30. せっかくなので出かけましょう
日の出の時刻が早くなり、森の緑が色濃い季節。太陽がその恵みを存分に降り注ぐので、外に出ればじんわりと汗が滲む。とは言っても日本のように過酷な暑さというわけではなく、年中を通して比較的過ごしやすい気候が続くのがここウィラウールだ。
部屋の窓を開け放ち、気持ちの良い風を室内へと迎え入れながら、眩しい光にハルカは目を細めた。今日は外へ出かけようかと考えている。というのも、せっかく専属の護衛騎士を付けてもらったのだ。王宮内に留まっていては勿体ないだろう。
元来、会社とアパートの往復しかしてなかったハルカなので、気軽に外に出られないということに大きな不満は覚えていなかった。しかしアスカの厚意を無碍にするのも忍びない。
さて、ではどこへ行こうかと考えても、まだこの国については詳しくはないハルカには大した候補は浮かばない。街か森程度だ。そもそも王宮の敷地内でも訪れたことがない場所がたくさんある。そこから行くのも良いのだけれど、と悩んでいると、ふっとハルカの隣に影ができた。
「主、何か悩み事でも?」
「サイ」
サイアスと共に過ごして数日。彼はよほどの実力者らしいというのは、戦いについてはまったく触れたことがないハルカでも分かった。武芸や剣術に秀でているというのはトラディスからの説明で聞いていたがそれだけではない。
サイアスは、あまり足音を鳴らさない。足音だけでなく、おそらく気配も消している。それは無意識なようで、ハルカは廊下を歩いていても、あれ、付いてきてたっけと振り返ることがある。すると次からは足音を鳴らして付いてくるようになるのがサイアスだ。ハルカが分かるようにという配慮で、わざと足音を立てるのだ。
そのことに気づいたハルカが顔を上げると、サイアスはその深緑の瞳をゆるりとゆがませて笑う。
護衛騎士と言っても王宮内での危険はない。もちろん王侯貴族を狙う悪党やらがいないわけではないのだが、王宮の外に出るよりはよほど安全である。とくに自室にいて何かあることはないだろう。
そのためハルカが自室にいる時間、サイアスは自由だ。ハルカの部屋の隣に待機部屋として部屋をあてがわれたので、そこで過ごしていても良いとハルカが決めた。いつ何時でも側に人がいるのは慣れないから、というハルカの希望でもある。
だから、いつでもハルカの側にいるというわけではないのだが。
(いわゆる隠密行動っていうのかな。すごく上手なんだよな)
今みたいに、気づけば隣にいる。ハルカは一切気づくことはできない。確か隣の部屋にいたはずなのに、いつ部屋の扉を開けて、隣まで接近してきたのか。そもそも、隣の部屋にいたのかも分からないのだが。足音はもちろん、物音も聞こえなかった。
主?と顔を覗き込んでくるサイアスの顔にはいつもの薄っぺらな笑みが貼り付けられている。これも、彼曰く無意識のうちにしていることであるのでやめようと思ってもやめられないらしい。人好きのしそうな、それでいて軽薄で心の底が見えない、そんな笑みだ。
「いえ、今日は出かけようかと思って」
「お、いいッスねぇ。どこ行きます?」
「それを悩んでました」
なるほど~とサイアスは相槌を打つ。今日は天気が良いッスもんね、と窓の外へと顔を向けた。
王宮の外に出て何がしたいか。ハルカとサイアスはいろいろと案を出し合ってみる。
街へ買い物に行くのはどうだろう。天気が良いので森の散歩も良さそうだ。最近流行りの演劇を観に行くのは。屋台巡りで美味しいものを探すか。
とくにこだわりがないハルカは、どれもいいなあとほのほのと微笑んでいる。
「じゃあ、釣りはどうッスか?」
ぱっとサイアスが顔を明るくした。好きなのかもしれない。ハルカは少し意外な組み合わせかも、と目を瞬いた。
「釣り?」
「森の中に綺麗な川があって、美味い魚が釣れるッス」
「へえ」
「天気いーし、川の側は涼しいんで今日とか暑い日には気持ち良いっすよ~」
「釣り、やったことないです」
「えっ!? マジ!?」
「マジです」
この世界では身近なものなのだろうか。サイアスの信じられないという表情に、ハルカは苦笑する。
こちらの世界ではもちろん、日本でもハルカは釣りをしたことがない。家族に釣り好きがいなければあまり縁がないのではないだろうか、と特段珍しくないとはお思っている。ハルカの身の回りには釣りを嗜む類の人がおらず、ハルカ自身もとくに興味を抱かなかったので今まで触れたことがなかった。別に嫌いというわけではない、そういう判断をする場にすら立っていない。
「やってみたいです」
「決まりっすね! 俺、釣り竿持ってくるッス」
サイアスはそういうと、嬉しそうに部屋を出て行った。騎士寮の方の自室に釣り竿を置いているのだろう。その後ろ姿を見送ってから、ハルカも部屋を出た。
今から行くのであれば、昼を跨ぐことになる。昼食を持っていかなければならないだろう。
「今から作って持って行けるものなら……。おにぎりは、慣れてないサイにはどうかな」
以前アスカには絶賛された米飯であるが、他の人の舌にも合うものなのだろうか。うーん、と少し悩んだハルカは、おにぎりはまた今度にしようと諦める。サイアスの口に合わないかもしれないという心配はあまりしていない。ハルカの料理を楽しみにしていたサイアスであれば、何を出しても楽しんでくれるだろうと思っている。ただ単に、今から米を炊くと少し時間がかかってしまうし、というのが理由だ。
厨房に辿り着いたハルカは、昼食の準備をしている料理人たちに今日は出かけてくると伝えて、自分たち用の軽食作りに取りかかった。メニューは前回森に行ったときと同じサンドイッチだ。
保冷庫を覗き込み、「えっと」と手を伸ばす。ちょうどいい具合に、鶏肉が少量余っていた。これを使おうと手に取り、次に食糧庫へ向かう。常備されているレタスを抱えて、調理台へと戻った。
鶏肉を開いてフライパンで焼きながら、パンを温め直して軽くバターを塗る。レタスを洗って水けを取り、ちぎってパンに挟んで常備してある手作りマヨネーズを適当にスプーンで広げた。
今日のサンドイッチは照り焼きチキンサンドだ。サンドイッチの中ではごく定番のメニューだろう。通りかかる料理人たちが「それはなんですか!?」と興味津々で覗いてくるのに微笑み返す。照り焼きチキン自体は作ったことがあるのでそれと同じものだ、と伝えれば「そういうアレンジ力が足りないんだよなあ」とブツブツと言いながら去っていった。
こんがりと焼けたチキンに醤油と砂糖のタレを絡めて、少し焦げ目を付けてからまな板の上に引き上げる。適当なサイズに切ってからレタスの上に乗せて、パンで挟めば完成だ。
「サイはどれくらい食べるかな」
一見細身だが、意外と筋肉質な身体をしているサイアスだ、大食漢かもしれない。特別大食いではなくとも、騎士なのだから一般男性の平均くらいもしくはやや小食なハルカよりも食べるのは確実だろう。多めに作っておいて間違いないだろう、と予想して、あるだけの鶏肉を焼いてサンドイッチへと変身させた。
「主~?」
一緒に持って行く紅茶を準備していると、サイアスが厨房へとやってきた。その恰好はいつもの騎士の制服だが背中に背負わせている釣り竿と手に持たれたバケツが異質な組み合わせだ。
「もうできます」
「昼飯? やりぃ」
ちなみに紅茶はアイスティーだ。ボトルに入れた氷がカラカラと鳴る。
バスケットと紅茶のボトルを持って、ハルカとサイアスは森へと出かけた。




