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15. 初めて見ました

 太陽が真上から傾き始めたころ、そろそろ帰るかというトラディスの提案にハルカは文句なく頷いた。

 サンドイッチを満喫したハルカとトラディスと騎士の二人は、森の散策を再開していた。と言っても、ハルカはとくに目的があるわけではない。のんびりと森を観察できれば満足だ。植物の観察もできたし、小動物の生態についてもトラディスから聞けた。幸いなことに魔物と出くわすことはなく、極めて平和な散歩で終わった。

 森の奥には魔物が生息するが、それゆえに動植物の生態系も特殊なものになっている。姿形が変わった動物や、色が奇妙な花、動く木。トラディスや騎士たちから雑談がてらに聞いた話に、ハルカは「そうなんですね」と返すだけに留めた。


(正直、気になるけど)


 心の中で呟くも、これを表に出すのは野暮だと押し黙る。誰からも反対されることは分かりきっている。ここは異世界であり、平和な日本ではない。魔物だけでなく、荒くれ者だっている可能性もある。危険を冒してまでの好奇心ではないので、ハルカもすっぱりと諦めた。


 来た道を戻るだけだから、と帰りは馬に乗ってサクッと王宮に戻ることになったため、トラディスに手伝ってもらいながら馬上に上がったハルカは、今度はトラディスの腕にしがみつくことはなかった。ただし居場所はトラディスの前であるし、トラディスの腕はしっかりとハルカの腰に回ったままである。大丈夫だとハルカが言っても、トラディスは譲ることはない。

 馬の蹄が土の地面を軽快に蹴る音と上下運動が心地よく、陽気な気候も相まって少々ぼんやりとしながらハルカは馬上を満喫していた。

 サアと風が吹き抜け、木々を大きく揺らす。


「……、待て」


 トラディスの声が低く、小さく響いた。ぴたりと歩みを止めた馬。後ろに続いていた騎士たちも音もなく動きを止める。


「……?」


 ぼうとしていたハルカは頭を緩く振った。戻ってきた意識で何かあったかと辺りを見渡すも、とくに変わったところは見当たらない。しかし、後ろにいるトラディスたちの空気がピンと張り詰めているが分かるため、じっと身を固めた。騎士団長が何かあると言うなら、何かあるのだ。

 道の先、その少し外れたところをじっと睨みつけていたトラディスは、後ろの二人に何やら手ぶりで指示をした。頷いた騎士たちは、静かに馬を回す。二手に別れ、森の中へと入っていく。異様な空気に鳴くことも暴れることもなく、最低限の蹄の音しか鳴らさない馬は、さすが騎士団で躾けられているはある。ハルカが乗っている馬も、大人しくトラディスの指示を待っているようだ。さすがだ、と思いつつ、ハルカも邪魔をしないように息を潜める。

 トラディスは道に留まったまま、ハルカの腰に回していた腕に力を込めた。

 話しかけていいものか、と首を持ち上げてちらりとトラディスの様子を窺う。ふっと視線が交わると、トラディスのルビー色の瞳の奥に滲む警戒の色が少し和らいだ。その瞳がそっとがハルカに近づく。


「大丈夫だ」


 耳元で低く囁いたトラディスは、またすぐに真っ直ぐに前を見据えた。

 何が、とハルカが思ったのと同時に、道の先で何やら汚い悲鳴が聞こえた。ガサガサと草木を掻き分ける音と、馬が駆ける音が響く。馬は、騎士たちのものだろう。ではあの汚い悲鳴は。


「オークだ」


 トラディスが言うと同時に、森の中からオークが現れた。ハルカは思わずびくりと身体を揺らす。

 体長は二メートルを超えている。濁った緑色の肌に、ボロボロの腰布を巻き付けている。頭部は豚や猪のようで、身体は太ったヒト型。木製らしい棒状の武器を手にしている。おおよそ、ハルカが想像する、元の世界のファンタジーで描かれたオークの姿そのものである。

 オークと此処までは十分な距離がある。駆けてきても数十秒はかかるだろうから、今すぐの危険はない。何より、トラディスが動かないのがここは安全であるという証拠だ。

 そう頭では分かっていても、初めて見るオークに――初めて見る魔物に、身体は勝手に怯えを覚える。

 力の入るハルカの身体を、トラディスの腕がぎゅっと抱き留める。厚い胸板に背中を預ければ、安心感が胸に満ちた。

 

「大丈夫だ。ここまで来ない」


 落ち着いたトラディスの声に、ハルカの身体から徐々に力が抜けた。トラディスの言葉通り、騎士たちに挟み込まれたオークは慌てふためきながら逃げるばかりである。棍棒のようなものを振り回すも、剣を構えた二人に当たることはない。あっという間に動きを止め、汚い断末魔と共にその命も途絶えた。

 トラディス曰く、こんな森の浅いところにオークが出ることはあまりないらしい。群れからはぐれたか、追い出されたか。集団になればある程度の脅威になるオークだが、一匹でいる限りは王宮の優秀な騎士たちにとっては大した敵ではない。初級の冒険者にとっては厳しい相手ではあるが。

 オークを片付けた二人は、念のためのと辺りの巡回に向かって行った。はぐれオークだとは思うが、周りに仲間がいないかの確認である。完全に動きを止めたオークに向かって、トラディスはゆっくりと馬を動かした。

 その死体の手前で足を止め、トラディスは馬から降りた。どうしようかとおろおろとするハルカに、柔らかく微笑んでそのままにと言い含める。一人で上手に降りられないハルカは、トラディスの手を借りられないならば選択肢はなく、こくりと頷いた。幸いなことに、トラディスの愛馬もハルカのことに慣れたらしく、馬上にハルカだけでも大人しくしてくれている。

 オークの死体を足蹴にしてごろりと転がしたトラディスは、懐から短剣を取り出した。そして、手早く解体していく。

 ワア、とハルカは馬上で情けない声を上げた。振り返ったトラディスは可笑しそうに眉を歪める。日本でも、魚は捌いたことはあっても牛や豚の解体は見たことがない。グロテスクなものに抵抗はないが、そうは言ってもグロい。しかしこの世界では普通のことなのだろうと、慣れるために視線を逸らすことはしない。

 この国では、いわゆる牛や豚のような家畜も存在しているが、魔物も食べるらしい。エドワードからこの国の文化を教えてもらったときに習ったことだ。しかし今までハルカが厨房で扱ってきた食材に魔物由来のものはなかった。今思えば、それはアスカの配慮なのであろう。魔物が存在しない世界から来たから、と避けてくれていたらしい。魔物しか食べないのであれば仕方ないが、元の世界と似通った食材があるならば、そちらの方がありがたいことには間違いない。

 確かに、この世界に慣れる前に魔物の肉と相対していたら多少の抵抗はあったに違いない。ここで生きていくと決めたからには、どうにか腹を括っただろうが。

 今まで気が付くことができなかったアスカの気遣いに、帰ったら礼を言おうとハルカは決めた。

 

 魔物は食材になるだけでなく、素材にもなる。どんな魔物も魔石を持っているし、それ以外にも魔物によっては皮や角や血液なんかが素材となる。皮は衣服の素材に、角は武器に、血液は魔法薬の原料になったりする。

 あれよあれよという間にただの肉塊になったオークは、ここまでくればただの食材に見える。オークから取れた素材は小さな魔石と、睾丸だ。オークはあまり素材が取れない方の魔物らしいが、睾丸だけはそれなりの価値があるそうだ。薬の素材になるらしい。

 食材にも素材にもならない不要な部分は、放置すると他の魔物を呼ぶので、埋めたり燃やしたして片付ける必要がある。まとめてトラディスが魔法で燃やした。


「オークの肉は美味いんだ」


 そう言いながら、トラディスは肉塊と素材を小さな鞄の中にしまった。


「え、今どこに」

「空間魔法のついた鞄だ。見たことがないか」

「はい、初めて見ました」


 便利だぞ、と見せてくれたのはごく普通の鞄に見える。腰に巻き付けるタイプのただのポシェットだ。しかし開いてみると中は真っ暗で、底が見えない。

 空間魔法とは、亜空間を作る魔法のことである。極めて特殊な魔法であり、闇魔法の使い手の中のごく一握りのみが扱えるらしい。この亜空間の中では時間は停止しており、その容積も自由である。非常に便利だが、市場に出回る数は少なく、それに見合うだけの価格がつけられる。つまり一般人には手が届かない代物だ。騎士団長となれば持っていても不思議ではないが。

 ちなみにハルカの「初めて見た」は「元の世界になかったから」の意だが、ハルカが異世界からの召喚者だと知らないトラディスは「珍しいものだから見たことがない」と捉えている。


 辺りの森を見回っていた騎士たちが、異常がないことの確認を終え戻ってきたので、四人は再び帰路へと着いた。




 王宮に戻ってきたハルカは、朝にも訪れたアスカの執務室の扉を叩いた。無事に帰ってきたことの報告のためだ。

 机に向かって書類に次々とサインをしているアスカに声をかけると、顔を上げないまま「どうだった」と聞かれた。忙しそうなら出直そうかと思ったが、尋ねてくるということは今ここで話した方が良いのだろう。

 

「楽しかったです」

「ん」


 アスカは顔を上げないままだが、満足げな雰囲気を漂わせた。


「ありがとうございました、許可を出していただいて」

「……お前を閉じ込めたいわけではない」

「はい」


 ペンを動かしたまま、ほんの少しだけアスカの瞼が上がりハルカの姿を捕らえる。にこりと微笑むと、すぐにその瞳は紙の上へと戻っていった。

 帰還の報告は済んだし、とハルカが退室しようとしたとき、再びアスカが口を開いた。


「何もなかったか」

「え、っと、はい」

「あ?」


 一瞬、ハルカが口籠ったのをアスカが聞き逃すわけがなかった。圧を持って続きを促されれば、ハルカはそれに従うしかない。


「……魔物を、初めて見ました」


 すらすらと滑らかに動いていたアスカのペンが、ぴたりと止まった。黒色のインクがじわじわと滲んでいく。あの書類はもうダメだろう。

 ゆったりと顔を上げたアスカの眼光は、一般人が見れば卒倒するほどに鋭い。


「……魔物が出たのか?」

「はい……、オークが」


(しまったな)


 トラディスからの報告はまだだったらしい。しかしバレてしまえば仕方がない。それに、何もなかったとは言え、魔物に遭遇したことを話さなければアスカは不機嫌になるのだろう。それはそれで後で面倒だ、とハルカは諦めて森で遭遇したオークについて説明した。


 ちなみに、トラディスたちはハルカを王宮の入口で降ろしたあとに馬を厩舎へと連れて行っている。そのため、帰ってきてアスカの元へ直行したハルカよりも遅いのは当然なのだが、アスカから理不尽に塗れた小言を浴びせられるのは少し後の話である。


 最初に言った通り、森の深いところには入っていないこと。偶然、はぐれオークが一匹いたこと。騎士の二人が片付けたこと。周辺の見回りもして、異変はなかったこと。

 とにかく問題はないということを説明していると、アスカが椅子を鳴らして立ち上がった。カツカツと足音を響かせているのは、どうやらわざとらしい。

 カツン、とハルカの前で立ち止まったアスカの顔は相変わらず厳しい。爪先がぶつかりそうなほどの距離に立ったアスカは、ハルカの頭のてっぺんから足の先までをじっとりと睨みつけた。

 まっすぐな視線がぶつかる。深い海のような瞳に、ハルカが「あ」と思ったときにはアスカの手が伸びて来た。白く、傷ひとつないハルカの頬を、冷えた手の甲が撫でる。


「……怪我は」

「御覧の通り、ひとつも」


 アスカはただハルカのことを心配している。そのことが、冷酷に見える瞳の奥がほんの少し揺れていることで分かる。

 だから、ハルカはどれだけアスカに睨まれようと怖くはなかった。

 アスカの手が次はハルカの手を取る。そっと持ち上げられ、手の甲、手のひらと観察されるが、傷はもちろんない。しかしアスカが自分の目で確かめないと納得しないのだろうから、されるがままにしておく。

 

「……」


 不機嫌を隠そうともしないアスカの顔を覗き込むと、むっすりとしたアスカと目が合う。これが、冷酷無慈悲と噂される国王の姿だと思うとどこか可愛らしい。

 どうやら、アスカは自分の懐に入れた者に対して、自分の所有物だと認識している者に対して過保護な面があるらしい、とハルカは学んだ。冷淡と感じられる態度も、その裏には優しさが隠れている。意外と面倒見が良く、責任感が強いところがあるのは、ハルカを丁重に保護したところからも分かるだろう。

  

「トラディスさんが、護ってくれていました」


 ハルカがゆるりと微笑むと、アスカは「当然だ」と言ってようやくその手を離した。


「あ、」


 そうだ、と思い出したように声を上げたハルカを、アスカがバッと振り返る。まさか、やはり怪我をしたのではないか。どこだ、衣服で隠れている場所か。身ぐるみを全部剥いで確かめんばかりの勢いで、アスカがハルカを睨みつける。

 ハルカは慌てて、怪我じゃないですと否定した。この場で裸になるのは避けたい。


「今まで、魔物の肉を避けてくれていたんですよね」

「……ああ。慣れないものだろう」


 急になんだ。訝しむように、アスカの視線が一瞬を彷徨う。森で出会ったのがオークだったということを思い出して、ああと得心した。

 ありがとうございます、と微笑むハルカに、アスカは不要だとぱたぱたと手を振る。

 

「オークは美味しいと聞きました。今日の夕食で使ってみても良いですか?」

「お前に任せる。……そうだ、アレも美味かった」

「あれ?」


 きょとんとしたハルカに、アスカは「昼食の」と付け足す。ああ、サンドイッチのことか。


「お口に合ったようでよかったです」


 ほのほのと微笑むと、アスカの眉間の皺がが緩む。ハルカの笑みを横目に、アスカは小さく言った。

 

「お前の作るものは……、全部美味いだろ」


 ハルカの作った料理に対する王族たちの反応はさまざまである。

 イエディは、食事に興味が薄かったにもかかわらずハルカが作るようになってから毎食きちんと食べるようになった。毎度、ニコニコと美しい笑みを浮かべながら素直に美味しいと食している。

 トウリは、食べ盛りな年齢にふさわしくハルカの料理を今まで以上に食べるようになった。悪態を吐きつつも、態度や表情で考えていることはすべて伝わってくる。

 エミーレは、その頬を薄紅色に紅潮させながら麗しく微笑む。うっとりとした表情は、その気になれば傾国だって簡単だろう。

 アスカはと言えば、黙々とフォークとナイフを動かし続けて、綺麗に平らげるがあまり表情は変わらない。満足そうに頷いているから問題はないのだろうと思っていたが、やはり美味しいと直接言ってもらえるのは嬉しいものだ。


「ふふ、夕食も頑張ります」

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