24. 堅物な彼は甘党
大きめのシルバーの両手持ちのトレーの上に、マフィンが並んだ皿が三枚。皿の上にかぶせてあるのは、映画なんかでしか見たことがないような綺麗なフードカバー。レースがあしらわれたカバーにマフィンの影が透けている。アスカは甘味を好まないから食べないだろうが、他の三人は食べてくれるだろう。気に入ってくれたらいいなあ、と考えながら、ハルカはイエディの執務室へと辿り着いた。
扉の左右に立つ警備の騎士に会釈をしながら、トントンと扉を叩く。入室の許可の声に合わせて入れば、机に向かって書き物をしているイエディの姿が目に入った。
「どうしました、ハルカ」
すっと顔を上げたイエディはペンを持ったまま、ハルカを頭のてっぺんから爪先まで見て、その手に持っている何かを見つめて微笑んだ。
「お菓子を焼きました。休憩時にでもお召し上がりください」
「それは素晴らしいですね。今すぐ……」
「イエディ様」
ペンを置きかけた手が、マクレイの言葉で留まる。寝かけていたペンはすっと背を正したようにイエディの美しい手の中に収まり直している。イエディの側で書類の整理をしていたマクレイは、その手を止めないままにイエディを視線で刺していた。
「……は無理そうなので、あとで頂きますね」
「はい」
仕方ない、と笑うイエディに、ハルカも微笑みを返す。マクレイがいるおかげで、王族の仕事は回っているようだ。
ではこれはどこに置いておこうか、とハルカが視線を彷徨わせていると書類整理を終えたマクレイが側までやってきてくれた。
こちらへ、と促されるのは執務室に隣接している小部屋だった。ソファとテーブルが並べられたそこは、ちょっとした応接室らしい。
「そちらに」
テーブルの上を指定されたので、いったんトレーごと置く。それから一皿を丁寧に手に取って、音を立てないようにテーブルに置いた。
そんなハルカの一挙手一投足を、じっとマクレイが睨むように見つめている。
(……あまり好かれてないんだよなあ)
眼鏡越しの視線に気づきながらも、ハルカはどうしようかなと顔を上げずに考える。話す機会が少ないことも原因の一つではあると思うのだが、いまだにマクレイによく思われていないらしい。冷たくされるというわけでもないが、周りの人が大変よくしてくれているのでどうしても差を感じてしまう。甘やかされている弊害だ。
他人に嫌われようと構わないのだが、何か嫌われる理由があるならばできる範囲で改善は心がけたいとは思う。この王宮にお世話になっているのだから、それくらいの努力はしてしかるべきだろう。
どうしようかな、とハルカが考えていると、ふとその上に影が落ちた。顔を上げれば、マクレイがじっと見下ろしている。
「どうしましたか?」
「……それは、何ですか」
マクレイはハルカの顔からテーブルの上のフードカバーへと視線を移す。ああ、とハルカがそのカバーを持ち上げると、ふわりと甘い香りが漂わせながらマフィンがお目見えする。
「マフィンという焼き菓子です。俺の国ではよく食べられていて、甘くて美味しいお菓子です」
「……」
ハルカの説明を聞くマクレイの眉間に皺が寄る。見慣れない、この世界にはない食べ物に警戒しているのかもしれない。そのようにあからさまに訝しげな表情をハルカ自身に向けられることはないので、意外と受け入れてはもらえているのかもしれないなとハルカは気づく。
「さっき俺とアッシュくんとフィルさんで味見もしました。怪しいものとかは入ってません」
王侯貴族となれば、毒を仕込まれたりする恐れもあるだろう。それを疑っているのかも、とハルカが付け足すと、マクレイはゆるりと首を振った。
「貴方の料理を毎食頂いているのですから、その点は疑っていません」
淡々と告げられる言葉に、ハルカはほんの少し目を見開いた。確かに、毒を混ぜるならばハルカの手しかほとんど入っておらず疑われやすいこんなものよりも、普段の食事に入れた方が怪しまれないし確実だろう。その程度には信頼を得ているらしい、とハルカは微笑んだ。嬉しい。
「では、味見してみますか?」
では単純に見慣れない食べ物に対しての警戒感か。食べてみれば納得してくれるだろうかと提案する。瞬間、マクレイの瞳がほんの少し揺らいだ。白い手袋に覆われたマクレイの細く長い指先が、クイ、と慣れた手つきで眼鏡を上げる。
それを肯定の返事と受け取ったハルカは、一緒に用意していた小皿にマフィンを一つ乗せてマクレイへと渡した。立ったままそれを受け取ったマクレイは、じっとマフィンを観察している。ちょっと小皿を掲げて下から、上から、くるりと回して全体を。
(んー……)
ハルカはそんなマクレイの様子を黙って見守った。一通り観察して満足したらしいマクレイは、ソファへと浅く腰掛けた。立ったまま食べるのは行儀が悪いからだろう。業務中だという遠慮が、その浅さに現れている。
嵌めていた白い手袋を外して、ハルカに手渡されたフォークを持つ。マフィンにフォークを入れて、そのふんわりとした感触に驚いたように目を見開いていた。
(意外と表情が豊か)
いつも仕事中の彼の姿しか見ないが、仏頂面というか小難しいことを考えてそうな顔をしている印象が強い。あとは眉をつり上げてイエディたちに小言を言っている顔か。私語を好まず、口数も多くなく、淡々と己の領分に取り組む姿勢をハルカは好ましく思っている。その一方で、その領分の外に一歩出れば結構いろいろな顔をするようだ。
ほろほろと欠片を小皿の上に零しながら、慣れない手付きでマフィンをフォークの上に乗せたマクレイは、丁寧に口へと運んだ。
「……」
「いかがですか?」
もく、もく、と咀嚼をしているものの黙りこくるマクレイの表情は。
「……」
非常に分かりづらいが、美味しいと言っていた。眉を上げ、目を瞠り、ほんの少し口角が緩んでいる。何を言うでもなく、そのまま二口目。ふっと眼差しが溶け、優しい表情になった。
「お気に召していただけましたか?」
「ええ。非常に美味です」
「ふふ」
よかったと微笑むハルカへ、マクレイは三口目を頬張りながら視線を向けた。
「いつもこういうものを作っているのですか」
「いえ、いつもでは。皆さんにお配りするのは今回が初めてです」
「……そうですか」
(あ、がっかりしている?)
すっと下がった視線が、残り少ないマフィンに釘付けになっている。名残惜しそうに最後の一口を食べきり、ふっと息を吐いたマクレイは、美味しかったですと言いながら丁寧に小皿をテーブルへと置いた。
「甘いもの、お好きなんですか?」
堅物そうな彼が、仕える主人が仕事中にもかかわらずマフィンに強い関心を持ち、それだけにとどまらずこうしてマフィンを口にした。分かりにくくはあったが、マフィンをとても気に入っている。頻繁に作るものではないという言葉への残念そうな反応。
「……。果実の蜜漬けくらいしかないので、そればかり食していましたが」
王宮で出てくる果物はさすがの高品質のものであるため蜜漬けにせずとも甘くて美味しい。それを蜜漬けにしたものをハルカも食べたことはあるが、かなりの甘さであった。お茶請けとして、一切れあれば十分なほど。それを好んで食べていたということは、なかなかの甘党かもしれない。
「あの街で売っているものは?」
「あれは美味しくはありません」
マクレイにもばっさりと切り捨てられた小麦と砂糖を練って焼いたものは、やはり嗜好品としての甘味には分類されないらしい。使った食器を片付けているマクレイの表情は、彼が業務中に見せるそれよりもやはり緩んでいるようだ。
今なら聞いてみてもいいかも、とハルカは立ち上がってマクレイに問いかけた。
「俺ってマクレイさんにあまり好かれていないですよね」
「は?」
「別に構わないんですけど、もし改善できるところがあるなら気をつけようと思って」
全員と仲良くできるとは思っていないので、と言うハルカの顔は至って真剣だ。マクレイはずれた眼鏡を直した。
「……勘違いをされているようですが、私はハルカ様を嫌ってなどはいません」
「そうですか?」
「私の態度が貴方に誤解を生んでいるのかもしれませんが、生来のものです。確かに、初めのころは少し警戒はしてはいましたが」
貴方がこの国に害をなさないことはすぐに分りました。マクレイはそう言いながら、白い手袋を嵌め直して指の間の具合を調整する。コホンと咳払いをして、銀縁の眼鏡をすっと押し上げた。
「貴方が厨房に入るようになって、食事が豊かになりました」
「あ、よかった。お口に合っていましたか」
「このマフィンとやらもですが、貴方の作るものはこの国の何よりも上等でしょう」
それは言い過ぎでは、とハルカは苦笑するも、マクレイがこういう場面でお世辞を言うタイプとは思えない。警戒していたということも隠さずに伝えるマクレイの言葉であるからこそ、信じられる。
「ふふ、嬉しいです」
カチャカチャと次の部屋へと移動する準備をしながら微笑んでいるハルカを、マクレイは見下ろす。
「せっかくなら、仲良くできたほうがいいですから」
ぱっと上げられたハルカの顔に、またマクレイの瞳が瞠られた。害をなさないと認められたことでも、食事を認められたことでもなく。マクレイ自身と仲良くなれることが嬉しいと。そう伝える、ゆるく甘さを持った瞳がマクレイに向けられる。
「また甘味を作ったときは、味見をしていただけますか?」
「……もちろん、私で良ければ」
「いろいろと試作をしてみたいものがあるんです」
「それは、楽しみにしています」
淡々と、色のない声と表情で告げられた言葉。その意図をきちんと汲み取ったハルカは、では次はトウリ様のところへ行ってきます、と言い残してイエディの執務室を出て行った。
「……」
マクレイはふっと息を吐き、目を瞑る。次に瞼を上げたときには、仏頂面で小難しいことを考えてそうな顔をしたいつものマクレイがそこにあった。
ちなみに、トウリの部屋へと持って行ったマフィンは非常に好評。続いてエミーレの部屋に持って行けば大絶賛の嵐を受けた。
ハルカがやや疲れた顔をして自室へ戻ると、完璧なティーセットを用意したアッシュとエドワードが待っていてくれ、のんびりとしたティータイムを過ごすことができた。
そのころ、厨房では。
「おいバカ! お前それ半分じゃねえだろ!!」
「うるせぇ! 大体半分だろ! 文句あるなら定規を持ってこい!!」
「ふわっふわで、あまくて……」
「この作り方、また教えてもらわないといけないな……」
「あ! フィル! お前味見したんじゃねえのか!?」
「それとこれとは別でしょ~」
先着順にして食べられないものが出るよりは、料理人として一口でも食べられた方がいいだろうと、全員で均等に分ける方法を取ったらしいが、「戦場だった~」とはフィルの談である。




