出会い
物心ついたときにはすでに踊っていた。西洋で生まれて奴隷としてこの国にやってきた母と代々この国の伝統舞踊を継承してきた由緒正しき家柄の父。そんな二人の間に生まれたのが私、杏和である。はじめは父の実家で暮らしていたが奴隷であった母とその娘である私へのあたりはお世辞にも家族へ向けるものとは思えず、母は私を連れて逃げ出した。それが6歳のとき。春の陽気に包まれて私も母もこの状況に対して非常に楽観的であった。そしてその判断を悔いたのは冬になってのことだった。不知火の国は夏は過ごしやすい季節だが冬はそうも行かない。積雪こそないものの風をしのげる壁と雨をしのげる屋根がなければ生き抜くことは難しい。私は父の実家にいた頃、野垂れ死んだ死体をいくつも見てきた。寒さゆえ虫が湧いたりすることはないが、やはり死体の匂いというのは強烈だったことを今でも覚えている。
そして今、私は彼らの仲間入りをしようとしている。家を出て数年は父からの支援でなんとか生き延びていたが、不衛生な生活がたたってしまい母が床に伏せてしまった。医療費など出せるわけもなく病にかかってから約二ヶ月後、母はこの世を去った。それは9歳の春のことであった。
母がなくなってしまい、父との連絡手段も、稼ぐ宛もない私は露店や畑から食べ物を盗みつつ、山の中の洞穴で風をしのぎながらなんとかいきのびていた。しかし、今現在目の前には体長2mを超えるであろう巨大な熊が洞穴の入り口からこちらを覗いている。
短い人生だったがこれもまた天命であると思って死ぬ覚悟を決めた。露店の団子を食べてみたかった。ちゃんと舞踊を習ったらどうなるのだろう。私は親孝行ができたかな。そんな事を考えていると一発の銃声が鳴り響いた。続いて2,3発聞こえたあと、目の前にいたのは頭から流血し横たわっている熊の姿だった。
「大丈夫かい?怪我はない?」
そう声をかけてきたのは私同い年しか少し上ぐらいの青年だった。いや、少年といったほうが正しいだろうか。紫色の衣装を身にまとっていてかんざしは金色だ。おそらく貴族などのたぐいであろう。そんな人がどうしてこんなところに一人で?
「怖がらないでほしい。僕は猟の練習のためにこの山に来ていただけなんだ。銃だって君に向けたりしない。」
「助けてくれてありがとう。私は杏和。」
「僕は涼雨。お母さんとお父さんは?家までひとりで帰れるかい?」
ああ、本当に彼は貴族なのだ。この国では親や家族が戦争や飢餓などでなくなってしまいそのまま子も野垂れ死ぬものが大勢いるというのにそんな事も知らないのだ。本当に何から何までみえているものが違うのだ。
「家はこの洞穴。母親は数年前に死んだ。父親は知らない。」
「この洞穴で暮らしているのか?飯はどうしているのだ?その服は?」
「全部盗んだものだよ。盗人として牢屋にぶち込みたければどうぞご勝手に。三色ご飯が出てくるならそっちのほうが今よりずっとましだしね。」
「なんというか、すまなかった。これはせめてものお詫びだ。」
そう言うと彼は私に金色のかんざしを差し出してきた。思っていたよりも重く、これが金というものなのかと深く感心した。本当なら一発殴っても気がすまないところだがこのかんざしに免じて許してあげよう。
「それを売れば数年は暮らしていけるだけのお金が手に入るはずだ。うまく活用してくれ。僕はもう行かなければならない。またどこか出会える日を楽しみにしているよ。さよなら。杏和。」
それを言うと駆け足で去って行ってしまった。冬眠をしそこねた熊に襲われるのはもう懲り懲りだ。この洞穴もそろそろだな。次はどこへ行こうか。
このときの出会いが私の後の人生に大きく影響するだなんて誰が想像しただろうか。いや、彼ですらそんなことは思っていなかったはずだ
3日後、10歳の誕生日を迎えた私は洞穴の荷物の中でいるものだけを持って遊郭街へと飛び出した。