1 去
早朝に花弁の跡を追いかけるなんて我ながら馬鹿なことをしたものだ。自分の正気を疑ってしまう。白く小さな花弁。仄かに香りがするのが可憐といえば可憐。知識がないので花の種類は知らない。いずれ良くある花だろう。それが道に落ちている。発見したのは数分前。散歩をしていて気を惹かれる。花や花弁など普段は気にもしないが、どういった心のありようか。落ちていたのはごく普通の路上。何処の街にもあるアスファルト製で表面がざらついた道。もっとも、ざらつきがなければ上手く歩けないだろう。摩擦が生じないと滑って転んでしまう。
しかし、あのざらつきは曲者だ。以前冬の日にアスファルトの僅かな窪みに足を取られ、転んだときに右掌を擦り剥く。寒くて肌が固まっていたこともあり、酷い傷になる。痛いと感じたときにもう、ざらつきの上を十数センチも擦っている。それで皮が剥け、血が出たのだ。傷が消えるまで二十日ほどもかかる。その後も違和感が長く続く。傷跡近辺が時に熱を帯びたように膨らみ、痛いというか、むず痒いというか。けれども気づかぬうちに忘れてしまう。他に関心ごとが出来たからだろう。学期末試験の心配をしていたのか、それとも好きな相手のことが頭から離れなくなったか。
今となっては思い出せない。
学生……ではないな、生徒の時代は遥か彼方だから。当時の淡い想いは今でも時折胸を掠める。が、単に甘いだけで切実さがない。切実さがないから薄くて軽い。
そういえば子供の頃の方が今よりずっと身体が軽かったことを思い出す。足も速かったし、頭の回転だって同じ。どこまでも健康で健全だったはずだ。胃腸だって弱音を吐かない。
が、子供時代に戻りたいとは思わない。あの頃の自分の心が今のわたしに宿れば精神が壊れてしまうような気がするからだ。今の記憶が残るなら、それも面白いかもしれないが、あの頃の孤独な心を追体験するのは願い下げ。
八幡神社の隣に小学校がある。家から歩いて十分ほどだろうか。子供の頃にはもっと時間がかかったはず。毎日友だちと一緒に駆けまわりながら登校する。大鳥居側から境内に入り、坂を上がって本殿で拝む。願い事があったわけではないが、習慣として。それから裏に抜け、小学校に至る。神社を出てすぐはプールなので中は覗けない。そこから少し行くと裏門があり校舎が覗ける。耐震工事の後が痛々しい。似合わない襷をかけられたかのようだ。
裏門から覗いて見える校庭には子供たちの姿がある。無邪気と邪気を放っている。そこから柵沿いに進み、右折すると家庭科室。その奥にあるのが理科室で前が図工室。それら特殊教室の上にあるのが体育館で、そういった造りの校舎なのだ。
当時の図工教師は焼き物に拘りを持っていたらしい。それで窓と柵の間に窯がある。ニヒルな女教師で怖がった生徒の数も多かったようだ。わたしは気にしなったが、単に鈍感だったのかもしれない。女教師には幾つかの作品を褒めて貰うが、残念ながら現在の足しにはならない。焼き物以外で絵も褒められたが、ご同様。年齢を差し引かなくても当時の方が絵は上手かったはずだ。褒められて調子に乗り、かなりの枚数を描き、上達する。が、それも過去のこと。手先の器用さだけが、今に残る。それが現在の理系の仕事にどこまで役に立っているかは疑問だが……。
そういえば、あの細い身体つきの女教師は今いない。肺癌で死んだと聞いたが、確かに奥の教師部屋で煙草を吸っていた記憶がある。突然のように開かれた同窓会で女美術教師の死を知り、ファンだった一人の女子が当時を熱く語る。吃驚したのは、その姿が嘗ての女教師の姿に被ったことだ。憧れは人を変えるらしい。話を聞くと自身も陶芸を遣っていると言う。もちろんそれで食べているのではないが、有名な賞も獲ったと後に別の女子から聞く。
二階が体育館になった校舎の図工室を過ぎれば小学校の正門に辿り着く。その先に花壇があり、そういえば低学年の頃に糸瓜水を作ったことを思い出す。当然のように当時はありがたみがわからない。それが今では懐かしい。肌の病気をして初めて自分の肌が生き物だったと気付くような性格。もう殆ど目立たないが、変色部分は未だに残り、時に男に説明して似たような体験を語り合ったり、行為に戻ったり。その中の一人が小学校の同級生だったのは単なる事故だ。お互い期待はなかったが何故かそうなる。
長い小学校時代にはクラスが違うこともあったが、考えてみれば六年間同じ小学校に通ったわけで、当時を振り返ると話題が尽きない。今では時効だから、と当時好きだった相手の名を挙げ合うと、まるで子供の頃のように胸がキュンとする。当時わたしが好きだった相手は今では彼方、海外だ。わたしと不倫した同級生の好きだった女子は普通の主婦で、今でも小学校の近くに住んでいるはず。