第二羽໒꒱ 繋ぐ飛翔
初めに思った事は、漆黒の虎眼がクリクリしている……ということだ。でも深く吸い込まれそうで、ちょっと怖い。柳茶色に灰黄緑色混じりの斜め前髪を上げれば、なんか額に、琥珀がある。鵬飛みたいだ。これが『王の器』の証? ウキウキと、金色を秘めた虎柄の翼を羽ばたかせてしまう。卵型の小顔じゃん、と頬を触った。
……鏡に映った、初めて見る『僕』のことなんだけど。
「自分に見惚れるのは、それくらいにしたらどうです? 」
「自己陶酔者にはならないよ。水鏡に墜ちて、死んじゃうからね」
胡桃色の着物に、金箔模様の黒羽織を着せてもらった僕はニコニコ振り返る。伽羅色の瞳を瞬かせた誉鷹は面食らっていた。
「雛なのに、何処からそんな言葉覚えてきたのですか……?」
「それは卵の中の時に、多分『彼女』から……」
雛って言っても、別に子供な訳じゃない。鵬飛と誉鷹には負けるけど……身長は低くはないはず。高くても低くても誉れにならない『中性』だけど。
「着替えたなら、『彼女』について教えよう」
僕は座布団に行儀よく座った。柔と強ハネが混じる濃藍のウルフカットの髪をそよがせ、鵬飛は向き直る。
「『彼女』の名は、鵬美 。駒名は、【陰ノ鵬】だ」
「それって……」
「ああ。〖陽ノ駒〗から見れば、敵の王だな。私の番でもある」
僕の思考は一瞬、停止する。
「敵なのに……? 」
「そうだ。今の盤上の戦が始まる前に出会い、開戦により別たれ、王となった。駒名が同じ者は、同種族なんだ」
僕は【陰ノ雉】の雉花と、〖陽ノ雉〗の雉明の姉弟を思い出す。彼らも、花冠で遊ぶような雛の頃は共に暮らしていたのだろう。
「盤上の戦は『王が死ぬ』ことを切っ掛けに、周期的に繰り返されている。新たな開戦と共に、駒になれば逆らえない本能が目覚める。盤上の戦自体が、いつから始まったのかは……歴史書でも追えないが」
「皆、戦いたくて戦っている訳では無いんだね。羅鶴を無傷で返り討ちにした、誉鷹みたいに」
誉鷹の激しい咳き込みの振りが聞こえてきたけど、僕は見た。羅鶴と戦う誉鷹の、内なる苦痛帯びた顏を。
「だが駒同士が再会する為には、戦禍に身を投じるしか無い。駒は一手が無ければ、敵地へ動けないのだから。……例え、殺し合う運命だとしても、再会したいと望むのは間違っているだろうか」
意外だった。睫毛を伏せた鵬飛が弱く見えた。僕は王である彼を、初めから強いと思っていた。彼は、強くならざるを得なかったのだ。
「間違ってなんかないって思うよ。だって、『裏切り』の手段があるんでしょ? それを選べば……」
「【陰ノ雉】のように、本人が『死』を選べば意味が無い。それに、王である『鵬』の駒には『裏切り』の選択肢が無い。だが攻め手として敗北すれば、生きて再会できる」
「鵬飛は、鵬美 との再会を目指して戦っているんだね」
「そうだ。王として安易には動けない故に、再会はいつの日になるか分からないがな」
「なら僕が、鵬美と約束をして鵬飛に会わせてあげるよ!! 無名の駒だから【陰ノ地】へ自由に動けるし、これってグッドアイデアじゃない!? 」
「何故……鵼が、そこまでするのか」
「だって、僕も鵬美に会いたいし。それに僕って、鵬飛のこと大好きじゃない? 誉鷹のことも好きだけど。大好きな人達に会いたいって思うのは、トーゼンのことだよね! 」
とっても良い気分って、羽毛がふわふわするんだな! 今なら飛べそうな気がして、 ピョンと立ち上がる! 笑顔で後ろ手を組んだ僕のことを、鵬飛が呆然と見るのが、なんだか可笑しかった。
「雛への刷り込みだろう。危険を冒してまで、鵼が見知らぬ地へ行く必要は無い……」
「僕にとっては、危険なんか無いよ? 」
「お前はまだ知らぬだけだ。未知は、理解して常に恐れるべきだ。決して、行ってはならない」
「……怒ってるの? 」
羽毛のふわふわがショボくれた僕は、彩雲の睡鳳眼を細めた鵬飛が怖い顔をしている事に気がついた。恐る恐る覗き込めば……小さく微笑した鵬飛が頭を撫でてくれて、ほっとする。僕が大好きなのは、この掌の体温なんだ。
自分の口から【陰ノ地】へ行きたいとは、もう言い出せなかった。鵬飛を喜ばせたいから考えたアイデアだったのに、怒らせてしまっては意味が無い。
それなのに……僕はウトウトと布団の中で、透ける障子窓から月光を浴びながら考えてしまう。卵の中から聞いた鵬美の声は、慈愛に満ちた優しい声だったはず。決して強い声では無いが、時には芯のある気品に満ちていた。
なら、姿は。髪は、瞳は……掌の体温は? どんな風に笑うのだろう。鵬飛の言う『会いたい』とは、『知りたい』と似ているんじゃないか……。
「見つけましたよ、雛禽さん」
「僕の名前は鵼……って、羅鶴!? なんでまだ〖陽ノ城〗に居る、の……」
月光透かす障子窓は、蝋色の着物纏う白鶴の女に開かれていた。現れた羅鶴は、シーッと唇に人差し指を当て……血の気が引いていく僕の首に苦無を当てる。
「答えてください。鵼は、青白磁の卵から孵化しましたね? 」
「そうだと言ったら、僕を殺すの……? 」
薄く微笑する羅鶴を睨んでも、今の僕は抵抗なんか出来ない。助けを叫んだ途端、殺されるのがオチ……。
「まさか。私は鵼を探していたのです。【陰ノ鵬】の元から消えた、大切な卵を。共に、【陰ノ地】へ参りましょう。次の一手が打たれる前に、私は帰らねばならない」
鵬美が、僕のことを探している?
心臓がドクドクと、選択を迫る。
鵬飛か、鵬美か。
どちらに笑っていてほしい?
「僕は……二人に笑っていて欲しいから、【陰ノ地】へいつか行かないといけないんだと思う。だけどそれは今じゃない! 鵬飛に『行ってきます』も言えて無いのに、行ける訳ないだろ! 」
「ハナから、貴方の意見など聞いていません。私は盗難品を取り返しに来ただけですから」
「僕はモノじゃないっ! 」
馬鹿だけど、僕は滅茶苦茶に枕を投げて抵抗する! 舌打ちした羅鶴は枕を切り裂き、舞う羽の中を俊敏な右手で突き抜ける!
「鵬飛!!」
叫んだ瞬間、羅鶴の右手は僕の首を掴む! 息が出来ない圧迫感が、破裂しそうな頭痛を連れて来る! 涙が滲んでしまう……僕の選択は間違っていた?
「鵼!! 」
漆黒の虎眼を見開けば、駆け抜けて来る鵬飛の姿!苦悶浮かべた鵬飛は両手剣の一閃を斜めに振るう! が、避けた羅鶴は僕を引き摺るまま、障子窓から金無垢の月夜へ墜ちる!
――怖いのは浮遊感だけじゃない。濡れた黑に吸い込まれる、冷たい夜の『虚無』。暖かい貴方に、まだ縋っていたかった。
息を継いだ僕が鵬飛に手を伸ばしても、指先は届かず。白鶴の飛翔は風鳴りに加速していく。掴んだ障子窓から半身を乗り出し、鵬飛は命じた!
「粮燕、一手を打つ! 【陰ノ鶴】を〖燕前線】で捕縛し、鵼を取り戻せ!」
「了解ですっ、鵬飛様! 」
障子窓を過ぎた疾風は、紺の詰襟軍服纏う、燕翼の少年! 燕尾の紅羽織をはためかせ、僕達を猛スピードで追ってくる!
「〖燕前線】ってナニ!?」
「【陰】と〖陽〗の地の制空権巡る戦いの最前線は、戦況により常に変わり続けています。その最前線を、住処にするのが〖燕】! 」
元母禽、雛禽の好奇心に答えてくれる親切! 僕を抱えたまま飛翔する羅鶴は、険しい顔で粮燕を振り返る。羅鶴は何故、小柄な少年を警戒するのだろう? 滑翔で追いつかれそうだから?
「観念してくださいっ、【陰ノ鶴】!」
金の護拳に紅玉輝く細剣が、ついに羅鶴へ構えられた。王子のように凛々しい表情だが、粮燕は少女か少年か見紛う容姿。栗梅色へ天色裏重ねの尼削ぎ髪に、棗型の純粋な瞳は青玉のよう。
……正し。驚くべき事に同じ姿の燕が、前方にあと五羽もいる! 群れだなんて聞いてないけど!?
僕を抱えた羅鶴は苦無仕込んだ翼を広げるも、やる気まちマチな〖燕】の群れを避けられずに突っ込む! 上昇乱舞する彼らの翼がバサバサ、顔に当たって地味に痛いっ。
「私は【陰ノ燕】だよぉ……仲間なんだけど、羅鶴ぅ」と、燕。
「〖陽ノ燕〗の俺と殺りたいなら、受けて立つぜ! 鶴の姉さん! 」と、燕。
「【陰】も〖陽〗も、皆同じ顔で紛らわしい! 最悪ですっ、これだから〖燕前線】は避けたかったのに! 」
「さぁ! 羅鶴の後ろは【陰】か〖陽〗か、どっちでしょうか! 」と、追いついた燕。
参戦した粮燕と皆同じ顔で急旋回しながら嘲るもんだから、僕は目が回りそうになる。
「どゆこと……? 敵なの、味方なの? 」
「〖燕】は『裏切り』常習犯です! 〖燕】の群れが常に最前線を支配するのは、駒になる確率が高い種族の生存戦略。種族内の戦いにおける『裏切り』で【陰】と〖陽〗を入れ替え続け、別種族による敵味方の判別を攪乱させているのです! 」
羅鶴が睨んだ、〖燕】達の翼重なる僅かな隙間……あれが、突破口か!
「よくご存知で! 【陰ノ鶴】……いいえ、親愛なる羅鶴。忠告致します、そちらは抜け道ではありませんよ? 」
翼翻す粮燕は、クスクスと笑う。刃風の鴥さで、〖燕】達の隙間を抜けたはずの羅鶴は顔を顰める。最前線に居るのは〖燕】だけでは無いらしい!
〖燕】の見張り番をサボったか。ゴロンと肘枕で屋根に寝そべる〖陽ノ雉〗……の頭をバシッと叩いたのは、恐れ知らずの粮燕!
「よっ、雉明ナイス! 超イイ居眠りっぷり!」
「あ? 寝てねぇ!! 殺んのか、粮燕!! 」
カッと尖晶石の火輪眼を開き、〖燕】へ柳葉刀を振り回す雉明は絶対に寝ボケている!
✼•攻〖陽ノ雉〗•┈☖2四雉┈•【陰ノ燕】防•✼
「残念です♡ 私は従姉妹の粆燕だよ! 」
頭の赤いリボンをぴょこんと揺らして細ヒール揃え、暴るる柳葉刀に乗った燕少女は可愛くウィンク☆した。
絶句する雉明の前へひらりと舞い降り、瞬速の細剣で一突、二突、三突! 金の剣速から垣間見えるは、玲瓏なる青玉の瞳。
「知ってるんだよ、私。雉花 の親友だったから。〖燕】は最前線で、互いを信頼するしか生きる道は無いけれど……雉花 は、雉明の想いを信頼出来なかった」
「何が言いたい!」
「雉明が『可愛い弟』で居るのを辞めなければ、雉花 は死ななかった。 アンタは姉弟の絆を、愚かな求愛で壊したの! 」
金の剣速が、朱の火花に散る! 廻す柳葉刀の一撃で、細剣を止められ呆然とする粆燕に雉明は嗤う。
「ハッ……それがなんだ? 『姉』を辞められないそのくせ、雉花 は口付けも拒めなかった。お人好しで、畜生道に堕ちれるかよ! 」
飛翔した粆燕へ、疾走で加速! 垂直離陸した雉明は力強く飛んだ! 朱の火花散らす斬撃が来る!
「雉花 を地獄で泣かせられるのは、この俺だけだ! 俺を選ばなかった後悔を、共に地獄で許してやる。手土産に命懸けの生を研いで、謳歌してからだ! 」
「いい声じゃん。雉花 を弔える、アンタの熱烈な囀りが聞きたかったの。私如きが復讐したくなるような、安っぽい男に堕ちないでよね! 」
炎の斬撃と化し、突撃する雉明の胸倉を下から掴んだのは誰か。眼前で微笑した粆燕は力を受け流し、眼下の屋根へ軽やかに投げ飛ばす! 僕を抱えた羅鶴と〖燕】の群れは、炎の隕石を輪状にサッと避けた。
✼•負〖陽ノ雉〗•┈☖2三雉┈•【陰ノ燕】勝•✼
•┈敗北者:〖陽ノ雉〗、『一手無効』┈•
「あ!? 雑魚に、俺が負けただと!?」
「秒殺☆ 成り上がりまで、粆燕ちゃん秒読みじゃない? 雉明っち」
「知るか、ボケェッ!! 粆燕テメェ、わざと俺を煽って踏み台に使いやがったな!?」
咆哮する雉明は、めり込んだ屋根から起き上がる! 舞い降りた粆燕は、ペロリと舌を出す。
「そうね! 良く分かってるじゃん。理解の早いご褒美に、どうぞ」
――差し出された朱の組紐に、常磐緑色の総髪の雉明は顏を辛く顰めた。揃いの髪型は、まだ解かれていない。
「……これは、俺の髪紐じゃない」
「ま、貰っとけば? 雉花 の『形見』でしょ。『燕ノ巣』に引っかかってたよ」
躊躇いつつも……手を伸ばした雉明は、粆燕から朱の組紐を受け取った。
「ありが……」
「では、おっ先――!! 」
✼••┈☗1五燕┈••✼
「やっぱいつか、粆燕コロス……」
ウィンク☆し飛び去った粆燕を睨む雉明に、見とれていた僕は羅鶴の拘束から放たれた! ゾッとするような浮遊感に襲われた瞬間、頭上で金属音が弾ける! 眼前の敵を睨む羅鶴の苦無と、微笑で応える粮燕の細剣だった。
「私の腕を狙い雛禽を独り放つなど、正気ですか! 」
「甘いですね、元母禽。今の内に逃げてください、鵼! 誰にだって、初めて飛ぶ瞬間はあるものです! 」
〖陽ノ燕〗は【陰ノ鶴】へ、一手を打つ! 堕ちる僕を一瞥した粮燕に頷き、金無垢の月夜へと虎柄の翼を広げる。黑に吸い込まれる僕は、未知の『虚無』に抗う為に冷たい夜風を肺へと吸いこんだ。