第七羽໒꒱ 僕らを抱卵する、虚空の翼
繋いだ手を、決して離してはいけない。駆ける留鶉が右手で繋ぎたかったのは、鵼が繋ぎたかった鏡鶉の左手だとしても。茶斑の巨大な左翼が肌を擽る度に、亡き彼女の面影を錯覚させる。黄茶色のふわふわボブと冠羽、黄色矢絣の着物に掛かる白練色のエプロンを乱した留鶉は、僕へ振り向く。黄水晶の瞳の鋭さに幻想を解かれてドキリとした。
「一手は打たれ続けているわね。鷹子が〖陽ノ鵰〗側を防いでくれていても、留鶉達は〖陽ノ鶴〗に警戒すべきだわ」
✼••┈☖7四鵬┈••✼
「弓鶴が先陣として、道を切り開いているんだね。鵬飛は【陰ノ天守閣】へ急いでまで、『鵬飛を憎んでいる僕』に会いたいのかな」
✼••┈☗5二王禽┈••✼
睫毛を伏せた僕の『嘘』は、鵬飛を憎む留鶉にも明かしていない。大切な人の生命を選ぶ為の『嘘』と対峙した時……僕が天秤に掛けて、放ってしまった生命の重さが締め付ける。誉鷹は……亡き鶴麻は……僕が軽んじていい『駒』なんかじゃなかったのに。
ぼぅっと駆けていた僕は、立ち止まった留鶉にぶつかってしまうところだった! 彼女は、金碧山水が描かれた襖を開く。
板床を踏み、見上げれば金銀瑠璃の天井画。赤漆塗りの格縁が基盤目状に組まれ、金泥塗りの升内には丸皿のような、禽達の極彩色画。ここは渡り廊下で繋がる、『北の櫓塔』の最上階だった。
留鶉が睨む先に、凍えた美貌の白鶴の男が立つ。緋色の和弓を手にし、納戸色の武官束帯を纏う。巻纓冠と共に、討ち入りの猶予は捨てたか。晒すままの白銀の長髪と、鶴翼。第三の翼のように、背負う平胡簶から白羽の矢が扇形に垣間見えた。両頬に三本緋の刺青がある弓鶴は、柘榴の狐目の鋭光で僕を捉える。
✼••┈☖6二鶴┈••✼
「貴方の期待に応える為に馳せ参じました、鵼」
「厭悪を魅せてよ、弓鶴。誉鷹に鶴麻を差し向けた鵼の命のせいで、君の鶴麻は討ち取られた。君が信奉する空まで、喰われたくないだろ」
薄く嗤う僕が煽れば、覇気を纏った弓鶴は期待通りに輝く鏃を向ける。
――化け物が暗雲で空を喰らい尽くし、〖陽ノ駒〗が僕を殺せば……鵬飛は死に往く空を制することが出来る。空から鵬美を取り戻し、生きるのは鵬飛でなくてはならない。
「これ以上、鵼に弓鶴の陽を奪わせてなるものか!」
咆哮と共に放たれた白矢は、留鶉が左翼で巻き起こした白鎌風で弾き返される! 寸前で彼女の右手を離そうとしたのに、留鶉は繋ぎ返していた!
「鵼は殺させない! 鏡鶉の轟速に負けたくせに、弓鶴が留鶉に勝てるとでも? 」
白鎌風で頬を血く切り裂かれたのに、弓鶴は薄い唇に冷たい弧を描く。
「ええ。ですから、櫓塔の古き構造を手中にさせて頂きました。留鶉の轟速飛翔ごと、奈落の鳥籠に禽えます! 」
板床が回転し、ゾッとする浮遊感が僕らを呑み込む! 六角形に囲む赤漆塗りの高欄達が鉄壁の階層を分ける、底知れぬ奈落へ墜ちていく! 丸格子に換わった頭上、白銀の髪靡かせる弓鶴と金天井画が妖しく見下ろす。
奇妙に軋んだ音がした。高欄の擬宝珠の先端が、飛翔しようとする僕らを狙い花開く。絡繰仕掛けが露わにしたのは、千本矢の包囲網!
攻【陰ノ左鶉】•┈☗6二左鶉┈•〖陽ノ鶴〗防
千本矢が放たれる刹那。留鶉と目配せし、頷く。僕らは繋ぐ手を引き寄せ、独楽のように高速右回転飛翔した!留鶉の巨大な左翼を主力に巻き起こす塵旋風で、千本矢を奈落へと落下させたのもつかの間。頭上から留鶉へと放たれた飛星に、戦慄が走る! 虎翼輝かせた僕は、白矢を黄金の雷で焼尽し頭上を睨んだ!
「やめろ、弓鶴! 留鶉は関係ないだろ! 」
「なら、鵼が彼女を説得したらどうです? 守護を放棄しろ、と」
「嫌よ! 鵼は弓鶴なんかに渡さない! 」
僕を黄水晶の瞳で真っ直ぐに捉えた留鶉に、鼓動が打たれる。言うべき言葉が告げられない。震える唇で、留鶉が清らかに咲うから。
「弓鶴を不自然に煽るから、ようやく分かった。鵼は……鏡鶉みたいに、守る為に死のうとしてるのね。私みたいに鵬飛を恨んでるなんて、嘘」
「違う……」
「分かるよ。鵼が、本当はどうやって笑うかくらい。世話役として、見てたもの」
また軋んだ音がして、ハッとする。擬宝珠の先端に、第二の『千本矢』は装填された。
「あの雷雨の夜。捻れた【鵺】の面を外し、夜に濡れる鵼の白磁の顏と、『空虚』を映す黒曜石の虎眼を初めて目にした時……留鶉は貴方を綺麗だと思ってしまった。【陰ノ城】に舞い降りた貴方は、鏡鶉の最期を告げた死の天使だったのに」
襲い来る千本矢!回転飛翔と雷で焼尽する最中……あの雷雨に濡れる僕を呆然と見つめていた留鶉の姿が、微笑する『今』の留鶉に重なる。
「鵼が、留鶉に『鏡鶉』を見て惑う度……辛くて、嬉しかった。鏡鶉の香りはまだ生きていて、私は鵼の心髄に触れられるんだと分かったから」
矢風が僕の右腕を掠めた! 頭上から到来する飛星群に雷を返すも、丸格子は破壊出来ず。回転する視界では弓鶴を上手く捉えられない!
「留鶉は、鏡鶉には成れません。弓鶴が、自由に飛べる鶴麻に成れなかったように。猿真似など、自己価値を貶めるだけだ!」
「でも、憧れてしまう! 渡り鶉の群れから弾かれて泣いた妹を、守り続けてくれた姉に成りたいって! 鏡鶉を殺した 鵬飛を、留鶉は絶対に赦さない! 」
白矢が放たれる拍子も、放つ雷もズレて、息を呑む。僕らの回転飛翔軌道を、狙って放たれた白矢が迫る……!
「だけど酷いよ、もう留鶉は……鏡鶉だけを選べない。 鵬飛を殺せば、鵼は泣くんでしょ? 」
答える前に、千本矢は止んだ。繋いでいた留鶉の右手が緩み、スッと全身が凍えた瞬間! 鵼は高欄へ突き飛ばされていた!
「手を離しちゃ駄目だ、留鶉っ!! 」
「私に『鏡鶉』を見てていいから、生きて留鶉を見つめてよ、鵼!! 貴方は鏡鶉が生きた証なの!! 」
白矢群を仰ぐ留鶉は、天使の薄明光線を浴びるように、小さな唇から吐息を零す。清貧のタブリエは白く浮かぶ。絹糸の睫毛を透かし、黄水晶の瞳に架かる一光は、左翼の天使の清らかな祈り。
――留鶉を血く穢してなるものか! 今度は僕が守りたい!
歯を食い縛り、金雷を纏おう! 古き高欄を蹴れば、左胸の天鼓が強く叩く! 信じる道に転回した僕は、左翼の天使へと手を伸ばしていた!
負【陰ノ左鶉】•┈☗6一左鶉┈•〖陽ノ鶴〗勝
•┈敗北者:【陰ノ左鶉】、『一手無効』┈•
白矢群は燃え墜ちた。腕の中の確かな重さと柔い香に、抱く心地良さと戦慄を知る。暖かな糸光の左翼付根を貫いた、たった一矢の血臭が憎い。毒のような悔恨が染みる僕は、小さな声で痛みに耐える留鶉 を縋るように翼で包み込んでいた。
「留鶉は、他の誰でも無い一人の禽だ! もう僕は、誰の命も天秤に掛けたくないよ……」
「鵼の命も、天秤に掛けないで欲しいの」
僕の頬へ触れた留鶉の掌に、伝う涙を自覚する。黄水晶の瞳の一光を裏切りたく無いのに、微笑出来ない僕は『最後の選択』に惑う。
「今、案じるべきは僕じゃなくて、留鶉の方だよ。この戦禍が無ければ……誰も傷つかずに済んだのかな」
――頭上の『彼』は、僕が求める答えを知っているだろうか。
✼••┈☖7三鵬┈••✼
攻【陰ノ王禽】•┈☗6二王禽┈•〖陽ノ鶴〗防
第三の『千本矢』の装填音がした。僕は抱く留鶉と共に、禽籠の内から弓鶴を見上げる。涙に甘んじるつもりは無い。
「ねぇ、弓鶴。君は何の為に戦うの? 」
昏い丸格子が隔てる天井。金の後光を背負う弓鶴は白銀の史上者の如く、柘榴石の狐目を赫赫と細めた。
「ただ『空』の為に。弓鶴は、鵼の審判を果たすべく生を受けたのですから」
四方から放たれた矢風に、慈悲は無し。留鶉が飛べない以上、回転飛翔はもう出来ない。
「空を喰らうとも知れぬ、【鵺】を殺せるように? つまらない人生だね」
金の雷を纏った僕は飛翔の高度を落とし、仰向けに飛んだ。眼上を過ぎゆく飛星を皮肉に嗤い、虎翼を翻す。
「ええ、とても。弓鶴は『次期長の座』を建前にされた、無きモノを恐れる『袖黒鶴の一族』の生贄です。白羽の矢が立ったのは、空を切り取った丸窓を見上げる幼い私自身でした。
( 自由を滅し、空への冀求と己の内の『空虚』を同化させる事で、【鵺】の真価を見抜き、射抜く )
自らを空にする修行の中、守るべき空は己の鏡だと知りました。内に虚しさが有れば、青は映す。空鏡の向こう……病にすら縛られず蒼穹へ飛翔する、鶴麻に『自由』を重ねていました」
僕は高欄と高欄の間へ飛び、斜め上の『次の間』を目指して蹴る! 疾雷風、ジグザグ飛翔と名付けようか。
「病者と生贄。兄と弟。逆だったとしても、弓鶴の心の有り体は変わらなかったでしょう。丸窓を破壊してくれた陽を、つまらない誇りで欺き、手を振り解いたのだから。救済は一度だけだったのに……『お綺麗なヤツは、理解出来ねェ』と告げさせた」
口調まで再現出来るくらい、白矢を放った弓鶴は鶴麻が好きだったのか。『間』を蹴り、金天井を目指す僕は不覚にもクスリと笑ってしまった。雷速を上げる金の軌跡を追えない白矢は、僕に刺さらず!
「高潔な弓鶴は、もっと素直に甘えれば良かったんだ。雛みたいにね! 君の鶴麻には成れないけれど……」
吹き抜ける風へ――――
―――― 参、弐、壱。
「君が縋れるのが化け物だけなら答えてあげる。君を孤独にしたのは、化け物でもあるから」
零が見えた! 弾ける雷轟で丸格子の止め金を喰い破り、 金天井盤に極彩色画で飛翔する禽駒達へ再会に吼えろ! 左翼の天使を抱く愉悦を、両翼で誇れ! 眼下で呆然とする弓鶴に、禽籠から解放された『自由』を魅せてやれ!
「禽籠を破壊して欲しいと願っていたのは、弓鶴自身だろ! 君は化け物を殺せない! 君の『自由』は滅してなんかないからだ! 自分の真価を、死んでやらない鵼に映してみろよっ!! 」
僕が金の雷を放ち、緋色の和弓を焼尽する中。焔に、三本緋の頬を煌々と照らされながらも……弓鶴は焼けつく手で冷静に射った。
「鵼っ!!! 」
留鶉の悲鳴の中……燃える白矢が、驚愕する僕の胸を通り抜ける。
「鵼は……空を喰らう化け物では無かったのですね」
弓鶴の柘榴石の狐目が、雛禽のように見開かれる。一瞬、僕の翼が薄青に透けた気がした。
勝【陰ノ王禽】•┈☗6二王禽┈•〖陽ノ鶴〗負
┈敗北者:〖陽ノ鶴〗、二者択一後『裏切り』┈
「鵼、何ともないのっ!? 」
「うん……? ふふっ、やめてよ留鶉」
焦る留鶉がぺたぺたと僕の胸に触るのが擽ったいだけで、怪我なんて無かった。僕の懐に有った【鵺】の面が滑り落ち、カランと割れて納得する。
「弓鶴は鵼を白矢で貫いたのに……貴方は、自身の真を感じないのですか? 」
「何を言っているの? 白矢で貫かれていないから、鵼は弓鶴の前に居るんだろ」
弓鶴が白矢で射抜いた【鵺】の面は、矢の跡が残るのみで瓦落多同然。燃えた白矢は奈落に墜ちたのか? そういえば、白矢が掠めたはずの右腕も痛くない。
「弓鶴は、確かに鵼を射抜きました。何れにしろ、私は信奉してきた鵼を殺せません。同じ呼び名の面を被っていただけの貴方は、暗雲の【鵺】では無かったのですから」
僕に忠誠を誓うかのように片膝をついた弓鶴に、小首を傾げた時……爽やかな衝動が突き抜ける感覚があった。高鳴る鼓動に留鶉を下ろせば、不安そうな黄水晶の瞳の瞬き。僕の腕を離せない彼女に、微笑を返す。
「待ってて、留鶉。王手には応えなきゃいけない定めだけど……これだけは言える。僕は死んだりなんかしてやんない。そうでしょ、弓鶴」
「その問いには弓鶴よりも、鵬飛様が答えるに相応しい」
「……待ってるから、鵼」
黄水晶の瞳を潤ませ、右手を離した留鶉に頷く。僕を呼ぶ衝動に翼を広げた。
【陰ノ城】から飛び立てば、空を喰らうはずだった【鵺】の暗雲は、黎明の白金を透かす薄縹色の鵬雲に化した。嘘つきの僕の死で、鵬飛に死んだ空を明け渡す計画は失敗だ。留鶉に縋られたら、未練たらたらで死ねないし……そもそも僕は矢が効かないみたいだし。
【鵺】の面を射抜かれた僕は、弓鶴に導かれた自分の真価を『彼』に問わなくてはならない。まだ未知は、僕らを見捨てていないはずだ。
✼攻〖陽ノ鵬〗•┈☖6二鵬┈•【陰ノ王禽】防✼
どこに居たって、僕は鵬飛を見つけられる。淡い曇天の黎明に蒸着水晶の翼を広げ、西洋の肩鎧に武道袴纏う姿に安堵してしまう。濃藍のウルフカットの髪が靡けば、群青に艷めく。垣間見えた額から、曹灰長石が煌めきを放った。白檀の香と体温に抱きつきたい衝動を、雛禽の刷り込みのせいにした。
「鵬飛を恨む『嘘』は意味が無くなっちゃった。鵬飛に死に往く空を明け渡して、皆を救える程……名誉ある死に方は出来ないらしいね。鏡鶉に、空っぽな僕を守らせてしまった後悔に生きるしかない」
彩雲の睡鳳眼に、泣き咲いする僕が澄浄に映る。鵬飛も、辛い泣き虫がお揃いじゃないか。
「鵬飛も鏡鶉も、鵼の死など望まない。鏡鶉の『死』に根底を揺さぶられ、自らの死で鵼と鵬美 を選ぼうとしていた。……可能性にたどり着くまでは、鵼と同じ考えだった」
鵬飛は、僕と鵬美 を同じくらい大切に想ってくれていたのか。擽ったいくらいに嬉しいのに、命を懸けた選択をさせてしまう所だったことが辛い。留鶉も鏡鶉も……こんな気持ちだったんだ。
「あれから、考えていた。鵬美は、どのようにして空に消えたのか」
「答えは出た? 」
「北の海に住まう幼魚の『鯤』が、成鳥の『鵬』に成る時……海から発生する上昇気流から生じた竜巻に巻き上げられ、一度積乱雲に成るのだ。水に成るなど、生涯一度きりだったはずだが……『鵬』として空に消えた鵬美は、まるで逆だ」
飛翔は上昇、墜落は下降。上昇は、海水が『鯤』に、雲に成り『鵬』に成る。下降は、『鵬』から雲に成った雨粒が、海に墜ちるよう。……海水に成った鵬美は、『鯤』に成った?
「孵化したての頃は覚えていたのに、どうして忘れていたんだろう……鵬美は空から墜ちたんだ! 卵の内に居たはずの僕が、卵殻の外の鵬美が墜ちたと追憶出来る理由があるはず」
僕を見上げていた、鵬美を知っている気がした。
「もっと早く分かっていれば……僕が決断していれば……鵬飛も、鏡鶉も戦わずに済んだ……。 その剣で、死なない僕の正体を教えてよ! 感ずいてるんだろ、鵬飛!」
「鵼が望むなら……正体を暴こう」
覚悟を決めた鵬飛は、彩雲の睡鳳眼に鋭光を宿す。顕現された両手剣は、覇を纏う銀閃と成り、息を吐く僕を突き抜けた!
あぁ、戦禍が終わる。これは初めから、大好きな鵬飛を殺せない僕の負け戦だったんだ。
✼勝〖陽ノ鵬〗•┈☖6二鵬┈•【陰ノ王禽】負✼
•┈敗北者:【陰ノ王禽】、『 』┈•
《【陰ノ王禽】⇒☾鵼白☽へ成り上がり》
ようやく分かった。貫かれたはずの心臓は、眠る鵬美 の『空想』で鼓動している。鵬美 が死ななければ、僕は死なない。鵬美 が生きている証は、僕自身か。 両手剣を引き抜かれても、☾鵼白☽の僕は何も感じない。
「卵の内の『空虚』でもある鵼の身体は、盤上の☾鵼白☽でも透明じゃないんだね。卵の外の『虚空』の僕を誰かが見上げれば、翼が『空』色に染まる。空の意思を制した 鵬飛は、眼前の
☾空将棋盤☽に何を願うの? 」
「戦禍を終わらすべく、空の意志を想い、『空想』で☾鵼☽を創造した鵬美の元へ、共に行こう。雨粒として墜ちたはずの鵬美は、きっと海に居る」
笑みを交わした僕らの願いは、もうすぐ叶う。互いの肩を抱いた僕らは、額の『王の証』を合わせた。僕の琥珀と鵬飛の曹灰長石が煌めきを放てば、身体が透けていく。
――――僕らは、水に成った。
鵬雲に解ける中……空の郷愁な記憶が蘇る。
柳色、若草色の葉はゆらゆら。
枯茶色の岩は動かない。
海碧色が水光にきらきら。
僕は頭上の大地と海を見上げている事に気づく。水平弧の七色の翼で飛翔し、日没の東空の長い髪を靡かせる禽も。橄欖石の杏眼と目が合った。
『貴方は、きっと自分の色を知らない。素敵な青色をしているのに』
『貴方が禽達を理解してくれたら……戦禍を止めることが出来るでしょうか』
『答えてくれないならいっそ、海に繋がる貴方が居なくなってしまえばいいのに。生命は翼に換えられない』
勝手に褒めたり、貶したり。酷い話だ。空の元へ訪れる彼女に一言文句を言ってやろうと、青い『虚空』を蹴った瞬間……天地が反転する。青白磁色の『空虚』の卵に閉じ込められて墜ちれば、驚愕する鵬美に受け止められていた。これは、罠だったのか!?
『まさか……鵬の祖先のように、私が創造した卵でしょうか……? いつか、貴方が空に禽駒の意志を伝えてくれたらいいのに』
どうやら微笑む鵬美は、僕が『空』そのものだとは気づいていないらしい。悪戯心に笑おうとし……まだ喋れない事に気づく。不便な内側の『空虚』の卵だな。幸い、まだ『虚空』の外側の視点から、空に語りかける鵬美を見下ろす事が出来た。鏡鶉に卵として抱卵されれば、暖かくてだんだん眠くなり……自分が誰だったのか、思い出しにくくなって来たけれど。
だが、ある日……手紙を書き終えた後に、鵬美は気づいてしまう。鷹子を残し、【陰ノ天守閣】を飛び去った。空の元へ。
『空が、鵼だったのですね。青白磁の卵は【鵺】でも無かった。私は、鵼を殺せません。雛として生まれ、自分の色を見上げる貴方を想像したら……愛おしいと思ってしまったから』
橄欖石の杏眼の目尻を赤く染め、漣漣と涙する鵬美を哀れに思えば、雲に解けて墜ちていった。
――海に墜ちる、今の雨粒のように。
透明を削る、薙いだ海碧に飛び込んだ。太陽光線が差し込む、水中の孔雀青の静謐さに沈みゆく。編レースのような光の水面模様が、海底に踊れば……忘却からの目覚めを促す。碧の硝子柩に、日没の東空の人魚が眠っていた。
薄紅梅色に輝く、淡紅藤色の揺蕩う長い髪。三つ編みにした前髪から見える額には、紅電気石。勿忘草色の月虹を、白夜月に封じた月長石の鱗と尾鰭。
透ける睫毛が震え、橄欖石の杏眼が燦爛と開かれた瞬間……僕らの灼熱の冀求は重なっていた!
隔てる硝子柩へ共に触れれば、僕らは海水から禽に戻る。冷たい海水に、失う呼吸は泡を吐くばかり……。気が遠くなる意識の中……開いた硝子柩から、甘えるように伸ばされた白絹の両手が僕らの手を繋ぐ。人魚の尾鰭が翻れば、月虹を反射する。海底から煌めく空を目指す遊泳は、天使の薄明光線を浴びるのに似ていた。
肺を大きく膨らませて、揺蕩う海面から蒼穹を仰げば……微笑む人魚は水飛沫の煌めきを連れて『空』へ跳んだ。
淡紅藤色の長い髪を靡かせる鵬美が彩雲に包まれ、月長石の鱗と尾鰭が、水平弧の七色の翼に化す瞬間は生命の輝きに満ちていた。
源へ還るような自然さで、飛翔した僕は鵬美を抱き締めていた。波の鼓動が残る安心感と、彼女の沈丁花の香りに息をつけば、鵬飛の暖かい腕と翼が僕達を包み込む。こんなにも二人に惹かれていたのは、僕が鵬美 の一部だったからか。
「おかえり、鵬美」
「ただいま、鵼、鵬飛。長い旅を……して来ました。︎︎雲に解けて、雨に成り。海に成った私は、巡る生命を知りました。私は鵼に成ったのです」
「鵼も【陰ノ王禽】として、鵬美 に成っていた。 鵬美 が大好きな禽駒の生命を知った。僕が消える事は出来ないけど……禽駒の生命を選ぶよ。僕は、禽駒にどう応えればいい? 」
「戦禍が無い未来を『空想』して。鵼は私より、膨大なエネルギーを秘めている。巡る生命へ、恩恵を齎してくれるのだから」
――瞼を閉ざし、考える。 『戦禍』が終われば、何に成る? 傷ついたり、笑ったりした思い出は捨てられない。僕らを伝承するには、僕らを模した『形』が必要だ。
ちょっと狡いけど……僕らがもう一度会いたい禽駒と再会出来たらいいなって思う。禽駒が揃わなければ、☾将棋盤☽の上で『形』に成らない。禽駒で、温かい場所に帰りたい。きっと綺麗な南の潮風が、連なる翼を撫でる。
――瞼を開けば、『未来』の僕に成っていた。僕は、三十二枚の『禽駒』達と☾将棋盤☽の前で思案中だ。
「横7×縦七の盤と、漢字一字が彫られただけの木の板達。こんなちっぽけな世界では、禽駒の叫びは誰にも届かない」
「本当にそう思うのか? 出づれば即ち怪を成す……☾ 鵼、鵼、鵼☽。【鵺】とも〖白鵺〗とも異なり、呼び名しか無い空想的な怪鳥。空そのものであり、盤上の☾鵼白☽であるお前が」
「ふふっ……美味いことが言いたいんだね、鵬飛」
「無から有は生じる。虚空の空を見上げた鵬美の空想から生まれ、私達の前に存在する☾鵼☽が証明だ」
「☾鵼☽が居たから、鵬美は空を想えたのです。帰るべき場所に、帰ることも出来た」
鵬の帰郷地。『南の海』の白波模様は、水縹色の曹灰針石みたいだった。海辺で雁少女らが笑うのを、僕らは木漏れ日から眺めていた。青紫の花弁が頭なら、ツンとした雌蕊は白い嘴か。尖った萼は、黄赤扇の翼。極楽鳥花達は、僕が留鶉と翼で抱卵する『茶斑模様の卵』を見守ってくれている。
今度は僕が君を翼で温める番だ、鏡鶉。
僕の新しい『空』色の翼は、
君より、鵬飛より、広大なんだ。
「そして……☾鵼☽の空想から出でた有の卵達は、戦場では無く、新たな遊戯盤に生まれる。『死』の選択肢が無い、禽将棋の駒として。……ねぇ、みんな。盤上の☾鵼白☽に繋がる空を煽り見れば? 刻一刻と変わり往く色が、光が、雲が、風が、雨が……海をルーツとする生き物の☾鵼白☽に天啓を与えてくれるよ」
禽駒達が見上げる、大好きな空は穹い。水平線の淡い緑みの青から、白く変化する階調は天空の明るい青へ繋がる。薄いすじ上の巻雲は、すっとした翼先のように透けていた。瞬きに遊べば、針状の虹を内包する世界最小の光芒が視界の端に有る。それは薄翠みの金を帯びていた。円やかに連なる光芒の中を、一羽の白燕が翔けていく。
拝啓 いつか空鳥を知る君へ
どうか鵼白を恐れないで。
君の卵殻は境界線なのだから。
『空虚』は卵の内側であり、
卵の外側である『虚空』は
空という翼で君を抱卵している。
願わくば、
遥かなる『虚空』を見上げる君に
虚しさを空にする、有が宿らんことを。
✼•☗•┈┈┈┈••꒰ঌ໒꒱••┈┈┈┈•☖•✼
お読み頂きありがとうございました✧︎
꒰ঌニュアンスイメージ挿絵໒꒱
*⋆꒰ঌみんと様に、禽駒達を描いて頂けました໒꒱⋆*
⇒①鵼ヌエくんと、鵬美トモミ&鵬飛ユキト
⇒②鵼ヌエくんと、鏡鶉ミシュン&留鶉ルジュン