善というのは心身の健康に大きく寄与する。他の魔導士からも、研究の効率が上がったと評判だ」
食事が健康に大事だというのはその通りだ。だからこそハルカも忙しい社会人生活の中で自炊を心掛けていたのだから。
「ありがとうございます」
「礼として、これをお主に。持っていないと聞いてな、便利だぞ」
ルナが腰に下げたウエストポーチから取り出したのは、同じような小さなポーチだ。ん、とハルカは違和感を覚える。ウエストポーチに入らなそうなサイズ感のポーチが、出てきたことに。
「ポーチ、ですか?」
手渡されたそれをひとまず受け取る。やはりポーチに見える。黒い生地にシルバーのボタンのシンプルな作りで、裏にはベルトを通せるように細工されている。
「空間魔法付きのポーチだ」
「えっ」
「なんだ、不要か?」
「いえ、そうではなく」
空間魔法。物体を亜空間に保存できる極めて特殊な魔法であり、使える魔導士は非常に少ない。黒魔法の亜種とされているが、その詳細は機密事項であり使用者についても極秘とされている。
ハルカがこの空間魔法について教わったのはつい先ほど、魔導宮見学中のことだ。ハルカ自身が使えるわけではないので、普段の講義のときにはあまり話題になったことがなく、魔導宮見学中の雑談がてらに聞いたところだった。
空間魔法はその注入する魔力量によっては無制限に亜空間を生み出すことができる。さらにその中では時間が停止しており、物体をその時のままで留めることができる。ただし生命体を収納した際には時が止まることはなく、しかしゆっくりと時間が流れる。
大規模な空間魔法ともなれば、土地そのものを収納することができる。生命体も入れることが可能でありさらにはその寿命が延びることになるため、理論上は空間魔法内に建国ができる。ただしそのような使用方法は禁止されている。公には。
一般的に、空間魔法は鞄やクローゼットなど、収納道具に付与される。それらはごく少数販路に乗るものの、その価格は一般市民の手が届くものではないため王侯貴族の一部が持つのみだ。
ハルカは以前に一度これを目にしている。トラディスが持っていたものがそうだった。大きなオークの身体も、小さなポーチの中にすっぽりと納まっていて感心したものだった。あのときは便利だなあとしか思っていなかったハルカであるが、いま思えばあれは騎士団長であるからこそ持つことができるものなのだと分かる。
ルナがこれを取り出したウエストポーチも、まさしく空間魔法付きなのだろう。魔導宮のトップともなれば持っていても不思議ではない。違和感の正体に納得しつつも、ハルカは丁寧な手付きで黒いポーチをテーブルの上に置く。
「こんな良いもの、頂けません」
「まあ、普通ならなかなか手に入る代物ではないな」
コロコロと可憐に笑うルナは、しかし譲らないと小さく首を振る。
「イエディ様にも了承を得ているぞ。ハルカは持っていた方が良いと我もイエディ様も判断した。サンドイッチへの礼だけでは足りないと言うのであれば、これからの期待も含まれているとしようか」
にっこりと美しい天使の微笑み。こてん、と小首を傾げる仕草は愛らしい。
非常に重たい、一生を費やしても応えることができるか分からないほどの期待がのしかかっているらしい、とハルカは苦々しく笑う。
「ご期待に添えられるかどうか」
「お主なら、と我らが判断したことだ。違えることはないと断言するが、それでももし期待に添わない結果となったとしたら我らの目が曇っていたまで」
すうと細められた瞳は、甘い色の奥に鋭さを隠している。ハーフエルフとして長い間人間を観察してきた経験に裏打ちされた自信。魔導宮トップに君臨できる知恵と聡明さから導き出される間違えることのない予感。
受け取るまではきっと動かないのであろう、とハルカは諦めた。この世界の最高峰の魔法を付与された魔導具をただの一般人であり異世界人であるハルカが所持するわけにはいかない、という言い訳は通用しない。イエディにも相談の上という根回しまで完璧なのだ、逃げられる道はない。
「……それでは、ありがたく」
「うむ」
「そうだ、少しお待ちくださいね」
ハルカは立ち上がると、応接室としている部屋の壁際に備え付けられた棚へと向かった。そこには茶道具が一式あるのだが、それはすでにアッシュによってハルカとルナの目の前に完璧に用意がなされている。ハルカはティーカップが並んでいる棚の隣の扉の取っ手を引く。中から花柄の缶を取り出すと、ルナの前へと差し出した。
同時に、アッシュがいつの間にか用意をしていた紅茶が二人の前に置かれる。ハルカはアッシュにお礼を言ってからソファに座り直した。
「こういったものはお好きでしょうか」
「ん、これはなんだ?」
「クッキーです。甘い焼き菓子で、お茶請けに用意しているんです」
蓋を開けると綺麗な丸型のクッキーが並んでいる。薄い黄金色に色づくプレーンクッキーだ。ふんわりと甘い香りを漂わせるそこからいくつか取り出して、小皿の上に並べた。
ルナは興味深そうにそれを眺めて、すっとハルカを見据えた。
「ハルカ、これもお主が?」
「はい」
このクッキーはもちろんハルカが作ったものだ。この世界では甘味が少なく、お茶請けには果実の蜜漬け程度しか存在していない。そのため、最近は時々こうして焼き菓子を作っては小腹が空いたときや来客時の茶菓子用としてストックしている。
ルナの白魚のような指先がクッキーを摘まむ。そのまま薄紅色の口元に運び、サクリと音を立てて齧った。
「……ははは! 早速期待に応えてくれているではないか。やはり我の勘は間違いではなかった」
サクサクと一枚目のクッキーを食べきり、もう一枚に手を伸ばす。そんなルナの手元の小皿にハルカはクッキーを追加した。
アッシュの淹れた紅茶と一緒に、ルナは恍惚とした表情でクッキーを咀嚼している。
「もしお好みに合うようでしたら定期的にお持ちします」
「十分すぎるな。なんならもう一つ魔法空間付きの鞄をやろうか」
「一つで大丈夫です」
これもいくつか包みますか、とハルカが尋ねれば、ルナは嬉しそうに頷いた。
「ではな、また魔導宮に遊びにくるが良い」
「はい、ぜひ」
ルナが魔導宮に戻ったあと、ハルカはルナから貰った空間魔法付きのポーチを観察していた。見た目は普通のポーチだ。アッシュが見繕ってくれたベルトを通せば、腰に下げることができる。シルバーのボタンが付いた蓋を開くと、中は漆黒。大きくはないポーチで、底があるはずの所に何も見えないのは不思議だった。
おそるおそる手を入れてみると、すっと抵抗なく暗闇に沈んでいく。手首の先まで入れてもポーチを突き破ったりはしない。熱くもなく冷たくもなく風もない、ただ無の空間が広がっているようだ。
「アッシュ君、見たことある? 使ったことある?」
「はい、王宮内では見ることがあります。ですが使用したことはありません」
紅茶を淹れ直してくれるアッシュに尋ねるとふるりと首を振られる。しかし知識はあるというアッシュが使い方の注意点を教えてくれた。
「実際には容量に制限はありますが、基本的には気にしなくても大丈夫なようです。入れたものはそのままの形で保存されます。何を入れたかを忘れると、物が取り出せなくなると言います。忘れない限りは思ったように保存と取り出しが可能です」
「へえ……、便利だね」
「はい、とてつもなく」
「上手く使えるかな」
「難しく考えずとも良いかと。たとえば食材や料理も鮮度を保ったまま保存できるようです。ハルカ様のお役に立つのでは」
「たしかに、それはありがたいね」
試しに、とクッキーの入った缶をそのままポーチの口に当ててみる。入るはずのないサイズだが、吸い込まれるように暗闇の中に吸い込まれていった。次は取り出そうという意思を持って手を突っ込む。缶は手に入れたそこに存在し、問題なく取り出すことができた。
同じようにクッキーを一切れ放り込んでみても、そのままの形で取り出せた。食べ物を生身のまま入れるのはなんとなく抵抗があるが、中が汚れることはなければ物体も影響を受けることがないらしいので問題はないのだろう。ただ、できれば布に包んで入れたい。
ハルカはポーチを通したベルトを腰に巻いた。
(今度は、何か別の焼き菓子を作ってルナさんへ持って行こう)
そんなことを考えながらポーチの位置を調整しているハルカに向かって、アッシュは静かに口を開いた。
「よくお似合いです」
黒地にシルバーのボタンがあしらわれたポーチは、ありきたりに見えるデザインだがどこか洗練された空気を纏っていた。アッシュが用意した黒い細身のベルトとよく合っている。似合う似合わない、はあまりなさそうなデザインには見えるが、アッシュはこういうときに無駄なお世辞を言うタイプではないのでハルカは素直に受け取ることにする。
「そうかな、ありがとう」
「ええ」
こちらの世界の衣服。こちらの世界の技術の粋を集めた魔導具。肌身離さず首に下げているネックレスも、膨大な魔力が込められたもの。
(なんだかすっかりこちらの人間みたいだな)
ふと思い返して、こちらに来てから随分と時間が経っていることにハルカは気づいた。
身に纏うのはすべてこちらの世界のもの。 こちらに来たときに持っていた鞄や着ていた服は、やはりこちらの世界にはないものなので、綺麗に畳んでクローゼットの奥に隠してある。
魔法がない世界に生まれ住んでいたのに、魔法を使えるようにもなった。
こちらの世界での知り合いも増え、こちらの世界の知識もある程度は学んだ。
「結構こっちにも馴染んできたのかもしれないなぁ」
ぽつりと呟かれたハルカの言葉。アッシュは一瞬身じろいだ。どう返していいか、と悩むように視線をうろつかせる。
「……ハルカ様がいらっしゃって久しいです」
「ね。気づかないうちに時間が経ってたよ」
あっけらかんと笑いながら言うハルカに、アッシュは曖昧な表情を浮かべる。いつも穏やかで、激しい感情を見せることがない主人だが、もし、心の内に寂しさを抱えていたら。
は、と口で息をするように唇を開けたアッシュは、すぐに引き結んだ。
しかしハルカはそんなアッシュの様子に気づき、柔らかく笑みを浮かべて首を傾げた。ハルカの促しに、アッシュは躊躇いがちにおずおずと小さく尋ねた。
「……帰りたいと、思われますか」
「え、そうだな。あまり考えたことがなかったかも、今は方法がないし。イエディ様に帰る方法を見つけていただいたときに、ちゃんと考えようかな」
「……」
アッシュはぽかんと小さく口を開いた。考えていない、なんて答えが返ってくるとは思わなかったのだ。確かに、元の世界に未練がある様子を見かけたことはなかったが、帰れるなら帰りたいと言うだろうと。
しかしハルカはそのときになってから考える、と。
(いや、ハルカ様らしい、か……)
穏やかで、感情の起伏が激しくなく、水の流れに身を任せるように柔軟で、どこか掴みどころのない我が主人らしいのかもしれない。アッシュは思い直して、開きぱなしだった口を閉じた。
「あ、でももしそのときになって帰りませんって俺が言ったら、イエディ様怒るかな? 異世界人の返還方法の発明なんて、きっと凄く大変なのに、俺が帰らないって言ったら無駄になるし」
「……技術自体は別の形で活用できるでしょうから、無駄になることはないかと。そして、イエディ様を始め王族の方々はハルカ様の選択を尊重されると思います」
「そうかな、ならいいか」
安心したようににこにことしているハルカに、アッシュはやはりハルカらしいと微笑を浮かべた。
「ハルカ様がこの世界を楽しくお過ごしになられているようで、私は嬉しく思います」
「うん、楽しいよ。みんな優しいし、アッシュ君もいるしね」
「恐れ多いお言葉です」
そっと顔を下げたアッシュが、実は照れているのだろうということを、ハルカは分かるようになった。
ルナが使ったティーカップの片付けをするアッシュを眺めながら、ハルカは腰のポーチをするりと撫でた。
(帰りたい、ってあんまり考えたことなかったな)
幸か不幸か、元の世界への未練は薄い。もちろん気になることはあるが、気にしたところで解決するわけでも解決に近づけるわけでもないのであれば、考えるだけ無駄だと割り切ることができるのがハルカである。
召喚されてすぐに帰る選択肢を提示されていたら選んでいたかもしれないが、現状帰る方法はなく、そのためか今までとくに気にしたことがなかった。
もしこの国が異世界人に対して差別的で、悪辣な対応をされていたら違うだろうが、ウィラウールの王族たちはそうはしなかった。むしろ良くされすぎている、と思うほどにハルカは不自由なく過ごすことができている。
(あれが食べたいな、とかは思うけれど)
元の世界で食べていたあれこれを懐かしむことはあれど、それだけだ。
つくづく己がこの性格で良かったとハルカは思う。当然ながら、人によってはこうも楽観的には過ごせないだろう。
そして召喚されたのがこの国で。出会ったのがこの王宮の人々で。
(運が良かったよなぁ)
少し冷めた紅茶を啜り、ハルカは小さく微笑んだ。




