離婚以外 受け入れます。
「離婚以外ならどんなことでも受け入れます。あなたに愛人がいようとも。私を嫌いだとしても。白い結婚でも。……戦地に行けと言われても。受け入れます。だから。私をあなたの妻でいさせてください」
そう結婚生活一日目に言われてしまった。
私の妻は、三人姉妹の末っ子。とても良く似た姉妹で、姉二人とも仲の良いようで。
「先日お姉様から、お礼の品が届きましたの。こちらに来たときの案内のお礼だと」
「……いただき過ぎな気がするな。よいのか?」
「ええ。義兄がとても気にするようで。旦那様からまたご連絡いただけますか?」
「ああ。しておく。……こちらも何かした方がいいだろうか?」
「また、遊びに来られた際に、姪に何かあげましょう」
「そうだな」
家族仲は良好で。
よく。
「申し訳ありません。母が家を空けるようで、実家の方、様子を見にいってもよろしいでしょうか?」
「ああ。私も行きたい……のだが。すまない。業務が」
「いえ。旦那様にはお仕事がございますから。……私の方こそ申し訳ありません。たびたび帰ってしまって」
「気にするな。私の両親は既に他界している。君の両親は私の親でもあるのだから」
「ありがとうございます」
帰っている。
申し訳なさそうに。
俺に遠慮している。
この結婚はいわゆる政略結婚だ。
姉たちもそのようで。
といっても家を続ける気はないようで。ただ今いるローレルの両親と祖父が実家で暮らせたらいいと。領地運営は三人の娘の誰かに任せると。
資金的援助を他の家はしているようだ。
飛び地でもかまわない。
領地を拡大したいと考えていた祖父母が持ってきたのだ。当の本人たちは、婚約が成立してすぐに亡くなってしまったが。
妻をとるなど考えていなかった俺からすれば、この年で、婚約者がいなかったということに驚いている。
聡明で、明るく、気立てもいい。
屋敷のものとも親しくしている。
なぜ話がなかったのか、不思議なほどで。
「それは、姉に比べて私には何もないからですわ」
……。
「やめろ。次にそんなことをしたらクビにするぞ」
「こわ。ってかそれ脅迫な」
砕けた態度のそいつは、俺の執事。
「でどういうことだ」
「あっ気になる~? えっとな」
「……俺以外の人がいるときはその態度はするなよ」
「当たり前でしょ。それぐらい弁えてる」
昔からこの家に執事として使えている家の出。物心ついたときには既にいて。いつも俺の側にいてくれている。
「どうやら学園のせいだね。奥様、三姉妹そろって同じ学園卒だから」
確かそんなことを言っていた。
由緒ある名門校だ。
「どこの学園でも同じだってことだよ」
……何がいいたい?
「デルフィニューム。簡潔に話せ」
「はいはい。当主の命のままにっと。明確ないじめとか嫌がらせってことではない。周りが勝手に比べていたんです。あの姉に対してこの妹。と」
はぁと深くため息をついている。
「これです。まったく今時匿名なんてあってないようなものなのに。どうして人は匿名となればこんなにも強くなれるんでしょうね」
机に並べられたのは。
「……たくさん書き込まれているな」
学園のやり取りだ。
ローレルのことだけではない。
何人もの名前が出てきては、好き放題書かれている。
やれだめ領主の子だの。
底辺生徒だの。
……教師までも対象になっている。
よくもまぁこんなにも出てくるものだな。悪口というものは。
「こんなものにローレルが関わるとは思えない」
そうだ。
妻はそういうのに疎い。
興味がないのだろうか。
友人が少ないわけではないと言っていたが、家族以外の話は滅多にない。
そのうえ、連絡を取り合っているものもほとんどいないと言っていた。
こんなものを知っていれば、いくらでも繋がりようはあるが、そんな素振りもない。
「奥様が書き込んでるとかはないですよ。でも存在は知ってたと思います。で」
ここですとローレルのことが取り上げられている部分を指差した。
「年が近いこともあってご存じの方が多いんでしょうね。ましてや成績上位で優秀な方だったようで、先生の覚えもよかった。まわりも自然とあの家と認識していたようで」
……。
…………。
「あの姉に比べて。か」
確かにお会いしたお二人の姉は、聡明で利発で、目を引く方だ。
だがそれはローレルも同じだ。
劣る点などない。
「社交界にも同じような書き込みあるんですよ」
「は?」
そんなもの俺は知らないが。
「言うわけないでしょ。そういうのを嫌うんですから。そこにはゴシップも政治的思考もなんでもありますよ。まぁ嘘でたらめもわんさかですけど。こういうので情報収集してたりもします」
「……使ってるのか」
じっと見る。
「……見るだけです。気になるものがあれば、正攻法で情報を集めますよ。正しくないものをお伝えしたくないので」
よかった。
その名の花のようになってほしいって、ご両親が考えてつけた名前だ。
ちゃんとそうなっている。
「なら、なおのことローレルが見ることはないだろ」
「それを伝える人もいるんですよ。こう言われてるわ、いいの? って親切な人が」
……言葉の選び方はよくないのかもしれない。
「本人にとってはきっと親切心ですよ。周りからこう見えてるから気をつけてねって。そりゃーそれがいいときもありますけど」
態度悪いな。
どかってソファに座るなよ。
……まぁそれだけ苛立ってるということだろう。
他者と比べられることを何よりも嫌うから。
「学園では学力だの部活動だの学園内評価だので、比べたあげく。婚約では、姉に比べたらそうでもないからとないがしろにされて。話も来てなかったようですね。……ご両親はそんなことなく、平等に愛しておられるようですけれど」
そうだ。
お二人とも愛している。
末の子を。
比べることも、贔屓もなく。
ちゃんと平等に。
「ご家族と過ごしている様子からみても、家族仲はいい様子だった。彼女も比べられているようには思っていないようだったし。あの家で彼女がちゃんと愛されて育った。それは俺にも伝わっている」
「そうなんですよねー。ちゃんと家族は愛している。でも、それは身内だから。第三者から見れば、自分はって。そう思ってしまう。割り切れない」
俺に一人っ子だ。
比べる対象ならきっとこいつになる。
……比べたところでむなしいだけだ。
俺がどんなに頑張ったところで、こいつには勝てない。
そもそも目指しているところが違うのだから。
と俺なんかは思ってしまうわけだけれど。
「奥様はそういう考えは持たれてないでしょうね。……というか話してます?」
う……。
「俺が知る限りですけど、まともに会話されてます? 奥様がご実家に帰られる際についていってる様子ないですけど」
……痛いところをついてくる。
「領地ですよね? 見に行かなくてよかった?」
「……彼女が帰る時に人をつけている。そこから状況は聞いている。もともと問題のない安定した領地だからじい様は手を挙げたんだ。落ち着いているようだから行かなくても問題ないだろ。というか。俺はよそもんだから。ローレルのほうが領民からの信頼がある。領民との距離が近いのが特色だろ」
「とかなんとかいって。単純に仕事がいそがしいんでしょ」
「当たり前だろ。あの人のおかげで、俺は近衛隊の剣の指南役なんてものに推薦されたんだぞ! そりゃあ名誉あることだ。近衛隊隊長を歴任された方だ。その上俺たちの剣の師だ。その人の推薦だぞ? 断るなんてできないし。なんだったら、結婚祝いだって言われて。……冷たい視線あびたんだぞ? こんな若造がって」
「で。コテンパンにしたと」
「……舐められるなという教えだからな」
はあと深くため息をつかれた。
仕方ないだろ。
ってか俺のほうがため息つきたいわ!
新婚だぞこっちは。
仕事増やされたんだ。
「……まあ。地位も名誉もしっかりしたものですからね。望んでも簡単には手に入らないものですし。奥様もそのことは、ご理解されていると。……これだったら結婚前の方が話、してたんじゃないですか?」
「……これ以上はやめてくれ。もたない」
「はいはい……。まあたまってますもんねー。仕事」
俺の机に山積みになっている紙たち。
「仕事してるからな! さぼってないぞ!」
「わかってますよ」
はいはいって流された。
……。
「頼まれてたのは調べたんで。自分もこっちもどりますよ」
俺が頼んでいたことだ。
どうしてローレルがあんなことをいったのか。
何がそんなにも自信がないのか。
俺に遠慮するのか。
「まだ終わってない」
「奥様があんなふうにおっしゃったのは、そういう勝手な周りの比較によるものだってことじゃないんですか?」
「それは俺たちの意見だ。確認するかどうかは別として。これを書いた奴らを出してくれ」
「……承知いたしました」
好き勝手俺の妻について書きやがって。
お前らになにがわかる。
彼女は。
ローレルは。
「前に話したが。近衛隊の剣の指南役を仰せつかった。その任命式が行われる。そのまま、夜会が行われる。挨拶周りがあるため、出なくてはならない。ローレルも一緒にきてほしい」
「承知いたしました。旦那様」
にっこりと笑っている。
うん。
かわいい。
「一ついいか」
「何でしょう」
夕食後のお茶の時間。
ローレル手ずからお茶を淹れ直してくれている。
……家事を実家ではしていたらしいから、慣れた手つきだ。
「俺の事を他の呼び名で呼んでくれないか」
「……ああ。失礼しました。ご当主」
がくっ。とデルフィニュームが崩れているのが俺の視界に入った。
……ローレルの背中側でよかった。
「……どうされましたか?」
不安そうに、戸惑った目を俺に向けてる。
……その目は見たくないな。
「すまない。俺の言い方が悪かったな」
「そうですよ。奥様はそういう方でしょう」
ちゃちゃと入れるなとにらむ。
「ごほん。ええっと。名前でよんでくれないのかということだ」
……大きな瞳がさらに大きく開かれている。
「よろしいのですか?」
「逆になんでダメなんだ?」
「あ……。えっと……」
かぶせてしまった。
「領主ですので。……でもそうですね。夜会の場でそのような呼び方では、距離があると思われてしまうかもしれませんね。……グラジオラス様」
照れたように笑っている。
……。
「……どうされましたか?」
……。
「うん。なんでもない」
「……はい……」
不思議そうに首をかしげているけれど。
それも愛らしい。
「奥様ってダンス、お好きなんですかね」
「得意ではないと言っていたが」
任命式は王と近衛隊と側近のみ。
夜会では多くの領主が集まるが、ここにはいない。
ローレルは後から来るから、俺とデルフィニュームだけで控室にいる。
「ドレスをどうしようかと迷われていましたが」
「ああ。あまりこういった場は苦手と言っていたから。参加してこなかったのだろう。……メイド長が張り切っていたな」
「そうでしたねぇ。あれこれしてましたけれど。まあどれを着てもお似合いだと思いますよ。奥様。かわいらしいですから」
「そうだよな。……で」
「はい。確認してますよ。今回の夜会。参加するみたいでしたよ。ほとんどの方が」
「そうか」
「しっかし」
俺と二人だから態度も言葉も崩れている。
「どうするつもりですかぁ? 俺の妻だって自慢するんですか?」
「ああ。……自慢とは違う。事実だ。俺は事実を伝えるまでだ」
「……見せびらかす考えでしょ? メイド長に頼んで、たくさんドレス用意させて、装飾品も買ってましたよね?」
……。
「はいはい。そんな目で見ないでください。男に上目遣いされても俺、いやなんで」
「だったら俺にそんなことさせるな」
付き合いが長い分、遠慮はない。
「さて。行きますか」
俺の服も髪も整えてくれて。
「いってらっしゃいませ」
「おかしくないでしょうか」
「問題ない」
……俺が選んだドレスだった。
淡い色合いのもの。
装飾は控えめにしている。
全体的にバランスの取れた装い。
「こういった場は不慣れで。……不手際がありましたら申し訳ありません」
「謝ることはない。ローレルは悪いことなどないのだから」
そうだ。
何も悪くないのだから。
……。
…………。
聞こえているぞ。
……あのあたりか。
……たしか同じ学園の者だったはずだ。
卒業してもなお面倒だな。
「ローレル」
「はい」
腰に手を回す。
「人が多い。はぐれないように」
「……承知いたしました」
うつむいているから顔は見えないけれど。耳が赤くなっている。
……こういうのに慣れていないのが本当に愛らしい。
「あら。仲がいい事」
「お姉様!」
「ふふふ。この前はありがとうございました」
「いえ。こちらこそ」
「どうして……」
「義弟が近衛隊の剣の指南役に任命されたのでしょ? 今度お祝いしないとね」
「そんな。おかまいなく」
「小さい間はこういった場には参加されないと聞いていたのに」
「たまにはって。すぐお暇するけれどね」
今日、ローレルの一つ上の姉が参加することは知っていた。
声をかけてくることも想定済みだ。
「妻が。妹のことをローレルはうちのローレルなのって言っていた理由がわかったよ」
「どういうことでしょうか?」
にっこり笑ってそれだけ言ってそれ以上黙った義兄に少し不服そうに笑って。
仲睦まじく話している二人は、本当に似ていて、似ていない。
「ローレル」
「はい」
「歓談中もうしわけない。挨拶に行きたいところがある。一緒に来てくれるか?」
「はい。……お姉様、お義兄様。失礼いたします」
「ええ。またね」
ローレルとよく似た笑顔だ。
まあ幾分か華やかなだが。
「どちらへ?」
「王のもとに」
「え……」
「任命式で、夜会では妻と共に。と言われていてね」
「……。おかしいところはないでしょうか」
「ああ。何もおかしくないよ」
優しく微笑む。
不安そうに俺を見あげるから。
そっと抱き寄せて。
「大丈夫。とてもきれいだ」
真っ赤になっている。
「いくよ」
「はい……」
「失礼いたします」
「おお。指南役。奥方と共にか」
「はい。改めましてごあいさつに」
「……ローレルと申します」
名乗ると。
王と王妃が顔を見合わせて。
ふふふっと笑った。
「よい縁だな」
「ええ。そうですね。まさにお二人は出会うべきだったようですね」
……。
「どうされたのですか?」
「いや? ふふふ」
楽しそうな二人に、再び不安そうに俺を見るローレルに笑いかける。
「グラジオラスが剣の指南役。確かな腕前で。あの元近衛隊隊長が推挙した。……その奥方がローレルと」
「ええ。近衛隊はきっと崩れませんわ」
楽しそう。
でそれを見ている周りとしては。
「何かあったのかしら」
「ただの挨拶でしょ?」
……うるさいけれど、今はこっちだ。
「どうかなさいましたか?」
「なに。良い縁談をそなたの祖父母は勝ち取ったのだなと思ってな。グラジオラス。お前の勝利は妻ローレルのおかげだな」
「? 妻がいるから頑張れるのはもちろんですが」
「あらあら。奥方は気づかれたようだけれど」
え?
「私の力などありません。全て……グラジオラス様のお力です」
俺だけおいていかれた。
あの後、いくつか挨拶にまわったが、どいつもこいつもローレルを見ていない。
ローレル自身、少し後ろにいたから仕方ないのかもしれないが。王妃がローレルを誉めたのが嫌だったのか、視線がうるさい。
書き込みを見張るように言ったが。
あいつ、俺を避けやがって。
「グラジオラス様。……今日は疲れてしまいました。お先に失礼いたします」
顔色が悪い。
声も震えている。
「大丈夫か? 医者を」
「寝れば落ち着きます……」
……。
静かに戻ってしまった。
……俺はこっちで休もう。
それぞれ部屋がある。
業務で遅くまで俺は部屋にいるから、それぞれの部屋で休んでいる。
…………白い結婚か。
それを望むのならそれでもいい。
ローレルは俺に望まないから。
「で? なんで俺は睨まれてるんですか?」
まずはこっちだ。
「報告を」
「……こわ。はいはいっと。えーとですね」
そういって俺の机にある書類を片付けていく。
「おいっ。まて。これはまだ終わって」
「今日はもうおやすみください。で奥様と話してください」
……声が。
「厳しいな」
「聞こえてますよ。呟くならもっと聞こえないように」
ブスッとしている。
こいつがこういう顔をするのは俺に非がある時だ。
「せっかくの美形がもったいないぞ」
「男に美形と言われても嬉しくない」
……はぁ。
「どんどん俺の扱いひどくなってないか?」
「ひどくなるようなことをしてるあんたが悪い」
ピシャリと言われてしまった。
「俺は情けないです。お仕えしている方が何にもわかってなくて」
大袈裟に頭をかかえている。
……なんなんだよ……。
「わかった。わかったから。……でもローレルは体調が悪いようだった。話はできない」
「……はぁ」
……わざとらしいため息だな。
「デルフィニューム。言いたいことはいえ」
「言ってます。とりあえず奥様の部屋に。お話しできなくても側にいるべきです。体調が悪いならなおのこと」
「……静かに寝させたいだろ。俺がいては邪魔になる」
「起こすようなことしないでしょ。ほらさっさといく」
俺の腕をつかんで無理矢理立ち上がらせて。
……この細腕で力あるんだよなこいつ。いてぇーよ。
「わかったから。……はぁ」
引きずってでも連れていこうとする態度に、それはカッコ悪すぎるのでやめてもらって。
ローレルの部屋のドアまで来たわけだが。
……ノックをしたら起きるだろうか。
「何してるんですか?」
「うわっ!!!」
じとっと俺を見ている。
「……ローレルが起きたらどうするんだ」
「ドアの向こう側でウジウジしてる方が気になるでしょ」
……。
「わかった」
そっとドアを開けて。
……起きてはいないな。
満足げに笑っているあいつに、絶対あとで殴る。
……うん。寝てる。
寝息は……乱れてない。
顔色は。……白いな。色白ではあるが、少し不安になるぐらい白い。
熱はない。
「おやすみ」
大きなベットで小さく丸まっているから、空いてはいる。
そっと頭を撫でて。
目をつむった。
「……まさか添い寝とは。椅子に座ってるものと思っていたのに。やったな」
「ちがうんだ。……ちがうんだ。俺はただ純粋にローレルのことが心配で。やましい気持ちなどなかった。あまりにも小さくなって寝ているものだからつい……」
「さすがに寝てる女に何かするとは俺だって思ってませんよ。我が主は奥様に対して誠実でありたいとされてますからね。……でも奥様が驚かれて、メイド長にも見られて。散々ですねー」
「あああああああ……。目を合わせてくれないんだ。距離があるんだ。メイド長は白い目で俺を見たし」
「メイド長も俺と同じ考えだと思いますけど。奥様のあの様子から、向こう側につくでしょうね。いやー。まさか起こしにくるとは。ふだんされてないのに」
読み間違えた~と悔しがっているが。
「……怒っているのだろうか。いや。ローレルに、かぎってそれはないか。怒るというより戸惑いの方がつよかったな。……どうしたら」
あの様子はどっちだ?
「失礼いたします。ノックはいたしましたが、お返事いただけなかったので失礼いたしました。旦那様。奥様がお庭でお茶をされています。どうせお仕事。手についていないようですね。ここ数日。奥様とお話もされていないようですし」
メイド長がいつの間にか俺たちの間に立っていた。
……よし。
「返事ができず、失礼した。いってくる」
「いってらっしゃいませ」
二人とも見送ってくれた。
……メイド長。怖かったな。
ローレルのこと、婚約の時点から気に入ってた。
贈り物については全部確認して、厳選もした。
全部ローレルは気に入っていたからよかった。
「ローレル」
メイド長のいうとおり、お茶を用意していた。
「俺にも淹れてくれるか?」
「はい。少々お待ちください」
目は合わなかったが、声はいつもの通りだ。
……俺が合わせるのが気まずいけれど、でもやましいことはないから。
「グラジオラス様」
カップを置いてくれて。
正面に座った。
「大変失礼いたしました。グラジオラス様は私の体調を気にしてくださったのに、私はお礼も言わず、避けてしまいました」
目を伏せて。
「ありがとうございます」
「……体調が戻ったならよかった。俺こそすまない。驚かせてしまった」
「いえ……。しっかり眠ってしまっていてグラジオラス様がおられたのに気づかなかったです」
小さくなっている。
……眠っているときも小さかった。
もともと小さいのにさらに小さくなると、幼く見えてくる。
そっと手をのばす。
……避ける素振りはないな。
そのまま頬に触れた。
「疲れただろ。今日はゆっくり休んでくれ」
「……ありがとうございます」
ふわりと微笑んでくれた。
「また夜会には顔を出さないといけないと思う。体調がいいときでいい、一緒にきてくれるか?」
「はい。もちろんです」
まっすぐ俺を見ている。
純粋無垢な目で。
「……? グラジオラス様?」
黙っている俺を不思議そうに見ている。
「……あの……」
「ローレル」
「はい」
「ありがとう」
「……どういたしまして?」
「で。仲直りしたのに何でまたあんたは頭を抱えてんですか?」
……。
「……拾ってくださいって書いて、庭に出したら奥様、拾いますかね?」
……。
「……やっと気づいたんですね」
……。
「はあ。まあいいんじゃないですか? そんなあなたを夫として受け入れているあの方のお心は本当に広いですね」
「……ローレルを呼んでくれ」
「お話されるんですか?」
「ああ。お前のいうとおり、彼女は俺を受け入れてくれている。だから。ここで頭を抱えても意味がない。話をする」
「いいですね。お呼びいたします」
嬉しそうに部屋を出て行って。
……お前に言われなくても俺のことをローレルは見てくれている。
つながりはなくて。じい様が持ってきた結婚話もローレルは受けてくれた。
「失礼いたします」
恐る恐るローレルが部屋に来た。
「ああ。……お茶を淹れてくれるか?」
「はい。承知いたしました」
「ありがとう」
俺の前にカップを置いてくれて。そのまま腕をつかんで俺の横に座らせた。
「? どうされました?」
そのまま手を握って。
「結婚して半年がもうすぐたつ」
「はい」
「ローレルは言ったね。離婚以外受け入れると」
「はい」
まっすぐ俺を見ている。
「どうしてそんなことを言ったんだ?」
俺は愛人なんていない。
ローレルのことが嫌いなんてない。
……白い結婚も望んでいない。
戦地なんてもってのほかだ。
そんなそぶりを見せた覚えもない。
「離婚が最も嫌だからです」
まっすぐ返してくる。
「……それはどうして?」
「この婚姻は、領地が関係しています。大旦那様のお望みは、領地拡大。あたらな領地を獲得し運営していくこと。我が家も、領地運営についてどなたかにお願いしなくてはなりませんでした。現在、わが実家の領地はグラジオラス様の領地です。けれど、離婚となれば、領地は実家に戻ります。あの地を再びどなたかにお願いするのは領民からすれば、不信感につながります。また、出戻りが再び結婚するのは難しいと思います。特別なにかある領地でもありません。手はかかりませんが、利益もございません。そこに何もない妻。婚姻による利益はないに等しいでしょう。……グラジオラス様のような方にまたお会いできるとも限りませんから」
俺を見る目に迷いも揺らぎもなくて。
声も淡々としていて。
普段の感情はどこにいったのかと思うほど。
「婚姻の理由が領地拡大と伺っていたので。グラジオラス様も領地を失わないことを考えておられるのであれば、離婚以外は何でも受け入れようと。それが、グラジオラス様へ私のできることだと思いまして」
……。
「……グラジオラス様?」
ここにきて不安そうな顔をするのか。
うつむく俺の顔を覗き込む。
そのまま抱き寄せた。
「……グラジオラス様?」
体が硬い。
「ローレルは俺との婚姻は領地だけのためだと?」
「……それが大旦那様の望みとうかがっていましたので」
じい様……。
「確かに。じい様は領地拡大を願っていた。飛び地になったとしてもそれでもいいと。……確かにローレルの実家の領地はとても落ち着いている。運営として手がかからない。その点がじい様が選んだ理由ではあると思う」
そういう書き込みがあったのを俺は聞いている。
そしてそれを誰かがローレルに言ったんだろう。
ただの領地目的だと。
「だがそれだけで結婚するほど、俺は絶対に結婚したいとも思ってなかったし。じい様が話を持ってきたとしても、ことわることもできた」
力をいれる。
「俺が結婚したのは君だ。君の領地じゃない」
「……グラジオラス様」
そっとはなした。
目を合わせる。
「俺が言ったか? 君との結婚は領地のためだと」
「いいえ」
「ならっ!」
「私にはグラジオラス様のお心は分かりませんわ。第三者の言葉ではありますが、そうであるということを耳にしております」
まっすぐに俺を見ている。
……どうして君は。
「私にはなにもないですから。何かを成し遂げはわけでもなく。何かを勝ち得たわけでもない。あるのは領地も領民への誠実な対応することだけ。それが私の役割だと」
……そのためだけに俺と結婚を?
「……領地のためなら誰でもいいのか?」
驚くほど冷たい声が出ている。
「そういうわけではございません。お話しをいただいたとき、こちらもグラジオラス様のことを少しお調べいたしました。……私はあなたの妻になることがもっとも良いことだとそう思ったのです」
「領地が守られるからか?」
「それだけではありません。……それが私にとっていい未来だと思ったんです」
なぜそう思ったのかの理由はわからないけれど、と続けた。
「……君のお姉さんは君のことを、ローレンだと言っていた。お義兄さんもだ。その理由を考えた。……まさにその通りだったんだね」
そうだ。
ローレルがローレルである。
「うまくことを運びたいとき、君が側にいて、背中を押してくれると、必ずうまく行く。君はまさにローレルなんだね。……月桂樹の別名。ローレル」
「お姉さまの努力によるものです。私は何も」
「それもあると思う。けれどそれだけじゃない。君の存在が確かにあると言っていた。……君はそういう人なんだ」
揺れる瞳に俺が写っている。
「君は勝利の女神だ」
そういう人は確かに存在する。
神に愛されているんだ。
その名のようになれる人が。
「君が好きだ。君は何もないというけれど。ちゃんとある。君は俺の勝利の女神だ」
俺の側には二人いる。
その名を体現している人が。
「奥様とお話しされてうまくいったんですね」
……。
「……なんですか?」
まぶしいくらい雲ひとつない青い空。
ローレルはメイド長と庭の花の手入れをしている。
「あの飛ぶ燕のようにお前は自由にできるのに、俺が繋ぎ止めて」
「唐突になんだ? 俺は自分で選んだ。あなたにお仕えすることを」
膝をついて俺を見上げて。
「俺はあんたがいいんです」
清々しい風が吹いて。
「知ってます? 燕は縁起物だって」
空に負けないくらい。
……いやそれ以上に。
笑って。
「恵まれているな。俺は」