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1. 召喚されました

 今の生活に、大きな不満はなかった。ただほんの少し、刺激があれば良いな、と思ったことはある。


「……え?」

「あ?」

「おや?」

「は?」

「あら?」


 これは、そんな小さな欲望を抱いた罰なのだろうか。


「……おい、どうなってる」

「ふむ、これは……」

「ちょ、ちょっと待て!!」

「まあ!」



 

 薄暗い空間。何やら不思議な模様が描かれた床。日本語ではない、何かの文字がずらりと円形に並び、その周りを何本もの蝋燭が囲っている。暗い天井には、細かな模様で何かのモチーフが象られている。どうやら二匹の向かい合った獣を表しているようだ。

 壁の上部に等間隔に取り付けられた、蝋燭の火とは違う灯り方をしているゆらゆらと揺らめく淡い明かり。ぼんやりとした灯に照らされているのは、その微かな光を受けるだけでも十分に輝く煌びやかな四人の男女たち。

 

 一人は背の高い、黒い衣服を纏った男。黒髪に白い肌が映え、街にいれば誰もが振り返る美丈夫だ。しかし、その色のない頬と切れ長のブルーの瞳、不機嫌そうに皺が寄った眉間がどうにも冷たい印象を抱かせる。目の前で起きた唐突な出来事に、驚きに表情を歪めることなく片方の眉を上げるのみであるのが、彼の性格を表しているようだ。真一文字の彼の口元が、ほんの少し歪んでいる。

 その隣に、同じく高身長の美青年。こちらはブロンドの長髪が煌めいている。深い緑色のローブで身を包む姿は、どこか天界に住む生き物を思い浮かべさせる。目の前で起きた彼らにとって予想外の出来事に対して、隣の男よりやや薄い青色をした目を瞬かせてはいるが慌てふためいてはいない。

 その隣に、もう一人。紺色の衣装で包まれた身体は先の二人よりは一回り小さい。艶やかな黒髪が揺れる端正な顔は、目一杯の驚きを浮かべている。青い宝石のような瞳を惜しげもなく見開き、「なっ」「えっ」と意味をなさない言葉が唇から漏れており、想定外を前にした人間としてはもっともふさわしい反応であると言えるだろう。もちろん彼も、隣の二人よりは幼さを残すもののかなりの美少年である。

 最年少らしき四人目は、物凄く美人な顔立ちをしている女の子だ。ブロンドの髪が優美なカールを描いて肩で揺れる。控えめなデザインながらも美しい刺繍が施された白を基調としたドレスを纏い、ただでさえ大きな瞳を驚きで極限まで見開くものだから、その薄いブルーの瞳が零れ落ちそうだ。呆けた口を隠すように、白魚のような指先がそっと口元に添えられた。

 

 そんな四人が見つめる先、不思議な文字が緻密に連なり描かれた床の紋様の中央には、スーツ姿のサラリーマンの男。茫然とした顔をして立ちすくんでいる、日本人の男だ。


「え?」


 飯田悠(いいだはるか)。二十五歳。会社員。独身。日本人にしては色素の薄い髪色は、この薄暗闇の中ではただの黒に見えるが、学生時代にはよく教師から目をつけられた。白い肌はやややつれており、薄幸の美青年と言えば聞こえは良いがいわば幸の薄そうな顔つきだ。顔の造形は悪くはないのだが、目の下にはうっすらと隈があり、彼の疲労をありありと見せつけている。

 悠は、過労死が危ぶまれるほどのいわゆる社畜というほどでもないが、それなりに仕事に追われる生活を送っていた。彼自身、仕事は嫌いではなかったし給料がきちんと支払われるのであれば大きな文句はなかった。モニターと向き合うばかりの業務は向いていたようで、仕事で困ったことはない。

 一般的に見て悪くはない顔がそうさせるのか、周囲の人々からの印象も良く、悠自身もそれを甘んじて受け入れ、使える顔ならばとそれを武器として上手に使い、にこやかにそつのない対応を心掛けていた。常に穏やかで感情の波が大きくない悠が、「仕事ができて優しい塩顔イケメン」と噂されているのは悠自身も知っている。

 しかしそれはただ単に「自他への興味が薄く、仕事しかすることがない平凡な男」であるのだと悠は自認している。

 

 仕事自体に不満はないと言っても、職場とアパートを往復するだけの毎日には少しばかり不満があった。

 住んでいるアパートは家賃の都合で職場から距離があり、朝晩それぞれ一時間ほど電車に揺られて通勤する日々。彩がないものだ、とぼんやりとした不満が常に腹の底に広がっていた。しかしそれを打破するほどの胆力もなく、困ってはいないしまあいいか、と放っておける程度ではあった。

 そんな悠の趣味もとい時間潰しが、長い通勤時間に読む小説だった。最初は文庫本を鞄に入れていたが、最近はもっぱらスマートフォンでも読めて便利な、インターネット上に掲載されているライトノベルを好んでいた。

 最近は異世界転生モノが流行っているらしく、悠も流行に乗ってそういった類のものをいくつも読み漁った。そして、少しばかり憧れたものである。異世界転生とか、異世界召喚とか。ロマンがあるではないか。

 現実問題として、自分の身に降りかかったら困るのだろうが、それはそれだ。そんなことはありえない。

 チート能力を持って美女に囲まれたり、類稀なスキルを駆使して冒険者になったり。土地も人も馴染みのない環境で、新しい仲間ができて有意義な時間を過ごす。

 平々凡々な毎日を送る悠にとって、そんな夢物語は魅力的だった。

 

 今の生活に、大きな不満はなかった。ただほんの少し、刺激があれば良いな、と思ったことはある。

 異世界だなんて、そんな大それたものでなくて構わない。何か没頭できる良い趣味ができるとか、可愛い恋人ができるとか。会社と家の往復のみで過ぎていく日々に、ちょっぴりの刺激を望むことは悪いことではないだろう。

 だから、まさか、己の身に降りかかるとは思っていなかったのだ。

 異世界召喚とやらが。


 


 今日も今日とて座れやしない電車に悠は揺られていた。いつものように、スマホでラノベを読んでいた。少し大きく車両が揺れて、吊り革に捕まり、瞬きをした。毎日同じ電車に乗っていれば、「ここは揺れる」などと無意識に記憶しているものだが、そのときの揺れは知らない箇所でのものだった気がする。だから、踏ん張りが効かず、少し、身体がぶれた。

 

 次の瞬間、悠はこの空間にいた。

 

 悠の目の前には薄暗い中でもはっきりと分かるような随分な美男美女が並んでいた。ぐるりと辺りを見渡しても、この部屋の中には彼ら以外にはいないようだった。薄暗いから、端の方まではよく見えないけれど。


(……意外と、冷静だな)


 何やら相談をしている四人を眺めながら、悠は他人事のように思った。まるでドラマやアニメを見ているようだなあ、と。冷静でいられるというよりは、まだ現実味がないという方が正しいかもしれない。これは夢だよ、と言われた方が信じられる。

 あとは単純に、小説で読んだことのある状況だから、とりあえずは受け入れられるというのもあるだろう。悠にとって全く知らないことが起こったわけではない。

 おそらくこれは、異世界召喚なのだろうな、と悠はぼんやりと思案する。死ぬようなシチュエーションではなかったし、死んだ覚えもないから、転生ではない、と思う。そうは言っても人間は何がきっかけで死を迎えるかは分からない。もしかしたらあの満員電車の中で原因不明の突発的な心臓発作でも起こして死んだのかもしれないが、その真相を知ることはできないのであろう。だから深くは考えない。

 死んだのではないと仮定して、転生ではないとすれば、目の前に立つ美男美女四人組によって召喚されたのだろう。悠は見目麗しい彼らを観察する。こういうときは、高位の魔術師とやらが古の秘法などを用いて召喚術を行うというのが定石だと小説で学んでいるが、果たして彼らがそうなのだろうか。

 ひそひそと目の前で会話をしている彼らの様子を見つつ、さてどうしたものかと悠は考えを巡らせる。


 (仕事……は、もう気にしなくてもいいか。帰れる保証はないし。あー、冷蔵庫の中、もう少し綺麗に片付けておけばよかったな)


 元の世界に戻れないかぎり、行方不明者として捜索されたりしたのちに死んだとして扱われるだろう。会社にもそのように連絡が入り、同僚には申し訳ないが粛々と引き継がれるのだと思う。社員一人がいなくなって回らなくなる会社ではないと信じているのであまり心配はしない。

 家族は悲しんでくれるだろうが、悠自身がどうにかできたことでもないので罪悪感の抱きようもなく、ただただ世話をかけて申し訳ないなあと思う。もちろん一抹の寂しさは悠にだってあるが、どうこうできるものでもない。泣いて喚いて解決するのであればそうするが、これはそういう類ではないのだ。

 誰かに知られれば冷めていると言われそうなことを考えながら、悠は辺りを見渡す。薄暗闇に目が慣れてきたからか、部屋の隅まで見えるようになってきた。しかし状況とくに変わることはない。この部屋の中にはやはり目の前の美男美女四人と悠しかいない。

 

 さて、置いてくることになってしまった家の中もそのうちに整理されるとして、冷蔵庫の中に生ものが大量にあるのが申し訳ない。

 忙しい日々を、なんとか健康的に乗り切ろうと、簡単ではあるがある程度の料理を自作して食べる毎日だったから、冷蔵庫には食材がたっぷりと詰まったままだ。作り置きをしていたタッパーには三日分のおかずが入っていたはずだし、卵は買い溜めをしていた。肉や魚は冷凍していたから大丈夫だと思うが、葉物野菜はすぐに傷んでしまうだろう。

 食べ物を無駄にするのは矜持に反するのだけれど、と悠はややがっかりする。

 まあ、今さら何を言ってもどうしようもないのだが。


「おい」

「あ、はい」


 打ち合わせが終わったらしい四人組が、悠へと向き直った。真っ黒な服を着た一番背の高い男が、薄い唇を開く。


「お前は、異世界から来たのか」

「え?」


 ――あなたたちが呼んだのでは?

 咄嗟に出かけた言葉をぐっと飲み込んで、悠は「おそらく」とだけ返した。

 反射的に出てくる言葉を飲み込むようになったのは、その方が社会で生きやすかったからだ。生来感情の起伏を表に出すタイプではないのだが、それが何も感じていないこととはイコールではない。スムーズに事が進むのであれば、感情の発露よりもその方がよほどメリットがあると考えているだけだ。

 黒髪の美丈夫からの問いかけは、悠が確信を持って答えられるものではなかった。ただ確証はないが、ほぼ間違いなくそうであろうとは思えたので曖昧ながらも悠は肯定を返した。しかしながら、その質問を投げかけられたこと自体に疑問を抱く。召喚をしたのはこちらの世界の人間であり、悠が望んでここに来たわけではない。


「そうか……」


 黒ずくめの男は、困ったというふうに長く息を吐いた。

 

 (困ったなあ)

 

 食ってかかりたい気持ちはゼロではないが、悠はそこまでのバイタリティを持ち合わせていない。し、見るからに高位の人間に対して馬鹿な真似はしない。ただただ、己ではどうしようもない状況に途方に暮れることしかできないので、シンプルな感想が出てくる。

 黒い美男子の溜息や、先ほどからの他の三人の困惑ぶりから見て、何か彼らにとって不都合なことが起きたということなのだろう。例えば、召喚した悠の見た目が強そうじゃないとか、魔力を持ってなさそうだとか。

 よくある勇者とか聖女とかを召喚しようとしていたのならば、確かに期待外れだろうなと悠は自分を省みる。どう見てもただの一般人だ、しかもやややつれ気味の。もしかしたらチートスキルなんかが与えられているのかもしれないが、そういうときは大抵、召喚前に神様との会話が挟まれるのが鉄板だ。残念ながら、悠は神様と会っていない。本当に、電車の中でふと瞬きした次の瞬間にはこの空間にいた。チートスキルへの望みは薄い。自分には何も分からないが、もしかせずとも何の能力も持たずに召喚されてしまったのかもしれない。それを四人は分かった上で、困り、呆れているのかも。

 悠は自分の手をじっと見つめた。とくに変わった様子はない。筋骨隆々にもなっていないし、手のひらの上でぽっと光が出る、なんてこともない。いつもと、今までと変わらない、日焼けのない骨っぽい手だ。


「えっと、すみません……?」


 沈黙が居た堪れず、とりあえず謝ってみる。自分が悪いわけではないのだが、美男美女が揃いも揃って残念そうな顔をしていると、こちらが悪いことをした気になってくる。


「ああ、ごめんなさい。違うんです、君が悪いわけじゃない。その……」


 ブロンドのイケメンが眉を下げて謝ってくれた。悠が、はあ、と気の抜けた返事をすると、一番背の低い幼さの残るイケメンがぼそりと呟いた。


「まさか、本当に召喚しちまうなんて……」

「えっ?」

「あ、やべっ」

「チッ、馬鹿」

「こら」

「兄さま……」


 おそらく年上であろう二人が、浅く溜息を吐いた。二人が頭を振る理由を悠は理解できない。妹らしき末っ子の姫様も、年齢より大人びた表情で呆れている。


「あーもう! 隠してても仕方ねぇだろ、兄上!! 来ちまったもんはどうしようもねぇんだから!」


 三男坊主らしいイケメンが苛立ったように叫んだ。


「……俺、間違って召喚された感じですか?」

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