5 秘
寺を出た先は普通の道路。普通というのはアスファルト製という意味だ。随分時間が経った気がするが、時計を見るとまだ三十分も過ぎていない。わたしの時間間隔が狂ったか、それとも何者かに化かされたか。わたしは狐や狸が本当に人を化かすとは信じない。が、得になるなら化かされるのもアリ……と考える人間だ。もちろん損になるなら化されない方が良いに決まっている。
気づくと周りの雰囲気が変わっている。そのことに気づかないほど真剣に花弁探索に臨んでいたか。このわたしが……。笑ってしまう。
もしかしたら、これまでのわたしの人生で一番に近い真剣さかもしれない。そうだとすれば面白い。けれども同時にバカバカしい。
さすがに受験や就職に恋愛を含め、わたしにだって真剣だった時期がある。けれども、それらを今改めて振り返ると思った以上に真剣さを感じない。人が全人生で持てる真剣さの量みたいなものが一定とも思えないが、時間が経てば増えたり減ったりするのだろうか。それとも実はそれはまた別の感情なのか。そもそも真剣さとは個人的なもので、それを感じる本人以外にはわからない。周りにいる他人に透けて感じられることはあろうが、真剣さの純粋さ度合いや切実性は、その人本人にしかわからないはず。それとも、そうではないのだろうか。
世間一般では岡目八目とも言うし、本人以上に他人が感じてしまうのが実態かもしれない。そう考えるとまた可笑しい。けれども真剣さの度合いはやはり本人次第だと、わたしには思える。バカバカしいこと、あるいは誰かに目を晦まされていると気づいているときの真剣さ……とそれに同居する間抜けさは、気づいている本人にとって一番切実で重いのだから。
そんなことを考えていると向こうから人がやって来る。いや、向こうから来る人は今までにだっていたのだが、今回やってきたのは知り合いだ。それも余り会いたくない相手。お互い実家が近いから、これまで何度か偶然に出会うが、その都度わたしの感情がヒリついてしまう。どういう苦手と言おうか、昔の遊び相手と言うか。幸い相手はまだわたしに気づいていない。良くある態でスマートフォンを睨みながら歩いている。それで前方に不注意なのだ。
まだ十メートル以上の距離がある。けれども逃げようにも道がない。右も左も民家が立ち並ぶ道だから何処にも行きようがない。
……と思っていると、花弁が他人の家の中に入っていく。これまで見られなかった展開だ。はて、さて、勝手に入って良いものか。他人の家の中に……。さすがにわたしも躊躇する。焦って気持ちが空まわる。花弁を撒く誰かさんの知り合いの家には違いない。が、わたしの知り合いではありえない。それとも実は知り合いなのか。
余り会いたくない相手とはいえ、アノ行為があったのは過去のこと。小学生以前の話で子供の悪戯で間違いない。彼のペニスをお風呂で触り、引っ張ったことに罪悪感はない。逆に彼がわたしの股間をしげしげと見つめた視線にも困惑はない。あれらは互いの親公認の出来事だから。だからもしそれ以上の何かが起こりそうなら親が慌てて止めただろうし、そもそも一緒にお風呂で水浴びをさせないだろう。あの空間に性的なモノは何もない。
けれども困ってしまうのは、行為は似たようなものでも、隠れてひっそりとだと意味が変わってしまう事実。幼稚園も違うし、特に仲が良かったわけでもない。それでも数回二人きりで遊んだ記憶があり、一度アレが起こると、その先は必ずアレが遊びの中に入り込んでしまう。わたしにとってアレが愉しかったのではないが、さりとて厭だった記憶もない。本当に遊びの一環だったのだろう。
が、最初に母親に言いそびれると、今ならわかる罪悪感/背信感みたいな感情が生まれ、胸を刺す。それが段々と重なり大きくなり、胸が詰まる。互いに見せ合い、僅かにそれに触っただけなのだから、全然大したことではない。前戯の前戯にさえ程遠い。大人も子供も誰もいない空間。都会では珍しいので遊びの中の一瞬の間(魔)か。
「あ、いなくなった」
「だれもいないね」
それが合図。どちらから言うでもなく、それでも公園であれば樹の陰に隠れ、小声で、「いっせえのーっ」と一緒に囁き、着ていたものを下着まで下げる、または上げる。それからおずおずと手を伸ばし触れると子供心にも彼のペニスが気持ち良く伸びていくのが感じられる。さすがにわたしは肉体的には感じなかったが、精神世界では感じたはずだ。行為の意味さえまだ知らないが、何某かの快楽を感じ取っていたはずだ。
彼がお受験組だったので、勉強が忙しくなると急に会う機会がなくなってしまう。不思議な蜜月は三ヶ月ほどか。が、それで淋しくなったかといえば、そうでもない。子供には興味が尽きないから。
その後、高校も半ばになり彼と再会したとき、もちろん互いに昔の話はしない。けれども彼が当時のわたしとの秘め事を憶えていることがわかるので、どうにも感情がヒリついてしまう。適当な理由を見つけ、彼と一回寝てしまえばヒリつく感覚は薄れるだろう。が、機会がない。それに、もう互いに良い大人だから機会が永遠に失われてしまったとも感じている。彼は男だから女のわたしのようなヒリつく感覚は持っていないかもしれない。が、仮にそれを持っているとすると痛快だな。いずれ年寄りになって彼のペニスが勃たなくなり、けれども彼がそれをまったく気にしない年齢になったなら、もしかしてわたしから当時の話を持ちかけるかもしれない。