27. 衝撃の事実
「「「え!?」」」
その様子に料理人たちがどよめく。喋れるの!?と驚いているのは当然だろう。話せない、と聞かされていたのだ。
「あんまり得意じゃない?」
「……」
すとん、とスリィは頷く。そして、不安そうにハルカを見上げた。ハルカはその揺れる漆黒の瞳に、優しく頷いて「そっか」とだけ感想を述べた。ただ確認しただけと言うように、すぐに顔を上げる。
「……?」
「じゃあ、もう一つの鍋も確認しようか」
次の作業に行こうと言うハルカに、スリィは戸惑いを見せた。
そんなスリィに、ハルカは膝を屈めて目線を合わせて、小さく口を開いた。
「俺は、君が話さなくても気にしないよ。別に理由も聞かないし」
「……!」
ぱっと顔を明るくしたスリィに、ハルカは微笑んだ。それからハルカたちは先ほどまでスリィが一生懸命に灰汁取りをしていた大鍋へと向かった。
その二人についていくことなく、料理人たちがその場にとどまってざわざわと衝撃の事実について確認を取っている。
「スリィ、喋れないんじゃなかったのか……?」
「いや、俺もそう聞いていたけど……」
「私も」
「でもよく考えたら、直接確かめたことはないよな……」
「あ、ああ。あの世話係の騎士殿がそう仰ってたと料理長が言っていたと先輩が……」
「めちゃくちゃ伝言じゃねぇか」
「お前らだってそうだろうが!」
「でも困らなかったしな……」
「話せなくてもコミュニケーションは取れてたもんな……」
困ったことがなかったから。それに明らかにセンシティブな内容だから。料理人たちは誰もスリィに直接確認を取ったことがなかった。話せないことによって業務に支障が出たならば話は別だが、彼自身が好んで雑用係をしていたことも相まって、一切困ったことがなかった。はいかいいえで答えられるように尋ねれば、意思疎通ができたから。これはどこにある?と尋ねれば指を差したり連れていってくれたりで答えをもらえたから。話せないということが彼自身にとっても共に働く同僚たちにとっても不利益になることがなかった。
スリィが働き出してから数年。ハルカがスリィと出会った初日。スリィは高等魔法が使える。スリィは話せないのではなく話さないであり、その理由はあまり話すのが得意じゃないから。衝撃的な事実が発覚した。
「こっちもスープのベースになるよ、さっきのとは味が違うんだけど。ブイヨン、って言うんだ」
「……」
灰汁もなく綺麗に透き通っている鍋の中を見ながら、ハルカはスリィに説明をする。そして次の作業、と調理台の上に置いていた野菜くずなどを引き寄せた。
「こういう野菜の切れ端とか、余った野菜とかを入れていって。あとこの野菜、セロリね。そのまま出すとトウリ様がすごい顔をするんだけど」
サラダにセロリを出したときのセロリは物凄い顔をしていた。口を付ける前から匂いで分かるのだろう、非常に嫌そうだった。
ぽちゃぽちゃと野菜を鍋に放り込みながらハルカは思い出して笑みを溢した。物凄く嫌そうに、しかし残さず食べきった王弟殿下は立派だった。トウリはハルカの出した料理で残したことはない。それが今までもそうだったのかは分からないが。
「これで、煮込めば完成だよ。結構時間がかかるから、できあがるのは昼食のあとかな」
「……」
少し残念そうに眉を下げたスリィに、ハルカは慰めるように艶やかな黒髪を撫でた。
「できあがったら、また味見してね」
「!」
こくりとしっかりと頷いたスリィに、ハルカも頷き返した。
大雨の中、拾った子供は赤子と呼ぶには大きくなっているようだった。しかし子を持っていない彼には、目の前の子供の年齢を見た目から判断することはできない。医者に見せれば大体は分かるか、と彼は諦めた。時には潔さも大事だと、騎士になりたてのころ先輩騎士から教えてもらった。
ちょうど門前の見張り係だったのが運が良かったのか悪かったのか。悪かったと言えば目の前の子供が可哀そうだから、良かったと思い込む。王宮を囲む城壁の下に捨てられていた子供。どうするか、と悩む同僚たちに任せても良かったのだが、生粋のおせっかいな性格が彼をそうさせなかった。
貴族の生まれながらも当主にはなりえない三男坊。騎士として大成することが家のため。そうして仕事に勤しむ彼に当てがわれていた許嫁は、主君一辺倒な騎士としては素晴らしく恋人としては喜べない彼の性格を許容できずいつのまにかいなくなっていた。少なからず残念ではあったが、「いつのまにか」と言ってしまえるほどに彼も気にかけることはできてはいなかった。
そんな彼なので、拾った子供が不憫なので己の手で育てる、と言っても大きく反対する者はいなかった。両親は勝手にしろと言い、優秀な兄たちも好きなようにさせてくれた。何かしらの事情があって捨てられた子供である。養子にするというのであれば話は別かもしれないが、ただ騎士の宿舎である程度まで世話をするのであればとくに家格に響くことはない。幸か不幸か、結婚の予定もない。婚期がさらに遅れることにはなろうが、本人が気にしないのであれば家族は強くは言わなかった。
「お前、名前は?」
雨に濡れていた子供を風呂に入れ、艶やかな黒髪を拭いてやりながら尋ねる。王宮に常駐している医者いわく、幸いなことに病気や怪我はしておらず至って健康だということだった。成長具合の見た目から、おおよそ二歳から四歳だろうという見立ても貰った。正確な年齢はもう少し丁寧に診察をしないと分からないらしい。
子供を育てたことはないが、どうやら言葉を話せる年齢らしいので、まずは名前を聞かなければ。世話をするにあたって不便だ。
「……」
慣れていないせいかやや荒っぽい騎士の手付きを首を揺らしながら受け入れていた子供が、騎士の声に反応して顔を持ち上げた。白い肌は、風呂上がりのせいでほんのりと紅潮している。まんまるの黒い瞳は澄んでいて、自分が置かれた現状を分かってはいなさそうだった。
きょとんとした子供の髪の濡れ具合を確かめた騎士は、再び荒々しくタオルで頭全体を覆ってやりながら、もう一度同じ質問を繰り返す。がくんがくんと首を揺らす子供の目はなんとか騎士の方を向いてはいるものの、ぱちぱちと瞬きするばかり。子供の唇が動くことはなかった。
医者が見立てた年齢ならば、名前くらいは言えるらしいが。もしかしたら話せないのかもしれない。身体の成長具合よりももっと幼いのかも。
そろそろいいか、とタオルを放る。いったい何歳なのか、と呟く騎士の手が、子供の髪を柔らかく梳くように流れる。
「……」
子供の手がゆるりと持ち上げられる。ぴっ、と騎士に向けられたのは、小さな手。人差し指と、中指と、薬指の三本が少し不器用に立てられていた。
「なんだ?」
騎士の大きな手が、子供のやわな白い小さな手を包み込む。ほかほかと温かく、柔らかく、騎士が力を込めれば簡単に壊してしまいそうな幼子の手だった。
「ん、スリーってことか?」
こくん、と頷く子供に、騎士はそうかそうかと朗らかな笑みを浮かべた。笑えば目が糸のように細くなる、人好きのする笑顔だ。
「スリー……、スリィか。珍しいなあ」
まあなくはないか、と騎士は勝手に納得している。子供は、きょとんとした顔をして、小首を傾げた。
上の兄姉がいる彼が、どうして世話好きな性質を持っているのかは分からない。しかし彼は甲斐甲斐しく子供の世話をした。子持ちの同僚騎士たちに指南を受けたり、街の馴染みの女店主に子供用品のお古を譲り受けたり。なにもなくとも定期的に医師を尋ね、世話に間違いがないか、成長具合に大きな問題がないか、丁寧に世話をした。
子供が言葉を発することがないと相談したときは、医師から治療も提案されたものの、身体に問題がないのであればそのままでいいと彼はそれを断った。子供の生い立ちを思えばそのままに受け入れる方が良いと判断したのだ。親に捨てられたという事実は幼子の心に傷を負わせるには十分な出来事だっただろう。無理やりに治療を施すことが子供のためになるとは思えなかった。言葉が交わせなくとも、意思疎通はできていたので困っていなかったからでもあるが。
「うん、やはり三歳くらいのようだね」
騎士とスリィの二人での生活に慣れてきたころ、医師は自身の当時の診断が間違ってはいなかったようだと、スリィの健診をしながら言った。スリィの診療記録の年齢欄にペンで追記している。診療記録とはいっても、スリィは病気も怪我もしていないのでただの成長を記録しているようなものだ。身長や体重、できるようになったことなどがメモしてある。そういった記録を鑑みて、やはり三歳だと結論付けたのだろう。
スリィを拾った雨の夜。二歳から四歳ほどだと言っていたはずだが、ちょうど中間の三歳だったとは。やはり医者というものは凄い。
三歳、三歳かあ、と騎士は独り言のように繰り返した。その隣で、丸い椅子にちょこんと座っていたスリィはこくりと大きく頷いて、医師と騎士に対してぴっと指を立ててみせた。
「……」
「「……」」
スリィの‟さん”はあの雨の夜よりもしっかりと指が立っており、彼の成長を窺わせた。
さん、を意味するその小さな手を見て、騎士は己が大きな勘違いをしてしまっているかもしれないと悟った。医師は、目の前の子供のために付けている診療記録もとい成長記録の名前と年齢の欄を眺めながら薄い笑みを浮かべた。




