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19. 塩おにぎりと味噌汁

 邪魔はしない、という言葉はその通りだったらしく、作業中に声をかけるのは控えていたらしい。ハルカは確かにこれが何なのか、何をしているのかをアスカに説明していなかったことをここで思い出した。


「これは、米です。この世界ではあまり食べられていないそうですが、俺の国では主食でした。この国にもあると聞いたので、食べたくなってしまって」

「コメ、か。確かに聞いたことがないな。家畜の餌のように見えるが……」

「ふふ。上手に調理できるようになったら、皆さまにもお出ししてみますね」


 お口に合うといいのですが、と言いながら、ハルカは再び食糧庫へと向かった。そして壺のようなものを手にして戻ってくる。アスカの、「それはなんだ」と言いたげな視線に、中身を確認しながら答える。


「味噌です。これも俺の国でよく食べられていました。ついでなんで、新しいスープも試そうかなと」


 ふうん、と溢してアスカは再び口を閉じた。ハルカの作業は邪魔しないということだろう。別にお喋りしてるくらいは構わないのに、とハルカはくすりと微笑んだ。気遣いが嬉しい。冷酷無慈悲な国王に見えるが、こういう優しさがあるからこそ民は彼についてくるのだろう。

 米を炊いている鍋がふつふつと音を立て、蓋との隙間から泡のようなものが出てきたのを確認したハルカは、火を弱めた。しかしここの弱火はやや強い気がする。もう少し小さな火が望ましいのだが。このままでも炊けなくはないが、焦げ付く可能性がある。

 うーん、とハルカが悩ましげに首を傾げていると、その背中に声がかかる。振り返れば、アスカが椅子の背もたれから身体を起こしていた。


「どうした」

「いえ、もう少し火を小さくできれば理想なんですが……。俺はまだ魔法が上手く使えなくて」

「そんなことか」


 長い脚数歩でハルカの隣に立ったアスカは、すっと指を伸ばした。男らしいが美しい指先がふいと揺れると、コンロの火がごく弱火になる。こうか?と尋ねてくるアスカに、ハルカはふわりと微笑んだ。


「ありがとうございます」

「これくらいならさっさと言え」

「そんな、陛下のお手を煩わせるわけには……」


 と言いつつ、ハルカは今さらか、と内心呟く。先ほど、その国王に重い米袋を取ってもらい、しかも運んでももらったばかりだ。ここに来てからもこれ以上にないほど世話になっているし。

 ふふ、と小さく微笑んだハルカは、首をこてんと倒しながら再び礼の言葉を口にした。それに満足したアスカは、椅子に戻っていった。

 

 米を炊いている間に、味噌汁も作ってしまおうとハルカは沸かしていたお湯の前へと向かった。少し冷めてきているそれを沸かし直しながら、具材とする玉ねぎを適当に刻む。玉ねぎは夕食で使ったものの残りである。それを鍋に入れ、味噌を溶かし入れる。

 出汁らしいものはこの国にはないらしく、ハルカもまだ作ることはできていないので今日は出汁なしだ。味見をしてみると、多少味気ないというふうにも思えるがそれは日本の出汁入りの味噌汁を知っているからだろう。玉ねぎの甘味が出ているし、これはこれで悪くはない味だ。

 簡単に出来上がった味噌汁の鍋に蓋をして置いておき、ハルカは米の鍋へと戻った。髪を耳にかけながらほんの少し蓋を開けてみる。水分がなくなっていれば、火を止めてしばらく蒸らせばいい。うん、と頷いたハルカは火を止め、蓋を元に戻してもう一度頷いた。


「できたのか?」

「あと少しです」


 そうか、と言うアスカは椅子に座ったままだ。


(これは、陛下にもお出ししないといけないんだろうな)


 アスカがただの見張りでここにいるわけではないことは、流石に分かる。もちろんハルカを心配してのこともあるだろう。夜中に厨房に一人でいて何かあれば困るため、見守っているという側面もなくはないだろうが。つまりは気になるのだろう、ハルカの作る料理が。

 とくに派手に感情表現をするタイプではないが、毎食きちんと完食するアスカである。肉料理が好きで、毎度おかわりするくらいだからハルカの料理を好ましく思っているのは間違いない。ハルカはそれを自惚れではなく事実として受け取っている。

 そんなハルカが新たに挑戦する料理、しかもこの世界にはないものに、興味があるということだろう。


(上手くできてなかったら困るなあ)


 ハルカは眉を下げて笑いながら、二人分の食器を食器棚から選んで並べた。

 ちなみに普通は、国王に出す食事が「失敗していたら困るな」程度では済まない。命を懸けてでも成功させるという気概を見せるのが通常の反応だ。しかしハルカはそうは言っても上手くいかないかもしれない、と開き直っている節がある。そもそもこんな時間に試しているのは、その失敗を王族たちにお出ししないためなのだ。そこに顔を出したアスカにも責任はあるだろう、と極めて冷静に考えている。そしてそのことをアスカも承知してくれるだろうと信じている。

 

 そろそろいいかな、とハルカは鍋の蓋を取った。ふわりと上がる湯気。米飯の甘い香りが漂ってくる。ぱっと見た感じは良い具合に炊けていそうだ。もちろんこの国にはしゃもじもないので、大きめのスプーンのような調理器具で鍋の中を掬い混ぜる。ほかほか、つやつやとした米粒は、成功を予感させる。一口分手に取って口に放り込んだハルカは、うん、と頷いた。若干固い。

 しかし許容範囲である。ハルカは水で濡らした手に塩を振って、その炊きたての米飯を握りしめた。


「あつっ」


 思わず零れた声に、アスカが座っていた椅子がガタリと音を立てる。

 

「おい、なにしてるんだ」

「あ、いえ、こういうものなんです」


 眉間に皺を寄せたアスカがハルカの手元を覗き込む。ガラの悪い顔に見えるが、心配してくれているのだろう。大丈夫です、と微笑んで念押しすると、アスカは不服そうな顔をしながらも黙ってハルカの隣に立った。椅子に戻るつもりはないようだ。

 ハルカは慣れた手つきでおにぎりを作って皿に並ていく。おにぎりができたら、味噌汁をお椀に盛れば完成である。

 欲を言えば具沢山の豚汁が良いし、漬物だって欲しい。おにぎりの中に梅干しや鮭などの具材だって入れたい。しかし今日のところはこれが精いっぱいなので文句は付けられない。

 

「できました」

「これは……?」

「おにぎりと、味噌汁です」


 シンプルな塩おにぎりと、玉ねぎの味噌汁のセット。夜も深まったこの時間の夜食にはぴったりだ。昼食や夕食には物足りなくとも、朝食にも良いかもしれない。

 今度、厨房内で試食会を開いてみるのもいいか。王族に出す前にここの料理人たちに感想を聞いてみたい。いや、ここの料理人たちは盲目的にハルカの料理を好む傾向にあるからあまり当てにならないか。

 そんなことを考えるハルカの隣で、アスカは興味深そうに皿に乗せられたおにぎりを眺めている。

 さてと、とハルカは椅子を引っ張ってきて、作業台の前に座る。アスカも同じように隣に座ると、ハルカが手でおにぎりを掴むのを見て少し躊躇してから同じように手を出した。


(王族に手掴みはまずいかも)


「陛下、フォークを使いますか?」

「ん、しかしこうして食べるのが正しいのだろう?」

「まあ、そうですね。俺の国ではフォークでは食べません」


 おにぎりを食べるときにカトラリーを使うとすれば、箸だ。しかしこの世界には箸は存在していない。味噌汁に添えた食器はスプーンだ。そうなるとおにぎりは手で食べるのが最適と言える。

 しかしここは日本の文化圏ではないし、日本の文化を知る人間もハルカ以外にはいない。フォークを使おうと誰にも文句は言われない。食べにくければ、使ってくださいね、と言い添えて、ハルカはアスカの側にフォークを置いた。

 ハルカ自身はもちろん手掴みで問題ないので、そのままぱくりとおにぎりを頬張る。少し硬めではあるが、おにぎりにするにはちょうど良かったかもしれない。噛むほどにじんわりと広がる甘味に、懐かしさを感じる。こちらの世界に来てからまだそんな時間は経っていないが、それでも懐かしいと思うのは日本人の性だろう。

 ほくほくと満足げに微笑みながらおにぎりを頬張るハルカを横目に、アスカもばくりと大きな一口でおにぎりに齧り付いた。


「ん」

「どうですか?」

「美味い」


 もぐもぐと咀嚼して、すぐにもう一口。偽りなく、アスカの口に合ったようだ。ハルカはズッと音を立てながら味噌汁を飲んだ。やはり米には味噌汁が合う。今度はきちんと出汁を取って作ることを決めた。

 一つ目のおにぎりをぺろりと平らげたアスカは、湯気の上がる椀を手に取って味噌汁を啜った。味噌汁も初めて作ったものだが、こちらもお気に召してもらえたらしい。美味い、とただ一言呟いて、味噌汁の椀を片手に持ったまま二つ目のおにぎりに手が伸びている。

 王族らしからぬわんぱくな食べ方だなあ、とハルカが笑い声を漏らすと、アスカはハルカを一瞥してニヤリと笑った。二人分の食事の音しか響かない厨房内で、誰を気にする必要があるだろう。

 

 とりとめのない会話を交わしながら夜食を食べ終えたハルカが片付けをしていると「そういえば」と何かを思い出したようなアスカの声が響いた。


「街にはいつ行くんだ」


 一瞬きょとんとしたハルカは、ああ、と思い出す。森へ行くと伝えたときに言っていたことだ。あの日は天気が良いからという理由で森への散歩にしたのだった。その際、アスカは街の案内を約束してくれていた。


「とくに決めていませんが、そろそろ行ってみたいです」

「なら、次の休みな」


 さらりと告げるアスカに、ハルカは少し困ったように笑う。こういうときのアスカの決定はもう覆らないことはすでに知っている。アスカと街に行くこと自体が嫌なわけではないし、誰かに案内と護衛をしてもらった方が良いことは明らかなのでアスカの誘いを断るつもりはないが、こんなに簡単に決めてしまっても良いのだろうか。

 休みがあってないような王族ではあるが、数日後には一日重要な予定がない日があるらしい。その日な、とアスカは軽々しく言うが、国王が街に顔を出すのに何か準備は必要ないのだろうか。警護とか、どうするのだろう。

 勝手に決めてもいいんですか、と聞こうとしたハルカは、開いた口をそのまま閉じた。返ってくる答えは容易に想像できたからだ。


(うーん、マクレイさんやエドワードさんに怒られるような)


 ハルカに怒りの矛先が向くことはないのだろうけれど。マクレイから小言くらいは貰うかもしれないな、とハルカは眼鏡を掛けた冷徹な顔を思い出して苦笑した。


「なんだ」


 ハルカの様子に、アスカが首を傾げて顔を覗き込んでくる。ハルカは洗い終わった食器を拭き上げながら、なんでもありませんと微笑んだ。

 フ、と意地悪い印象を抱かせるも美しい笑みを浮かべたアスカは、ハルカが片付け終わるのを待った上で、ハルカを部屋まで送り届けてから自室へと戻っていった。

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