34. 魔導宮の研究者たち
まずはじめに訪れたのは火魔法の使い手の研究室。
唐突な訪問にもかかわらず快く出迎えてくれた彼女の美しい栗色の髪の毛先が、焦げたように縮れているのが気になったがハルカはにこやかにお願いした。
大きくはない研究室だが、日本でいうワンルームマンションの一部屋程度の広さがある。
そこかしこに並んだガラスの容器は天面が空いており、中には魔石が入っている。そこに小さな火がゆらゆらと揺らめいており、部屋の中を明るく照らしている。
栗毛のロングヘアを雑に一つ結びをした女性魔導士は、ハルカに自らの研究内容について快活に語る。
「永遠に燃え続ける火……」
「正確には半永久的に、だけどね!」
彼女の研究は簡潔に言えば‟燃え続ける火”を開発することだった。通常の火は蝋や油などの基材と空気中の酸素を使って燃える。火の魔道具の一つである魔導ランプは、魔石を基材として通常の蝋燭などよりは長く安定して火を灯すことができる。すでに流通している火の魔導具だが、彼女の研究はその火をできるだけ長く、より効率的に灯し続けることができる魔道具の発明のために取り組まれている。
現在の魔導ランプは魔石に蓄えられている魔力が切れれば魔石を交換する必要があるが、彼女は基材としての魔石の中の魔力に加えて空気中の魔力を使用することで半永久的に燃え続ける火を作り出そうとしている。これができれば魔導ランプは空気があれば理論上永久的に火を灯し続けることができるし、他にも様々な活用方法が期待されている。
「すごい」
「凄く初歩的な魔法だし、凄く地味~な魔法だよ」
「そんなことないです」
火を灯す魔法自体は確かに最初に習う。火のサイズも今は大きくはない。しかし研究が進めばもっと大きな炎を持続的に作り出すことが可能になるのだろうし、安定して火を灯し続けることの難しさはハルカにでも分かる。私はこの魔法が好きなんだ、と彼女は朗らかに笑った。
火魔法のちょっとしたコツなどを聞き、魔力の調整を見誤るとこうなる、と焦げた毛先と焦げたローブを見せてもらい、ハルカたちは次の研究室へと移動した。
次の研究室は、扉を開けると雨が降っていた。
「わ、え? 雨?」
「あ、ちょうど降らしていたところでしたね」
思わず入室を躊躇すると、フッと雨が止む。雨の中に佇んでいた男は、イエディの姿を見て静かに頭を下げた。彼の艶やかな漆黒の髪が濡れていないのが、不思議だった。
室内を見渡すと、よく見ると壁や床に薄い膜のようなものが張られており、防水対策がされているように見えた。魔導士である彼が濡れていないのも同じ原理なのかもしれない。
物静かな彼が夜中に降る雨のようにぽつりぽつりと口を開く。雨の研究をしているという彼の最終的な目標は農業への活用だと言う。平たく言えば人工的に雨を降らすという魔法だ。魔力は術者の手元を離れるとコントロールが難しくなるため、広い範囲に雨を降らすのは高度な技術が必要となるらしい。使い方によっては敵国の農耕を枯らすことが可能な戦争にも役立つような研究であるが、彼の語る未来は豊かなウィラウール王国についてだった。
「彼はきっとウィラウールの発展に寄与してくれるでしょう」
もう一度雨を降らせる魔法を見せてもらったあと、次の研究室へと向かう廊下でイエディは嬉しそうに言った。王族が本人の前で言えば不要なプレッシャーになるだろうと、あえて室内では黙っていたのだろう。微笑むイエディの横顔は王族のものだった。王位継承権を放棄したとはいえ、王族としての立場は忘れない。マクレイに小言を言われることはあっても公務もきちんとこなしているイエディだからこそ、魔導士としての自由を許されているのだろう。
土魔法は先ほど実験場で見学したため、最後に風魔法を見に行くことになったハルカは、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「黒魔法も珍しいんですよね」
「そうですね。でも身近にいるんですよ」
「イエディ様ですか?」
「私はもちろん使えますが……」
にこりと微笑んだイエディの視線の先は、ハルカの斜め後ろ。
「えッ!? 俺は大したことはできないッスよ?」
「サイ、魔法使えるんですか」
ハルカはサイアスが魔法を使ったところを見たことがない。驚いて振り返るハルカに、サイアスは使えるけど~ともごもごとしている。
「サイアスは黒魔法使いですよ」
「知りませんでした」
「いやあ、黒魔法っつったって、何もできないも同然だしぃ」
「見たいです」
「ウッ」
ハルカのキラキラとした瞳に、サイアスの言葉が詰まる。イエディが無言の圧を掛ける。ううん、と躊躇いがちなサイアスは「本当にしょーもないッスよ~」と念押しをしてから移動する。廊下の端の薄暗いところに壁を背にして立った。
「ん、あれ」
壁を背にして立っていたはずのサイアスが、消えた。
「黒魔法の一つに、影に溶け込むものがあります。闇魔法と言います」
「全然分からなくなりました」
「ほら」
イエディが解説をしながらついと指先を薄暗い壁に向ける。ぽう、と光を浮かべて壁沿いを照らすとサイアスの姿が浮かび上がった。
「俺の闇魔法、あんまり使えないんすよ~、照らされたらバレるし、影に隠れられる部分しか消せないんで」
「十分凄い気がしますけど」
「まあ夜には多少便利かな~ってくらいッス。騎士の仕事してれば使うことあんまないッスね」
黒魔法を解いたサイアスが、やれやれと言った感じで戻ってくる。騎士の仕事では使わない、ということは騎士になる前には使っていたのだろうか。
不思議そうな目を向けるハルカに、サイアスはウインクだけ返した。普段から気配を消すのに長けたサイアスであれば、似合いの魔法だな、とだけ思ってハルカも深追いはしない。
「黒魔法はやっぱ呪いが真骨頂っすよ。俺が使えるのはほんのオマケ程度のモンっす」
「黒魔法の使い手は少ないですし表で活動することもないので、見かけることはあまりないでしょうね」
この世界の魔法について基本的なことは教えてもらっていたが、実践となるとやはり違うようだ。
ハルカがイエディとサイアスの話を頷きながら聞いていると、ある部屋の前に差し掛かる瞬間に二人の足がぴたりと止まった。確か目的の研究室だったはずだ。
「? どうしました、か、ッ」
スパンッ
何かが通り過ぎたような軽い音が響いたと思ったときには、サイアスの身体が上から被さってきて視界が埋まっていた。その後ろでパッと空間が光る。身体を支えてくれるサイアスの腕を背中に感じる。尻もちをつく形で廊下に座りこんだハルカは、何が起きたか分からない。
「……サイ?」
様子を窺うように声を掛けると、ふうと息を吐いたサイアスが身体を起こしながらへらりと笑う。怪我はないかと問いかけてくれるのに頷くと、安堵したように立ち上がった。
「実験失敗したみたいッスね~」
「ここではよくあることですが……」
仕方なさそうに笑うイエディが、空間に翳していた手を降ろす。すっと消えたのは光の壁。何か、防壁の魔法を展開していたらしい。
目の前には、大きな刃によってできた傷痕のようなものが壁に描かれていた。同じものが向かいの扉にもくっきりと刻まれている。二人が足を止めずに歩みを進めていれば間違いなく当たっていただろう。実験の失敗、と言うが一体どんな実験をしていたのか。
すると、その刃が飛んで来た先、扉が勢いよく開いて男が顔を出した。
「あ、大丈夫でしたか?」
「ええ。防御魔法はしっかりと張ってくださいね」
「すみません、思ったより威力が高くなってしまって」
申し訳なさそうに、しかし特段焦った様子もなくこともなげに謝るその男が、この刃の創造主らしい。穏やかそうな相貌の彼がどんな魔法を使い、失敗して今のような鋭い刃を生み出すことになったのか。
傷付いた扉から招かれた研究室へと入ると、そこはいっそ幻想的と思えるほどにあらゆるものが切り刻まれていた。荒れ果てた室内は、まるで嵐が通り過ぎたよう。紙が切れ、布が切れ、ガラスが切れている。それらすべてが鋭利な切り口であることから、おそらく先ほどの魔法の成果なのだろう。たしか、彼は風魔法の使い手のはず。
「風の刃?」
「その通りです。僕は風の攻撃魔法の研究をしています」
散らばった紙切れたちを拾い集めながら、穏やかな男が言う。
より早く、より鋭く、より攻撃力の高い風魔法を構築するのが彼の研究だ。彼にとっては狭い個人の研究室では、威力を凝縮した刃を作る実験をしていたそうだが、時々先刻のように暴発が起きて室外へも被害を及ぼしてしまうらしい。常から防御魔法で部屋全体を覆っているのだが、それを貫通する威力だったのだろう。
なるほど、ルナが気にしていたのはこういうことだったようだ。もし実験失敗の場に出くわしたとしてもイエディがいれば魔法防壁を張ることができ、サイアスも騎士としてハルカを守る行動をとる。そうイエディに説明されて許可をしたということのようだった。
ちなみに魔導宮において実験の失敗は通常運転なので、この程度であればとくに咎められることはない。物損だけであれば原状復帰の義務が課されるのみだ。人身事故となれば話は別だが、この宮にいる者はみな失敗に巻き込まれることを想定しているためある程度は自衛ができる。そうすることで己が失敗をしたときにも責められないように保険をかけているのだ。いわゆるお互い様の精神。
片付け終わった風魔法使いは、小規模な風の刃をいくつかハルカに披露した。穏やかな口調だが、内容は結構刺激的だ。こういう刃は切り口が、このくらい鋭くするとえぐり方が、速度を上げると気づかれない内に、など。非常時には人に対して行使することを想定されている攻撃魔法なので当然と言えば当然ではあるが、暴力とはかけ離れていそうな穏やかな男から発せられるのが妙もちぐはぐだった。
「練習してみますか?」
「いえ、使う予定がないので……」
「便利なんだけどな。勉強したくなったらいつでも声をかけてくださいね」
穏やかな風魔法使いからの勧誘を躱し、ハルカは傷から廊下が見える扉を押し開けて部屋を出た。
これで一通りの魔法の見学が終わったハルカは、廊下を歩きながらイエディに感想を求められる。
「俺の世界では魔法は本の中のものだったので、すべて想像でしかありませんでした。今日いろいろと見せてもらったことで、イメージがはっきりとした気がします」
「それは良かったです。これからも時々見学してみると良いですよ、魔法は他にもたくさんありますからね」
「はい」
一人ではダメですよ、と添えられつつ歩いていると、向こうからエプロンを下げバスケットを手にした料理人らしき人物がやってきた。
魔導宮の研究室は研究機関でもあるが宿泊施設も兼ねている。兼ねざるを得なかった、というのが正しいが。研究者というものは得てして研究に夢中になれば寝食を忘れる者が多い。そのため各研究室の奥には小さな仮眠室が備わっており、そこで寝泊まりをすることができる。
そのため魔導宮には専用の厨房と食堂も存在している。そこの料理人だろう。イエディの姿を見て礼をしながら、ある研究室の扉を叩いて返事を待たずに紙袋を足元に置く。
「ちょうどよかった、クィン」
クィンと呼ばれた男は次の部屋にも同じように紙袋を置いてから、ハルカたちの前にやってきた。後ろで一つに縛られた褐色の癖毛が揺れる。腕に掛けられた大きなバスケットの中には同じ紙袋がたくさん入っていた。
「イエディ様! お久しぶりです」
「ええ。久しぶりですね。こちらはハルカです。王宮の……」
「あの料理人のハルカさんですか!?」
ぱあっとクィンの瞳が輝く。くるんとカーブが掛かった前髪が弾む。バスケットの中の紙袋がガサリと音を鳴らした。
「お噂はこちらにも届いています! お会いしたかったんです!」
「光栄です」
天真爛漫に笑いながらクィンがハルカに片手を差し出す。握手をしながらハルカは恐れ多いなと微笑んだ。
「クィン、私たち昼食がまだなんです。こちらで食事を頂いても?」
「あ、はい、もちろんです! でも、うちはあまり食事の用意が整っていませんよ……?」
専用の食堂がありながら、用意が整っていないというのはどういうことか。不思議そうな顔をするハルカと異なり、イエディは頷いている。
「分かっていますよ、あるもので構いません。それに、ハルカがいますし」
「えっ」
唐突な名指しに、ハルカは思わず声を上げる。イエディは可笑しそうにくすりと笑い、クィンはさらに瞳を輝かせた。
「ハルカさんが何か作ってくださるんですか!? 僕も見たいです! 配達を終えたら戻ります!」
「せっかくの機会です、クィンも見せてもらった方が良いでしょう。待っていますね」
「ありがとうございます! できるだけ早く戻ります~!」
そう言い残して、ぺこぺこと頭を下げつつイエディたちの前からクィンは立ち去った。その後ろ姿を眺めていると、ある扉に差し掛かればノックをしてから足元に紙袋を置く、一つ飛ばして次の扉をノックして足元に紙袋を置く、を繰り返しながら足早に廊下を進んでいた。
あれはもしかして、とハルカは厨房へ向かうために歩みを再開させる。
「食事の配達をしているんですか?」
「ここの食事事情は少し特殊なんです」
研究者は得てして寝食を疎かにする。つまり魔導宮内の食堂でゆっくりと食事をとる者は非常に少ない。サラダとスープとメインとパン、だなんて摂取するのに手数が必要で時間のかかるメニューは不人気で、必要最低限の栄養素が手早く摂取できれば良いという考えから、パンとハムとチーズだけ、少し余裕があるときはスープを少し、というメニューが好まれる。そのため魔導宮の厨房ではいかに効率よく腹を満たせるかに重視を置いた料理しか提供されない。この国の食文化ではあまりレパートリーはない。
しかしながら食堂に訪れる者はまだマシな方で、食堂にすら足を運ばずに何食も抜いて研究に明け暮れるものすらいる。倒れるまで部屋から出て来ない者もいる(倒れていては部屋から出られず、同僚に発見されて運び出されるのだが)ため、料理人が料理を部屋まで運ぶようになったのだ。
それが先ほどの配達。紙袋の中にはパンとハムとチーズが入っている。味は二の次で、いくつか種類のあるそれらの中でもある程度日持ちのするものが選ばれている。しょっぱいハムと堅いチーズだ。
「ちょうどお昼時ですし、何か作ってください、ハルカ」
あまり食材がない、と聞かされたあとで無茶なリクエストだ。ハルカは苦笑しつつ「頑張ります」と答えた。




