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25. 和風出汁と洋風出汁

 それは、季節柄の長雨が続いていた日だった。

 

 真夜中。人けのない通りを、コートを被った人間が足早に駆けている。男かも女かも分からないその人間の両手には、布で包まれた何かが抱えられている。雨に濡れないようにだろうか。その者は背を丸め、布の塊へと覆い被さるようにしながら足早に歩を進める。

 もつれそうな足で辿り着いたのは、王都の中心街のそのまた中心。ザアザアと降りしきる雨が顔を濡らすのを厭わずに、顔を上げた彼または彼女の目には、立派な王宮。一番目立つ大きな城の周りに、大小さまざまな宮の屋根が見える。一際背の高い塔には、高名な魔導士が住まうと聞いたことがあった。

 もちろん、一番小さな宮にすら近づけやしない。濡れそぼった人間の眼前には立派な城壁がそびえ立っているのだから。

 男、または女は、はっとして腕の中の布の塊を見下ろした。酷い雨だから、早くしなければ。

 うろ、と城壁沿いを彷徨っていれば、門が見えてくる。高い位置に取り付けられた魔法ランプによってぼんやりと光っているその門を見れば、己を阻む物のはずであるのにどこかほっとする。

 その門の側には、昼夜問わず騎士が見張りで立っている。日中に前を通れば、にこやかに挨拶をしてくれる彼らだが、いざ彼らが忠誠を示す主人の身に危険が及ぶとなればその眼光は鋭く研がれ、持てうる力をすべて奮うのだろう。

 

 ――ああ、彼らであれば。

 

 自分にはもう見えない、微かな希望。縋る先は他にはない。これでダメなら、もう救いはない。どうか、どうか。

 腕の中のものを大切だと言わんばかりに抱きしめる。離れがたい、と額を押し付けるその頬が濡れているのは、雨か涙か。

 

 すっと膝を折った次の瞬間、その者の腕には何もなかった。途端に、走り出す。バシャバシャと飛沫を上げる足元を気にしている暇はない。門に向かって、ひた走る。遠くに見えていた光が、どんどんと近づいてくる。異変に気づいた騎士の一人が、警戒を滲ませて前に立つ。明るいランプを手にした騎士を避けて、願いながら暗闇に向かっていった。騎士の声が背中に響く。そのもっと後ろから、別の騎士の声が。


「おい! 向こうの城壁の下に……!」

 

 ああ、どうか。





 

 今日のハルカは少しばかり気合いの入れようが違っていた。数日前から準備を重ね、万全の状態に整えて今日厨房に立っている。

 もちろん、ハルカは毎食きちんと手を抜かずに真剣に料理に取り組んでいる。王宮で働き、王族が食する食事を提供しているのだ、当たり前である。仮に王族相手でなくとも、ハルカは他人に供する食事で妥協することはない。難しい凝った料理はできないにしても、簡単なものでも、きちんとしたものを食べてもらいたいと思っている。むしろ適当なものを出すのは少し恥ずかしい。自分ひとりのために作るときは話は別だが。

 時刻は午前九時。朝食を準備し終わり、片付けも終わった時間だ。周りでは王宮の料理人たちが昼食の仕込みをしたり食糧庫の在庫を確認したりしている。この時間にハルカが厨房に立つことは多くない。ハルカ自身はごく普通の平民ではあるが、どうしても料理人たちに気を遣わせてしまうからだ。王族に目を掛けられている存在なのだから、ある程度は仕方ないだろうとハルカも割り切っている。そんな自分がいつまでも彼らの仕事場に居座っては、居心地を悪くさせてしまうだろう。料理人たちへの気遣いもあり、あとは勉強したりなんだりと他にすることもあることから、ハルカは朝の仕事が終われば自室に戻る。

 こんなふうにハルカは遠慮しているが、実のところ料理人たちはあまり気にしていない。確かに多少は気を遣うにしてもそれが嫌ではないし、穏やかで優しく、男にしては綺麗めな顔でにこにこと微笑んでいることが多く、料理の知識が豊富で王族たちに気に入られているにもかかわらず偉ぶることのないハルカに好印象を抱いている者たちばかりだ。むしろ空いた時間でもっと料理を教えてほしいなとすら思っている。

 そんなハルカが、普段はすでに自室に戻っている時間なのに厨房にいるぞ、と手の空いている料理人たちは興味津々である。厨房にいるということは、つまりは何かを作るのだろう。新しい料理か、それともこの前一人で作っていた甘味か。新たな料理を知れるのは料理人として嬉しいし、甘味を作るのであれば是非ともご相伴にあずかりたい。料理人としてももちろん、個人的に嬉しい。

 

「さて」


 気合いを入れるようにして腰に手を当てたハルカが、食糧庫から持ってきて並べたものを料理人たちが後ろから覗き込む。いつもハルカが料理をしているときは周りに人が集まるので、覗き込まれようがハルカは気にしない。そのため料理人たちも気にせず顔を出し、そしてぽかんと不思議そうな表情をした。作業台の上に並べられているものたちが、料理人の彼らにとっては理解しがたいものだったからである。

 数日前に使った鶏肉の骨周り。同じく牛肉を切り出した残りの骨周り。昨日今日で使った野菜の皮や切れ端。中途半端な数だけ残って使い道に困っていた野菜。クセが強いのであまり料理には使っていない野菜、たしか王弟殿下が苦手としていたやつ。

 

「あとは」


 再び食糧庫に行ったハルカが戻ってきたときに手にしていたのは、木みたいな塊と墨染めしたように真っ黒で硬そうな紙みたいなもの。

 料理人たちは困惑する。あんなもの見たことがない。


(っていうかあんなのうちの食糧庫にあったか?)

(見たことない)

(いつの間に仕入れたんだ)

 

 こそこそとハルカに聞かれないように確認をしあう料理人たちには気づかず、ハルカは満足そうにそれらを見下ろした。

 

 ちなみにこれらは数日前からコツコツとハルカが集めていた食材たちである。骨ガラを捨てようとしていた料理人にストップをかけたときの心底理解できないという視線を思い出してハルカは苦笑する。捨てる予定の野菜のくずを大事に集めていたときにも、「疲れているのか」とジャックに心配された。保冷庫の端に保存していたのだが、捨てられなくてよかった。

 王宮の食糧庫になかった木や紙に見える食材たちは、以前に街へと行ったときに目星をつけていたものだ。普段出入りしている卸業者に頼んで持ってきてもらった。そのときも、こんなものをどう使うんだと訝しまれた。

 ハルカなりに一生懸命に集めたこれらは、ハルカにとっては立派な食材であり非常に重要なものである。


 やる気満々で向き合うハルカに、「それはなんだ」と聞く役目を巡って料理人たちが目線だけで争っている。ジャックかフィルがいれば違うのだが、運の悪いことに二人とも席を外している。

 料理人の誰が声をかけたってハルカが煙たることはないことは分かってはいるものの、得たいが知れなさすぎてどう話しかけたらいいのか分からない。

 新しい調理法なら教えてもらおうか、と近づきかけていた何人かはすっと身を引く。あまりにわけが分からない。手伝いにすらならない、むしろ邪魔になる自信がある。見ていればそのうち分かるのだろう、と料理人たちは観察に徹することにした。


 今日はハルカにとっては念願と言っても過言ではない、‟出汁”を引く日だ。スープにも、汁気のあるおかずを作るにも欠かせない出汁は、この世界の食文化にはもちろんなかった。出汁がなくとも料理自体は可能だし、美味しいものもできるので今まで後回しにしていた。

 なぜなら、何せ時間がかかる。食材集めもそうだが、調理時間がそこそこにかかってしまう。調理行程自体は簡単なわりに手間がかかるんだよなあ、と若干の面倒くささを感じつつ、余裕があるときにまとめて作っておきたいと思いながら随分と経ってしまったのだった。日本にあった粉末出汁や固形キューブはとてもありがたいものだった、とハルカはしみじみと思い出す。

 取りたいのは二種類。鰹と昆布で取る和風出汁と、洋風の出汁‟ブイヨン”だ。どちらもなんだかんだで数時間はかかる。昼食には間に合わないだろうが、夕食のスープに使えるだろう。


「えっと、じゃあまずは」


 この厨房内で一番大きな鍋を用意する。水を溜めたい。魔道具を使った水道で溜めていては時間がかかりすぎるし運ぶのが大変なので、ハルカは後ろを振り返りすぐそこにいた料理人に声をかけた。水が欲しいと伝えると、水魔法が得意な料理人を呼んでくれる。

 魔導コンロの上に置いた鍋に、水魔法で水を注いでもらい火を点ける。最大火力にして蓋をして放置。

 沸騰するのを待つ間に、ハルカはもう一つ鍋を取り出した。そこそこのサイズのそれにも水を入れてもらうように頼んで、作業台の上に持ってくる。後ろの料理人たちに、鍋に水ばかり溜めて何してんだ、と若干の胡乱な目を向けられていることに気が付かないまま、ハルカはその鍋の中に昆布を浸していく。さらに料理人たちがざわつく。黒い紙を水に漬けたぞ、と。

 よしよし、と満足そうなハルカの様子に、何か意図があるのだろうから、と料理人たちは固唾を飲む。今すぐ誰か聞きに行け、お前が行け、いやお前が、と無言の探り合いが行われる中、ハルカの隣にすっと影が現れた。


「ん?」


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― 新着の感想 ―
とても好みに刺さるお話でした。続きをとても楽しみにしております。頑張ってください!
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