3 音
やがて気づくと、わたしはどれだけ進んだのだろう。知っている街のはずだが、まるでわからない場所に至る。実家の近くといっても自分の知る町内ではない。それどころか、隣町以上に離れている。更にわたしが実家に住んでいたのは、もう二十年では足りない以前のこと。建物だって変わっている。おそらく道は変わらないはずだが、景観が変われば見え方も変わる。
迷子になった感覚はまだないが、少しだけ心が怯えている。建具屋の横を抜けると誰か他人の家の前に出る。行き止まりのようだが、そうではない。生垣のある狭い路地をくねくねと進むと、やがて少し広い道に至る。
ええと、この道は何処に至る道だったか。自転車で何度も通ったことがあるはずなのに思い出せない。それとも、あれは違う場所だったか。当時目印にしていた家は邸宅だったので分割されれば印象も変わる。立派な赤松が生えた家だったが、わたしがいる周りに赤松は見当たらない。
広い道を少し行くとまた狭い路地に入る。先ほどの道もそうだが、今どき土の佇まい。石まで敷いてあり、いったい何時の時代かと連想させる。旧家が消えると、それに接する道も消える。いや、道そのものは残るが、風情が消える。その道が旧家の私道で土の道に拘りがあるなら消えないだろうが、大抵はアスファルト化され、他の道と見分けがつかなくなる。もちろんそれが悪いとは言わないし、雨の日には重宝だろうが、風情が変わるのは避けられない。自分の土地ではないのに勝手な言い草だが、感傷は誰にだってあるだろう。
それからずいぶん進み、抜けた先は本当にわたしが知らない場所だ。一度だって来たことがない。路地から覗く空の形にも見覚えがない。当然軒を並べる家の記憶もないが、不思議と怖い気がしない。どうしてだろうと思うと人の声があるからか、と気づく。女の子とお母さんが話している。窓が閉まっているので親子の声は漏れ聞こえるだけだが、女の子の機嫌は良いようだ。それにお母さんも苛々していなくて自分も会話を愉しんでいる。
それがきっかけとなり、わたしが小さかった子供の頃を思い出すと聞こえてきたのは母の声。冷たいといっては怒られるかもしれないが、甘えたような、そんな感じの母の声をわたしは聞いた憶えがない。子供をあやすときでも赤ちゃん言葉を使わない人だ。さすがに大人と同じ語彙では喋らないが、それに近い。
わたしが車を見て「ブーブー」と言うと「ああ、自動車ね」と返す。
「ピーポー」と言うと「あれば救急車よ」と言い代える。
おそらく、そんなことの繰り返しでわたしがモノの名前を憶えたのだろうから文句を言う筋合いではないが、少しだけ残念に思えてしまう。……というのは、わたしが近所の家に遊びに行ったとき、その家のお母さんの言葉遣いが母と違っていたからだ。気づいて驚いた記憶がある。
子供が「ブーブー」と言えば、「ブーブーさん、行っちゃったわね」と返す。
「ピーポー」と言えば、「ピーポーさん、誰を助けに行くのかな」と言う。いや、違うな、「ピーポーさん、だれを、たすけに、いくのかな」だったはずだ。
極端にゆっくり喋るわけではないが、子供に合わせ、比較的ノンビリした調子で言葉を発する。話をしていて子供が言葉に詰まったときには助け舟を出すが、それ以外では先回り的発言をしない。あくまで子供が主体の会話なのだ。
ところが、わたしの母はそうではない。いや、母だって気づけばわたしの主体を尊重するが、そうでないときや忙しいときには会話を早めに切り上げる。わたしは今でさえ頭が悪いから当時はもっと悪かったはずで……というよりモノを知らなかったはずで、あの頃母は相当わたしに苛々したのではないか。会社で新人研修をし、同様の事態に陥れば、わたしでさえ先回り発言をするくらいだから。子供と大人の違いがあるので簡単に比べられないが、相手の語彙の不足に話を限れば同じようなことだろう。
またしばらくして聞こえてきたのが竹竿売りの声。例の「たけや~さおだけ」の文句を口にしている。しかもその声が録音され、拡声器から聞こえてくるものではないようだ。まさかの肉声。良く通る張りのある声が聞こえてくる。けれども遠い。わたしがいる区画とは違うところで商売をしているらしい。それでも風に乗り、暫くの間止むことなく声が聞こえる。が、風が変われば声も消える。
すると次に聞こえてきたのが琴の音。近所に教室があるらしい。わたしは学生時代にバンドでベースを弾いた経験はあるが、琴はない。それをいえばハープなどの弦鳴楽器もないが……。当時のバンドメンバーが物好きでテルミンを自作したからそれを演奏したことはあるが、あれは無弦の電子楽器だから、少なくとも弦楽器である電気ベースより琴からは遠い。
聞こえてきた曲はわたしでも知っている有名なもので、音の連なりに淀みがないから、お師匠さんの演奏だろう。目の前の塀にお琴教室の看板があるから、この家か。子供の声を含め、最近ではすべての音が騒音と認識されるから、いずれ防音装置なしの音楽教室は不可となるだろう。