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9 犬

 鈴の音が消えると重さも消える。つまり彼女がわたしから去ってしまう。けれども消えてなくなったわけではないだろう。わたしが憶えている限り、彼女はいる。そうに違いないことを、わたしは知っている。

 彼女の様子が、普段わたしが考えていたものより元気そうなのが意外。が、わたし自身の記憶の方が間違っているのだろう。それとも大人は子供の延長ではないということか。

 彼女が消えれば、わたしの関心は花弁に戻る。それで捜すと仏壇の中に一片ある。その花弁を手に取り、匂いを嗅ぐと結構甘い。それだけ真新しいということか。まさか仏壇の中に入るわけにもいかないので他を探すと畳にある。彼女とわたしが入ってきた畳とは別の襖近くに落ちている。だから次の間に進めという指示だと思う。それで襖を開け、吃驚する。

 そこに犬がいたからだ。形から見てシーズーだが、わたしの知識はPC頼り。つまりペーパードライバーみたいなもので実際にシーズーに触ったことは一度もない。実家の近所で飼われていたのはもっぱら猫。犬にはあまり馴染みがない。が、この犬がシーズーだとすれば仏様からの遣いだろうか。シーズーの正式名称が獅子狗シーツーコウということからの連想だが……。

 シーズーは中国で尊ばれた動物で、それゆえ獅子の名を冠している。起源は十七世紀初めのチベットに遡る。当時は神聖犬として扱われたはず。

 もっともスーズーが独自の発展を遂げたのは西太后時代。西暦でいえば一八六一から一九〇八年頃。分類学的にはラサ・アプソとペキニーズが掛け合わされ、作られた小型犬。体高は二十から三十センチ、体重は五から八キログラム。大きな瞳とあちこちに跳ねた鼻の周りの毛が特徴で、それが菊の花のように見えることからクリサンセマム・ドッグとも呼ばれる。クリサンセマム(・ムルチコーレ)とは、もちろんキク科の植物のこと。

 もっとも、わたしとって重要なことはシーズーの背には花弁があったこと。背以外の何処にも花弁がない。だから犬が案内役なのか、と考える。それで、「おいそうか」とシーズーに問う。「ワオンキャキャーン」とけたたましくシーズーが答える。もちろん意味はわからない。まあ、それはシーズーだって同じだろう。

 良く見れば愛嬌のある顔のシーズーは、わたしにじゃれつくこともなく、じっと押し黙る。ついで決心したのか、それとも仏かあるいは花弁撒散人に命じられたか、行動を起こす。その動きがのっそりとしており、どうにも小型犬らしからぬ。けれどもわたしがそう思っていると気づくのか、頑なまでに動きを変えない。……と思うと振り返り、わたしを睨み、「ワオンキャァーン(そこを開けろ)」と指示。犬や猫の中には自分で工夫を凝らし襖を開ける器用な輩もいるが、このシーズーは違うようだ。さらに、「ワワワワンキャン」と急かすので、「はい、わかりましたよ、ご主人さま」とわたしが答え、襖を開ける動作に入る。すると、「よろしい」とでも言いたげにシーズーが満足そうに首肯いている。その仕種が事の他可愛く、わたしの顔に笑みが浮かぶ。けれどもシーズーは笑わない。だから諦め、わたしが任務を遂行する。

 ……といっても、単に襖を開けただけ。

 木の床が覗いたから廊下だろう。そこにも犬。犬種は同じシーズーで、こちらは本物の子供のようだ。白い花弁は乗っていない。もしかしたら親子なのか、とふと思う。もちろん答はない。けれども二匹が並んで歩く様子は親子のようだ。親子ではないにしても仲はかなり良く見える。

 小さなシーズーにとっても大した距離を歩かず台所、いや、お勝手に至る。わたしが想像を巡らし、「お勝手口を開けろ」と命じられると推測する。それは違わず、大人のシーズーがわたしを睨む。それで勝手口に一歩近づき、わたしが気づく。靴が玄関だと……。

 この家の勝手口から外に出るのは一向に構わないが、裸足やツッカケでは気が進まない。それにこの家のツッカケを履いて外に出れば泥棒になる。家宅侵入罪の上に窃盗罪まで重ねるのは、さすがにイヤだ。そう考え、シーズーに靴を玄関まで取りに行く許しを得ようとそちらを向くと、「下を見ろ、ワン」と吼える。それで狭い勝手口の三和土を見下すと靴がある。わたしが履いて来た靴に違いない。それが、ご丁寧にも二足キチンと並べられ……。

 どうなっているのだろう、と訝るが、元より理不尽な花弁探索。何が起こっても不思議はない。開き直り、自分の靴に履き替え、外に出るとシーズーが付いてこない。わたしはてっきり彼らがわたしを先導する役目を担うと思っていたので拍子抜けする。それで一旦シーズーに向けた視線を生垣と家の壁に挟まれた細長い領域に向ける。

 少し探すと花弁が見つかる。勝手口の目の前に所謂家の裏木戸があるが、その閂に乗っている。緩い風に吹かれ揺らめくが、一部が湿って張り付いているのか飛び立たない。それを確認してから勝手口に戻り、シーズーたちに礼を言い、戸を閉める。裏木戸を開け、外に出る。

 出れば在り来たりな都会の一郭。靴が踏む道路はアスファルト製。

 裏木戸を閉める前に花弁が跳ぶ。宙を舞い、すぐに見えなくなる。家の内側から鍵を掛けられないので申し訳なさが残る。けれども、そもそも家自体に鍵が掛けられていなかったのだ。柵だって半分開けっ放し。「だから、まあいいだろう」と道の先を見ると着物姿の老婦人がいる。最初は誰だかわからないが、もしかしてあれは祖母だろうか。


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