4 烏
そうふと思い、花弁を追うと寺に至る。あまり大きくはない。訪れたことがないとは思えないが、覚えがない。だから、おそらく初めてなのだろう。全体的に旧い造りで見渡す方々で塀が痛んでいる。所々が抜け落ちている。参道を進み、本堂に近づくと、そちらも同様痛んでいる。墓があるので、まさか住職がいないとは思えないが、実のところはどうか。本堂の横に狭い参堂があり、竹薮の中を進むとお狐さまのお社がある。これも何かの縁かと想い、賽銭を投げ入れ、頭を垂れる。寺院の中に神社があるのは珍しい光景ではないが、お稲荷さんがあるのはどうなのか。特に珍しい光景とはいえないか。
そもそも明治維新の神仏分離令で神と仏が分けられたが、元々日本は神仏習合だから神社の境内に寺院があったり、お寺の中に神社が祭られたり……。だからお稲荷さんがあるのは普通かもしれない。神社の中にあれば寺院の中にもある。
さて、寄り道をしたので戻ってみると、わたしが最後に花弁を見たところにそれがない。だから、「ああ、失敗した」と思い、辺りを探すが見当たらない。それで心がドキリとする。けれども諦めるのは早過ぎる。自分のぐるり一メートル先に見当たらないのだからと二メートル先を探してみる。それでも見つからないので三メートル先を探すが、やはりない。もっともその程度の距離なら目視でどうにかなるが、それ以上離れるとやっかいだ。花弁を探すのに歩く必要が生じて来る。が、歩いて探すも見つからない。
それで知恵を絞り、「花弁の落とし主はいずれ寺から出て行くはずだから」と塀の内側を一周する。が、その何処にも花弁が見つからない。だから、「まいった、残念」と心が騒ぐ。けれども見つからないのならば仕方がない。もう少し探すか、それとも諦め、帰り道の見当をつけるか。他の策はない。
そう思いつつ、後ろ髪を引かれる思いで心が帰宅に傾くと、そこにやって来たモノがある。黒いカラスだ。もっともカラスは大抵黒いから単にカラスで良いかもしれない。日常的に見る嘴形のカラスだからハシブトガラスだろう。その一羽が寺に飛来し、わたしに向かい、飛んで来る。わたしはカラスを嫌わないが、さすがに距離が近いと怖い。五メートルまで離れていないだろう。顔を見ると結構凛々しく、悪意を感じない。が、怖いモノは怖い。けれども、それ以上に気になるモノがある。つまり花弁。カラスが白い花弁を咥えている。小さな花弁だから上手く見分けないと嘴についた白いゴミと思ってしまうはず。けれども既に花弁発見エキスパートとなったわたしの目には間違いなく、あの花弁だと認識できる。するとカラスがトットットと足を弾かせながら、わたしに近づく。その間、嘴は閉じたままだ。だから鳴き声は聞こえない。わたしに近づいてくるのだから用があるのだろうが、誰かに操られているのか、それとも自分の意思なのか。
ゴミ袋を漁るから都会では嫌われ者のカラスだが、元より日本では悪者ではない。八咫烏は日本神話の神武東征の際、高皇産霊尊により神武天皇の許に遣わされ、熊野国から大和国への道案内をしたくらいだ。一般に三本足のカラスとして知られ、古くよりその姿絵が伝わっている。八咫烏が三本足である理由には諸説あり、それぞれ天/地/人を表すとも、また嘗て熊野に勢力を奮った三党の威を表すともいわれる。もっとも古事記や日本書紀には八咫烏が三本足という記載がなく、後に中国や朝鮮伝承の鳥『三足烏』と同一視されたのではなかろうかと言うのが学者たちの意見。賀茂氏が元々持っていた神の使いとしての鳥信仰と中国の太陽霊鳥が習合された結果という。中国では古代より道教と関連し奇数は陽を表すとされ、中国神話の三足烏は太陽に棲んでいる。陽だから奇数で三本足なのだ。面白いのは世界の多くの地域でカラスが太陽の象徴となっていること。色が黒いから逆に太陽の象徴となったとわたしは思うが、例えばマヤ文明の黒い烏は太陽の黒点を表すらしい。種々の意味でカラスは由緒正しい鳥なのだ。
……というような知識があったため、わたしはカラスを嫌わないが、カラスの気持ちはわからない。わたしの目の前のカラスは残念ながら三本足ではないが、逆に三本足だったら、わたしが腰を抜かしただろう。一旦は動きを止めたカラスだが、暫くし、羽根をバタつかせる。間近にいるから、その音も大きい。やがて視線が合うとカラスの目の中にわたしが映る。きれいな球体表面に球面上に歪みながら……。だからわたしの目の中にもカラスが綺麗に映っているのだろう……と考えた矢先、カラスが嘴を開ける。一声、「カア」と鳴き、花弁を落とす。その花弁に視線を向けるとカラスが飛び立つ。スズメやムクドリと違い、身体が大きいから飛び立つときの迫力も半端ではない。
カラスが飛び立つとわたしの前に視野が開ける。意識していなかったが、それまでカラスに視野を奪われていたようだ。わたしの前に広がる光景とは……。
約一メートル毎の白い花弁の連続。いつの間に、それらはそこに撒かれたのだろう。それともわたしが気づかなかっただけで初めからそれらはその経路となるように密かに撒かれていたのだろうか。