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31. 遠い国から来た旅人

 ハルカはまだ馬に一人では乗れない。

 黒い毛の馬を引いてきたサイアスに促されるままに後ろに乗り、森の中を進んでいく。いつか乗れるようにならないと不便かも、とサイアスの背中に零すと「俺が乗せてあげるから大丈夫」と軽い調子で返ってくる。


「ま、主が乗れるようになりたいなら練習付き合いますよ」


 軽く馬を乗りこなす姿はやはり憧れる。この世界に来るまで馬に触れたこともなかったハルカだが、男のロマンというものだろうか。

 サイアスが言うように、移動の際には誰かしらが付いてきてくれるのであれば自分が一人で乗れなくて困ることはないかもしれないが。この前トラディスに乗せてもらったときもそうだったが、一人で乗り降りもままならないのは少し恰好がつかないだろう。誰もそれを馬鹿にしてくる者はいないが、己のプライドの問題である。


「そうですね、少しは乗れた方がカッコいいと思いますし」


 ハルカがそう言えば、サイアスがくるりと振り返った。その顔ににんまりとした笑みを浮かべている。

 

「カッコいい? 俺もカッコいい?」


 にやにやと振り返ったままのサイアスに、背を軽く叩いて「前向いて」とハルカは苦笑して促す。

 

「もちろん。騎士の皆さんはカッコいいですよ」

「へへっ」


 馬に揺られることしばらく。駆け足とも言わないのんびりとした足取りで、森の浅瀬にある川に辿り着いた。ゴツゴツとした岩場が両端に連なる川辺に荷物を置いて、水際まで近づいてみる。

 ちょうど地面が段差を作っている箇所だったため、上流はそれなりの勢いを持って水が流れて行っている。飛沫を上げる緩やかな滝の横を下れば、そちらは上流と変わって穏やかな幅広の川が悠々と存在していた。

 川の中を覗き込むと、澄んだ水の中に小魚が群れを成して泳いでいるのが見えた。


「主、落ちないでくださいよー」

「はぁい」


 サイアス曰く、多少勢いがある場所の方が大きな魚が釣れるらしい。上で釣りの準備をしているサイアスに、ハルカは少し声を張り上げて返事をした。下流の穏やかな方では小魚ばかりなのだろうか。釣りをしたことがないハルカにはそれが普通なのか、異世界ならではの生態系なのかは分からない。


 準備ができたサイアスに呼ばれたハルカは、足を滑らさないように慎重に岩場を上って、平たく安定した大きな岩の上に陣取った。足場は安定している代わりに、少し高さがある。落ちても死なないだろうが、打ちどころが悪ければ怪我はしそうだ。川の深さはそこまでではなさそうで、底の小石が見えている。

 落ちないようにしよう、と心の中で決意をしながら、サイアスが持ってきた釣り竿の使い方を教えてもらい、餌が入った小さな箱を貰った。


「針にこれをぎゅっとつけて、あっちの方に向かってポーンと投げれば食いつくんで」


 サイアスの説明は割と適当だ。感覚で覚えるタイプらしい。どちらかといえば頭で理解してから身に付くタイプのハルカは、曖昧なサイアスの説明に首を傾げながらも、なんとかなるかと妙な自信を抱いて頷いた。

 サイアスが用意した餌は練り餌で、適当に指で丸めて針の先端に付ければ良いらしい。餌の種類もいろいろとあるようだが、今日はこれを使うとのこと。よくあるミミズみたいなのを想像していたハルカは、ミミズを触らなくて済んでよかったなとほっとしている。触れないことはないが、積極的に触りたいこともない。

 ハルカは何をすり潰しているものか分からない練り餌を指先に取り、湾曲した釣り針の先にこねこねと擦り付ける。川に入れたら流れてしまいそうだなと思いつつ、まあいいかと立ち上がった。釣り針を手に持って、できるだけ遠くへ向かって投げ入れる。思ったところには飛ばなかったが、水には浸かった。

 すぐに引っ掛かるわけでもないだろう、と岩に腰を下ろす。硬い座り心地だが、ひんやりとしていて気持ちが良い。日差しの降り注ぐ中だが、川辺なので涼しさもあって心地よく過ごせそうだ。

 横を見ると、少し離れた岩場の上にサイアスが立ったまま釣り竿を垂らしていた。不安定に見える足場だが、ブレることのない体幹は流石というところ。サイアスが慣れた調子でくい、くい、と何度か竿を動かすと、ピンと釣り糸が張った。


「お」


 しなる竿をしっかりと持ち直したサイアスが、ぐいぐいと糸を引き寄せて、勢いよく引っ張り上げた。


「わ」


 キラキラと水飛沫を上げながら釣り上げられたのは、大きな鮭のような魚だった。ハルカはその立派な釣果に「お~」と自分の竿を放って拍手する。こちらにはしばらく掛かりそうにないと勝手に判断して、釣り竿をその辺の石で固定してからサイアスの元へと向かった。


「すごい」

「まあまあっすね~」

「これはなんて魚ですか?」

「サンダーサーモンっす」


 へえ、と見たことがない魚、というより魔物らしい生き物に、ハルカは興味深げに手を伸ばした。


「あ、触んない方がいいっすよ」

「え」


 すぐに指を引っ込める。毒でもあるのだろうか。釣り針を外しているサイアスは触っているし、鬼気迫った言い方ではないので大きな危険があるというわけではないのだろうけれど。


「コイツ、電気を放って攻撃するんすけど。今もちょっと電気残ってるので、ビリッとするッス」

「サイは大丈夫なんですか?」

「へーき、ちょっと痛いなってくらいッスね」


 サイアスがそう言うならいいか、と思いつつ、ハルカは言われた通り大人しく観察するだけに徹する。痛いと分かっていて不必要に触れるほどの冒険心はない。


 見た目は大きな黒い鮭であり、普通の魚に見えるサンダーサーモンは、その名前の通り川の中で電撃を放って小魚を捕食する魚型の魔物である。その電撃は非常に弱いものなので、仮に人間が水中で浴びても害があることはほとんどない。ちょっとびっくりする程度だ。魚型の魔物を食べる動物型の魔物にとっては、その弱電撃がピリッとして美味いのか、よく捕食の対象にされている魔物だ。人間にとっても食用であり、ごく一般的に市場で流通している美味しい魚である。食卓に上がるころには電気は抜けているので一切影響はない。


「俺も釣りたいです」


 美味しくて、見た目にもインパクトがある魚。自分も釣りたい。ハルカはいそいそと自分の釣り場に戻って釣り竿をゆらゆらと揺らしてみる。まだ餌は付いているが、掛かる魚もいない。

 そんなハルカを嘲笑うように、サイアスの竿は再びしなる。あっという間に二匹目を釣り上げる様子に、ハルカは経験値の差を感じた。

 何がいけないのか。同じ竿と餌を使い、釣り場だってそう離れていないのに。やはり投げる場所か。竿の揺らし方か。

 サイアスを観察しながら見様見真似に、おそらく釣りには不似合いな竿の扱いをしながらも、ハルカは至って真剣である。どうにか食いついてくれないか、とゆさゆさと竿を許していると、一瞬、引っ張られる感覚がした。

 あ、と思ったのも束の間。一瞬で反動が返ってくる。恐る恐る釣り糸を手繰り寄せれば案の定餌だけを綺麗に食われていた。


「取られましたね」

「サイみたいに上手くいきません」


 バケツにバチャバチャと跳ねるサンダーサーモンを入れたサイアスが、釣竿を肩に背負ってやってくる。バケツを覗くとすでに五匹ほど釣り上げたらしい。

 少し拗ねたように言ってみせれば、サイアスはケラケラと笑った。


「ここでも釣れると思いますよー、っと」


 サイアスの手によって軽く放たれた釣り糸。数分でヒットする。


「……どうしてでしょう」

「経験? センス?」


 わはは、と心底可笑しいと言うように笑い飛ばしながら、サイアスはひょいひょいと糸を手繰り寄せて今日何匹目かのサンダーサーモンをバケツに放り込んだ。

 それを横目に、ハルカは少し落ち込む。経験は仕方ないとして、センスもないのかもしれない。


「一匹くらいは釣って帰りたいです」


 たくさん獲れたら夕食のおかずの一品にしよう、と行き道に話していたのだがそんなことはもうどうでもいい。ただ自己満足のために一匹でいいから釣りたい。

 いくら経験とセンスがなくとも、数を打てば当たるだろう。サイアスがこれだけ釣っているのだから、魚はいるのだ。ハルカは餌を付け直し、釣り糸をもう一度川へと放り投げる。今度は狙ったところに投げられた。


「いい感じじゃないっすか」


 隣でサイアスもうんうんと頷いている。しかしすぐに魚が寄ってくるということはなく、さらさらと流れる穏やかな水音が辺りに響くのみ。同じ釣竿、同じ餌、同じ釣り場なのに、一体何が違うと言うのか。

 サアッと心地の良い風が吹き抜ける。遠くで魚の跳ねる音がしたのと、そういえば、とハルカが口を開いたのは同時だった。


「サイは、俺のことをなんて聞いているんですか?」

「え? えーと、遠い国から来た旅人?」

「そうですよね」

「それが何か?」

「それ、嘘です」

「えっ」


 いやまあ完全に嘘というわけでもないんですけど、と苦笑するハルカに、サイアスの顔から笑みが消える。よほど驚いているらしく、「え、どういうこと?」と繰り返しながらも手元を見ずにサンダーサーモンを釣り上げた。


「秘密なんですけど、サイには言っておこうかなって」


 隠していても不都合はなさそうだが、護衛として共に過ごしているうちにボロが出そうな気もする。ならばさっさと話してしまっている方が良いだろう、と思っていたところだった。ここには他に人がいないし、内緒話をするにはうってつけだ。

 アスカに許可は取っていないが、専属護衛を任されたサイアスが信頼されていないとも思わないので事後承諾でいいかとハルカは頷く。


「え、実は隣国のスパイとか」

「そんなの陛下たちが見逃すとは思えません」

「確かに」


 じゃあなんだ、と首を捻るサイアスに、悩ませてしまっているなとハルカは眉尻を下げた。


「信じてもらえないかもしれないんですけど」

「その前置きコワ~」

「俺、異世界の人間なんです」


 サイアスがきょとんとした表情のまま固まる。しばらくしてから、ん、あー、え?などと意味のなさない言葉を漏らしている。まあそういう反応になるよなあ、とハルカはサイアスの困惑した様子を見守ってみる。


「えーと、異世界って言うと?」

「この世界とは別の世界です。この世界の地図に俺の国も、知っている地名も存在しません。逆に俺の世界の地図にはウィラウール王国はありません」

「は~……」

「あと、俺のいた世界には魔法はなくて、魔物もいなかったです」

「あ~~……」


 ハルカの言葉を理解しようとしているのだろう、サイアスの視線がうろうろと宙を彷徨う。そしてハルカの頭のてっぺんから足先まで、目線を何度か滑らせてから「あ~」と怪訝な表情のままに首を縦に振った。


「信じらんねぇ話っすけど、主がここで嘘つく理由がなさすぎて信じるしかね~」

「このことは王族の皆さんと、 エドワードさんとアッシュ君しか知らないんです」

「そりゃそうっすよ、異世界人だなんて広まったらメンドーなことに巻き込まれるでしょ」

「はい、なので‟遠い国からの旅人”で」

「たしかに嘘ってわけでもねェ~~!」


 脱力してがっくりと肩を落としたサイアスは呆れたようにケラケラと明るい笑い声を上げた。


「でも納得ッス。主って世間知らずっていうか、なぁんか浮世離れしたところあるって思ってたんすよね。この国のことを知らないってだけじゃ説明がつかない違和感っていうか。まあ俺の勘ッスけど」


 サイアスは再び釣り竿を振りかぶった。綺麗な放物線を描いた釣り糸は、狙った通りの場所へと静かに沈んでいく。手首を返しつつ何度か揺らして、すぐには掛からなそうだと判断すると地面に降ろして足で固定した。

 その隣で、ハルカは相も変わらず引っ張られる素振りのない釣り竿をゆらゆらと揺らす。


「そういうことなので、俺が変なことしてたら教えてください」

「任せろッス」


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