29. サイアスという男
トラディスとサイアスが部屋に入ると、二人を見たハルカの瞳が瞬いた。
「ハルカ殿。陛下からの命によりハルカ殿に護衛騎士を付けることになった。彼の名前はサイアス。態度は良くないが、実力はある男だから護衛としては役に立つ」
「ヒドイっすね~団長ってば」
「どこがだ」
読書をしながら部屋でくつろいでいたハルカの前に現れた騎士たちを、ハルカはぽかりと眺めた。護衛騎士、と言ったな、とワンテンポ遅れて理解する。サイアスと紹介された、深緑色の髪をした青年がへらへらと笑っていて、騎士団長であるトラディスが呆れた顔をしている。
「俺の、護衛騎士ですか?」
「そうだ。陛下から聞いていないのか」
「初耳です」
ハルカが困ったように笑うと、トラディスはやれやれと言わんばかりに首を振った。それは戸惑うに決まっている、とトラディスはハルカに護衛騎士を付けることになったあらましを簡単に伝えた。
トラディスからの説明を受けたハルカは、なるほど、と納得するように頷いてソファから立ち上がった。手に持っていた本をサイドテーブルに置く。トラディスの隣でにこにことしているサイアスに向かって、微笑みかけた。
「ハルカです。サイアスさん、よろしくお願いします」
アスカが決めたことであれば、護衛騎士なんていりませんという拒否は許されない。特別我慢をしていたわけではないが、森や街に行きやすくなるのは助かるのは事実だ。早々に判断してハルカは戸惑いから受け入れる方向に思考を切り替えた。にこりと微笑めば、サイアスは笑みを湛えたまま形式ばった礼をした。
「サイでいいっすよ~、あーるじっ」
「あるじ?」
「護る相手なんスから、主っしょ?」
「……騎士が忠誠を誓うのは、国王陛下では?」
サイアスの笑みが消える。いや、実際にはにこりとした笑みを張り付けたままであるのだが、瞳の奥から色味が失せた。
そして次の瞬間、ふっと柔らかな光が灯る。色濃く染まる翠緑の瞳。
「もちろん」
一言。すぐに雰囲気を戻したサイアスは、先ほどまでの飄々とした雰囲気を滲ませてハルカに微笑んだ。
(あ、なるほど)
そのたった一言が、彼の本質をありありと告げていた。
サイアスに何か至らないところがあればすぐに言うように。そう言い残したトラディスを見送って、ハルカはサイアスと向かい合ってソファに座っていた。アッシュが淹れてくれた紅茶を楽しみながら、果物の蜜漬けを摘まむ。こういうとき用に、焼き菓子を常備しておいてもいいかもしれない。急な来客時に出す菓子があれば豊かな時間が過ごせるだろう。
そんなことを考えているハルカの目の前で、サイアスはにこにこと笑みを浮かべている。先ほどからほとんど表情を崩すことのないサイアスととりとめのない自己紹介などをしつつ、ハルカは気になっていたことを尋ねた。
「サイは、どうして俺の護衛を買って出てくれたんですか?」
トラディス曰く、サイアスが専属護衛騎士になったのはトラディスの見定めだけではないらしい。彼本人が希望したということに、ハルカはほんの少し違和感を感じていた。
え~?とはぐらかすようにへらへらと笑うサイアスに、ハルカはにこりと微笑みかける。
「あなたが陛下の側を離れる選択を取るとは、あまり思えなくて」
軽薄な笑みに覆い隠された彼の本質は、騎士としてのまごうことなき国王に対する忠誠心。先ほど、アスカを話題に出したときのサイアスの反応でハルカは予想し、翡翠色の瞳を瞬いた今、確信した。
それはおそらく、そのままに表出すれば彼自身を壊してしまいかねないほど激烈なもの。分厚い殻の中で大切に抱えることで、サイアスという男のバランスを保っているのだろう。殻を被った彼が嘘の姿かといえば、答えはノー。己を形成するそれはまた、サイアス自身だ。
「……どうして?」
ゆるく口角を上げたまま、サイアスは首を傾げる。ハルカは「なんとなく」とだけ答える。彼が何かを言ったわけでも、あからさまな態度を取ったわけでもない。ただなんとなく、察しただけだ。薄い笑顔で象られた彼の表情は読みにくいが、瞳の奥まで制御しきるのは難しい。
「さすがっすね~、主」
ぱっと顔を綻ばせたサイアスは、喜色を滲ませた声でハルカを見つめた。こちらが彼の本当の笑い方のようだ。降参だ、といわんばかりに手をひらひらと振って、サイアスは頬杖をついた。ゆるりと瞳を細めれば、しんと空気が鎮まった。
「……陛下の側を離れたつもりはありませんよ。陛下が大切にしているあんたを護る役目、他のヤツに渡したくなかったんすよ」
サイアスは音を立てずに紅茶を一口飲んだ。
「それに、主の側にいれば美味い飯を食べられるかなと思って!」
へらりと常の軽薄な笑みを溢したサイアスに、ハルカも可笑しそうに笑った。
「ふふ、下心」
「主の料理が美味いって、騎士寮でももっぱら噂なんすよ~! コッチのメシも多少はマシになってきてるッスけど、王宮のはもっと美味いらしいって聞いて~!」
騎士寮は、独身の騎士たちが住まう寮だ。王宮と同じ敷地内にあるそこには、騎士たち専用の食堂が完備されており、王宮の料理人とは別に騎士寮専属の料理人が存在している。
ハルカはあくまで王宮の料理人として働いているので、騎士寮の厨房は話しか聞いたことがない。王宮内の窓から見える真っ白な壁が特徴的な騎士寮、いつか行ってみたいと思いつつも足を運んだことがなかった。
料理人たちの交流はあるようで、だからこそ騎士寮の食事もある程度の改善が見られているのだろう。
「こっちに来れば、主の料理が食えるってことでしょ? 超俺得ッスよ」
果物の蜜漬けを三つほど摘まんだサイアスは、蜜が垂れないように顔を上に向けてばくりと口を開ける。指についた蜜をぺろりと舐めとり、にっこりと笑った。
自由でありたいという願望と、圧倒的な強者の下につき、自分を捧げるに相応しい者に使ってもらいたいという欲望が両立するのは、傍目に見れば不自然なのだろうがサイアスにとっては自然なことだった。野生動物の本能だと言われれば万人が納得するだろうに、人間と名付けられた生き物であるというだけでおかしなふうに見られることは、なんとも不条理だ。
しかし人間であることから逃れることはできず、サイアスは満たされぬ欲求を抱えたまま生きてきた。アスカをその翡翠に映すまでは。
サイアスはアスカを見た瞬間、騎士になることで己の望みはすべて満たされると直感で確信した。
恵まれたと自覚している能力をさらに磨き上げ、主人の剣となり盾となる。警備隊の方が性には合っているのだろうが、手の届かないところにいては剣にも盾にもなりえない。
サイアスの心の奥底に鎮座しているのは確固たる忠誠心だ。近衛騎士はサイアスが心の底から希望した。ちなみに警備隊はダルそうだし、近衛騎士は楽そうだから、というのも本心だ。
そんな自らが絶対的な主人として認めるアスカが、余所者を気に入って王宮に置くことにした。国王に関する話だ、あからさまに悪いように言う噂が流れることはなかったが、しかし心の中でそう皮肉を込めて言っている奴らは確かにいた。余所者に対する警戒や嫉妬に由来する人間として自然な感情なので、サイアス自身はそれ自体を悪いことだとは思わなかった。まあ、他人に悟らせるような愚かな真似は避けた方が良いとは思うが。
国王が気に入っている人間がどんなものか、知りたいと思うのは当然のことだった。国王が選んだ人間に対して気に入らない、などと文句を言うつもりはないが、国王に仇なす者であれば許すつもりもない。
厨房に出入りするハルカの姿は、平凡なただの人間に見えた。綺麗な顔をしていて、穏やかな笑みを浮かべていることが多い男だった。貴族ばかりの王宮で多少は居心地を悪そうにしながらも、大して気にもしていない様子が気に入った。執事やメイド、料理人たちに偉ぶることもなく、身に余る庇護を受けながらも王族に対して一線を引いた態度は好ましかった。
国王が選び側に置くと決めた人間が、ふさわしいようで良かった。傲慢な満足感は、サイアスがハルカを認めた証であった。
そんなハルカに専属護衛騎士を付けるという話を、みすみす他人に譲るつもりはサイアスにはなかった。何があってもどんな騎士よりも己が完璧に守りきれると自惚れはしない。しかし、自分を捧げるに相応しい人間に使ってもらうまたとない機会。ハルカを護ることは、アスカを護ることに繋がる。
もちろん護衛としてではあるが、ハルカが行きたいと言えば街や森にも遊びに行ける。ただただ門の横で立ちっぱなしでいるよりも自由で楽しそうだ。
加えて、最近噂のハルカが作る美味しい食事にありつければラッキーである。
「よろしくッス、主」




