2 数
道路の上に最初の花弁を見つけたのは、その辺り。先を辿ればアスファルトの灰色に花弁の白が被り、見分け難いことこの上ない。けれども逆を辿れば、それが花壇まで続いている。柵の内外に約一メートルの間隔で途切れなく。当然柵に穴はない。もちろんドアや戸があるわけでもなく、そんな事実がわたしを心から惑わせる。その心情が花弁探索への興味をわたしに与えたのだろうか。さもなければ、面倒臭がり屋のわたしが見分け難い花弁の探索など始めるものか。
とにかく約一メートル進むと花弁がある。それでまた約一メートル進むと花弁が落ちている。無風ではないので、わたしが見つける前に飛び去っても不思議はないが、何故かそうならない。けれども、わたしが見つけた後に風に舞うことがいくらでもある。それが数回続くと心が酔ったような状態になる。それで他のものが見えなくなる。花弁の在処だけに心が向かう。
……とはいえ、早朝の街にだって人はいる。時折、その姿が目の端に映る。犬の散歩が粗方終わった刻限なのか、犬連れの人を見かけない。代わりに猫時間となったのか、そこいらじゅうに猫が落ちている。大抵は近づけば逃げるが、そうでない兵もいる。それで、なあ、と挨拶すると、相手も律儀に、なあ、と返答をする。いや、それだけの話だが……。
気づけば百メートルほどを進んでいる。花弁はまだ先に続くが、それを撒く/落とす人の姿は先にない。人の姿はあるが、みな違う。孫の手を引くお爺さんの姿があれば、孫に手を引かれるお爺さんの姿がある。ジョギング姿のお爺さんの姿があれば、足が悪いのだろう、ショッピングカートをゴロゴロと転がしながら歩いているお爺さんの姿がある。そうかと思えば、お婆さんと仲良く手を繋いだお爺さんの姿もある。何も好き好んでお爺さんの姿を街中に探したわけではない。偶々わたしが目にした方向にいろいろな種類のお爺さんがいただけだ。
次には若い女が連続する。その頃にはもう、わたしはアスファルトの道路に落ちる花弁探索のエキスパートとなっている。だから、若い女たちの姿も観察できる。
そうこうするうち五百メートルも一キロも進んでいる。誰だか知らないが、花弁を街中に落として歩く輩は一体どれだけの量の花を持っているのか。一般的に一つの花に花弁が何枚あるか、わたしは知らない。……といっても菊の類は多く、薔薇も多く、桜も多いだろうとは察しがつく。それから彼岸花も多いし、向日葵は多いし、ああ、アザミも多いか。それで……、少ない花弁の方の花が思い浮ばない。そもそも花の形状と名前に関する知識が足りない。いや、足りないというより足りなさ過ぎる。不意に対で思い出したヒメジョオンも多いし、ハルジオンも多い。いや、多いと思う。そういえばマーガレットも多いか。思いついたスズランはどうだろう。花弁が重なっているのか、実は袋状なのか、迷ってしまう。せっかく花弁数が少なそうな花だというのに……。
あれっ、ではホオズキはどうなのだ。スズランと同じで一枚なのか、違うのか。おお、それからアヤメだ。あれは三枚か、いや、上に飛び出ている部分があるから、もっと多いか。それではショウブはどうか。アヤメと同じだろうが判断できない。そういえば梅も花弁が多いとふと気づく。また花弁が多い花に戻ってしまう。ええと、サツキ、ツツジは五枚か。いや、確か、あれらこそ花弁が根元で繋がっていたような気もがするが。アサガオ、ユウガオ、さればヒルガオ……。改めて考えるとわからない。グラジオラスの花って、どんな形だろう。名前を知っているのに思い出せない。ああ、ヒヤシンスやクロッカスも同じだ。花の形が浮かんでこない。それをいえば葉の形状も浮かばない。それこそ小学校時代に育てたはずだというのに。まったく情けない話だ。
さて、他には思い出せないか。アブラナは……。スイレンは多いか。花弁が多い花ばっかりだ。何故だろう。
ええと、ゼラニウムってどんな花だ。赤いのか、青いのか、黄色いのか、ピンクなのか。おお、クチナシだ、クチナシがあったか。ガクがないからクチナシと憶えたクチナシの花弁は五枚だったか、六枚だったか。そういえば幸せを呼ぶ四葉のクローバーというが、どんな花か。まったく頭に浮ばない。それからタンポポは菊だな、だから花弁は多い。そうそう、あれだ、ドクダミは四枚。でも誰かから、そうではないと聞いた気がする。あの白いのは花弁ではなくてガクだとか……。
ところで白いといえば、白くて小さな大根の花は四枚だな。おお、そうだ、田舎にあったアケビの花弁が三枚だ。