14. 森の中でサンドイッチ
太陽が東の山の端から随分と昇ったころ、正門の前でアスカはトラディスを待っていた。門番の兵に軽く礼をして、門外には出ずに壁の端に寄る。肩から下げた鞄には、アッシュが持たせてくれた森で役立つあれこれ詰め込まれている。手に持ったカゴには、布がふわりとかけられている。
カゴのハンドル部分を手持ち無沙汰に弄りながら、小鳥が囀り飛んでいくのをぼんやりと見上げていると、馬の蹄の音が聞こえてきた。
「待たせたか」
いいえ、と緩く頭を振る。トラディスの後ろには、トラディスと同じ騎士の服に身を包んだ若い男が二人。トラディスが後ろに向かって一言何かを言うと、二人はハルカに一礼をしてから門の外で馬の準備を始めた。
トラディスはハルカの前で立ち止まり、馬を一撫でした。栗毛色の、綺麗な毛並みと筋肉を持った大きな馬だ。ペットは飼い主に似る、だなんて言うが、馬も主人に似るらいし。馬の表情はあまり読み取れないが、利口で主人の命令に忠実な馬であることはすぐに分かった。
「行くぞ」
トラディスが大きな躯体を身軽に操り、ひらりと馬に飛び乗る。馬上から手を差し伸べられ、ハルカはおずおずとその手を取った。
「う、わッ」
ぐいと想像以上の力で引っ張り上げられ、すとんとトラディスの前に降ろされる。一気に高くなった視界。思ったよりも、馬の上は高い。
見知らぬ人間に触れられると暴れる馬は聞いたことがある。ハルカは怯えたが、トラディスの馬はじっとまっすぐに立ったままだった。やはり、利口な馬らしい。
馬に乗ったことはあるのか、という背後からの質問に、ぶんぶんと首を左右に振る。
すると、がしりとハルカの腹に太い腕が回された。
「ならば、しっかりと掴まっておけ」
くい、とトラディスが軽く手綱を引くと、栗毛の馬はゆったりと歩み出した。門を抜けると後ろに二人の騎士が追随する。
王宮内の窓から眺めていたから、外の世界をまったく知らないわけではない。しかし、異世界での初めての外出だ。ただ門を通り抜けただけであり、広がるのは平坦な道であるが、ハルカの胸は高鳴った。
「おお」と感嘆の声を漏らすと、後ろから微かに笑い声が聞こえた。
馬の歩みは、のんびりとしたものだった。馬上のハルカは上下に揺れるものの、上体の姿勢を保持できる程度だ。手綱を握って自身の腹筋だけで耐えられるかと言われるとそれは無理なので、ハルカの両手はしっかりとトラディスの腕を掴んでいる。
トラディスは流石の一言だ。片手で手綱を握り馬を扱い、片手でハルカの身体を支える。騎士団長であれば当然なのかもしれないが。
王宮から出て街道をしばらく行くと、王都を囲む外壁が見えてくる。王都から外に出る門は東西南北に計四つあるが、今日は王宮から一番近い西門を目指している。西の森は、比較的低級の魔物しかいないというのも理由の一つだ。ちなみに東の森の奥にはこの辺りでもっとも強い魔物が住むと言われている。
門兵に声をかけ、大方の戻りの時間を伝える。西門は人の出入りも多い。次の街へ行く商人や、森から帰ってきた冒険者たちが次々に門を潜っていく。
人々の流れに乗って王都の外へ出ると、そこには広い草原が広がっていた。整備された道には、馬車の轍が刻まれている。しばらく行くと道が二手に分かれており、隣街へと続く道と森へと続く道が伸びる。ハルカたちは森に続く道を選んで、急ぐことなく進んでいった。
背中に当たるトラディスの胸板は、鋼鉄かと思うほどに固い。太い腕と固い胸板に囲まれると、絶対に落ちないという安心感が生まれてくる。ハルカは景色やトラディスとの会話を楽しめるようになってきていた。
「今日はありがとうございます」
振り返る余裕も出てきたハルカは、くるりとトラディスに顔を向けた。ぽすんと胸に頭が当たるが、とくに気にされないのでそのまま顔を見上げる。
そんなハルカを見下ろしたトラディスは、やわい笑みを浮かべた。こくんと小さく頷くのは、礼を受け取った証だ。
森の入口は、人の出入りが多いせいか道が開けていた。とくにそこから外れる理由もないので、冒険者たちによって自然と作られたであろう道を行く。
木々の騒めきが大きくなり、木洩れ日がゆらゆらと地面を照らす。森に入ると空気が綺麗になったような気がするのはなぜだろうか。マイナスイオンがどうとかは分からないが、外界よりは少しひんやりとした気温は気持ちが良い。
チチチ、と鳥が囀る。キュ、と小動物が鳴く。聞いていた通り、魔物が出る気配は一切しない。ハルカの後ろにいる騎士三人が、警戒はしているのであろうが気を張りつめてはいないということは危険性は極めて低いのだろう。
日本の森がどのようなものだったか。ハルカはハイキングの趣味は持ち合わせていないからあまり覚えていない。学生時代の林間学校はどうだったか。思い出しながら辺りの植物を観察してみるが、目立った変化はなさそうに見える。
「トラディスさん、降りてみてもいいですか」
「ん」
慣れたように馬を止めたトラディスは、ひらりと自分だけが降り立ち、そしてハルカに片手を差し出した。
「え、っと」
ハルカはその手を取り、どうにか降りようと試みた。しかし、馬に乗ったことが鳴ければもちろん降りたこともない。馬は大人しくその場にとどまっていてくれているが、いつ動き出すかも分からない。馬上にいるハルカの慣れない動きを嫌がって、落とそうとするかもしれない。下手な動きは取れない。
「……」
まごついているハルカに、トラディスは「ああ」と小さく呟いてから両手を伸ばした。ぐわりとハルカの身体が浮く。両脇が、トラディスの手によって支えられていた。
「わ!?」
「ん? 降りられないのだろう。というかお前……」
ぶらんと足が宙に浮いたまま、ハルカは戸惑いの目をトラディスに向ける。降ろしてくれない。なぜ、と思うも暴れて落とされても困るので、されるがままだ。二メートル近い大男に持ち上げられる経験はないだろう。
「あ、あの?」
「成人しているんだよな? 子供じゃないと聞いている」
「は? はあ」
眉間に皺を寄せたトラディスが、ハルカを持ち上げたまましげしげとその顔を見つめる。
ハルカは確かに実年齢よりは若干若く見られがちではあるが、年齢確認をされるほどではなかった。それは目の下の酷い隈があり、慣れたようにスーツを着ていたからというのもあるのだが、そうは言っても未成年と間違えられたことはない。
それなのに、子供かと問われている。違います、と首を振っても、トラディスは解放してくれるわけではないらしい。だんまりのままハルカを眺めているトラディスのつむじを観察することしかできない。
漆黒の短髪は綺麗に刈られている。鋭い眼差しを投げてくる瞳は赤い宝石のようだ。
(というかこの人も、王族たちとは違ったイケメンだな……)
この世界に来て分かったことは、随分と美形が多いということだ。少なくとも王宮内の美男美女の割合は非常に高い。王族たちは言う間でもなく、アッシュやエドワードも整った顔立ちをしている。厨房のエドワードやフィルだってイケメンだ。
目の前にいるトラディスも、その長身や厚い身体にばかり気を取られていたが、端正な相貌だ。
切れ長の目に長い睫毛。そこだけ切り取れば決して騎士団長には見えないだろう。しかし眉の上にある傷跡が、彼が戦いの場に出る人間であると主張している。
「……軽すぎる」
「え?」
仏頂面の顔からそんな苦言が出るとは。しかもとっくに成人した男に向けて。
ハルカは細身の方ではあるが、それは体質から来るものであり、食べていないからという訳ではない。食べても太れないという、世の女性に聞かれたら恨み節を言われる悩みを密かに抱えている。
「軽すぎるぞ。ちゃんと食っているのか」
「食べてます、自分で作っているので」
「ああ、そうか。最近、王宮内の料理が美味くなったと聞くがお前の手腕か。それにしてもだな……」
ふむ、と納得はするが、トラディスの両手はハルカの両脇を掴んだままである。
「あの、そろそろ降ろしてもらっていいです、かっ」
子供に高い高いをするように、ハルカの身体がぐうんと空へ突き上げられる。驚いた声が上がってもお構いなしだ。頭の上から降ってくるトラディスの名前。呼ばれた本人は真っ直ぐに見上げる。
「もっと食え」
言い含めるように強くそう言ってから、トラディスはハルカを降ろした。
「食べてますけど……、そうだ。ちょうどいいんで、昼食にしましょう」
「では、もう少し行ったところに開けた場所がある。そこで休憩にしよう」
太陽の日差しがぽかぽかと降り注ぐ地面に、ちょうどいい具合の木陰ができている。直射日光をじっと受けていればじんわりと汗が滲んでくるが、日陰にいれば快適だ。そよそよと木の葉を揺らす風が、ハルカの前髪を撫でた。
座るのに良さそうな木の根の上に、ハルカは腰をかけた。その隣にトラディスは屈む。護衛としてついてきてくれているトラディス以外の二人は、馬に水をやったり馬具の調整をしたりしている。
「簡単なものですが、皆さんの分も持ってきたので」
ハルカが手に持っていたカゴの布を取ると、そこにはサンドイッチが四人分詰められていた。四人分と言っても、ハルカのような一般的な男性を目安にしているので、騎士たちにとっては物足りないかもしれないが仕方がない。
「これは……なんだ?」
「サンドイッチです。具は、レタスとベーコンだけですが」
アスカに森へ行く許可を取ったあと、ハルカは厨房でこれを作っていた。森に長居をするつもりはないが、かといって昼間で荷は戻ってこられない。
いつもの丸いパンを温め直している間に、レタスをちぎって水気を取っておく。ベーコンは薄く切って軽く焼けば、具材の準備は完了だ。トマトや卵など、もっと具沢山にしてもいいのだが、今日は時間がないし騎士たちの好みも分からない。
(味付けは……)
日本であれば、冷蔵庫に必ず常備してあったアレがない。なくても美味しいが、ないと物足りない。しかし、今から手作業で作るとなると大変だ。
さて、どうしようか。頭を悩ませていると、サンドイッチの入れ物を用意していてくれていたアッシュに声を掛けられた。
「……この前、卵を混ぜたのと同じようにすればいいですか?」
「え、いいの?」
「はい。ハルカ様のお役に立つのが、私の仕事です」
「ありがとう、すごく助かるよ」
アッシュが手伝ってくれるのなら、問題は解決だ。ハルカは小さめのボウルに卵黄、酢、塩を入れて、よく混ぜる。それから、オリーブオイルを少しずつ入れて、その都度しっかりと掻き混ぜる。手作業で混ぜると分離しがちのためハンドミキサーが推奨されているが、アッシュの魔法でハンドミキサー要らずである。
「これは、何を作っているのですか」
「マヨネーズっていう、ドレッシングの一種かな。今日はサンドイッチに使うけど、サラダにかけたり、いろいろなものにつけると美味しいよ」
「そうですか」
「サンドイッチ、アッシュ君の分は避けておくから持って行ってね」
サンドイッチは、ハルカの時間と材料が許す限り作り置きしていくつもりだ。王族たちの昼食分と、残りは料理人たちのまかないである。厨房に置いておくと、気づかない内に料理人たちに食われているだろう。アッシュに気を付けるように言い含めると、銀髪を揺らしてしっかりとした頷きが見えた。
すべての材料がしっかりと混ざり、白っぽいもったりとした状態となれば完成だ。味見をしてみて、少し塩を足す。
温めたパンに切れ目を入れ、バターを薄く塗る。その上にアッシュのおかげで出来上がったマヨネーズも塗ってから、レタスとベーコンを挟めば出来上がりだ。至ってシンプル。どんどんとサンドイッチを量産して、皿の上に積み上げていく。森へ行く用のものはアッシュが綺麗にカゴに詰めてくれた。
「とうぞ、トラディスさん」
保温機能のあるボトルから紅茶を注いで、サンドイッチと一緒にトラディスに手渡す。紅茶は、ハルカがサンドイッチを作る隣でアッシュが淹れてくれていたものだ。
始めて見る食べ物に、一瞬躊躇ったトラディスは礼を言いながらサンドイッチを受け取った。トラディスの手にすっぽりと収まるサイズのそれを、しげしげと観察している。パンもレタスもベーコンも、それ自体は珍しいものではない。しかし、こんな見た目のものは食べたことがない。トラディスの知る限り、そもそもこんな食べ物はこの国に存在していない。
トラディスは、大きな口をあぐりと開けて一口齧りついた。
「……! 美味い!」
いつもの固いパンと見た目は同じであるのに、表面はパリッと、中はふんわりとしている。挟まれているレタスはシャキシャキとしていて、ベーコンから染み出る脂を包んでいる。パンに塗られたバターと、何か分からないものはほんのりとすっぱくてマイルドな味が、全体をまとめ上げて、素晴らしい調和を作り出す。
「あ、よかった。足りないかもしれませんけど、これはトラディスさんと騎士さんたちで分けてください」
ほのほのと微笑んでいるハルカは、自分用にとサンドイッチを三つ取り出してからカゴをトラディスへと渡した。中にはまだたっぷりとサンドイッチが入っている。騎士一人に付き五つくらいは食べられるはずだ。
「ありがたい。……む、ハルカ殿はそれだけか。足りないだろう、もっと食え」
「いえ、俺はこれで十分なんで」
ぐいぐいとサンドイッチを押し付けてくるトラディスをやんわりと、しかししっかりと断りながら、ハルカもサンドイッチを頬張った。




